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2022-07-12

2022年2月13日ワールドサミット2022・韓半島平和サミット」での 安倍晋三 による基調演説の書き起こし

日本語同時通訳の書き起こし

[司会]

続きまして二つ目基調演説アジア代表してあるお一方の特別な形の基調演説を準備させていただきました。韓国に直接来られようとされましたけれども様々な事情により直接来られることはできず書面で尊い演説を送ってくださいました。

二つ目基調演説は第90,96,97,98代日本国内総理大臣歴任された安倍晋三総理担当してくださいます。皆様ご存知の通り安倍総理は現職9選の衆議院議員あられ90から98代まで内閣総理大臣歴任され日本憲政史上最長の政権を率いられた現代日本代表される政治指導者あられます

韓半島平和統一太平洋文明圏平和文明を作り出そうとされる韓鶴子総裁 UPF の支持を首相 積極的に支持しておられ昨年第7回のTHINK TANK 希望前進大会でも尊い演説をございました。本日困難な状況下にも関わらず尊い演説を書面で送ってくださいました。私が代読させていただきます

[以降、司会による代読]

朝鮮半島平和に向けて。元日内閣総理大臣安倍晋三世界平和サミット2022に御参席の皆様、日本国元内閣総理大臣安倍晋三でございます。このサミットの共同議長であるカンボジア王国のフンセン首相パンギムン前国連事務総長感謝いたします。そして UPF の創設者であらゆる韓鶴子総裁感謝と敬意を表したいと思います

世界同時的なコロナ禍の中での苦難が未だに続いております。その結果あらゆる次元対立 分裂 紛争顕在化し危険な状況を迎えていると言わなければなりません。この困難が結果として新たな次元軍事力による威嚇と力による現状変更危機を生み出していると言えるでしょう。

とりわけ朝鮮半島周辺諸国の影響を嫌が応でも受けざるを得ない地政学位置にございます。分断されている状況が影響の大きさを増幅いたします。私たちは今それぞれの国と地域伝統文化を重んじつつ自由民主主義価値再考すべき時でありその価値がもたらす希望を信じなければならない時であると思います

そして「Never despair」、「決してあきらめるな」と語ったウィンストン・チャーチル言葉を共に胸に刻みたいと思います特に私は希望という言葉に強い思いがございます2015年4月29日米国連邦議会上下院病両院合同会議において「希望の同盟へ」と題する演説を行いました。苛烈歴史を踏まえた両国現在未来を思い、そして未来世界未来のために最も必要言葉として希望を訴えたかったのであります

私は2002年9月17日平壌で行われた日朝首脳会談 日朝平壌宣言の調印の場におりました。その宣言には日朝間に横たわる諸問題解決を踏まえて日朝国交成長実現し、日本北朝鮮経済協力支援を行う旨明記されております。諸問題とは核ミサイルそして拉致問題などでございます

朝鮮半島平和のために世界指導者達が率直に話し合うことが必要であると信じます。率直でなければ信頼関係を作り出すことができません。このサミットが率直な議論の場となり朝鮮半島平和への新たな道が開かれる契機となることを祈り私のメッセージといたします。ありがとうございました 。

[拍手]

[司会]

皆様、韓国におきましては近くも遠い国日本表現しますが今日安倍総理尊いスピーチを通して誰よりも韓半島平和統一を願っておられ支持してくださっておられるという事を知ることができました。尊い演説をくださった安倍首相に大きな感謝拍手をお送りください。

[拍手]

(終)

https://www.youtube.com/watch?v=aadj04RAe7I&t=5515s

2022-06-20

anond:20220620144043

すまない、日本語英語で喋ってくれないか

ちょいと文明圏が違うようなんだ

2020-12-01

anond:20201201184650

お前が二度と東京に戻れませんように!!

お前が二度と東京に戻れませんように!!

お前が二度と東京に戻れませんように!!

 

一度しか言わないから、よく聞いておいてくれよ

俺は・お前が・嫌いだ

よくもまあそんなに腹の立つことが言えるもんだな

ああそうだよ、田舎に人はいねえよ ホントいねえよな わかるよ

何もねえよな ホントに何もない ゴミゴミ 文化文明ってものがないよな

夜とかもさ、外をうろついてるのは動物か近所で有名なキチガイのおじさんくらいだ なぜか?まともな人間には出歩く動機がないからだ 店もねえ、コンビニもねえ、街灯すらまばらなところもある 暗くて何も見えねえ、人外魔境が夜になるたび顕現するんだよな そら外にもでんわ

ほんでまあそうするとひと気も感じられないよな

そうか、寂しいって感想になるんだなあ

俺は知らなかったよその感覚 夜に人間はいないもんだと思ってたからな むしろ都会が落ち着かない

地獄地獄地獄ねえ……

人の人生をなんとも思ってない企業

なるほどなあ、俺は地獄まれ人生メチャクチャ太郎ってことか! あながち間違ってねえなあ

なあお前、お前も田舎に住まないか?(猗窩座殿)

田舎に住んでさ、結婚して子供作って、総児童数50人を切る小学校に入れてくれよ

すげえ良い人生プレゼントできるぜ 何もない、文明圏を外れた場所で育った、空虚で、価値のない人間を生み出せる 最高だよ お前にピッタリ

ああ〜ムカつく ムカつくムカつくムカつく

どうしたらいいんだ?この気持ち

そうなんだよ 田舎って地獄なんだよな

内面世界を十分に発達させた大人が飛び込んだって地獄なんだよ あれだ 夜にカーテンを開け放つと部屋が暗く感じられるやつだ

部屋の中は実際けっこう明るいはずなんだが、夜の暗さに呑まれちゃうんだよな そういうことなんすよ お前が東京で育んだ豊かな生活をよ、田舎の虚無が侵食するわけでしょう

正直ちょっと小気味がいい いや、ちょっとどころではない クソざまあみやがれ!

いやそれは別にいいんだけど、俺はガキの頃の話がしたいのだ 大人ですら敵わない田舎絶望的な空虚に、子供の頃から浸って育った人間の抱えるどうしようもない憎悪に少しでも思いを馳せてくれ

わかるか?

お前にとっての地獄が俺にとっての産土故郷、そのようなものなわけですよ

だって嫌いだよクソ田舎 でもまあそこで育ってしまい、脱出にも失敗した以上、心情としては肩入れしたい

できねえ〜ッ できねえんだ ゴミから

お前はいいよなあ素直に自分故郷肯定できてさあ!俺にはできねえよそれ 東京のなにを否定できる?くせえ街だとか人心が荒廃してるだとか虚勢張るしかねえんだわ 田舎だって臭えし人間カスなのにな

お前が憎い

お前みたいな人間存在してることが許せん

なんとかならないか?なんとかなってくれよ

なんとかなってくれ!

2019-09-30

青地に白の案内標識

クソど田舎だった地元にガキの頃突然導入されて、なんだか突然文明圏の仲間入りを果たしたような気がして嬉しかった というのがあってアレが好きで、見るとちょっとうれしくなる

あれけっこうデカい街とかしか載せないから(どういう基準なのか知らんけど)「静岡 117km」とか相当遠いところの名前があって興奮することも多々あるんだよな この道を行けば着くのかっていう

崩壊した日本舞台オープンワールドゲーム絶対入れてほしい要素だ

2018-10-04

anond:20181004143708

"普遍"という言葉ダブルミーニングで使われていないか

前者の意味では普遍性があるとは思うが、後者意味では別に普遍性はないだろう。

そして、後者意味での普遍性に乏しいのならば、教育としてわざわざ教える必要も乏しい。大して役に立たないってことだからな。

2018-04-07

anond:20180407091326

黄河文明圏とナイル文明圏の違いで同一の概念なんだろうな(適当


ちょっと考えれば現実にそういうことは起きる可能性は多分にあり既に名前もついているはずと気づいたはずであり

もっと荒唐無稽概念に口出しすべきだったな

2017-09-15

[]ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避よろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまたかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

無垢子供ダイアナ

PC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思うけれど、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナ人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性からといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語テーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化歴史言語には含まれいるからで、そこに理解無くしては言語意味理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語キーなわけだから理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識教育倫理人間についての理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈フェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉スティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーローで神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的人物内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会奉仕しようとした時、そのモデル軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台マスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブ関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪ものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブはそこには関与することができない。

しか人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナ戦闘能力スティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線部隊凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的義務があったわけではない。戦争悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブ大尉からおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブ人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

 
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