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はてなキーワード: 空襲とは

2009-01-20

酷使様に捧ぐコピペ

戦時中 「非国民(笑) 朝鮮人(笑) アカ(笑)

現在   「ニート(笑) フリーター(笑) 派遣(笑)

戦時中 「祝ひ終った、さあ働かう!理窟言う間に一仕事!足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!」

現在   「企業利益を上げるためだ!サービス残業は当然だ!業績が悪いのは従業員が働かないからだ!」

戦時中 「空襲時にバケツリレーで消火できないのは根性が足りないからだ!全ては大和魂だ!」

現在   「正社員になれないのは努力が足りないからだ!全てはコミュニケーション能力だ!」

戦時中 「ぜいたくは敵だ!日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!ガソリン一滴は血の一滴!一億玉砕だ!」

現在   「痛みを伴う改革が必要だ!改革で痛んでも凍死や餓死さえしなければ有難く思え!米百俵精神だ!」

戦時中 「飛行士が足りん!とにかく若者をかき集めろ!練度など未熟でも構わん!離陸さえ出来れば充分だ!」

現在   「即戦力が足りん!外国人労働者をかき集めろ!団塊世代の定年を延長しろ!新人を育てる余裕など無い!」

戦時中 「今日も決戦明日も決戦!欲しがりません勝つまでは月月火水木金金!」

現在   「甘えるな国際競争に勝つためには長時間労働が必要なのだ!過労死など自己責任だ!」

戦時中 「先日我ガ軍ハ敵空母10隻ヲ撃沈、敵航空機100機ヲ撃墜ス!一方我ガ軍ノ損害ハ非常ニ軽微ナリ!」

現在   「景気は着実に回復している!現在のわが国は『いざなぎ超え』の空前の好景気である!」

戦時中 「若者をどんどん戦場に送り込め!代わりならいくらでもいる!大学生徴兵猶予を廃止しろ!」

現在   「労働者をどんどん使い捨てろ!代わりならいくらでもいる!派遣労働規制を緩和しろ!」

戦時中 「日本戦争に敗れることなど決して有り得ない!最後には神州日本に必ずや神風が吹く!」

現在   「資本主義が崩壊することなど決して有り得ない!世界経済はデカップリングで必ずや息を吹き返す!」

戦時中 「安全な資産である国債を買え!国債は自国民からの借金なので経済破綻する心配は無い!」

現在   「安全な資産である国債を買え!国債は自国民からの借金なので経済破綻する心配は無い!」


いやあ、本当によくできてると思うよ。オチが特に。

2008-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20081229054405

http://anond.hatelabo.jp/20081209224326

将軍様が何十人もの妾相手に中出したり、農民から搾取して飢え死にさせまくってる間に欧米産業革命植民地主義政策で興隆して、黒船来て自分らが単なる極東の黄色土人だったことに気付いてビビッて欧米の猿真似で文明開化日露戦争イギリスの支援で勝ったが、それを自分らの実力だと勘違いして、調子こいてたらABCD包囲網涙目逆切れアメリカ戦争ふっかけて本土空襲核爆弾フルボッコされて敗戦現人神天皇が命乞いして戦争責任取らずそのまま象徴として居座って、欧米技術パクって、公害過労死国民の命犠牲にしつつやっとこさ高度経済成長突入するも、その経済発展をまたも自分らの実力と勘違いして、気付いたらバブル崩壊。それ以降は高度経済成長時に運良く築いた資産を食い潰すだけ。いまや労働生産性先進国最下位財政赤字貧困率トップクラスの落ちぶれ国家

2008-12-09

日本SUGOKUNEEEE!!

将軍様が何十人もの妾相手に中出したり、農民から搾取して飢え死にさせまくってる間に欧米産業革命植民地主義政策で興隆して、黒船来て自分らが単なる極東の黄色土人だったことに気付いてビビッて欧米の猿真似で文明開化日露戦争イギリスの支援で勝ったが、それを自分らの実力だと勘違いして、調子こいてたらABCD包囲網涙目逆切れアメリカ戦争ふっかけて本土空襲核爆弾フルボッコされて敗戦現人神天皇が命乞いして戦争責任取らずそのまま象徴として居座って、欧米技術パクって、公害過労死国民の命犠牲にしつつやっとこさ高度経済成長突入するも、その経済発展をまたも自分らの実力と勘違いして、気付いたらバブル崩壊。それ以降は高度経済成長時に運良く築いた資産を食い潰すだけ。いまや労働生産性先進国最下位財政赤字貧困率トップクラスの落ちぶれ国家

2008-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20081207062006

アメリカ原爆落としたことの被害感情に配慮したとは思えない。原爆以外でも市街地空襲まくりだしなんとも思ってないのでは?上流残したのは占領統治がしやすいからでしょ?

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-08-03

ばあちゃんと自転車


俺、老人苦手。

「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。

老人慣れしてるヤツってスゴイ。

電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。

年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。

敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。

胃が痛くなる。

親がいなくなると、話題ゼロ

田舎帰るの嫌い。

で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。

高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識

ところが、

去年、じいちゃんが死んだ。

葬式はさすがに帰省

正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。

ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。

それから一年

親父がいきなり

「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」

発言。

いやいやいやいや、ないないない。

とか、とても言えない。

親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を繰り返していて、

一人で暮らしていくのは厳しいと医者から言われたらしい。

いや、うん、でも、えーと。

俺だけではなく、何となくどんよりとした空気家族に流れる。

誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。

母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。

妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。

で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京我が家に越してきた。

母さん余所行きの笑顔

妹、部屋から出てこない。

俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。

福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、ばあちゃん、変な自転車持ってくる。六蔵って書いてある。

すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔

そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。

母さんと気の使い合い。

たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。

家でリラックスできない。

ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。

2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。

入院してた病院看護婦さんかららしい。

その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、

手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。

じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、

ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、

「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。

 もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

 死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」

と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。

10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、

あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。

その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。

自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」

ユウちゃんは、俺。

ばあちゃんは90オーバー

さすがに止めた。

ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ

先月まで、病院リハビリとかしてた人。

家族、総出で止めた。

全然、折れない。唯一の戦前生まれ。

朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。

あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、ほんとに困るからね!」と小声で念押し

その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。

話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。

敬語。目、合わせない感じ。

やや呆れ気味で、練習開始。

はっきり言って、全然乗れない。

足をペダルに乗せる段階から無理。

跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。

ペダル漕ぐとか、全然別次元

二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。

毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。

「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」

「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」

そればっか。

じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。

三日目にして、俺ギブアップ。

買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、先に帰ってくる。

んで、気付いた。

サドル高すぎ。

油をさして、錆びだらけの自転車サドルを一番低くする。

翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。

「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」

拝まれる。

でも90歳のバランス感覚は風前のともしび

漕ぐとか本当、別次元

なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。

俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。

全身筋肉痛

この頃になると、帰り道第二次世界大戦話。

空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、自転車くらい乗れる気がしてくる。

10日する頃には、どうにか漕いでる。

ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。ふらふらなんてもんじゃないドリフだ。

で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、

支えてたけど、二人で転んでしまった。

ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。

血が出てる。

死んだんじゃないかって本気で思った。

救急車呼ぼうかと思った。

ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。

俺、さすがにショック。

ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。

家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。

その日の夕飯、ばあちゃんが話す。

じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。

それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、そんなじいちゃんをよく見てたこと。

六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。

そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って「みんなも元気で」って

町のみんなに手紙を書きたかった、と。

福島で生まれて、福島で生きてきた。

90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。

「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」

と言う。

次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。

洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。

すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。

「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!

 もう一回乗ってみろ!」

親父、補助輪買ってきた。

それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターをばあちゃんに渡した。

母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。

バカ家族

それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園

公園自転車の練習。

そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。

それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、息を切らせて公園に戻ってきた。

ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。

で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、

90歳のはじめての自転車を撮影。

公園の端から端。

「ばあちゃん、手離すよ!行け!」

ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。

ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。

「行けっ!行けっ!」

「いいぞっ!いいぞっ!」

ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。

親父の声も、裏返ってる。

20メートルくらい、新記録を漕いだ。

すげえ。すごい。すごい!

親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。

俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、

目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、もう たまらなくなってしまった。

骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。

あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。

なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。

ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。

その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、とても見れたもんじゃなかった。

親父、感動しすぎ。

もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。

仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。

それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。

もっと一緒に暮らしましょうよ。

もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

もっと一緒にいたいですよ。

ずっと一緒ですよ。

を体現してるみたいに。

2008-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20080709202624

70代の人は終戦時でも7から16歳なわけだから戦地に行ってる世代ではないし、国内での空襲は男女関係なく被災してるはずだからその理由は違うのでは?たんに平均寿命の差と思うけど。

2008-06-17

どうやったら戦争って終わる?

台湾戦争しそーなワケだが、どうやったら戦争って終わるんだ?

ずっと疑問だったんだが、

戦争はどうやって始まるのか(歴史の授業なんて忘れたよ)。

戦争はどうしたら「勝利」なのか。

戦争はどうしたら終わるのか。

がすごい謎なんだ。

で、今回尖閣諸島事故で「・・・え、こんなんで戦争すんの?マジで?」ってなってるわけで、

http://mainichi.jp/select/world/asia/news/20080614k0000m030055000c.html

マジで戦争になったら、台湾って何処攻めてくるの?

国会議事堂とか皇居とかに爆弾落とせば手っ取り早いと思うんだが、

第二次大戦を経て破壊されてないってことは、そーゆーもんでもないんでしょ?

じゃあ、攻撃されるとしたら何処?新宿とか空襲したら、日本人に与えるインパクトはデカいよね。

で、お互いの国民を殺し合って消耗戦で、どっちかが「参った!」っていうまでやりあうのが戦争

ってことは、全然終わらないの?うざっ。

個人的には戦争反対で、それはもう単純な動機で、いろんな「大切なもの」を壊されたくないから。

ももちろんそうなんだけど、俺、美術が好きなので、美術館とか空襲受けたら「おい!」ってなる。

つうか、美術って人類の文化の至宝で、何があっても後世に伝えなければならないものだと思っているから、

美術館に攻撃とかあり得ないよね?よね?

これはもちろん自分たちだけじゃなくて、台湾にだって文化遺産はいくらでもあるわけだから、

台湾に対しても攻撃しないで欲しい。

ただ、万が一戦争が始まっちゃったら、そこで「戦争反対!」なんていうのは、リアリティがないんだわ。

うーん、反対してどうしたいの?ってなる。「台湾戦争をやめろ」ってシュプレヒコール日本国内であげたところで、

「・・・・はぁ。で?」ってなるわけ。

となると、戦争に勝って終わらせるのが一番いいんだよね。

でも「勝つ」のってどうすりゃいいの?

どうすりゃお互い最小限の被害で、戦争を終わらせることができるの?

俺は死にたくないし、自衛隊の人たちにも死んでほしくない。台湾人にも死んで欲しくない。

ただ、やっぱり殺されそうな目にあうなら、最低限の自衛はする。

っつっても、空襲だろうから、防空壕入ったりして、逃げることしかできないんだろうけどね。

戦争を前に、一個人、一般市民のできることって、哀れなくらい何もないねー。

ただ、始まっちゃった戦争が少しでも早く終わるんだったら、そのためにできることは、何かしたいと思うんだ。

戦争の終わらせ方、誰か教えて、エロい人。

2008-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20080425132314

戦時中 「非国民(笑) 朝鮮人(笑) アカ(笑)

現在   「ニート(笑) フリーター(笑) 派遣(笑)

戦時中 「祝ひ終った、さあ働かう!理窟言う間に一仕事!足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!」

現在   「企業利益を上げるためだ!サービス残業は当然だ!業績が悪いのは従業員が働かないからだ!」

戦時中 「空襲時にバケツリレーで消火できないのは根性が足りないからだ!全ては大和魂だ!」

現在   「正社員になれないのは努力が足りないからだ!全てはコミュニケーション能力だ!」

戦時中 「ぜいたくは敵だ!日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!ガソリン一滴は血の一滴!一億玉砕だ!」

現在   「痛みを伴う改革が必要だ!改革で痛んでも凍死や餓死さえしなければ有難く思え!米百俵精神だ!」

戦時中 「飛行士が足りん!とにかく若者をかき集めろ!練度など未熟でも構わん!離陸さえ出来れば充分だ!」

現在   「即戦力が足りん!外国人労働者をかき集めろ!団塊世代の定年を延長しろ!新人を育てる余裕など無い!」

戦時中 「今日も決戦明日も決戦!欲しがりません勝つまでは月月火水木金金!」

現在   「甘えるな!国際競争に勝つためには長時間労働が必要なのだ!過労死など自己責任だ!」

戦時中 「先日我ガ軍ハ敵空母10隻ヲ撃沈、敵航空機100機ヲ撃墜ス!一方我ガ軍ノ損害ハ非常ニ軽微ナリ!」

現在   「景気は着実に回復している!現在のわが国は『いざなぎ超え』の空前の好景気である!」

戦時中 「若者をどんどん戦場に送り込め!代わりならいくらでもいる!大学生徴兵猶予を廃止しろ!」

現在   「労働者をどんどん使い捨てろ!代わりならいくらでもいる!派遣労働規制を緩和しろ!」

戦時中 「日本戦争に敗れることなど決して有り得ない!最後には神州日本に必ずや神風が吹く!」

現在   「資本主義が崩壊することなど決して有り得ない!世界経済はデカップリングで必ずや息を吹き返す!」

戦時中 「安全な資産である国債を買え!国債は自国民からの借金なので経済破綻する心配は無い!」

現在   「安全な資産である国債を買え!国債は自国民からの借金なので経済破綻する心配は無い!」

2008-04-25

戦時中非国民はくたばれ!日本国民大日本帝国のために戦って死ね!」

現在ニートはくたばれ!グローバル経済戦争の役に立たない貧乏人は死ね!」

戦時中空襲時にバケツリレーで消火できないのは根性が足りないからだ!全ては大和魂だ!」

現在正社員になれないのは努力が足りないからだ!全てはコミュニケーション能力だ!」

戦時中鬼畜米英!ぜいたくは敵だ!」

現在「にっくき北朝鮮の惨状を見ろ!それに比べたら日本はまだ恵まれている!」

戦時中パイロットが足りん!若者をかき集めて短期間で養成しろ!練度など低くて構わん!」

現在即戦力が足りん!外国人労働者をかき集めろ!育成に手間のかかる氷河期世代は要らん!」

戦時中「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ!欲しがりません勝つまでは!」

現在甘えるな!国際競争に勝つためには長時間労働が必要なのだ!過労死など自己責任だ!」

戦時中「我ガ軍ハ敵空母10隻撃沈。敵航空機100機ヲ撃墜ス。我ガ軍ノ損害ハ非常ニ軽微ナリ」

現在「景気は着実に回復している。現在のわが国は『いざなぎ超え』の空前の好景気である」

戦時中若者をどんどん戦場に送り込め!1億特攻だ!」

現在若者をどんどん派遣請負サービス残業でこき使え!」

戦時中日本戦争に敗れることなど決して有り得ない!最後には神風が吹く!」

現在資本主義が崩壊することなど決して有り得ない!大企業に牽引されたグローバル経済永遠に安泰だ!」

2008-03-26

[]

両親と私、弟二人は、昭和十年に移民団として南洋群島パラオ本島に行き、ここから私の人生が始まりました。

北海道から汽車で揺られ、横浜へ港から一週間の船旅で、小笠原諸島を通過する時は大シケで、全員が船酔いでぐったりして、ココール港に入港して下船し、旅館に落ち着き、二日後に連絡船で私たちの永住する朝日村へと三時間の旅で、ここから一時間歩いて草と小枝を切って前日区分した場所に着き、まわりを見渡すと大樹が多く、先ずは伐採から始め、そして草を刈り、住む所にバラック小屋を建て、火をたける場所を作り、原始的な生活から始まる。

入植をして半年を過ぎる頃には、どうにか農作物が作れるようになり、パイナップル畑を作り、苗を植え、次々と入植者も入り開けてきて、パイナップル工場も出来る。野菜波止場までかついで出荷をする。そのうちにリヤカを買い、運搬は楽になり、農家も安定をして、家畜を飼い堆肥を作り、私たちの住む住宅を建て、安定したのもつかの間で、昭和十八年、大東亜戦争が始まり、三月二十八日から三十日の三日間は大空襲で、ココールの町は火の海と化して、食糧及び燃料は壊滅状態で、これからが大変な生活で、内地からの定期船が入らず、自給自足で半年くらいまでは良かったのですが、その後は米が不足して、大人はどうにか我慢が出来るのですが、子どもたちが可哀想で見られず、毎日の空襲で農作業も思うように出来ず、結局は夜の仕事と変り、月夜は良いのですが、闇夜は手探りで作業を続けました。

ますます戦火も激しくなり、この最中に婦人と未成年疎開本国に引揚げることになり、私は十五歳で引揚げることが出来ずに残り、父は兵隊へ入隊をする。私は軍属として志願兵で入隊しました。この時に始めての体験、軍隊生活で親の有難さを痛感しました。夜は毛布の中で泣いた事が何度かわかりませんでした。

戦争は激しくなるばかりで、私の立ちは兵事部で。伝令でした。空襲の合間に書く分隊情報を届けるのですが、木のあるところは良いのですが、またま平野空襲出合い、何度か命拾いをしてきました。

その内に食糧の不足と共に栄養失調で亡くなる人が出始め、兵隊と一般の人と次々と亡くなり、いても立っても居られない気持ちでした。兵隊でも上官は米のご飯ですが、部下はご飯が当たらず、死ぬ兵隊などは米の飯を食いたいといわれた。言葉は、耳の奥にこびりついています。

食事の方も、兵隊はサツマイモの葉のオジヤに、サツマイモ、そして米つぶが数えるほどしか入ってなくて、お腹だけがふくれて、髪の毛は抜け、痩せて可哀想でした。又、夜はサツマイモ畑を荒らす人が多くなり、夜警取締りが始まり、私も夜警に出たが、婦人と子どもたちは逃がしてやったことが記憶に残っております。

戦争は激しさを増して、引揚げたオフクロと弟たちの船が魚雷でやられたと聞いたので、あきらめていましたが、生きて帰りたい気持ちで一杯でした。

ある日、私と上官は、農民との集会の最中空襲に合い、私とひざを合わせていて、討たれ戦死をしましたが、人間とは運、不運があると思いました。人間的に立派な方で、私を弟の様に可愛がってくれ、この時だけは替われるものであれば替わってあげたい気持ちでした。その後に来た上官も良い方で、私の面倒を良く見てくれ有難かったので、感謝で胸が一杯です。

その内に終戦となり、引揚げる時まで一緒で、食糧が不足をして、栄養のあるものは口に入らず、上官と山鳩を取って食べ、命をつなぐことが出来ました。私は人との出会いの運が良く、引揚げる時は別でしたが、本籍が増毛町で、父と一緒に帰り、父の妹を頼りに行くことが、常夏の所から北海道の真冬には勝てずにネコのようにまるくなり、一ヵ月後には死んだはずのオフクロ、弟妹、全員無事に再会できる事は、この上ない幸せでした。

この頃はニシンが大漁で、浜はごった返しで景気も良く、このまま世話になることは出来ず、私は一足先に赤平炭鉱に居る伯父を頼って行く。すぐに採用してもらえなくて、組で働き、半年後に本採用になり、家族全員が来て生活をする。このときも食糧に苦しみ、買出しに農家に米を買いに行き、随分足を運びどうにか生き延びることが出来ました。

その後父と母、弟妹たちも来て、開拓農家を始めて開墾をして農業をする。私も日曜日には手伝いに行き、苦労した甲斐があり作物がとれ、希望がわきました。

炭鉱も景気が良く、父は二、三年辛抱をしてくれ、身の振り方を考えると言われましたが、とうとう定年まで勤務をし、人生の半分が過ぎ、昭和四十九年八月十三日の運搬事故では九死に一生を得たことは、生涯忘れることはできません。今考えると運が良かったと感激で一杯です。闘病生活を振り返り、リハビリーの苦しみは忘れることは出来ません。人の三倍も努力を続け、玉の脂汗を流したことが良くてどうにかもとの体に戻り、所信をして長生きをしていきたいと肝に命じている今日この頃です。

このように体験したことは、私にとってはプラスとなり、今後は日本は二度と繰り返してほしくない戦争を、息子を始め、孫、ヒコの代まで続けてほしいと願っております。

この文を永久に残して、世界人類平和であってほしいと念願する次第です。

どうか、全世界平和にと、声を大にして、叫びたい気持ちで一杯です。

2008-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20080316134920

他人の事だもん、そりゃあピンとこないよ。

原爆空襲で殺された何十万、何百万の人達の事ですらピンとこないでしょ

2008-03-13

宇宙一詳しいデビルマンのあらすじ 4/4

http://anond.hatelabo.jp/20080313111147←この続きです。

1.29.20 おじさんおばさん、ただいま!お帰りあきら君っていう情景を想像していたのに、玄関からちらりと見える景色はいつもと違う。

1.29.50 ヒゲヒゲ妻の死体を見る。どこで拾ったのか分からないけどパーカーのフードを被る。「おじさん」と言ったあと、右下を見て「おばさん」と言う。期待を裏切らぬ棒読み

1.29.55 上から(上ってどこ?)ヒロイン携帯がだらーんとぶら下がって落ちてくる。

1.30.50 画面が赤くなる。(恐らく、携帯をきっかけに、黒髪がデーモンとしての直感を用いてヒロインの最後を知ったことの象徴なのだと思う)

糞台詞:ヒロインの最後

ヒロイン包丁を持って「あたしは魔女よ!なめるな!」と言う。暴漢はヒロインの背中にピストルを一発。うつぶせに倒れたヒロインが一言。「あたしは魔女じゃない・・・」

糞台詞終了。最後は「アキラクーン」となって死亡。

1.31.00 黒髪「みきちゃん・・・ぅふうわぁ・・・はああああ」

1.31.05 ヒロインの生首が串刺しになって目の前に。

1.31.20 へあー。へあーへあーと三回叫ぶ黒髪。おまえ絶対にタバコ吸ってるだろ。肺活量と腹筋が無いに等しいので、何の迫力も無いシーン。

1.33.30 二分以上も延々とマネキンの首を持ってそこらへんをうろつく黒髪。荒廃してしまったかつての町を歩いている。まあ、ここまではっきりとCGって分かるとすがすがしいね。NHKの大人向け医学番組CGで今から赤血球の働きを見ましょう、って感じの景色の中を歩く黒髪。

1.34.20 教会に到着。町には建物が一つも無かったはずなのにガラス一枚割れていない教会。謎の教会。祭壇に生首を供えて一言、「みきちゃん・・・着いたよ。」

1.34.35 生首を撫でる黒髪。泣いてるって設定なんだけど、思いっきり目薬。ミーコを見習え。

1.35.15 ゆっくり祭壇から離れてくれ、と演技指導された黒髪は、混乱したらしく、ロボットダンスみたいな動きで祭壇から離れ、教会内の椅子にどすっと座ります。

1.36.10 ヒロインの「子宝に恵まれますように」のお祈りを思い出して、黒髪が薄笑いを浮かべる、どうした?と思ったが、どうやら泣く演技をしたいらしい。でも泣けない。ナス!泣けないんだから顔のアップはやめろ。

1.36.30 後ろから人の気配。振り向くと銀髪。そこで銀髪が一言「神はいたかぁ?」はいよくできました。

1.36.35 銀髪がコートを脱ぐと、下はスーツ。なぜぬぐ?人間は守る価値があったか、アキラ

1.37.05 黒髪が振り向きながら立ち上がる。そこで一言糞台詞。「おまえは最初からサタンだったんだな。おまえは俺をだましていたんだな。」・・・よく整理して考えてみよう。だますって、何について?銀髪が自分はサタンじゃないってだましていたってこと?いや、だましてないよ。最初から正体をばらしてたし。つうか、一時間二分五十秒のときにいってたよね。「サタンだから」って。ばか?いや、糞なんですよ。ナス夫妻が糞。

1.37.40 痴話喧嘩開始。新しい世界を俺と生きてくれってさ。

1.37.45 銀髪頑張る。「再び」両手を広げる。「デーモン世界を俺は目指した。」右手だけ胸に、左手は体側に。「しかし」右手だけ広げる。「人間の数は異常に多かった。」右手を元に戻す。「いくらデーモンをよみがえらせても」右手を広げる。「人間を滅ぼすことは不可能だった。」右手を体側に戻して、はい、がんばりましたねー。学芸会以下の演技指導でしたねー

1.38.35 銀髪「でも人間同士で殺し合いを始めた。笑えたね。」と言ってヒロインの生首のアップ。彼女の死の事も笑えたのでしょう。黒髪がキレる!そして一言「おれをころせぇ」、ってキレ無いの?

1.38.45 黒髪「おれあけ生かして、なんにあうー」カツゼツが・・・

1.40.15 例によって会話が成り立たないので要約。銀:俺と一緒に来い⇒黒:嫌だ、おまえを殺す(何故こうなる?)⇒銀:ならば俺がおまえを殺す。 こいつら幼稚園児です。何の理由も無く殺し合いをしているようにしか見えません。カツゼツが相変わらず悪いし。俺はデビルマンだぁらな!ってなんだよ。

1.40.40 見詰め合う二人。デビルマン、変身。サタン、変身。

1.40.50 二人の闘気がぶつかり合い、空襲を絶えぬいた教会が爆発し、教会の床が抜けて、実は床下には巨大な空間がありましたとさ。

1.41.00 いつものデビルポーズ。滅びよ、サタン。滅ぶのはおまえだ、デビルマン

1.41.10 バトル開始。どうでもいいです。いろいろな人がプレステのオープニングだとか、色んなことを言ってますが、一言で言うと、価値の無い映像。二言で言うと、ありきたりで安っぽい映像サタンビーム系の技。デビルマンは直接当てる技です。よく引用されてる「地球を割る」って技は1.42.00にでます。地面がぴしぴしなるだけです。

1.42.10 デビルポーズ。ここで、地割れが起きます。さっきの技とは無関係だと思います。

1.42.45 どちらの攻撃も有効打は無く、地球の一割くらいが炎でできたキノコ雲に覆われます。

1.43.00 荒廃したニューヨーク自由の女神夕焼け

1.43.30 人間が塔のように重なり合いながらうねっています。(人間竜巻?)私が読んだことがあるのは文庫本デビルマンだけなので、原作でのこの塔の位置付けは良く分かりません。というか、ただ、出したかっただけなんだろう、ナスの場合。

1.44.00 その更に上空でサタンデビルマンが対峙してます。サタンデーモン軍団をつれています。デビルマンは隕石みたいなのに乗っています。

1.44.20 ほわーと言いながらデビルマン、青い炎に包まれて巨大化。それを見るサタンの目に涙。

1.44.35 ここでも「滅びろ、サタン」と言って、青いまま特攻。ザコデーモンは全員死亡。サタンは耐えます。

1.44.50 炎を使い果たしたのか、デビルマンサタンが右のミドルキックデビルマンは右ストレートデビルマンの胴体が削れます。

1.45.05 ぐおぐおいってたデビルマンが、空から落ちます。落ちながら黒髪に戻ります。黒髪になってもぐおぐお言ってます。

1.45.15 回想シーン。黒髪の餓鬼と金髪メッシュの餓鬼が、海辺で砂の城を作り終えたところです。

1.45.45 雨が降ってきたので、二人が自分達の体でその城を守ろうとしているところで回想終わり。

以下は、あの有名なラストシーン

1.46.10 黒髪、生きてます。目を開けます。きょろきょろします。岩の上で仰向けになっているようです。

1.46.20 岩の下から銀髪が這い上がってきます。

1.46.40 アキラ、リョウ、とか言い合ってます。わざとらしくぶほっと血のりを吐く黒髪。

1.46.55 銀髪「死ぬなよ、生き残れよ。デビルマンだろ。」

1.47.15 黒髪「おまえが生き残ればそれでいい。」・・・この人の発言の意味がわかりません。何故こんな台詞を言わないといけないのがが分かりません。で、そのまま黒髪は目を瞑ります。

1.47.20 銀髪が名前を呼んでも黒髪は返事をせず、黒髪の下半身に目を向けると・・・

1.47.50 下半身がやばいことになってる、と。二人無言。

1.46.00 銀髪が吐血。え?サタンなのに吐血?ナスにとってのサタンってのはいったいなんなのでしょう。かつての神と同じことをしようとして、しかし、愛を持っていたゆえに失敗してしまった堕天使、ってのがサタンなんじゃないの?まあ、どうでもいいや。

1.48.15 「まってろよ、アキラ、すぐ行くぞ。」と銀髪。

1.48.30 それを聞いた黒髪が、死んだはずなのににやっとわらって、それをみて銀髪もひひひひと笑う。

1.48.40 真っ赤な月の下、銀髪の笑い声が響く。「明が笑った。ふひふひふひ」

以上、原作の有名なラストシーンリメイク

1.48.50 崩れたコンクリートの壁にもたれかかって座るミーコ。

1.49.04 「おねえちゃん!」とススムの声が聞こえると虚ろだったミーコの表情に生気が戻る。ススムがミーコに駆け寄る。

1.49.20 「何を見ていたの?」とススム。「心の中を見ていたの」とミーコ。アホか、ナス妻。心の中ってなんですか。ミーコは、地球平和だった頃の海、空、森を思い出していたらしい。と、語りながら涙をこらえるミーコ。

1.49.30 泣きそうになるミーコの顔をみて、ススムがボソッと言う。「そんなとこ、もう無いよ。」

1.49.50 表情を引き締めるミーコ。頬には涙が一筋。ススムと見詰め合い、「生き延びるのよ。私達だけでも」

1.50.10 手のひらを握り締める。その中にはヒロインが渡した口紅。「牧村さんと約束したんだから。」「うん」とススムも表情を硬くしながら言う。どっかのアイドルの歌がBGMに流れる。

1.50.25 ミーコが立ち上がり、続いてススムも立ち上がる。口紅を握り締めたミーコの掌をススムがその上から握る。

1.50.30 二人が手を繋いで、このペースで歩いてねーってのはナス陰謀だな。だって、危機管理としてなってないじゃん。こんなヨチヨチ歩くなんて、普通想像力ではありえない歩き方。かわいそうな二人。せっかくの感動シーンを台無しにするナス

1.51.00 二人は今までいたコンクリートの残骸の出口に立つ。画面がセピア色になる。カメラがぐーっと引いて、周りの荒廃しきった景色を写す。周りに人間の塔(人間竜巻?)が山ほどある。

 THE END

映画デビルマンの悪評を聞いて、どれだけバカな映画かを見に行きたくなってしまった人は、上のあらすじを読んでうんざりしてください。

追記。(2005年6月10日)

東映さん、怒ってます?

これから一生東映映画を私は見に行かないので、(東映映画に関しては「観る」という漢字を使わずに「見る」という漢字を用いますよ。ポリシーの問題です。)べつに怒ってくれても全くかまいません。怒った後にきちんと反省してください。(どれほど反省したとしても私はこれから先一生東映映画を”見に”いきませんが)

一番嫌な状況は、東映から圧力がかかってこのblogそのものが消えることです。

圧力のかけ方として、一番考えられるのは著作権違反を理由とするものだと思うので(何せ宇宙一詳しいあらすじなので、翻案権に関してはかなりやばい。抗議を受けたら必ず消される。)、東映と対立することは全然平気なのですが、blogが消えるのは凄く嫌だ。

以下、考えました。頑張れ、自分。

この文章は著作権違反になるのだろうか?

翻案権は完全に侵害しているけれど、その上で引用をしているので、少しだけ状況が複雑なのだろうと思う。

血液型と性格」事件の判示(東京地裁判決平成10年10月30日、学者の間でも評判は悪くない)によると

新たな言語著作物創作する上で、他人の言語著作物の全体あるいは相当広い範囲の趣旨を引用する必要のある場合があるが、その場合、それを原文のまま引用するのでは、引用の名の下に他人の著作物の全部または広範な部分の複製を認めることになり、その著作者の権利を侵害する程度が大きくなる結果となり、公正な慣行に合致するものとも、正当な範囲内のものともいえなくなるおそれがある

とあり、

簡単に言うと、

映画のワンシーン・ワンシーンに突っ込みたいとき、

<1>映画そのものを皆さんに配布する

<2>映画そのものは配布せず、自分で翻案・要約した文章をオマケとしてくっつける

の2つの方法が考えられ、

それなら<2>の「要約引用」で行った方が良いんじゃない?みんなやってるし、普通でしょう?

ということです。

ちなみにススム君ピンチのシーンは一切ネタバレしてないよ。

あのシーンは「映画」だったからね。

つまり、必要な部分だけしか引用していないのです。

以上から、私の文章は、著作権法32条1項引用の場合の著作権行使の制限)の適用を受けるので、著作権を侵害していないと言える。

のだと思います。そう思いたいです。

blog人のサーバーが落ちるたびに、

うお、もしかして私のブログが消された?東映から苦情が来たのか?と自意識過剰な不安に駆られるのです。

今日、つれづれなるままに考えてみて良かった。

多分、(多分、としか言えない。何せ要約引用判例なんて、ましてや映画の翻案に関する判例なんて、かなり少ないし多分存在しない。)、私は不正なことをしていない。

だれかエロイ人、詳しいこと教えてください。(txmailjp☆yahoo.co.jp(☆を@に変えてください))

2008-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20080115224904

ちょっと成人時期が戦中だっただけで、学校にも行けずに兵士になってジャングルでのたうちまわったり、銃後にいても空襲食らって家族が全滅して何年もホームレスをやらざるをえなかった奴らのことどう思う?

一生のうちに戦争やら社会不安を体験しないで済んだ幸運な人は団塊の世代ぐらいだよ。なぁに、今幸せそうにしてるゆとり世代中国人メタメタにされる時代が来るのさ。たぶん。

2007-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20071004224441

じいちゃん(over90)が生まれ育ちが神田なんだが、

じいちゃんみたいな訛りで喋るひとは東京に住んでいて聞いたことは無いよ。

ひがいえなくてしになるとか。

あの世代の江戸弁なんてもう死に絶えてるんじゃないか?

あそこいらに住んでた連中は実際東京大空襲で相当焼きだされてるから、

もういねぇって話しだと思うんだ。

自分のいる街は震災やら、空襲やらのたびに焼きだされたひとが逃げてきて育った街だけど、

そんなところでさえそんなだからほかんところもそんなじゃないの?

2007-08-16

うろおぼえだが

  • 観艦式でのかっこよかった軍艦と父親の姿を思い出しては「くろがねの歌」を勇ましく歌う。
  • 空襲時の火事場泥棒の帰りには「燃えろ燃えろみんな燃えちまえ」と叫ぶ。
  • 夢にも思わなかった日本の敗戦を耳にしたとき、連合艦隊全滅=父親の戦死の現実を突き付けられ愕然。

anond:20070815010443

2007-08-11

火垂るの墓』に対する米Amazonレビュー 低評価版

A Successful Failure - 『火垂るの墓』に対する最も参考になる米Amazonレビュー

あんまり高評価のばかりでもバランスが悪いので、そうでないのも訳してみた。

エントリ下部に追記あり:8/12)

53 人中、15人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

「とても失望した・・・」2003/11/4

By "cgharoth" (Richmond, VA United States)

私はこの映画を「世界各国の批評家に賞賛された力強い反戦映画」というAmazonレビューどおりのものと期待して購入した。確かにこの映画人間の本性のあまり感心できない部分について描いた映画として見る事が出来るが、その内容と演出は反戦映画とはとても言い難いものだ。

この映画空襲によって家を壊された少年とその幼い妹についての話だ。もっとも、オープニングの場面で既に、最後には彼らは二人とも死んでしまうことが明らかにされるのだけれども。

映画の初期の場面では、少年とその妹は親戚の家に滞在しており、その親戚はあからさまに彼らの滞在を疎ましく思っている。

少年は妹と遊んでいるだけで仕事をすることを拒否している(これがその親戚が彼らに家と食べ物を提供するのを嫌がっている唯一の理由だ。)のだが、彼が自分自身の扶養を助けるのではなく家を出ることを決めたことは、悲劇的なこととして描写されている。公式の解説では、彼の最も口うるさい叔母が彼ら2人の扶養を嫌がるのは「欲張り」だとしているが、これは戦争のこの段階においては食べ物と資源が不足しているという事実を無視している。彼女少年に頼んだことは、村を助けるために、彼が与えられている食べ物避難所の分の働きをしてほしいということだけなのだ。

映画の後半では、彼の妹が栄養不良から病気になってしまう――これは最も悲しい場面とされていて物語の転換点でもあるのだが――しかしその演出効果は、少年が単純に親戚に謝ることも出来たという事実によって台無しになってしまう。親戚は彼が戻ってくることに対して良い顔はしないだろうが、しかし確実に戻ることは許しただろう。ある農民は少年をそう諭しさえしたのに、彼は戻ることを拒否した。その後に起きたことは他の誰の過失でもなく、彼自身のものだ。

この映画を見ていて唯一私が心に抱いた感情は、少年が彼のプライドを捨てて妹の命を救おうとしないことに対して募っていくフラストレーションだった。映画において、登場人物が自身の命をいつでも救うことが出来るのに、それを拒否することほど痛ましいことはない。

この映画戦争に関する非常に偏った描写は、物語が進むにしたがってその筋書きがより戦争とは関係のないものになっていくことで更に不鮮明になっていく。

公式の解説で用いられている「(戦争犠牲者が耐え抜いた不必要な苦しみ」という言い回しも、この物語に関する不正確な説明の一つだ。少年とその妹の苦しみは確かに不必要なものだったが、しかしそれは少年がその苦しみをいつでも止められたという意味においてだ。戦争は、彼自身の判断――プライドを捨てて仕事を分担するのではなく、苦しんで死ぬことを選んだこと――とは何の関係もない。



追記(8/12):

こういう背景も↓

このレビューの指摘はもっともであるし、評者は正しくこの映画テーマを読み取っている。しかし、それをもとに映画の評価を下げるのは間違っているのではないか。

なぜなら、この映画パンフレット自体に、野坂昭如自身が、評者と同じことを述べているのだ。・・・

「火垂るの墓」に関する低い評価(米Amazon) - ちょさかのひとりごと

(ぶくまページ経由)

2007-07-10

うちのおばあちゃんの人生淡々と書いてみるよ

地方の豪農の妾の子として生まれる。

 ↓

母と一緒に東京で育つ。

 ↓

第2次世界大戦。地方の父の元に疎開することは出来ず、東京大空襲などを生き延びる。

 ↓

終戦と同時に跡継ぎが死に絶えた本家に無理やり呼び出される。詳しくは知らないけど空襲かこのあたりで実母とは別れたらしい。

 ↓

本家の跡取り娘として、本家の老人たちが決めた男と婿取り結婚させられる。

 ↓

無理やり結婚させられた夫はDVで、ちゃぶ台返しとかされる。

 ↓

当然本家の義理の母(父の本妻)には意地悪される。

 ↓

本家の奥としてせめて豊かな暮らしが出来るかと思いきや、農地改革で土地をほとんど取られ一気に貧乏生活に。

 ↓

二男一女をもうける。

 ↓

創価学会にはまって元気になる。

 ↓

子供たちが結婚して孫も生まれる。

 ↓

本家の義理の母(父の本妻)もやっと亡くなり、ますます元気になる。

 ↓

選挙前にはもっともっと元気になるようになり、子供や孫たちに選挙活動電話をかけてくる。←今ここ

なんだかんだいって、うちのおばあちゃんにとっては創価学会は救いだったんだろうな。

2007-07-08

戦争に兵隊として行くとか行かないとか、

テレビを見た。

戦争に行ったら死んじゃう。行かないでと言っていた。

戦争に行かなくても、戦争になったら、敵が攻めてきて死ぬと思う。

また、テレビを見た。

戦争になったら志願する。と言っている人達がいた。

戦争に行きたくても、兵役検査に、合格しないのではと思った。

それから、話をする。

大体の人は、戦争と言うと、B29で空襲とか、原爆とか、地上戦とか。

そういうイメージが強くある。実際、戦争被害者になる確立の方が高いけれど。

だから、大体の人は戦争に反対するんだと思う。

多少の不自由はあっても食べる物や着る物に困らず、自国領土への被害がなければ。

大体の人は、戦争もやむなしという考えに変わるのではないかと思えてきた。

2007-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20070703033821

高齢化社会で、まだまだ原爆だとか空襲に遭った人も

たくさん生き残っているからねぇ。

自民党議員も一人だけだが辞任要求してるし。

誰かに責任取らせるとしたら

一番取らせやすそうなのが彼だからかなぁと思った。

2007-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20070701124108

まさか、これ以上一般市民が虐殺されては堪らないから白旗揚げました??なんて本気で思ってんの?

きゅうまを批判する人は虐殺いくないと思って批判してるんでは?と言いたかったわけで当時の日本政府がそう思ってたかまでは知らない。

ただスターリンの自国民への扱いを見るとソ連日本が占領されてたら数十万数百万の死者が出ててもおかしくないかもとは思うけど。それに空襲沖縄戦の後も降伏しなかったのだって結果論からいえば、そのほうがましだっただろうけど、平気で街ごと一般市民を殺しちゃうアメリカに占領されるのは当時の人から見れば恐ろしいくてできなかったんでは?アメリカの占領統治がそれほどひどくなかったというのは現在の人だからわかることで当時の人は何されるかわからなかったんだし。

2007-05-21

[][][]無能ならば歓待せよ。

隣国を援助する国は滅びる。マキャべリ

国家間に真の友人はいない。シャルル・ド・ゴール

B-29 P-51本土空襲 - YouTube

Suppressed U.S. Military Film on the Medical Effects of the U.S. Bombing of Hiroshima and Nagasaki - YouTube

30年以上隠されてきた映像 / アメリカ軍によって撮影された広島・長崎の原爆被害者を映した映像が公開される

広島・長崎への原爆攻撃の目的の一つ「人体実験」 ”被爆者を「治療」せず「実験動物」のように「観察」” - 原発問題

原爆傷害調査委員会 - Wikipedia

中国兵法書六韜(りくとう)」

「交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が有能ならば何一つ与えず返せ。

 交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。

 そうすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。

 そしてやがては滅ぶ」

[六韜][友人][友達]仲間の多い人間とは腹黒い人間。

太平の世の中では財の豊かな者門閥に支えられた者がわが世の春を謳歌

組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられない

日本軍は「やる気を見せること・積極性」が組織内の人物評価として重視され、戦果や失敗責任については考慮される比率が低い集団でした。この歪んだ人事評価制度はのちに、無謀な作戦を実行し責任を取らない人物を日本軍の内部に増加させてしまい、敗北を決定的にします。

勝てない提督や卑怯な司令官をすぐさま更迭した米軍

はてなブックマーク - 気に入らない人間を潰す方法(社内政治で潰されないための知識) - @fromdusktildawnの雑記帳

魚住昭「官僚とメディア」

あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞責任はどうなんだ。

あのとき新聞の論調は我々が弱腰になることを許さなかった。

我々だって新聞にたたかれたくないか強気に出る。

すると新聞さら強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」

この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、

私はそれまで新聞軍部圧力に屈して戦争に協力させられたのだと思い込んでいたからだ。

それが事実でなかったとしたら、私たちが教えられた日本ジャーナリズム史は虚構だったということになる。



国会議員は六韜には関心はないのだろうか:イザ!

[六韜][友人][友達]仲間の多い人間とは腹黒い人間。

【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】

[孫子の兵法][兵は詭道なり]

Amazon.co.jp: マキアヴェッリ語録 (新潮文庫): 塩野 七生: 本

「次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。

第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。

第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない」

政略論 211頁

チャーチル「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」 : メカAG

チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。

しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。

すると議会は、いままで以上の要求をしろという。

無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、

「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。

イギリスの三枚舌外交

フサイン=マクマホン協定 - Wikipedia

サイクス・ピコ協定 - Wikipedia

バルフォア宣言 - Wikipedia

側近を見れば、君主の頭の良し悪しが分かる

ニコロ・マキャベリ

ニッコロ・マキャヴェッリ

其の人を知らざれば、其の友を見よ。孔子

自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー

成功するのに実力なんて半分くらいしか影響しない。残りの半分は人との駆け引き。

POLAR BEAR BLOG: 第二次世界大戦中のライフハック「仕事を進まなくさせる8ヵ条」

2007-03-10

東京大空襲

90歳を超える祖父からは戦争最中も終わったあとも生きぬくだけで精一杯なんだ。

命があればそれでいいんだ。

そう聞いて育った。

東京大空襲について国への責任を問う裁判がなされるようだ。

戦前日本において土地はそれほど価値のあるものではなかったし、お金を生むものでもなかった。

資産家だった祖父の父は下町を中心に100件近い長屋を所有していたそうな。

当時は建物の方が価値があったそうな。

年寄りの言うことなので話し半分に聞いているけど、すごいなと思う。

祖父は資産家だった父よりお金を借りて土地と借家を数件。そして国債をありったけ買った。

戦争が始まり国債は紙切れになり、空襲実家爆弾の直撃ですり鉢になった。

命は助かった。実家はなくなった。長屋はもはやどうなったかも知らない。

いままでやっていた貴金属関係生業は国から禁止され続ければ逮捕された。

慣れない商売を転々とし家族を食わせるのに精一杯だった。

戦後の混乱期の苦労話しや、保証もなくすべてがなくなった当時の話しを聞いていると自分にはあまりに理不尽な話しだと思うし、やるせない。

国に保障をもとめたくならないのだろうか?

食うのにも苦労した祖父母からは悔しさの念は感じられない。

生きてこれただけで感謝している。

そうニコニコ笑う何か超越したような祖父母を見て、戦争はできればしたくないものだなと思う。

環境の変化のせいで不幸になるなんて私はとても許容できない。

世界が平和でありますようにと願いたい。

こういう老人の話しはビデオかなにかで記録しておいたほうがいいのかな。

史実と化した有名人ガキの頃の悪さとかがポロリ出てくるんだよね。。

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