はてなキーワード: 悪党とは
民間軍事会社を経営する実子が出来なかった老夫婦は、赤子をさらい養子にし、訓練を施して後継者とした。桃太郎と名づけられた赤子は、継承した資本力を活かし、犬・猿・雉を僅かな賃金きびだんごで雇い、鬼を倒して財宝を接収し、名を成した。老夫婦は引退後の生活と身分が保証されたと喜んだ。
だが、桃太郎のみが名声を得、その兵卒であった自分たちが省みられないことに、猿は不満であった。桃太郎が得た財宝に対し、自分たちの取り分があまりに僅かであったことに、犬は不満であった。そんなある日のこと、雉は老夫婦の会話を盗み聞きしてしまい、桃太郎の出生の秘密を知ってしまう。正義感の強い雉は、義憤に駆られた。
雉は、犬と猿をつれて、老夫婦を成敗するのであれば、我々が助太刀すると桃太郎にもちかけた。桃太郎は答えた。なるほど、老夫婦は悪人であり、どうやら自分は被害者だ。しかし老夫婦がその悪事を行わなければ今の自分の地位はなく、さほど恨む気にはなれない。犬は、老夫婦の取り分を山分けできると、付け加えた。桃太郎は答えた。なるほど、老夫婦の富を山分けにすれば大きな利益だ。しかし、悪人とは言え育ての親、親殺しの悪名は避けられない。それを聞いて、猿がけたたましく提案した。ならば犬と雉と私が誘拐犯として老夫婦を誅殺するから、それを見守って欲しい。ただし悪党討伐の栄誉は我々だけのものだ。桃太郎は、じっくり目を瞑って考えたあと、それを了承した。
3匹は、すぐに老夫婦を討ち取った。陰で見守っていた桃太郎は、手勢を引き連れ出てきて刀を抜いた。雇い主に刃を向ける不埒な輩、今すぐここで成敗してくれよう。3匹は話が違うと慌て、老夫婦は誘拐犯だったと申し立てた。桃太郎は、被害者でも無い3匹が、勝手に私刑するのは話がおかしいと否定した。3匹は観念して桃太郎に言った。我々に老夫婦を誅殺させてから、我々を討って財を独占するつもりであったとは、とんだ独占欲の塊よ。桃太郎は涼しげな顔で答えた。資本家は三手先を読んで動く。二手先を読めない労働者風情は、モノ化され、賃金の鉄則に甘んじるべきであった。3匹は浅慮を嘆く間もなく、成敗された。
満面の笑みの桃太郎。ところで、自分はどこからさらわれたのであろうか。体格は、老夫婦どころか人間離れしている。性格は、冷酷な決断を辞さない自覚はある。良心の呵責は無い。犬・猿・雉の最期を思い浮かべると、心躍る。産みの親がどれほどの傑物か、聞き出せなかったのが残念だ。最近ひたいに出来た瘤を触りながら、そう呟いた。
「オマケ目的で献血」が遂に「偽善者でもない悪党の集団」にされた件
https://togetter.com/li/1451886
キモヲタにしてもな、40以上の昔献血においてグッズなんてなかった頃から常態的にやってるやつなんてのは必要だ。
Oo。(●´Д`● )y-~~~
グッズ目当ての自己中なんて捨ててしまえ。ゴミの山に埋めてしまえ。社会に必要ない。— D_chan!🥞(イクラの勢力) (@MEchantypeb) 2020年1月3日
関連:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E8%A1%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AE%E8%A1%80
何でこの人達この様な少し調べれば、間違いや嘘である事を平気で口走ってしまうのだろうね?
それこそ当時売血問題は黄色い血等で大問題になったし、その後も図書カードや生活品で献血をお願いしたりと試行錯誤を繰り返していた事自体、多くの人が知っている事なのにね。
無知であるか知っていて嘘をついているかは判らないけど、どちらにしろ普段全く献血に興味がなくて騒いでいる事はこの時点で明らかになっているんだけどね。
正直、普段表現の自由を盾にしている漫画家が著作権においてダウンロード違法化拡大やリーチサイト規制を押し進めている時点でこいつらの擁護自体余りしたくもないのだけど、フェミやリベラルが余りにも余り過ぎて、これは否定せざる得ない。
何せオタク以外の医療従事者や献血を必要とする人達にまで、本当に迷惑をかけているからな。
棘で指摘されている通り、引くに引けなくなったのだろうけど、この問題いい加減に騒げば騒ぐほど、そして妨害すれば妨害するほど、リベラルやフェミ自体世間からの評価が下がり続ける事をいい加減意識した方が良いよ。
しばらく津波に流された後、私は運良く瓦礫の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると、釘や木が刺さり足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。
右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私1人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り一夜を明かしました。
そんな体験から今日で4年。あっという間で、そして、とても長い4年間でした。家族を想って泣いた日は数え切れないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが今もまだ夢のようです。
https://logmi.jp/business/articles/43361
迷惑じゃなくて感謝しかない母親であっても、いざ自分がピンチになれば俺もお前も結局は肉親を見捨てて逃げるのだ
それが俺もお前も日本人の全員