はてなキーワード: カルピスとは
組織運用としては正しい。特に重要なのはマイクロマネジメントしないってとこだわね。
稼ぎ頭のFGO同じくゲームシステムがクソなところを、ま・・・・ったく改善せずに、毎イベントで更にクソなゲームシステムを追加してきてユーザーを混乱させている時点で、この記事で言う衰退が目に見えていますね。
今回のイベントはキャラクター重視という点でまあまあ評価できるが、すごろく、潜水艦はクソすぎてやる気起きないって人が、自分の周囲はほぼ全員でしたね。
ゲームってのは繰り返して慣れるもんなんだということと、そんな毎度目新しいことについていけんのだということをまったく理解せずしていない時点で意識が高い人材すぎる、その上、特殊戦闘システム作ったのに活用しないで放置。
書いていて思ったのは、そういう技術とアイディアはあるから上司からはアイディアマンに見えて優秀に見えるけど、ゲームという空いた時間でやるものにユーザーが求めてることが一切分かってないタイプが集まっているのかなあと。
FGOの本ストーリーも、稼ぎ頭で終わらせられないから、なんとかカルピスを薄めるように引き伸ばしてる感が否めませんわ。サクラ革命は薄める間もなかったけど。
引き伸ばしているうちにウマにユーザー奪われてるんだから、さっさと本ストーリー終わらせて会社も解散という手を取った方がいいんでねえかなあと。
これまでの立派な成果を、水で薄めながらカルピスみたいに美味しく活かしてゆくのネ。
現代の正しさは
・人に迷惑をかけるな
・他人を変えようとするな
「コーヒーいる?」と聞かれたら「ありがとう。要らない。今後も一切聞かなくていいよ」と答えるのが正しさだし、「コーヒーいる?」と聞いて相手から感謝の言葉が出てこなければ、次から二度とコーヒーを入れないことで感謝されない不満を解消するのが正しさだ。間違っても「コーヒーいるか聞いてあげたんだからお礼ぐらい言えよ!」などと言ってはいけない。不満を感じても、他人を変えようとするのではなく自分の行動を変えるのが正しさだ。そして、間違った人間とは「距離を置く」ことで正しい世界に生きる。寛容、不干渉が正義である。
しかし、子育ての場面ではこの現代的正しさは通用しない。「カルピス飲む?」と聞いて、お礼も言えない子供だからといって距離を置くのは正しさではない。子育てにおいては、子供という他人を変えようとしなくてはいけない。何度でも「カルピス飲む?」と聞かなければならないし、その都度お礼を言うように注意しなくてはならない。善意に対して感謝されない不満も、他人を変えようとするという骨が折れる手段で解消しなくてはならない。
周知の通り、他人を変えようとするのは物凄く骨が折れる。三つ子の魂百までというように、子供だからと言って簡単なわけではない。
あるいは、思い出せないからこそ印象に残っているのか。
そういうものが二つある。
小1〜小3まで、俺は剣道を習っていた。もう20年以上も前のことになるか。
毎週水曜と土曜の夕方から小学生達が集まって稽古をするんだけど、
終わるのが19時過ぎとかなので、どこの子も親が迎えに来てくれた。
だからお母さん達がお迎えがてら子どもたちにジュースを買ってきてくれる。
それもわざわざクーラーボックスに氷を詰めてそこに入れて持ってきてくれるもんだから、それはそれは美味かった。
果汁とかが入っているタイプではなかったように思う。
サイダー系か、あるいはカルピスソーダのようなホワイト系か、そのどっちかだと思う。
350ml缶で、青とか白とか爽やかな色合いがベースの、水玉模様のパッケージだったことは覚えている。
ただただ、疲れた体に流し込むのがめちゃくちゃ美味かったということを覚えている。
初日は全体行動で、清水寺とかの王道なルートだったと記憶している。
で、翌日、班行動の日に行ったお好み焼きの店が、美味かった。
いや、食べ比べとかをしたわけではないので、平均と比べて美味いか不味いかの判断はできないんだけど、
そのとき初めて食べた関西のお好み焼きだったから、うまいな〜っつって食べたんだよ。
ただ、それがどこのなんて店か覚えてない。
その日行ったスポットとしては八坂神社や三年坂とかそのへんだから、
グーグルマップで近隣のお店を探してみたんだけど、あんまりピンと来ない。
お店の近くか真ん前は坂道になってたような、お店の前の道はそれなりに広いけど人通りも車通りも少なかったような、
なんとな〜く、ぼんやりとだけど記憶に残っているけど、曖昧な記憶なんて当てにならない。
店内はこじんまりしてて、座敷とカウンターとテーブル席があった‥‥ような気がする。たぶん。細かくは覚えてない。
おばちゃんが会計とかしてくれたのは覚えてる。気のいいおばちゃんだった。
「美味しかったです、また来ます」なんて言っておいて、15年も行っていないわけだから、ずっと引っかかっている。
もう何年も、十何年も頭の片隅にいて、時々思い出して調べたりしては、見つからずに諦める。
前者はもう廃盤商品かもしれないし、後者はもう店を閉めてしまったかもしれない。