すまん! 最初に謝っておく!
なんだっけクルーンって?
ど忘れしちゃって今にも思い出せそうで思い出せない!
なんだっけなー
ああ、なんだっけあああああああああああああ、あ、ピッチャーだ!
横浜に居た!
元の記事を読めばわかると思うけど被害者性の文化は伝播するし、
たとえばAとBという二つの異なるグループが争うとき、その登場人物の全てがこの被害者性の文化の脈絡上で争うという仮定は容易に成り立つ
「全人類が」と書いたならわかるが…
有給あっても、客先での契約時間満たしてないとかいって残業たっぷりさせて取り戻しにかかるぞ!(一日有給使うと8時間くらい残業)
しかも酷いところだと正社員なのに派遣社員みたいなもんだから時給制なんだ!有給使うと給料が休んだ分減るぞ!マイナスにもなるぞ!(会社へ上納金)
https://lineblog.me/inuyamakamiko/archives/1062430459.html
ご飯奢らずに割り勘にするとすぐ叩くくせに。
自分は奢ってもらう気満々だなおい
中にはただのグルメで一緒に食べる仲間が欲しい
であることもあるのですが、
男がセックスしたい以外で親族以外の女の子にご飯奢る理由なんてそんなにあるのか?
それともおじさんであることが罪なのか?
やらない善よりやる偽善
で、感謝してもらえたの?
ちょうど家を出てスグに漏らしたんですけど、なんで知ってるんですか?
疲れて帰ってきた後に家がキレイに整っててカワイイ女の子が笑顔でおかえり!って言ってくれたら嬉しいじゃん
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2016/02/07/121747
被害者性の道徳文化は「道徳的依存」を助長してしまい、個人間の些細な問題に自分自身で対処する能力を減退させてしまう。個人が弱められるのと同時に、人々は被害者のステータスや被害者の擁護者というステータスを得ることを競い合うので、激しい道徳的紛争が絶え間なく続く社会が登場してしまう。
…
被害者は、自分自身の強さや価値を強調するのではなく、自分の受けた抑圧や自分が社会的に疎外されていることを強調するのだ。…このような状況のもとで、第三者への訴えが寛容・堪忍(toleration)や交渉に取って代わった。人々は他人からの助けを求めるようになり続けて、自分が尊重と助力に値することの証拠として自分が受けた抑圧を喧伝する。このような道徳文化は「被害者性の文化」と呼ぶことができるだろう。犠牲者の道徳的地位は、名誉の文化では底辺に位置していたが、いまや頂点へと登りつめたのだ。
…
抑圧者というラベルを貼られた人も、しばしば「自分も同様に被害者である、と主張する」。たとえば、「ラディカル・フェミニズムに異議を唱えたために性差別主義者として批判された男性たちは、自分たちは裏返しの性差別主義の被害者であると主張することで自分たちを擁護する。被害者に対して共感的ではないとして批判された人たちは、自分たちが受けてきた被害を示そうとする」。[このように、被害者性の文化では、被害者性が競われて縮小均衡が起こることになる。左派の若者と右派の若者は、不平の渦巻きに巻き込まれるのだ。被害者性の文化が広まるにつれて、今後数十年間において政治的分極化が着実に進行していくことが予想される。]
「被害者」を過剰に賛美することで、本来は自分の力で解決できる問題を解決しようとせず、最初から人に頼ることが最も善となり
全ての人がこのポリシーに従うことによって本来起きなくてもよい闘争が起きたり、社会が停滞したりする。
むしゃくしゃして児童養護施設に募金してきたので、どんな感じだったか書く。
今日、私は図書館に行ったんだが、図書館にはホームレスが多くいた。
この調子だと、図書館が閉まったらここにいるホームレスの何人かは凍死するだろうなと思った。
そこで、ホームレスの支援団体にお年玉の一部を募金しようと考えた。
とっくに成人しているのに、なぜか今年はお年玉を6万円ももらってしまったのだ。
しかし、問い合わせたところ、ホームレスの支援団体の事務所は既に閉まってしまっていた。
そこで、家のすぐ近所にある児童養護施設のことを思い出した。
子どもの頃、親に、
「誰に養ってもらってると思ってるんだ! 言うことを聞かないなら捨ててやる! お前なんかあそこの児童養護施設で施設の子にいじめられればいい!」
と脅かされていて、施設の側を通る度に、家と施設とどっちがマシかなぁと考えていたことを。
結局、私はずっと親元にいて、父方の親戚の家に転がり込んだりして今に至る。
今思うと、あれぐらいで施設に入れる訳もなかったのだ。
それに、私は本当に親の言うことを聞かないクズだったしな。
せっかく募金したい気分だし、あの施設の子どもたちの役に立つことをしようと思った。
まず、近所の児童養護施設のことをググった。
(児童養護施設によってはホームページやお金の振込先などがある場合も)
児童養護施設に電話して、直接現金を持って行っても大丈夫か聞いてみた。
その施設は良いそうだ。
施設の近くまで行ったのだが、入口が分からず、結局施設の職員さんに迎えに来てもらった。
何をもらったか書く欄もあり、今日はお菓子とお餅をもらったと書いてあった。
(お菓子やお餅を渡していいかは施設によって違います。施設に聞いてみてください。私がネットで調べた感じ、現金が無難みたいです)
世間話をして帰った。
(正確には世間話と言う名の愚痴でした。忙しい中職員さん本当にごめんなさい)
今回は振込を受け付けていなかったというのもあるけど、わざわざ手渡ししたのは、やっぱり感謝されたかったから。私はただのクズです。
ところがそういう極端な奴でも自分の主義に都合がよければ持ち上げちゃう輩がいるものでして
そもそも「起業することが素晴らしい」なんていう方を信じちゃってるほうが、真面目すぎるんじゃない?
起業が少ないのは起きるべきして起きるてるんだよ。
経済成長率と、起業が相関があるから、起業を盛んにしようということで、バカなやつを煽って起業がいいことだなんて煽ってるのが今の社会だからな。
まあそうだけど、一理はあるなと思うんだ
中高の同級生で何となくそりが合わないと思う人の共通点を考えていたら、揃いも揃って川崎とか関東の東側出身だった。
私にはちょっとしたことに対しての口調がきつくて一緒にいるのを楽しめなかった。
あれ言ってるの特定の一人でしょ