ワイは健康のために酒飲まないやで。
とある友人に対して悩める私の書き散らしだ。
「そんな友人切っちゃえばいいじゃん」というタイプの人にとって、これは読む対象の文章ではないのでブラウザを閉じて欲しい。
ほとんど自分の考えを整理するために書いているので、文章が変でも許して欲しい。
気が向いて最後まで読んでくれた人は、よければ、この友人について第三者からどう思うか、自分ならどう対処しているのか、コメントで残してくれると大変嬉しい。
1.登場人物
●私:これを書いている人。
・予定は誘う・企画・予約する側
●友人U
・同い年
・予定など含めて全て受け身側
2.なにに悩んでいるのか
友人U自身についてと、私自身の友情感情のムラについて悩み続けている。
2-1.感情の春期冬期
他の人にもあるかわからないが、簡単に言えば友人に対する感情のムラだ。基本的に友人はみんな好きだ。良いところ悪いところ含めて友人関係をしている。ずっと関わっていたいと思える人たちばかりだ。みんな幸せでいてくれ。
しかし、昔から私にはこの「ムラ」がある。特定の友人に対して、「一緒に遊ぶの楽しい!たくさん誘おう!」な春期が、ちょっとしたことをきっかけに「お前の全てが不愉快。遊べば楽しいけど、粗しか見えない」な冬期になってしまう。
今回のメイン人物のU以外に対しても、この春期冬期が訪れることはある。しかし、自覚も早いので少し距離を置く(1対1では会わない)ようにして、自分の中でムラが落ち着いてからまた積極的に関わるようにしている。では、友人Uではなぜそう出来ないのか?いやしているけど、仕切れていなくて目につくのか。次で話していく。
2-2.友人U
前述の通り、Uとは十数年来の友人だ。趣味も同じものが多く好みも合うものもある。長年の付き合いということで、意思の疎通も図りやすい場面も多い。
基本的には好きな友人の一人だ。
では今何が引っかかっているのか。箇条書きであげてみる。
この三点が主なところだと思う。長くなるが、一つずつ話させてほしい。
人物紹介の時点で察していた人もいると思う。そう、Uは誘われ待ち人間なのだ。別にそれは構わない。人間には常に誘う側と誘われ待ち側の二種類がいるのはもう納得している。そして私は前者だ。せっかちだし人の進行を信頼し切れないのでそれは構わない。
だがUの場合引っかかるのは、「◯◯行きたいんだよね」「気になってる〜」の誘われ待ちが露骨であり、かつ誘わずに私が行ったことを知ると不機嫌になるところだ。
私は映画オタクで映画館が大好きだ。そしてUとは共通のジャンルがあり、その映画は誘ってよく一緒に行くことが多い。だが、当然お互い社会人なので予定が合わなさそうなときあるいは、早く観たい気持ちが強い時(本当は全て公開初日初回に行きたい)は自分優先で一人で行くことも儘あるのだが、それがUも観たい映画だと観たことを話すと明らかに口数が減り早く話題を切り上げようとする。かと言ってUから「この間話してた映画観に行こう」などと言われることはない。
そして誘う側の人にはわかってもらえるだろうが、誘い続けているとたまに疲れてくる。かといって誘うのをやめると、私はそれで以前一番仲が良かった友人との関係が終わったので、それはしたくない。
社会人なので、対人への普通の敬語丁寧語なども使えることを知っているし、「お洋服」など比較的丁寧な言葉を使うときも知っている。だが、基本的な言葉選びや話し方がマツ◯デラックスなことに気がついてしまった。
出会ったときからそうなのでそれが素なのだと思う。それは別に構わないのだが、それなりの店や場所にいる時などもわりと大きい声で「おめーはよ〜」「便所」などと言われるので困る。
親でもないのに友人が注意していいのだろうか…あと恥ずかしいのでどうしたらいいのか戸惑う。
●見下した物言いをしてくる
思えば学生時代からそうだったのだが、Uは私に対して見下した物言いをしてくることが多々ある。学生時代に揉めた時(発端は私で100%私が悪かったのもあるが)も「これ、忠告ね」と言った発言や、普段話をしていても少しでも自分の方が詳しい・知っていると思う内容の話だと必ず一度は「お前が知らないだけでこうなんだよ」と言ったニュアンスの発言を被せてくる。
例1:最近こんな変なことがあったという話をしたとして、「◯◯はよくあることだから〜」「××は仕方ないことなんだよね」など、必ず否定してくる。それが正しいこともあるのだが、毎回の否定はきつい。
また、Uは特に旅先や出先で疲れると私に当たってくるところがある。
例2:
旅先の電車乗換にて
予定より少し遅れて到着。大きい駅だったのでどうにかホームを発見して電車を待つことに。他の友人Hが列を離れて路線図の近くへ。それについて行くU。特になにも言われなかったのと、経路確認はHと私で行っていたので次駅の確認かと思った。
私「ここのホームで合ってるんじゃないの?」
U「……」
※例は特定を防ぐためにかなりぼやかしているので、ニュアンスが伝わらないかもしれない
実際Uは私より頭がいいと思う。大学もよりレベルところへ行き、優秀な成績だったと聞く。それに比べれば学生時代私は成績は中程度で大学同様だった。私の中で答えは出ていて、恐らくUは私を見下している。
嫌ならその場で伝えればいいのだが、正直そんな言い方をされた時点でショックで反論などほぼ出来ない。だが犬の躾と同じで、その場で言わなければ意味がないようにも感じる。
3.結局どうしたいのか
それがわかれば苦労しないんだよなーーーーとずっと思っている。散々Uについて論ったが、ほとんど愚痴だ。読んでくれてありがとうそしてなんだか申し訳ない。Uとも一緒にいれば楽しいし、長い付き合いなので気楽な面もあるので、関係を断つことは考えていない。
ただ、今回あげた中で特に今後も困るな…と思うのは、「見下す・当たる発言」だ。旅先でやられることが特に困る。今後特に海外旅行を一緒に行く機会もあると思うのだが、それがあるかと思うと気が重い。(グループで行くので誘わないのは望んでいない)
私は以前、一度喧嘩をきっかけに半年ほどUと仲違いをしていたことがあるのもあって、なにか嫌だというのを伝えるのが怖いと思うところがある。
よく「いい歳してそんなことで」と言われるが、いい歳してるからこそ悩むのだし、そもそも友人関係に年齢など関係あるのか?と思っている。いつだって対人関係がスムーズにいくことの方が少ない。
84歳の麻生が後2年影響力持てるとは思えんね
これを受けてお米ちゃんとラーメンくんとその他は手を組みこれに抵抗する
両陣営に分裂した自衛隊と警察官と民間義勇兵をそれぞれ指揮し激突するのだ
ついに禁断の手段
真の力に目覚めた酢豚男は巨大人型兵器へと変貌しJAXAとホンダと理研が共同開発したバイオライフルを引っ提げてハンバーガー大王に挑む
絵描きです。
という意見が認められるにはこれらの要素を権利として保護する必要があるのではないか?と思います。
しかしこれらが保護されると、最悪の場合我々の創作物は生まれた瞬間に罪を背負ってしまうことになります。
絵描きが言われて嫌な言葉として『◯◯に似てますね』というものがよく挙げられますが、つまるところ『あなたは犯罪者ですね』という現実として襲いかかってきます。
上の人達は優秀なのでまかり間違ってもこのようなことにはならないと思いますが、生成AIの進化によって◯◯パク罪という因習が多くの賛同を得られるようになっている現状に危機感を覚えています。
私は生成AIに否定的ではありませんが、フォローしている大御所の絵描きさんや相互さんの多くは否定的なため、それを表明できる土壌にないと感じています。
ただそういう考えを持った創作者もいるんだな、と思っていただけると幸いです。