はてなキーワード: 空襲とは
阪神大震災発生後、確か95年2月ごろに小松左京が毎日新聞に「大震災」という連載を始めた。
「震災を体験した方々へ、記憶が鮮明なうちにその体験を書き留めよう」と呼びかけていた。
そのココロは、
「記憶が確かなうちに震災記を書き留めることで、震災記が将来貴重なアーカイブになる」ということ。
※小松左京は終戦前日に大阪城付近で空襲に遭遇(これが処女作「日本アパッチ族」のモチーフになる)
しているのだが、「この空襲の記録が全く残っていなかったので、非常に苦労した」と語っている。
実は自分は阪神大震災を大阪で経験しているが、2011年の今、震災記を書こうと思っても、
かなり忘れてしまっているので、書けない。
あの時小松左京の言うとおりに震災記を書いておけば、と少し後悔している。
今回の地震で、まだまだ東北や茨城では災害が現在進行形であるが、
首都圏では幾分かは落ち着いてきている。
1995年時点と違って、今ではブログやツイッターで震災体験を書き込んでいる人も多いとは思うが、
「体系だって震災体験記、というカタチにまとめている人」はまだまだ少ないと思う。
忘れないうちに、震災時からの出来事、感想を体系だって書き始めてみてはどうだろうか?
少しでも役に立てばと思います
その後、停電になったみたいで14日夜現在で IRC には来てません
21:52 jour: 名取、女川、陸前高田、気仙沼、宮古ともの凄い被害なのに、
21:52 jour: 間の石巻でネットしてる人が信じられないw
21:54 ***: ぶっちゃけ今日の2時くらいまで携帯はつながらんし、道路はやばいことになってるし
21:56 ***: 仕事場です
21:57 jour: 水は来た?
21:57 ***: 来ましたよ
21:57 ***: でも膝下くらい
21:57 jour: こわい...
21:58 jour: 家にいたら、もっと大変だったってわけか
21:58 jour: 歩き?
21:59 ***: ちなみに仕事場はたぶん帰宅後屋根まで浸水したお
22:00 jour: まじか... 残ってたらやばかった?
22:01 ***: 残ってたら
22:01 ***: 残ってたら
22:01 ***: 残ってたら
22:01 ***: 下手すれば寒中水泳してましたな
22:02 jour: 寒中水泳で住めばいいけど...
22:05 jour: 今住んでるのは海沿いだったっけ?
22:05 ***: うん
22:05 jour: 海沿いに堤防とかあるの?
22:06 ***: チリ地震津波の時に痛い目に遭ったんで
22:07 ***: 大規模な改修工事何回もやって10m超える堤防をがっちり作りました
22:08 ***: 沖合にテトラポットラインを何重にも作って
22:08 ***: 津波ぐらいではびくともしない防波ラインを作りました
22:09 ***: 地元では「壮大な税金の無駄遣い」と言われて叩かれまくりましたが
22:10 jour: 無かったら死んでたね...
22:13 ***: 渡波海岸を見るたびに「ノルマンディー上陸作戦を阻止でもする気なのか、市役所の馬鹿どもは・・・」と馬鹿にしてました
22:14 ***: すいませんすいません
22:14 jour: 会社はどの辺?
22:15 ***: 門脇の方です
22:17 jour: こっちのが内陸なのに、屋根まで...
22:18 ***: まあ「運」ですな
22:18 jour: 停電情報、宮城ほぼ全域とかなってるけど、石巻どうなってるのwww
22:19 ***: 石巻街中はたぶん電気ついてると思います
00:15 ***: 空襲警報みたいなサイレンが鳴り響いてる
00:15 ***: イヤな音や・・・
00:15 jour: しょうがない
00:15 jour: 被災地だ
00:16 jour: テレビで石巻の様子をやってたが、とてもネットとか出来るような状況じゃなかったぞ
00:18 ***: これ橋浦とか市役所近辺しか被害のひどいとこしかやってないでしょ
00:18 jour: まぁ酷い場所しかニュースにはならんね
00:19 ***: うんだ
00:22 ***: 女川も壊滅って言う割に女川の友人と電話は繋がるのよね
00:23 ***: これ、昼間で良かったね
00:23 jour: うんだ
00:46 jour: 一番の被災地かな?
00:46 ***: うん
02:19 ***: 渡波が4,50cmなのに、隣町の湊が学校の3階まで浸水ってどういうこと?
02:21 ***: 湊は堤防皆無です
02:22 ***: 堤防の差でそこまで変わるんでしょうか・・・
02:22 jour: 消波しないとそんなに差が出るのか
02:23 ***: 渡波海岸はこのままじゃ砂浜が消えるって言うんで
02:24 ***: テトラポットを埋めまくって、徹底的に消波にこだわったから・・・
02:26 jour: 命拾いですな
02:38 ***: jourさんが行った漫画館に行く時に通った内海橋は全壊らしい
02:40 jour: しかしテトラポットだけで、こんなに被害が変わるとは...
02:42 ***: あと強固な堤防
02:42 ***: 堤防の上から落ちたら死ねそうな高さの堤防
02:42 jour: そんな高いんだ
02:48 ***: しかしニコ動で昨日今日の津波特集見てるが
02:48 ***: ホントにすげえええ
02:49 ***: 災害地は大変そうだ夫
02:50 jour: で、実際何mの津波が来たんだ?w
02:51 ***: よく分からんwwww
02:51 jour: wwwww
02:51 jour: 家にいるときに津波に合ってるんでしょ?
02:51 jour: そうなのか
02:52 ***: わけわかんねーお
02:52 jour: 目の前から来るのは消波して堤防が防いで、脇から流れてくるのだけって感じだったのかな
02:52 ***: あ、たぶんそれ
02:52 ***: だって海に近いここより
02:53 ***: 内陸の方の小学校の方が波高かったみたいだもん
02:53 jour: 湊小学校?
02:54 jour: 家の裏のほうじゃん...
02:54 jour: 後ろから巻いてきた...
02:54 ***: たぶん川から横に入ってきた
02:55 jour: この場合は正面食い止めて周りから来た感じだな
02:55 ***: ですn
02:57 ***: 行った人の話だと腰の高さぐらいって聞きました
02:58 jour: 渡波辺りは最大で1m未満、湊の方は3m
02:58 ***: 住んでるとこ間違えば危なくjourさんに「食物も飲料水も無い・・・津波がもう目の前に・・・助けて」と断末魔のメール出すとこだったお
02:59 jour: だが回線が不通で届かない罠
03:03 jour: 震源地に対していくらかの障壁があったのが良かったのかな
03:03 ***: 気仙沼は道路と海面がほぼ同じ&障壁無し
03:03 ***: 名取も同じ
03:16 ***: 明日はもう一回お年寄りだけの家とか様子見に行ってくるか・・・
03:29 jour: オレも横浜から歩いて帰ってくる途中、何回か道を聞かれたけど、
3/15 21:30 追記
皆さん、入社おめでとう。
長期不況、就職難のこの時期に、世界最大の部数と、高度の評論・報道を誇る読売新聞に入社試験を突破して今日入社できた諸君は、きわめて優秀な知性、体力の持ち主だと信じる。
「ネット時代に新聞は生き残れない」との扇情的な言論が見られるが、生き残る力のない新聞とは何らかの経営者の失敗、紙面の偏向、一般社員の能力の低下、愛社心の欠如等によるものであって、それらは読売新聞には当てはまらない。
私が誇りに思うのは、読売新聞の論調が公正であり建設的であること、報道が迅速、正確で、今日の国家、社会、国際関係等からみて、いささかの偏向もないことである。
今はやりのネットの世界では、責任不明の発信者による無責任な言論、他人の名誉に対する棄損行為、流言飛語、わい雑で反社会的な情報の流布、思想体系のない断片的言説のツイッター等が氾濫しており、青少年の教育を害するポルノや出会い系サイトのようなものを規制することもできずにいる。
私は、新聞も本も読まず、ネットの世界にのみ侵入している若者は、将来日本を支える指導力、知性、生産力、倫理観等を身につけることができず、国民の文化や民度の劣化を招くものと心配している。
欧米の新聞と違い、日本の新聞は個別配達制という日本特有の販売、配達網があり、販売収入が安定している。それに比べ、欧米はもとより、新興国、途上国では個別配達網がないか、あっても脆弱なものであって、その収入の七、八割を広告収入に依存しているため、その経営力は不況に恐ろしく弱い。欧米の著名な新聞が次々に倒産しているのは、収入源の七、八割が広告収入であり、不況時には企業の広告出稿が大幅に減るためだ。
日本の新聞は、独自の個別配達網を維持し、正確性、公正性、一覧性、ニュースの重要度による多様な情報の有用な整理力による総覧性、可搬性、利便性、教養性等を維持する限り、衰亡することはない。むしろ、乱立し、無謀な競争をし、無責任な情報を発信するネット業界の将来の経営の方が危ぶまれる。
だが、読売新聞も、新しいメディアの世界を傍観しているのではない。YOLや「あらたにす」等を通じ、必要で有用な情報の発信手段は広げている。問題はそれが十分な利益をもたらすかどうかであって、本社の強力なメディア戦略局が日夜、研究、開発し、効率よく利益を得るような事業を展開している。しかし、我々にとってはあくまで新聞が主軸であり、ネットサービスは副業だ。
読売グループには、姉妹社に日本テレビ、子会社に巨人軍、中央公論新社等があり、この不況の中で、黒字経営を維持している。
今政界は指導力が低下し、与野党とも諸勢力が四分五裂している。その結果、経済不況に伴う失業や要介護者等に対するセーフティネットが構築されていない。政権党は大衆迎合のマニフェスト原理主義で、財源がなく投資乗数効果も低い、子ども手当のようなバラマキに没頭している。そのため予算の歳入は赤字国債が税収を上回り、国家財政は世界最悪の状態だ。
ただし、米国や南欧の財政危機と異なり、日本国債の九三%は日本国民が持っている。しかし、国債発行も限度を越えれば価格の暴落、金利の上昇、そして不況の一層の深刻化につながる。
私はその解決策を持っているが、部分的には社論でも報じ、時を見て全面的計画を発表する。
日本政治の劣化、それによる不況の深刻化を防ぐためには、新聞、特に読売新聞の論評、解説、報道により、政治そのものの質の向上、活性化を図るしかない。
読売はこれまでにも、憲法改正案、行革案、戦争責任の検証、社会保障と税制改革などについて、次々に建設的提案をしてきた。今は不況脱出のための財政、金融、産業政策についての提案に力を入れている。
最後に、読売新聞の将来について極めて重要な計画を申し上げる。
今朝の朝刊にも出ているように、新社屋の建設である。この大手町の本社は一九七一年に建てられ、築後約四十年となる。
その建設当時は、古い経営者の頭の固さもあって、一極集中印刷が最も効率的であると誤信し、しかも鉛と手拾いの活字による輪転機、印刷とその発送のための長方形と三方道路の立地にこだわり、九五台の輪転機を地下五階層にわたって並べることを理想としていた。
私や内山グループ本社社長は、印刷の電子化、発送、輸送の合理化、全国分散印刷体制を主張したが、まだ若かった我々の主張は頭の古い硬直化した経営者に押しきられてしまった。中でも内山社長は長文の全国分散印刷体制論を当時の社長以下に提出したが、却下されてしまった。
私は三年ほど前から、ひそかに大手町から輪転機を完全に移動し、IT時代にふさわしいシステムの配線やコンピューターの設置に適した新社屋の建設を検討してきた。
その結果、この大手町の社屋を壊し、その跡に、三○階建ての最新機能を備えた新ビルを建設することを決断し、一昨日の東京本社役員会で正式決定した。再建期間中、三年から四年は、銀座の新橋演舞場に面した旧日産本社ビルに借家する。この借家は、この本社より外見、内装とも立派だ。皆さんもいずれ新社屋が建設されれば、日本における情報・金融機関の中心である大手町を睥睨する新本社で、執務することになるだろう。
思い起こせば、大正末期以来、読売新聞社屋は受難の歴史だった。一九二三年、銀座三丁目に建設した新社屋は、披露パーティーを前にして関東大震災で完全に崩壊し、一九四五年には空襲で跡形もなく全焼した。
その間、朝日、毎日は大阪に本社を置いていたため、関東大震災の被害を受けなかったが、一七紙あった東京紙はほとんどなくなってしまった。大空襲でも朝日、毎日は戦火を免れた。
このような二度にわたる社屋崩壊にもかかわらず、新社屋の建設を続け、不死鳥のごとくよみがえり、一九七七年、務台社長のもとで発行部数が日本一となり、翌七八年には世界最大発行部数としてギネスブックに登録された。九一年に私が社長になり、それから間もなくの九四年、一○○○万部の世界最大部数を達成した。この時巨人軍も、日本一に輝いた。
創刊以来の苦難の中で、百三十年余にわたる先人たちの苦労の上、今や不滅の読売を象徴する超高層新社屋をこの大手町に建設することは、私の生涯の最後の使命である。このデフレによる営業収入減の中で無謀ではないか、との批判も出るかもしれないが、わが社の資産力、経営力からしてもいささかの不安もない。
もちろん、この大事業は私一人の力でできるわけではない。全役員及び社員諸君も、日常的な経費節減及び販売、広告収入の増強に向けて、全力をあげて協力していただきたいと思う。新聞窮乏化論のなかで、読売新聞の未来は限りなく輝かしいものだと確信する。
修学旅行前日にインフルエンザになり、アラサーになるまで京都にも新幹線にも無縁だった人間が京都へ行ってきたよ!
東山から四条三条へ北上後、大宮や壬生を回り、島原へ南下し、西本願寺から京都タワー~豊国神社という徒歩旅。
どこもそうだったけど、四条大宮から壬生へ抜ける細い路地を歩いていたら1kmない距離なのに6、7軒は寺があった
路地を歩いているとそこらじゅうに小さな社があった
条例で高層ビルが建てられない為とは知っていても、京都タワーから一望できる眺めが凄い
都内と違って空襲で焼き払われていない分だけ古くからの家をそのまま使っている感じ
あらゆる人種が居る
交差点でクラクション音に驚いて顔を上げたが、酷い時は数分に3、4度クラクション音がなっていた
首都圏ではどんなに渋滞していようとクラクション音をそうそう聞く事はなかったのでびっくり
それから交差点を観察しながら歩いてみたら、赤信号なのに3、4台右折していく感じだった
そして対向車が切れず右折出来ないで居るとクラクションを鳴らす感じ
車の流れがあって多少無理でも曲がる事はあれど、完全に赤信号なのに数台は堂々と右折していったのでびっくり
都内でトイレットペーパーが無い駅はほぼ見かけないのに対し、京都駅は普通にトイレットペーパー無かった
その代わり備え付けのトイレットペーパー販売機があった
盗難はあれどトイレットペーパーを備え付けない店は無いという勢いの首都圏に対して
京都はただ単にトイレットペーパーすら売りつける商魂逞しい土地なのかどうか・・・
総武線内で席に座った全く無関係の隣あった男女3人全員iPhone弄ってて吹いた位なのに
阪急では携帯弄り率が低かった(弄ってる人いたかいないかレベル)
とはいえ京都駅は左によって右を空けていたり、観光客が多いとそうでもない模様
京都駅だったらごめんなさい、と前置きして三条川原町等三条通りかなと
阪急や他の地下鉄が乗り入れていて、京都駅が伊勢丹だけなら、ここは大丸阪急高島屋に色んなブランドの店が有
病院へ入った時に喋っていると周囲からの目線が軽く刺さるような雰囲気になった
これが噂の・・・と思った
しかし観光地を周っていると観光客慣れしているのか色々親切に教えてくれた
昔の話をしてくれたり、資料を貸してくれたり、いい人たちだなと感じた
新宿とは違ったでかさ、東京駅と比べてはいけないが、番線数やダンジョン度は東京の方が数倍上
都内の景観を無視しきったカオスな立て方のでかさではなく、なんでこんなオブジェクト作った?的な
恐らく普通の人が混雑した清水寺金閣寺銀閣寺を周っても、人の山過ぎて綺麗という観念が薄くなると思う
なんだただの普通の寺か~で終わる可能性大
仏ヲタ的には金閣銀閣は触手に触れず、広隆寺だの東寺だののがクるだろうし、
歴史ヲタなら平安鎌倉江戸末期とおいしすぎる上、ヲタスポットは断然人が少ない
勿論景色は綺麗だし料理は美味しいけれども、一般人はリピーターになるレベルまでは行かない気がした
本当に碁盤の目、ここは行き止まりだろ・・・という道こそどんどん突っ込んでいくと古い町なみが拝める
道が行き止まりにならない事を容易に悟れるはず
そのうちいつの間に寺の裏門へ出たりして、この界隈の人しか知らないルートを発掘出来る楽しさ有
殆どの人は一日バスフリー利用券(500円)で回っている模様だが、バスは平日でもかなり混雑している
観光案内通りにバスに乗ると混みまくるので、自分で適当に接続ルートを探して乗るとかなり空いていた
例えば金閣寺行き、駅と接続しない祇園から乗るとスカスカで座れたり・・・みたいな
ただ基本、街中の観光名所がかなり歩ける距離なので、ちい散歩やブラタモリするのがおススメ
湯島から上野までとか表参道から渋谷までとか、遠くて秋葉原から上野まで、みたいな距離
壬生寺に幕末京都の古地図が売っていたので、かなりブラタモリが出来る
寺は拝観料を取られるので(200~1000円程度目安)多く回る人は寺一つ頭千円で持っておいたほうがいいかも
高い見積もりかもしれないが、絵馬や御朱印、お守り収集や国宝観覧をするなら足りない位
カメラは撮影禁止の場所も多いが、撮影可の場所もあるのでカメっこは必須
しかし弥勒菩薩が居る広隆寺や平清盛像のある六波羅蜜寺や風塵雷神屏風の建仁寺はスムーズに入れた
どうしても土日なら土曜日に有名所へ
とっても不謹慎な話だけど。
下手なブラックジョークにもなっていないかもしれないけど。
切り殺された老婆。
彼女はその昔マッドサイエンティストとして名を馳せた男の"作品"としてこの世に生を受けた。
けれど彼女は男が望んだものとは程遠い、ヒトの肉体を持っていた。
大気の中で生き、成長し、そして老いる。
心を持ち、他人と話し、意思を伝え、受け取り、学ぶ。
男は危惧した。
そして決意し、決行した。
彼女の脳の機能を一部のみ停止させる。
容易いことだった。
ありふれた少女として生きた。
人並みに恋を知り、痛みを知った。
戦争が起こった。
周囲では生活が苦しくなっていった。
父親はそんな素振りを少しも見せなかった。
実際、生活は至って平凡で戦争を感じさせなかった。
家が焼けて行く。
例外など存在しなかった。
脳が動き出すのを感じた。
男が封印した一部の、そのまた一部が、再び動き出した。
戦火を逃れた。
父親を亡くした。
その奥で自分が作られたことを知った。
父親の望みを知った。
夢を持てない時代だった。
せめて父の遺志を継ごうと思った。
以来、その地下施設に篭った。
脳が少しずつ活性化して行くのを感じていた。
最初は失敗作ばかりだった。
早く肉体を成長させようとすれば、他に支障が出た。
気長にカプセルの中で育てた。
何度か続けるうち、完成形に近い"作品"が出来た。
申し分無い攻撃性を示していた。
カプセルから出れば、成長もせず傷付きもしないはずだった。
彼女は真っ直ぐに歩いた。
既に目標を定めているようだった。
生活に不可欠だった調理場へ足を向けた。
迷わずに包丁を取った。
私はまだ完成していない。
もう一度あなたが生命の危機を感じれば、脳が全て動くようになる。
早く完成させて。
生まれた瞬間に、彼女は欠陥を自覚していた。
彼女に完成形は作れない。
老婆を追った。
不完全な彼女は、老婆の目に一抹の輝きを見た。
今度は追われた。
私は、今日生まれた。
全然やさしくないね。
お前みたいなやつは我慢ならん。今、中国の都市では外車を乗り回す富豪がいるけど、内地では土を食べて飢えを凌ぐ人もいる。何も食べられずに死ぬ人もいる。これをどうにかしたいと思って隣の日本を見たら、2発も原爆を落とされ、空襲で全土を焼け野原にされ、アメリカに占領されたにもかかわらず、そこからメイド・イン・ジャパンをつくって誰もが飢えることのない国をつくっていた。その日本に私は学びに来たというのに、ちょっといじめられたぐらいで、泣きながら拾い食いをしているお前には我慢ならん
なぜかというと日本に留学できる中国人は「外車を乗り回す富豪」でなければ「日本からたんまり奨学金をもらっている人」。
絶対に「内地で土を食べて飢えを凌ぐ人」ではない。
と思ったが
検索して
密入国しているのに、バイトをしながらなぜか日本の大学に通っている人らしい
なぜ、密入国した人間が大学に入学できるのか謎だが、正規の学生ではなかったのかもしれん。
それからこの記事は限りなく嘘くさい。
なぜかというと
30歳のときにいろいろなことが上手くいかなくて、2年間ぐらい公園で寝て、コンビニのお弁当をもらいにゴミ箱に拾いに行って、酒屋さんの後ろで余った酒を飲むという生活をしていました。
大喧嘩になりました。僕はそのとき既に結婚して子どもが2人いましたので、家族に申しわけないし、情けないという思いもありました。言われたことは腹立たしいけど、その通りでもあって悔しかった。
まずありえない。
と思ったんだけど、ツリーを読んで離縁されていることがわかった。
俺が一人暮らしを始めたのは18歳の時だから、そろそろベテランの域といっていい。
そんな俺に毎シーズンとどくおかんからの荷物。
服くらい自分で選ぶといっているのに、安かったからなどとわけの分からない理由で俺用に服を買っては送ってくる。
なんでその服が安かったのかなんて、モノを見れば一目瞭然で、結局その服には袖を通さないまま押し入れの中にお引き取り願っているのだが、最近とうとう押し入れが悲鳴をあげてきた。
そこでそろそろこの服を捨てようかと思うのだが、いちども来てない服を捨てるのはどことなく勿体無い気もする。
こんなノーブランドの安っぽい服でも買い取ってくれたり回収してくれたりするところはあるのだろうか。
ttp://www.academyhills.com/note/opinion/10012701OKWave.html
30歳のときにいろいろなことが上手くいかなくて、2年間ぐらい公園で寝て、コンビニのお弁当をもらいにゴミ箱に拾いに行って、酒屋さんの後ろで余った酒を飲むという生活をしていました。そのときには、「僕一人が何をやっても世界は変わらない」と世を憂えていました。
そんなときに、中国から来たある留学生に出会いました。僕が泣きながら自分の苦悩を訴えたら、大声でどなられました。「お前みたいなやつは我慢ならん。今、中国の都市では外車を乗り回す富豪がいるけど、内地では土を食べて飢えを凌ぐ人もいる。何も食べられずに死ぬ人もいる。これをどうにかしたいと思って隣の日本を見たら、2発も原爆を落とされ、空襲で全土を焼け野原にされ、アメリカに占領されたにもかかわらず、そこからメイド・イン・ジャパンをつくって誰もが飢えることのない国をつくっていた。その日本に私は学びに来たというのに、ちょっといじめられたぐらいで、泣きながら拾い食いをしているお前には我慢ならん」と。
debito.orgの読者の一人であるSteve氏による投稿です(有道氏の投稿ではない)。
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「問題、反応、解決
DM氏の案(http://www.debito.org/?p=5475#comment-188363)には僕も賛成だ。
いや、本気で取り組んでみましょうよ。僕らの最終的な目標は差別を禁止する法律を日本で成立させる事ですし。
誰かこの時代のローザ・パークス夫人になる勇気のある人はいませんかね?これを読んでる誰かにそんな人がいてほしいですが。
現状、個人で経営されている施設が国籍を理由に利用を拒否する事が実質合法ですが(そうでなくとも、実質罰せられていない)、ならば個人施設が日本人の利用を拒否すれば日本の国民だって物凄く反発するでしょうし、「個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる」と明記した法律の必要性を理解してくれるのではないでしょうか。間違いなくそういった法律が要求されるようになると思いますが。
ひとまずこんな作戦を提案してみます:法律を守った善良な市民(税金も保険も年金も∀完全に収めていて、ビザの拒否といった反撃の恐れもあるので出来れば日本国民か永住者)で、何らかの施設を経営していて(バーやレストラン、お店など何でも)、損害保険に加入されていて(右翼に窓を割られたりするかもしれないので)、そして一番大事ですが、勇気のある方が、「日本人お断り」や「日本人入店禁止」、「非日本人の方のみ歓迎」等といった張り紙を、ちゃんとお店の前に日本語で貼りつけます。さらにその写真の下には、日本中で見られる、いわゆる「ジャパニーズ・オンリー」の張り紙の写真を張ります(www.debito.org/roguesgallery.htmlや、特に日本語でも書かれているhttp://www.debito.org/edensign030707.jpgなど)。そしてさらにその下には、「日本には『個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる』という法律が必要」という旨が書かれた張り紙を張ります。
しっかりと書かれたプレスリリースと、「日本人お断り」の張り紙、「外国人お断り」の張り紙の写真のポスター、そして差別の違法化を訴える一文を一つの写真に写したベストショットを用意するのです。
恐らく多くの新聞やテレビ番組がこれを取り上げるでしょう。「日本人お断り」と書かれた張り紙が写っている、写真の上の部分を見た日本人の方々はもちろん激怒します。そして、彼らの目が写真の真ん中に降りていき、「外国人お断り」の張り紙を見ると、こういった差別が日本に存在する事を理解します。そして最後に写真の一番下まで目を向けると、こういった張り紙を違法とする法律が提案されている事を知り、願わくば賛同してくれる事でしょう。
こういった「問題、反応、解決」テクニックは、頭のきれる指導者によって、間違った目標へと市民の意識を向けるのに利用されてきました。例えば、テロリストの作り出した「問題」が恐怖や怒りといった「反応」を引き起こし、指導者の望む「解決」、つまり人権やプライバシーの現象、他国への空襲や武器のための増税を市民に納得させる、といった具合です。今こそ、この手法で「平和的」な小さな問題(差別的に入場を拒否する標識)を引き起こし、それに対する反応を促し(人種差別に対する怒りを引き立てる)、そして最終的に国民がこういった差別を廃止する法律を求める声を上げさせるべきです。
ただ、一部の新聞やテレビ番組は写真の上半分にのみ重点を置き、下半分をカットして無視してしまうという事も十分考えられます。なら、「外国人お断り」の写真を「日本人お断り」の写真の中に入れるなどすれば(法案も含めて)、一番大切な部分を無視しようとする編集者の働きを阻止する事が出来るかもしれません。
この他に、日本に反差別法を成立させるための、より効率的で真剣なアイディアのある方がいれば、是非ともお聞かせください。
そして、このスレッドの中でポジティブな意見を書き込んで下さってる方の中に「私がやる!」という方が現れる事を期待しています。スティーブより。
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それこそ戦時中は国家に逆らったら非国民と呼ばれた。(空襲で釣りとかもってのほか・笑)
今でも社会市民として税金を納めない者は〜だとかで。「国家」では無く「社会」。
これぞ「標準化あるいは抽象化」であろう。グローバルスタンダードは物事を酷く抽象化する嫌いは有ると思う。
(脱税総理鳩山の真相は如何に?よりも、「カーチャンのおこづかい」にしては額がデカ過ぎる事が気になります。
エヴァンゲリオンでも作るんでしょうか?・笑)
今更ながら「国家」に注目が集まって来ているのは良い兆しだと思う。
しかしながら、その「国家」に裏切られたら、拠り所は有るのかい?というのが気になってならない。
戦争の香りがするのはその為だろう。
〜T/H
そもそもは政治家が省庁毎の縦割り行政の権益を地元に還流してたからであって
官僚の独断でなにかをやってきたなんてことはない
お題を与えられたらそれに答える、それが官僚
良いか悪いかの判断はしない
法律で決まっていること、年度予算で計画されたことを毎年実行しているだけ
日本列島改造論なんて素敵な例だよな
実際それで豊かになったんだし
だれが夢を示してくれるのか
明日の豊かさのために
どこから利益を得るのか
全部ひとっくくりでどうやっていくか説明してくれないものかな
内需拡大とかいったって
減り続ける人口が10年で元に戻るわけじゃなし
100年とは言わないけれど
30年後くらいを考えて今何をするのかって言って欲しいよなあ
他の誰でもいいんだよ
もとい
ましてや国だぜ?
まあ性善説に過ぎるかもしれないが
腐ってるやつを取り除いて
まともなやつを引っ張りあげようとしても
なかなか変わらないんだろうけどなあ
まあさ
あれだ
近視眼的に語るのはやめたほうがいいんじゃないのって思うのさ
明治維新じゃないけれど
国の行く末を本当に思うなら
多少のことは我慢しても
次の世代のために出来ることを考えてもいいんじゃないのかね
戦争で死んでいった人のこととかさ
どこかでみんな繋がってるわけだろ
だったら俺たちだって
戦争にも行かずに
仕事もせずに飯が食えるなんて夢みたいな世界が来ないことに文句言ってないで
とりあえず出来ることをやってくしかないじゃん
働きゃいいんだよ
世界を変える脳がないやつは
俺もそうだけどさ
地道に働いて
税金払って
選挙行って
少しはまともな未来を語ってくれそうなやつを探して
それだけだよ
悼むとしても施設は別に要らないんじゃないかと。遺族に賠償して遺憾の意を述べて終わりじゃだめなんだろうか。自衛官が死んだ場合も殉職した警官と同様昇進させて遺族年金の多めにするとか位でいいと思う。
あと戦死者対象の追悼施設だとアフガンに派遣してタリバンのテロで自衛官死んだら国家として悼むべきで日本のカルト教団が霞ヶ関の官僚狙って毒ガステロして殺された場合は悼まなくていいということになるんだろうけど、これは情けなくも冷たくもないんだろうか。あるいは民間人がテロで死んだ場合はどうなんだろうか。たとえば日本政府の対米従属外交政策に反発するイスラムテロリストが日本人旅行者の首切りテロをした場合とか。外国と戦争しにいけばわざわざ施設まで作ってしてもらえるのにね。追悼施設に自衛官は含めるが民間のテロの犠牲者は放置っていうのなら冷たいと思う。空襲で死んだ民間人は含めるけどテロで死んだ民間人は含めないとかになると理解できない。
今問題になってるのはあくまで過去の日本軍において戦死した人間の追悼施設の問題であって
これからの死者の問題はもちろんそうではあるのだけど残念ながら全く考えられてないと思われる。
あ、それは違う。
まず、想定されている「国立追悼施設」というのは旧日本軍で戦死した兵士と、空襲などで亡くなった市民など、戦没者全体を追悼することによって平和を祈念する役割を負うことになるはずで、この辺は政府の議事録でも出てる(ググって調べてくれ)。
これからの死者の問題は、誰も口にしないだけで実際は皆の頭にそれはある。イラクに派遣した時も、死者が出なかったのはラッキーだっただけで、出ていたかもしれない。死者が出ることを恐れている、安全第一であることと、もし死者が出たらどうなるかどうするかという問題は別。
で、もう増田で出ていたと思うけれど、殉職した人は護国神社なりに祀られることに今はなっていて、これはこれでいいんだけど、神道を信じない、別の宗教をもつ遺族にとっては有難迷惑な話でもあって裁判にもなってる。そういう面からも、神道形式の「神社」とは別の仕組みが必要になってきているのも現実なんだよ。
たしかに、今までは自衛隊の海外派遣も安全性を重んじて、「ガソリンスタンド」みたいな仕事でもよかったかもしれないが、これからはそういうわけにもいかなくなる。そうなると、「戦死」する人も必ず出る。国としてそういう人をほったらかしにしておいていいはずがないので、「国立追悼施設」が出来たら、具体的な形式はまだ分からないけれど、そういう人たちのことも何らかの形で含んで追悼されることになると思う。
追悼する形は個人の自由だ、みたいな増田があったようで基本的にはそれでいいんだけども、しかし国が派遣した自衛官が戦死したとき、その死を国家が悼む形を持っていないというのは、ずいぶんな話だと思う。情けない、冷たいと書いたのは、そういうこと。
そうはいうけど、戦地じゃ別に上官に強制されたわけでもなく自発的に虐殺とか強姦に加担してたのが多数いる。死んだから被害者ってことにしちゃうのはおかしいんじゃないかと。ある意味自業自得なんだし。
数は定かじゃないけど確かにそういう人もいたのは事実。
でも、だからといって全員が虐殺とか強姦に加担した加害者とみなすっていうのは短絡的すぎないか?
被侵略国の人たちがそういう区別はつけられずに「日本兵=虐殺・強姦=悪」って一括りに連想するのは仕方ないことだし
被侵略国の人たちの感情を優先するなら軍属は全員悪、祭り上げるような行為は許されないってことになるんだろうけど
一人の日本人としては、行きたくもない戦争に駆り出されて日本の子供・親兄弟のためを思って死んでいった戦死者、
戦争に負けたら日本が消えると信じ込んで必死に戦った人らのことを考えると
「侵略戦争の再発防止のため」って一言でこれらの人々も一緒くたに加害側に回して絶対悪にするのはやるせないんだよなあ。
まあ、最初に書いたとおり徹頭徹尾感情論だから、国際社会の世論を考えると現実的には
軍人を美化したいから空襲の被害者と一緒に祭るというのはA級戦犯を美化したいから一般の兵士と一緒にして祭るというのと本質的に同じだと思う。
って捉えられ方をされても仕方がないようなことはするべきではない、っていうのが賢い見解になるのかもしれないけどね。
靖国に変わるものなんだから明らかに軍人対象のはず。軍人を美化したいから空襲の被害者と一緒に祭るというのはA級戦犯を美化したいから一般の兵士と一緒にして祭るというのと本質的に同じだと思う。
俺は兵士として徴収された者達の多くも被害者だと思っている。
そうはいうけど、戦地じゃ別に上官に強制されたわけでもなく自発的に虐殺とか強姦に加担してたのが多数いる。死んだから被害者ってことにしちゃうのはおかしいんじゃないかと。ある意味自業自得なんだし。
一人の東京人としてアメリカ人を恨むかと言えば、私はその資格を有する人間であろう。しかし、私はアメリカ人を恨んではいないし、そうしたいとも思わない。
防空壕に潜っても死んだものもあったと聞く。
100軒をゆうに越すほど所有していた長屋も焼け落ちた。
一族の家もほとんどが火災で焼け落ちた、現金はゴミになり、国債も紙切れに。
皇族を相手にするような生業をしていたので職業そのものがGHQに禁止され、守らなければ逮捕された。
いかがわしい商売ではなく現代では合法的にあるものだ。
混乱下、泥棒にあったことも1度や2度ではない。
本当に食べるのに苦労したらしい。
当時はなんの価値もなかった土地がいまではこんなになっているが、当時は本当にはした金で買えるものだったそうだ。
土地より建物の方が価値があったから建物を所有していたそうだ。
戦争は多くのものを失い、奪っていった。
ほとんど何も残らなかった。
だがそれは戦争だからだ。
失うことへの悲しみが参加者を駆り立てる。
失ってしまったことへ対して恨んでも何もはじまらない。
原爆は空から一つ原子爆弾を落としたらその結果何十万人?が死んだんでしょ。
対して南京大虐殺とやらがもし本当にあったとしたなら、数日間ないし数十日間地上に人がとどまって人を殺していたわけでしょ。
軍は何をしてたかって、まぁそりゃ占拠されてる時に軍が何ができるんだって話もあるけど、上からポーンと突然なんか落とされたら軍とはいえ何もしようがないよなぁ。
それよりも、南京大虐殺があったってことで謝罪と賠償を要求するのに正当性があるというのなら、東京大空襲とか大阪大空襲とかはどうして謝罪と賠償を要求しないのかなー。いくら軍事拠点を狙ったとは言っても民間人何十?万人巻き込んでるんだから、今だったら各国から非難ごうごうだよね。敗戦国だから何も言ってはいけないのだろうか。アメリカの民間人はたぶん大空襲のこと知らないんじゃないかな。まぁもう昔の話だからみんな全部忘れて仲良くしようぜってかんじだけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E5%8F%A4%E6%99%82%E8%A8%88
大きな古時計を聴いたり歌ったりしていて、子供のころからいつも疑問だったのが、
「このお爺さんは、どうして戦争に行ったり、空襲にあったりしないんだろう?」
ということでした。
私の世代(30代後半)の祖父母は多く戦争体験があって、前線に送られて死んじゃったり捕虜になったり、思い出すのもいやになるような体験をして心の傷になっていたり、戦地に行かなかった人でも、空襲にあったり、空から機銃掃射浴びたり、普通にひもじい思いをしたり、外地から命からがら逃げ帰ったり、といった辛い体験をしているものです。
しかしながら、大きな古時計のお爺さんは、どうもそういう目にあったことが無いようで、彼が生まれたときに買ってきた古時計も、空襲で燃やされたり外地からの帰還の際に紛失したりせずに、死ぬまで現存でした。もちろん、歌の中でも出征の場面などは出てきませんし、飢えた場面も出てきません。
私にとってはそれが不条理に思えて仕方が無く、この歌自体もとても空々しい感じがしていたのですが、私よりも10歳くらい下った世代だと、そういうことも思わなくなっているんでしょうかね?数年前、平井堅が流行らせたときも疑問だったんですけれど、お若い方々に一度聞いてみたい気がします。
と。