はてなキーワード: 小山田とは
ここ最近になって「いじめは犯罪行為」 という当然の認識は広く共有されるようになったが、
どうも万引きやスリなどの窃盗や器物損壊、 或いは不良同士の喧嘩のような「若気の至り」とされやすい類の犯罪と同一視されているような印象を受ける。
見当違いもいいところだ。 いじめと同一視されるべきは性犯罪である。
長期にわたるいじめは、 被害者のメンタルに大きなダメージを与え、 その後の人生に多大な悪影響を及ぼす。
多くの被害者は対人恐怖症となり、 社会生活に支障をきたすし、 運良く社会復帰した被害者もささいな切っ掛けでフラッシュバックを起こし苦しんでいる。
メンタルを不可逆的に破壊するという点において、いじめと性犯罪には多数の共通点がある。小山田圭吾は実質的に「強姦に等しい罪」を犯した人物なのだ。
さて、仮に小山田が雑誌のインタビューで「高校時代に障害を持った女子生徒を強姦した」と自慢げに告白し、
その後今回の様な謝罪文が公開されたとして、 それを読んだあなたは小山田を許せるだろうか?
許せるのならばそれでいい。 それ以上私からは何も言う事はない。
過去に性犯罪を犯した小山田が出した謝罪文は許せない、 と感じた人は深く考えてほしい。
なぜ、メンタルに深い傷を負わせるいじめは許せるのに、 同じようにメンタルを破壊する性犯罪は許せないのか。
「いじめでメンタルに負う傷なんて大したことない」とたかをくくっているのか。
同じように「性犯罪でメンタルに負う傷なんて大したことない」と言われたらどう思うのか。
両者に差をつけようとするのであれば、 深く考えてみてほしい。
ていうか晴れた気持ちいい夏の昼下がりに小山田うんこ、坂本リコン怪しからんとか
増田に書き散らすのが何か人間的な高学歴とか教養にあふれた振る舞いだというのなら
教養ケツ食らえと思うなぁ。
それに人間性はクズだけどそのクズさも一種のスパイスになる作品ならまだ許容される。ロマン・ポランスキーやフィル・スペクターとかね。被害者はたまったもんじゃないけど。
坂本龍一も間違いなくクズではあるが、クズゆえの人間性を捨てて作品のみに向き合った海原雄山みたいな解釈は可能。あと昔から左翼思想は隠そうともしていなかったので、アナーキスト的平和観や人類愛には比較的相性がいい。戦争をなくそうとか原発をなくそうとかね。
そういう意味で小山田の今回の件はテーマがやばすぎる。健常者も障碍者も健全にたたえるスポーツや人類愛を語る資格は外道の小山田にはさすがにない。
いや、普通に許せなくていいでしょ。許す空気になるのが耐えられないのも悪いことじゃないでしょ。
あぁいう形で謝罪が出ても許せないし納得いかない人間がいるって表明することにも意味はあるでしょ。
ブコメで小山田が社会的に抹殺されても増田に得はないって書かれてたけどさ、でもマイナスは打ち消せるでしょ。社会的抹殺はどうかとも思うが、ああいうことをしたと表立って語った人間が一定の地位を失って「許されないことをした」と認識され続ける(叩かれ続けるのとは違う)のは、少なくとも世の中がこの件で増田を脅かさなくなるってことなんだから。
(ついでに言うなら、「謝れば許してもらえる」って考え方も世の中から減りはするでしょ)
というか、社会とか世の中がどうあれ、増田が許せないと思うのを外野がとやかく言うことじゃないし、増田がその感情を抱え続けるのも(その後どうするかも)増田個人しか左右できないわけだし。
ほんとにそうかなあ。
日本でも他のアジア諸国でもだけど求められているのは反省を可視化するための手続きだと思うよ。
精神の部分に異常にこだわるのは悪目立ちする活動家みたいな人だけ。
パラに関わるわけではないとわかって落ち着く人もいる。
実際に精神の部分は関係ないよね。反省の手続きが行われたかどうか。
元増田の「許す」についてだけど。
手続きとしての禊が済んだと見做すとか武士の情けとして温情をかけるとか「許す」とは関係のない受容がいくつもあるので、社会的には形式が重視されているんだと思うよ。
当然その形式を逆手に取る人は出てくるわけだけど、そこを追求しすぎても社会的な利益がないという判断をするのが一般的な考え方だよ。これは形式的なものを受容することで、社会が罪を共有したとか内面化したとかというスタンスだろう。
ただし、直接の被害者は別。直接の被害者が心の中を整理する過程は社会とは距離ができるのが当たり前。
被害者に過剰に感情移入する人は、社会に対する形式的手続きを受容する性質がない。想像上の被害感情に基づいているのだから、追求することを延々と止められない。
加害者が被害者に対してする手続きと社会に対しての手続きは別のもの。
あくまで可能性だが、退場を求めない場合の倫理的な問題以外のメリットデメリットを整理してみた(ほかにもあれば追加よろしく)。
あくまで可能性だが、退場を求めない場合の倫理的な問題以外のメリットデメリットを整理してみた(ほかにもあれば追加よろしく)。
本気で言ってるなら、仕事してない人かまともに仕事できてない人なんだなって思っちゃう
批判するなとか怒るなって言ってるわけじゃなくて、実現可能性や段取りやそこから派生する影響の大きさみたいなものを全く想像できないんだろうなって。
小山田圭吾自体も90年代サブカルも詳しくないが、より広い背景には男子の世界ではほぼ絶対的な真理として存在する、「『られっ子』に見られたら人生詰む」があったと思う。中高時代の違法行為を自慢げに語る奴がそこそこ多いのとは逆に、何一つ悪くない「られっ子」の経験は絶対に語られることはなく、ほとんどの場合墓場まで持っていくことになる。たぶん小山田自身も「られっ子」時期があり、またそう見られがちなボンボンのひ弱キャラだったようなので、逆のイメージを提示しようとあのようなインタビューを得々と語ってしまったのだと想像する。
小山田圭吾は許し難いが、当時のとんねるずやダウンタウンのバラエティのほうが、ゴールデンタイムの全国放送ということを考えれば、それに全く劣らず酷かったと思う。2000年代以降、ダウンタウンは自らもケツを叩かれ後輩からイジられるという方向に軌道修正して人気を維持したが、とんねるずはまったくできずにテレビのレギュラーがなくなった。今でも石橋や木梨の顔を見るとチャンネルを変える。