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昔は日本の政治家が老人ばかりでと言われてたのになぜこうなった
人はなぜワクチン反対派になるのか ―コロナ禍におけるワクチンツイートの分析―|プレスリリース | UTokyo-Eng
反ワクチンクラスタを分析した結果、「コロナ禍以前からワクチン反対派であった立憲民主党やれいわ新選組、日本共産党を指示するユーザ」と「コロナ禍以降に新規にワクチン反対派になり参政党への支持を強めたユーザ」が識別されたとされていて、後者は陰謀論やスピリチュアリティ、自然派食品や代替医療への関心が強いらしい。
両者の違いとして、左派政党は(一部頭のおかしい議員や支持者はいるものの)党の公式見解としてワクチンを否定する立場を取っている訳では無い(れいわ新選組ですら、ワクチンそのものは否定していない)が、一方参政党は党全体として陰謀論全開である。
化学的な物質に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求
薬やワクチンに依存しない治療・予防体制強化で国民の自己免疫力を高める
(略)
このXの陰謀論アカウントのポストみたいな文章が重点政策(笑)である。
かねてより陰謀論にハマりやすい傾向のある特性として、熟慮的思考や科学的推論能力の欠如との関連を示唆する研究が発表されたり、統合失調症やパーソナリティ障害との関連がみられるなどの報告があった。もちろんどの政党の支持者にもそういった人は一定数含まれるのだろうが、党の重点政策としてスピリチュアルな論を掲げているのは参政党だけである。
つい数年前も、スガが首相在任中に、ろくすっぽ知りもしない自助/共助/公助なんて言葉を振り回して、その安直な自己責任論をさんざん批判されていたのだがな。
国民には自助を強く求めて、自分らは公助から優先的に利用してるだなんて批判もあった。
https://mainichi.jp/articles/20210920/k00/00m/010/181000c
日本の政治は、アメリカと戦争してた頃からずーっと、まともな目的や戦略は不在で、オペレーションの精度と現場の士気頼みの傾向。バブル期以降は拍車がかかった。
戦後のほとんどを与党として過ごしている自民党としては、「国民や現場の努力が足りないんであって、自民党のせいではないですよ」と言ってくれる国民が多いほうが助かるよなあ??
"24/1/28 「生成AIの『学習』は学術用語だ」ということをそろそろちゃんと説明した方がいい"
https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2024/01/28/210053
いまだにこのレベルの内容がバズってるのを見ると少し辟易させられるが
考えてみると、ちゃんと技術を理解してる人間すらこのレベルのことしか書けないのは
対話の場がなくお互いの言葉尻をとらえてる状況が悪いと思うので少し整理して書こうと思う。
・著作権をめぐる法理が日々変化しつつあることが理解されていない
という二重の難しさにある。
単に概念的に難しいというだけではなく、日本においては法制度の実装レベルですでに混乱が生じている。
とくに生成AIと著作権を語るにあたっては「フェアユースという発想に賛同するか否か」という観点が必要不可欠なのだが
一足飛びに機械学習だけ著作権法30条の4によってフェアユース的発想が導入されているという
非常に奇妙な状況になっている。
フェアユースとは何か、というのは非常に難しい。
「一定程度の公正さがあれば具体的な類型を列挙しなくても著作権を制限できるという考え」
とでも要約できるが、これだけでは意味不明だろう。
英国にフェアディーリングというものがあるが、こっちの「公正さ」はわかりやすい。
「非営利かつ研究や教育目的、批評、報道などの場合は著作権は制限される」ということ。
たとえばこれがなければ公営の学校や図書館は莫大な支払いに追われ成立しえない以上
「公正さ」のために著作権を制限してよいという発想はわかりやすく
近代以降の文明国でこれを否定するような法理はまず存在しえないだろう。
フェアディーリングそのものではないが、EUの情報社会指令第5条なども同じように
「公正さは基本的に非営利や少なくとも公益目的、かつ具体的にあらかじめ列挙される」という発想である。
「営利でも、今までに判例がなくても、抽象的な議論で公正さを主張できれば新しく著作権を制限できるケースを創れる」
ただし、元の著作権者の利益を「不当に」害さない範囲で。何が不当か?それはよくわからんので最高裁まで争いましょう。
一見すると無茶にも思えるが、現代人の多くはこの法理の恩恵を受け、著作権を制限することで利益を得る側だ。
フェアディーリングの発想だけでは、検索エンジンのサジェスト機能すら著作権的にアウトということになる。
それを「フェア」にしたのは、米国著作権法に組み込まれたフェアユースの発想なのだ。
サジェスト機能だけでなく、情報技術を用いた新サービスが興るたびに多くの裁判が発生している。
ただし問題点は、それがフェアユースだと認められたとしても、EUの法理で「いや、この機能は著作権的にアウトだ、金払え」ということも現時点ですら可能であるということだ。というか実際にそういう判決はそれなりの頻度で発生している。
だってフェアユースはあくまで米国を含む一部の国でしか確立していないのだから。
しかし、現実問題として、それなりに有用なwebサービスを立ち上げようと思えば、まずフェアユース的発想に頼らざるを得ないだろう。
そこでいわれている「引用」は基本的に紙媒体で実名の人物が著作で相互引用する低速で静的な状況を想定しており
インターネットでアルゴリズムやボットを含む様々なエージェントが高速で動的に情報をやり取りする状況は考慮外だ。
もちろん、法の運用上はそれらに解釈を加え、少しずつ判例を積み重ね、法的に許される状態を少しずつ拡張していくわけだが
その結果が「サジェストは権利侵害です」となるのと、「フェアユースなので許可」となるのとでは、新サービス市場の発展速度が圧倒的に違う。
これらは基本的に著作権侵害であるが、訴訟を起こす利益などが小さすぎるため放置されているに過ぎない。
しかし例えば、訴訟が大幅に簡素化・自動化され、二次創作やミームが不可能となる社会を人々は望むだろうか?
究極的には、「どちらを選びたいか」という話になってくる。
もちろん、自分でどちらかを選びたいからと言って、それが自分の国の法理として実装できるかというと、大抵はそれは別問題だ。
フェアユースの発想を頑として認めない米国民がいたとして、如何なロビー活動の天才でも、死ぬまでに合衆国法典第17編第107条を改正するにこぎつけるのはまず不可能だろう。
逆に欧州の新進気鋭の政治家がEUの現状を憂い情報社会指令第5条を全面撤廃・改正してフェアユース的発想を導入できるだろうか?
全政治生命を賭したとしても、やはり死ぬまでにやり遂げるのは無理だろう。
すでに著作権法30条の4が存在しているというのがそれを端的に示している。
しかもそれほど政治的な紛争もなくぬるっと成立した、としか言いようがない成立過程である。
これは「元の著作物に表現された思想又は感情の享受」以外なら、営利目的でも無許可で機械学習を行っていいとするものだ。
ただしここにはやはり「フェアさ」は必要で、その条件は「元の著作権者の利益を不当に害さない」という抽象的なものだ。
現時点では確固たる判例はないので、大型の訴訟が起きてから決まることになるのだろう。
前述したとおり、日本の著作権法にはもともとフェアユースの発想はない。
それにもかかわらずいきなりこれがぬるっと成立するというのは、ある意味特殊な日本の政治状況、法体系の面白さというほかない。
ぬるっと成立した以上、ぬるっと撤廃されることだってありうるのだ。
ともかく、日本においてはいろいろロビー活動の余地、法改正の可能性、政治闘争で結果が変わる余地が多分に残されている。
だが以下は整理しておくべきだろう。
・フェアユース的発想を認めたとして、生成AIの利用はどのような具体的なケースでどうフェア・アンフェアなのか?
これは非常に難しい問いだと思う。私が答えるなら
(1)
フェアユースは認める。そもそもインターネット時代にそれ以前の著作権法を解釈と判例でそのまま運用する発想は無茶。
二次著作物の利用や検索エンジンなどのwebサービスを「基本はアウトだが、訴訟コストが支払えないから事実上セーフ」という現状はいびつすぎるのはもちろんのこと、訴訟コストが簡素化されてそれらが制限される状況が公正とも思えない。
(2)
生成AIにおいて元著作物と生成物の市場での利用形態が完全に競合する場合はフェアユースを認めたとしても「不公正」といえる。そもそもフェアユースはあくまで「新しい市場の開拓」という米国的な大義名分があって初めて成立する。
イラストを売っている販売元と同じようなプラットフォームで再販売するような場合は市場拡大していないし不公正だろう。
逆にそうではないケース、元データの市場と新データの市場がバッティングしない場合にはフェアユース的発想で公正とされると思う。
というあたりになるだろうか。
自民党の裏金問題によって、遂に自民党の政党支持率が14%台になったと言うニュースがあった。
今まで1980年代のリクルート事件や90年代の官僚汚職事件によって「政治不信」が叫ばれることはあったが、今回は今までと状況が違っていると思う。
まず自民党に問題が起こると、野党の支持率が上がるものであるが、今回はそれすらないのだ。
はてな界隈でも「政権交代を起こそう!」という声が全く上がっていないではないか。
2010年代の日本の政治は「自民一強」「安倍一強」と言われて、野党が支持を増やせないだらしない状況がずっと続いていた。
裏を返すと、自民党さえしっかりしていれば、日本の政治は大丈夫なのだという安心感があったのも事実。
その自民党がヤバい状況になり、その代わりになるはずの野党もいない。