はてなキーワード: ハッピーライフとは
久しぶりに恋人ができた。
およそ七年ぶりのことで、私にとっては「大」を幾つ連ねても足りないほどの大事件だった。
なぜなら、恋人がいなかった約七年間の間、恋愛関係に発展しそうな付き合いは一切なく、誰かとデートはおろか二人で食事をするシチュエーションすらなかったのだから。
もちろん酒の勢いやワンナイトの類いもなかった。
男女交際一式は過去に経験しているけれど、石橋を叩きすぎて割ってしまうほど慎重かつ臆病なので、恋人になりそうもない相手とスキンシップやセックスを楽しめるほどの勇気や経験値は自分にはなかった。
セックスアンドザシティで「一年間セックスしないと女は再処女化する」というようなセリフがあったけれど(ニュアンス)、七年間とかマジでどうなるんだよ怖えーよと一人頭を抱えたりしていた。
たまに「いいな」と思う人がいても、結婚していたから「いいな」で終わりだった。
好意を向けてくれる人がまれに現れても、どうしてもタイプじゃないか、やはり既婚者だった。
その間、合コンとか街コンとか相席居酒屋とか、出会いに繋がりそうな場所に行ったこともない。
そんなこんなで約七年。
それでも、人に恋人の有無を聞かれ、長年いないことを話すと十回に十回驚かれた。
まあ、お世辞というか、お決まりのリアクションなのかもしれないけれど。
顔面は、石原さとみのようなハイパー美人にはほど遠いが別に悪くはない。
きちんと化粧をして何ら差し支えのない洋服たちでJJに載っていそうな系統のおしゃれをする。
ムダ毛は手入れするし、伸ばした栗色の髪の毛のケアにも勤しむ。
前髪も後れ毛も巻く。
社会経験も人並みに積み、良い会社に落ち着いて、世間知らずでもない。
初めましての人と対面しても、しっかりコミュニケーションが取れる。
だから「彼氏いないです」に対して、返ってくるのは「なんで?いそうなのに」だった。(社交辞令かもしr
と、思ってました。思ってたし、実際にそうだった。
私はオタクだ。
推しは天使だから常にありがたすぎて課金するし、イベントなどがあれば北海道から九州まで飛ぶ。
ちなみに「オタクだから彼氏いない=オタク趣味が相手に受け入れられないからモテない」のではない。
オタクだから「オタクごとが楽しすぎて恋人いなくても全然寂しくない」のだ。
オタクというのはアニメ漫画ゲームアイドル同人などのサブカルチャー的な匂いを強く発する言葉だけれど、個人的には「恋人がいなくても何ら寂しくなくむしろ面倒な付き合いがないので自分の時間を圧倒的に優先できて充実したハッピーライフ送れてる」と感じるレベルの趣味やものごとは全部オタクごとだと思っている。
だからシングルで過ごしていた長い間、私が「彼氏ほしい!」と本気で思ったことはほぼなかった。
いなくていい、ほしくない、と思っている人間に恋人ができるほど恋愛は強制的なものではない。
できそう、できなさそう、モテそう、モテなさそう、以前の問題。
オタクでいると、頻繁に会う友達がほとんどオタクになる。(私の場合)
趣味を全力で全うするオタクって、まるで結婚しない。恋人がいる子も少ない。
結婚している全力のオタク友達もいるけれど、その場合子供がいないか、子供がもう大きい。
ある程度の財力と時間の余裕を手にいれたアラサーのオタク活動は、それはそれは楽しくて。
「まだいい」「もう少しこのまま楽しみたい」で、どんどん年をとる。
それは決して悪いことではないのだけれど。
で、私も、気付けば七年も色恋沙汰から遠ざかっていた。
人肌恋しい時は何度かあったけれど、寝て起きたら大体忘れているし、オタクごとで萌えるのに忙しくてすぐにそんな感情は溶けてなくなった。
そんな中、三十路が見えてきて、いつまでもこのままじゃいられないなぁなんて、ようやく焦りを覚えたのが昨年。
結婚願望はあったので、婚活中のオタク友達に相談して、出会いが見つかりそうな場所に、生まれて初めて自らの意思で赴いた。
そんなふうに行動してみたらあっさりと彼氏ができた。
でもって今は半年でふられてしばらく、といったところ。
ズタボロに引きずっている。
とりあえず彼氏がほしかったので、「好きになれそうだな」の段階からお付き合いしたけれど、付き合っている内に見事相手をとても好きになった。
長い間恋愛を休んでいても、良い相手に出会えさえすれば相手を「好き」だと思う感情が、まだ自分の中に残っていることにとにかく感動した。
相手との時間を作るためならライフワークだったオタクごとを後回しにしてもいいと思えた。
そのことに、私は人知れず、ものすごく、本当に、素晴らしく感動した。びっくりした。
所詮、私は恋愛体質で、aikoの歌に共感してトキめいた若かりし日々と大して変わってなかったなぁとか思って、嬉しかった。
だけど、せっかくそんなにも好きになれたのに続かなかった。(ちなみに私がオタクなのが原因ではない)
私が相手を思ってしまったほど、相手は私を思えなかったらしい。重かったんだろう。
推しのためなら諸々重課金する女だから、愛情があっさり系でない自覚は大いにある。
それにしても、オタクごとで生きている喜びを噛み締めてきた自分が、他の感情に大きく左右されて、ごはんが喉を通らないほど苦しむとは思わなかった。
「しようと思えばいつでもできるだろう」と恋愛をさぼった結果、自尊心を守りたいくせに恐ろしく自己肯定感が低い卑屈野郎になってしまっていて、今日日「結局私なんて誰にも愛されないよ〜〜〜うわ〜〜〜〜」と枕に顔を埋めるバカみたいな日々を送っている。自分が嫌すぎる。
長い恋愛ブランクのつけが、今になってボディーブローのように効いている。
付き合って入る最中はブランクなんて問題なくて、むしろ新鮮みがあって楽しかったのに。
経験値低すぎて、防具弱すぎて、失恋の一撃が重いったらありゃしない。
これから傷ついて立ち直ってを繰り返して強くなるのか…って、ため息がでる年齢。
一度でも、二度でも、ほんの少しでも、リハビリしておけばよかったな。
でも少し後悔している。
だから、オタクと呼び呼ばれるそこのあなたが、もし「将来結婚はしたい」「ゆくゆくは相手ほしい」と思うのなら、ちょこっとでも恋愛してほしいなぁと思った。
ネット記事出るたびに匿名ダイアリーを利用してきたけど、またまたここが活躍することになるとは。
私的V6のアイドル(私は三宅担)が結婚してしまった。そもそもV6はアイドルなのだが、それはまた別の話で、ライブに行って森田担になりかけた人を何人も見てきている限り、彼は圧倒的アイドルだろう。三宅さんは普段から分かりやすくアイドルなのだが、森田さんは表に出してないだけで、三宅さんと同じレベルでアイドルだと思ってい、た。
ねえ、みんなよく考えて?アイドルって夢を売るお仕事だよ?その夢お金出して買ったら自分の中でカレシにだって出来るし、旦那にだって出来るし、お兄ちゃんにも、弟にも、ペットにも、なんでも妄想繰り広げられるんだよ?
その妄想ハッピーライフのなかに突如嫁や娘が邪魔しに来るようなもんだよ?
私はおめでとうなんて言えない。
『あるところに夢を売る6人の妖精がいました。最初は緑の妖精が1人のオンナのものになってしまいました。するとその夢を売る妖精のグループの人気が落ちてしまったのでしばらくは誰も誰のものにもなろうとしませんでした。数年後、人気を取り戻し、人気が安定した頃に紫の妖精が1人のオンナのものになってしまいました。すると、それに味をしめた黄色の妖精が1年後のクリスマスに1人のオンナのものになってしまいました。その数ヶ月後、今度は赤の妖精が1人のオンナとその娘のものになってしまいました。
残る妖精はオレンジと青だけです。妖精は1人のオンナのものになると、夢の売り上げが落ちてしまいます。
さあこれからこの6人の妖精たちの売り上げはオレンジと青が頑張らないといけません。残りの4人はもっと頑張らないといけません。
私は1型糖尿病だ。物心がつく頃には母に血糖値を測られインスリン注射を打たれ、3食きっちりバランスの良い食事を食べる生活をしていた。今でこそインスリンポンプという体の外に取り付ける膵臓β細胞を使ったりなんかすごい機器を使ったり医療の恩恵にあやかりながら好きなように生きている。そんな私は二十歳になった。私にとって持病「1型糖尿病」とは今や自分の一部である。
ある日、1型を発症したばかりだという女子高生に出会った。インスリン注射をこれから始めるらしい。彼女は泣いていた。私には分からない。だって当事者じゃないから。もちろん病気が自分を構成する一部だと思う私の気持ちも、世界中のどこを探しても分かってくれる人なんていないだろう。だって当事者じゃないもん。私にはむしろいわゆる健康な人のことが分からない。
分からないから、どうしようもない。正直向き合っていくしかないから頑張れとしか思えなくて、むしろ微笑ましかった。病院の先生も看護師さんも微笑ましそうにしていた。不謹慎なんかじゃない。みんな乗り越えていく壁なんだ、今は泣いてるけどそのうち笑い話になるから…というところだと思う。このへんの感覚は、なかなか理解しがたいだろう。
1型糖尿病と生きていくには、それくらい軽くなきゃいけないというのが私のやり方だ。だって自分は病気であるという事実に気を取られて生きていくの、息苦しいでしょ?
まあもちろん電車の中で低血糖になって立っているのが辛くなったり安くない医療費を支払ったりする時には悲観に暮れないこともないけれど、そうだけじゃない。
高校生という多感な時期に突然病気になって自己注射をしなければならないって相当ダメージ大きいというか、まあ私には到底分からないけれど、泣くのも無理ないと思う。物心がつく前に発症した私は笑いながら肩を撫でてあげることしかできない。
ただ、これだけは伝えたい。私はそんな大層な人間ではないからあの場で彼女本人に言うことはできなかったし、次会うことがあるのかも分からない。だからこうして匿名で書いているわけである。
病気は弱みなんかじゃない。
私自身の話をしよう。
私は現在コントロール良好で、HbA1cは6%台前半を保っている。(基準値は〜6.2%)低血糖が多いというのもあるが、血糖値が250より高くなることは滅多にない。7%台だった頃は血糖値が200切ればいい方だと思っていたけれど、今では150より高いとなんだか悔しくなる。100前後にしなければならない意識がすっかり根付いたのだ。それもあって6%台を保てているのだろう。心持ちというのは大事だ。(もちろんやたら低血糖になりやすいという個人的な体質みたいなものもある)
たいして生活に制限は加えていない。ごくごく普通に暮らしている。間食だってする。太るからやめたいけれど。おまけに運動不足だ。病気とか関係なく運動しなきゃなあと思っている。運動不足はよくないからね。
友人と飲みに行くこともあるし、食べ物の種類に気を遣う必要なんてない。食べちゃいけないものとかないの?と知り合ったばかりの人にはよく聞かれるけれど、全くないよと答えている。そりゃそうだ。食べた分だけ、インスリンを打てばいい。
インスリンは太るという認識を持つ若い女性がコントロール不良に陥ることがあるらしい。私は物心がついた時にはインスリン注射をしていたのでそういった先入観は全くない。食べた分だけガンガン打つ、そして時々低血糖になる。低血糖になったら甘いものを補給する。だから太るんじゃないの?その通りだ。打ちすぎたインスリン+補食で太るに決まっている。
でも食べた分だけ正確にインスリンを打てば、平気だ。何故なら膵臓が健康な人達だって食べた分だけインスリンが分泌されている。同じことじゃないか。…と合っているのか分からない考えがふと頭に浮かんだ時、頑張ろう…って思った。何をって感じだけれど。
とにかく、食べた分だけインスリンを打てばいいのだ。
インスリンの必要量は人それぞれどころか、自分自身の中でもよく変化する。生理前後なんかは上がったり下がったりする厄介者だ。だから血糖値はちゃんと測る。面倒なときは測らないけれど、まあそんなぐうたらも続かなければいい。ちゃんと測るんだ。そして、食べた分のインスリン不足が原因ではない、今までになかった高血糖や低血糖が起きたら、即インスリンの量を変える。もし医者に指示されている量があっても無視していい。1型糖尿病は、医者の指示を待っていてはいけない病気だと思う。もしも通院日の2〜3日後に血糖値が上がって、次の通院日まで待っていたら1ヶ月も高血糖状態だ。きつすぎる。自己管理が大切な病気なんだ。頭を使うんだ。私は要領が良くて比較的頭が回る方だと自負している。だから結構あっさりできちゃっている。血糖コントロールのためにいつどこで打つインスリンの量を変えるか、筋が通るように考えて、やっている。
血糖値を記録することもやめた。負担になるからだ。高校時代まではなんとなく頑張ってたけど主治医に見せるためだけで自分で見返すことが無かった。記録したところで体って不規則だから、その場その場で調節するのがなんだかんだ一番いい。意味もなく書かなきゃいけないという負担感は、体に良くない。最近の血糖測定器は履歴が見れるし平均値や傾向まで出してくれるし、ハイテクなやつだとリアルタイムでグラフ化して血を出さずともいつでも確認できる測定器もある。医療は発展している。
毎月の通院はいつからか分からないことを聞いたり新しいやり方を教えてもらったりするためのものになった。なんでコントロールがうまくいかないんだろうって思ったら数値的なものを教えてもらうのではなくその原因と解決のコツを教えてもらう。新しい機器や、同じ1型糖尿病の人達について教えてもらう。そういうところだ。
これが私のやり方だ。血糖値を記録しないのは、それでコントロール良好だからいいのであって、誰しもがそうしていいわけではない。いろんなやり方がある。自分に一番適したやり方がいい。
ただ、こんな風に気楽に生きている患者だっているんだよって伝えたい。病気とうまく付き合うんだ。悲観的になることなんて何もない。難病指定してくれよ経済的に超厳しいよ一生治らないから金かかるんだよって悲しみに暮れることはあるけれど。
医療の目指すところはQOL(生活の質)の向上だ。健康のために生きるのではなく、快適に生きるために健康でいる。
私は病気に生活を阻害されているとは思わない。快適な暮らしのためにしっかりコントロールを行っている。実際、ぐうたら楽しくやっている。好きな勉強をしてやりたくもない大学の試験に嫌気が差しながら夜更かしして、お洒落して、食べて飲んで、趣味に打ち込んで、将来やりたいことを考える。
人生の楽しみのために血糖コントロールをやっている。…なんて言うけれど、私にとって血糖コントロールは歯磨きと同じだ。朝起きて血糖値を測ってインスリンを打ってご飯食べて…という生活の流れは自然である。
さて、やたら長々と綴ってしまったけれど本題はここからだ。しかも短い。(本題ってなんだっけ?)
こんなことを言うのは私がまもなく就職活動を始めなければならないからだ。就活において病気を隠す気なんてないし、むしろ最もアピールすべき点だと思っている。病気があるけれど、うまく付き合って楽しくいろんなことをやってきました!って。いわゆる健康な人には絶対に語れないことだ。
自己管理をするので迷惑はかけない。血糖値を測らなければならないことと、万一低血糖で倒れたらとりあえず携帯している蜂蜜を唇に塗ってほしい、とだけ伝えて。今までだって自己管理で生きてきた。その証は私自身だ。
もしも私に病気があることが障壁となって雇えないなんて言うのなら、そんなところはこっちから願い下げだ。無理に採用されたってうまくやっていけるはずがない。病気と共に生きる私を採用したいと思っていただけるところで働きたい。
社会は厳しいところだって、甘く見てるって思われるかもしれないけれど、そんな社会で生きたくない。そんなのこっちから逃げてやる。自分のハッピーライフが最優先だ。そうさせてくれる社会がないわけない。あいにく私は自分が一番かわいいんだ。
だから病気は武器にしてやる。というか武器になることを知っている。
何年か前に、自由なテーマである原稿を書くという機会があった。それは数百人の中から優秀なものを選ぶものだった。
私は自分の病気をテーマにした。病気と共に生きる私をテーマにした。そうしたら、最優秀に選ばれた。なんだか当然の流れだと思った。
人間ってそういうのに惹かれる傾向がある。抗えないだろうから否定はしない。人の病気の話とか、大好きでしょ?否定はしないけれどそういうテレビ番組は嫌いだから見ない。とくにスタジオがなんか反応するやつ。分かったふりしてるやつ。分かることは不可能だってば。同情とかなんかへんな気持ちはいらないよ。前向きな番組は見るけれど。
実際優秀として選ばれたのは身内の病気話やそれに類似するものが多い。私としては、歯磨きと同義の病気生活をテーマにして選ばれるよりも、もっと行動的で才能と彩りに溢れるテーマで選ばれたい。そういう人間になりたい。
最優秀に選ばれた時に確信した。病気は武器になる。他の人にはない私だけの武器だ。生き方を武器にできるんだ。残念ながら社会はそういう風にできている。何とも言えない話である。やっぱり病気とは別のところで武器を見つけたいよ。才能って何だろうね。
ねえあの時の女子高生、見てる?
生活が一転して大変だろうけれど、生きる価値観とかそういうのが変わったんじゃない?こんな経験、普通はできないよ。
血糖コントロールは難しいけれど、やるしかない。神様がやれって言ってるんだから従うしかないよ。やらなきゃ死ぬもん。
病気は隠さなくていい。理解を示さない人間はそれまでの人なんだ。むしろ病気と共に生きる私というのは大きなテーマ、武器になる。
私は外出先で堂々と血糖値を測るよ。さすがに血は見えないように机の下とかカバンの中とかで隠しながらやるけれど、針も測定器も人の目につくところに出している。隠すの面倒だし、やりやすいから。だって、意外とみんな見ていない。
病気にならなきゃ気づけなかったこととか価値観ってたくさんある。いわゆる健康な人には見えないものが見える。自己管理さえすれば不自由なく生きていけるんだ。自分のやりたいようにやるのが一番だよ。
10万人に1〜2人という発症確率の世界は狭いからこれだけ書いたら私のことを知っている人は特定できちゃうかもしれないけれど、まあなんというか、探さないでください。
結婚して子どもを2人ほど生んで離婚して親権と養育費をぶんどって実家に帰って家賃光熱費等を払わずに子ども手当を貰ってる女性って最強なんじゃね? 親が生きてる間は親に頼って、子が成長したら子に頼って生きられるというライフハック。低賃金共働きで賃貸でひーこら暮らすよりもよほど立派な家で働かずに伸び伸び子育て。親と同居だから自分の時間も割と自由に取れそうだし。親の老後の介護ぐらいは当然やるにせよ当面の子育てと自分個人の楽しみを両立させられるハッピーライフが送れそう。子ども生み終わってカネの不安がないんなら夫とか邪魔なだけだよなーと思う俺は男ですが何か。
30分後追記:児童扶養手当ってのもあるんだね。子ども手当と併給可らしい。働いても寡婦控除もあるし、やっぱ男親とか要らないのかも。
「女性はもっと自立すべき」的な考えがそろそろ限界に近づきつつある昨今、超依存してハッピーライフを送ろう。
「超依存」=相手に頼りつつ、相手任せにせず、相手のパワーを最大限に引き出して、幸せになること。
男は如何に不当な賃金で家事、子育てをさせて女を酷使しつつも関係を維持するか。
女は如何に不当な額の慰謝料をふんだくる為に男に過失を負わせ関係を破壊するか。
最近結婚したくない男性が多いとかいうのは以前より男達が良い子になってしまって
奥さんを乱暴に扱うなんてできないよ、時代錯誤だ。仕事も頑張りつつ家事だってちゃんと手伝うよ。子育ても協力し合おう。
みたく戦いを放棄してしまったために当然女から一方的にボッコボコに攻撃をくらって毎回ボロ負けする図式があるからではないか。
女側が手を休めることはないと思う。日頃社会では自分達が責められている側と感じているだろうに
いざ自分のターンが来て何もしないようなアホぶりは見せるわけがないと思う。
そもそも男よりも女の方がなんというか人間的に強いしねw
でだよ。とはいっても男も女も結婚しない訳にはいかない。子孫繁栄的にとにかく結婚しなければならない。
で女側は変わるはずがないとなっているのだから男側が変わらなければならない。
なので結論は少子化の解決策として、前時代的に男はもっと奥さんをぞんざいに扱ってこき使うべきなのではないだろうか。