追記読んで思った。
この人はV6で三宅が一番好きで岡田が元々好きではなかったのだ。
単にそれだけの事だよ。
今までも岡田に対して「同じメンバーなのに…」とモヤモヤする気持ちがあって、それが今回の結婚をきっかけに爆発したんでしょう。
色々こねくり回して理屈並べてるけど、単純に岡田アンチなんだよ、元々。
愚痴垢作るかもとか言ってる時点でお察し。
もう一枚二枚剥がすための
自説に都合が悪くて相対化できてないところってどこなの参考にするから
ディスカバリーチャンネルでトラックドライバーっていうそのまんまの番組やってるんだけど、見てるとトラックにタクシーメーターみたいな計器がついていて、一日何時間しか運転できないとか何分休憩しないといけないとか全部管理されてるらしい。
番組中にもしょっちゅう、時間がなくなったから助っ人ドライバーを呼ぶとか、目的地目の前なのに休憩しないといけないとか言う場面がでてくる。
泥臭い実応用研究は認めないわけではないが、大きな評価にはならないという立場です。
以下長文で失礼します。
まずはじめに、産学の役割分担はきちんとなされるべきだと考えている。
大学はあくまで学術機関であり、本来は「学問」をする場であって、
「工学部が実応用を軽視している」って言われてもそれは学問かという問題もあるし、
役に立つ技術を企業のために用意してあげる下請け機関ではないので。
研究活動では、新しい方式や理論を研究し、学問として確立するところまでが大学の役割で、
泥臭い実応用の問題を解決して社会に製品やサービスとして世の中に還元するのは企業の役目。
ここを曖昧にすると、企業でやるべきことが大学でできてしまうなど、公私混同の問題が発生する。
例えば、表向きは泥臭い応用研究をやりますよと言って公的な研究費をもらえるのであれば、
実際は特定の企業が自腹でやるべき課題を大学にやらせるとかそういうことが公にできてしまう。
「泥臭い」部分にもきちんと学術的な新規性や独自性があるならともかく、
税金が使われているんだから、特定の企業の作業の下請けみたいなものを許さないためにも
ここはきちんと線引きしておくべき。
ただし、冒頭で「泥臭い研究は認めないわけではない」と言ったのは、
その研究自体に価値があるのではなく、そういうことをやる過程で新しい問題に気づき、
大学でやるべき独自性のある課題に発展したりすることもあるから。
(なんでもかんでもダメだと言いすぎると研究の範囲が限られすぎるので)
正当化するために言っているのだとしたらちょっとそれは問題だと思う。
論文(研究成果)は、大学以外にも企業や一般の人も読める人類の共有財産だが、
対象読者としては産学分離の観点からも同じ学術界(学術で研究を行う人)に向けて書かれている。
論文を最もよく読むのは本職の研究者だし、論文を査読・評価するのも研究者。
研究者というものは常にいい研究とは何か、どういう研究テーマを選ぶか、
また行き詰まった時に次どうするか、そういうことをずっと考えてるわけで、
論文というのはまさにそういう時の研究者のアイデアの源泉としての役割が強い。
「当たり前のことを当たり前に努力して当たり前のものができました」
という論文があったとして、進んで読みたいと思うだろうか。
このように考えると、学術界への貢献とは何かが見えてくる。
「研究者の考え方や研究方針にどれだけ影響を与えたか」に重点を置いているように、
論文の読み手に大きな影響を与えることが、学術界に対する貢献とされている。
学術界の誰もが読みたくない(影響を受けない)論文の評価がどうしても低くなるのは仕方がない。
もちろん、たまたまその技術を実用化しようとしていた会社がいれば
この論文の研究結果はそのまま使えるってなるのかもしれないが、
それは学術界に対する貢献として評価できないし、産業界に対して中立とも言えない。
また、全ての分野ではないかもしれないが、
学会で知り合ったその会社の社員は発表されている論文を全てチェックしていて、
製品化できないか検討を進め、(おそらく泥臭い部分を解決して)
これに関しては良い役割分担だと感じている。
企業というものは、儲かるとなれば少々泥臭くても大変でもやるもので、
大学生個人が卒検の1〜2年でできる範囲の泥臭いことぐらい、儲かるとなればどこでもやってるからね。
大学が実応用を考えていないから世の中に還元されていないというのは勘違いに近いと思う。
(逆にいうと、別に就職しても、会社を選べば企業の立場から研究みたいなことができるということ)
また逆輸入で、研究界で生まれた研究の泥臭い部分をある企業が解決してサービス化し、
今度は研究室でそのサービスを契約してさらに発展した問題に取り組むみたいなことはよくあるけどね。
>「企業でも出来る実応用のステップは企業に任せるべき」という点については必ずしもそうであるとは思いません。もしそのような姿勢を取り続けると、「営利価値がある」と企業が判断したものしか一般人はアクセスできなくなってしまいます。
そもそも「営利価値がない」と判断されるものは世の中に還元する必要がない役に立たない研究では?
(あるいは、ニッチすぎてお客さんが集まらず採算が取れない、であるとか)
言い換えると、企業は価値のあるものはきちんと取り組んでいる訳で、
それ以外のものを大学で研究してるとすれば、わざわざ税金を使って価値の低いことに取り組んでることになる。
(もちろん「すぐに役に立たない」研究もあるが、その場合は独自性や新規性のある学術的問題があるはず)
やるとなったら自社のお金で取り組み、失敗した場合は自分で責任をとるわけだけども、
好き勝手に研究テーマを設定できる大学みたいな公的な機関で自分の好みでテーマを設定し、
企業も見ていないような技術の実応用に取り組んでいるとすれば、その方が税金の無駄と思わないですかね。
>実応用のための泥臭い部分を投げっぱなしにしているから、世間一般から「大学は好き勝手やって金を無駄にしている」みたいなことを言われてしまうのだと思う。
ノーベル賞受賞者の研究や Nature や Science みたいな
実応用で新規性の少ない「泥臭い」ことで評価されてる論文がどれだけあるでしょう。
そう考えたとき、私には「大学は好き勝手やって金を無駄にしている」っていうのは
むしろ実応用とか泥臭いことをやってる人のことを言ってるように聞こえてます。
ただでさえ今は研究費もポストも削られ、学生数まで減ってるんだから。
>眠っている研究成果を一般に届けるための「研究」に力を入れたほうがよほど産業界にも有意義
上にあげた理由で、企業がやるより大学でやる方が「有意義」という部分が疑問。
(大学でやれば「無料」という発想をしてたりしてないですかね)
大学では「社会に役に立つことをやっていれば何をやってもいい」というのも間違い。
どのように貢献しているかをうまく説明できれば良いと言うことであって
それを一言で表すのが「新規性」とか「独自性」っていうことかと思う。
(=研究にお金がかかっている)という側面を考慮することかなぁ。
補足として、案外企業から増田さんがやりたいようなことをやってる企業も
割と多いと思うので、そういう道を模索すると適職が見つかるかもです。