はてなキーワード: 西郷隆盛とは
みなさん夏の終わりに痴漢が増えるという統計はご存知でしょうか?
頭のてっぺんがハゲたロンゲのおじさんがママチャリ漕ぎながら近づいてきて
おっぱいを軽く触れて猛ダッシュで逃げる事案が多発。
落ち武者おじちゃんの相性で親しまれている。
パッと見ジョニーデップ風のイケメン白人が自慢の巨珍をジョギングパンツからハミ珍させて
澄ました顔してランニングしている事案が多発。
バルセロナのメッシのTシャツを来たおじちゃんが自慰行為をしながら
野球中継をラジオで聞きながら1人でヤジを飛ばしている事案が多発。
ワンカップ大関の瓶にイチモツをいれてしごく姿が目撃されている。
その出で立ちが西郷隆盛に似ている為に
風評被害が予想される鹿児島県からはクレームが寄せられている。
「奇兵隊」とは何ぞや、なんて、やりあったらしいじゃないの。
だけど、実際に、明治維新が何だったのか、
司馬遼太郎を読んだくらいじゃ、ほとんどわからない。
刀を振り回して、改革ダー! と叫んだって、
運がよかったら、高山彦九郎くらいにはなれるかもしれんが、
大久保利通は絶対無理だ。
廃藩置県と秩禄処分だと思う。
若干の涙金で廃止してしまう。
それがなぜ可能だったか。それは、日本全国が「夕張」だったからなのよ。
どこの藩も借金で死にそうだったからね。
一足先に、自主的に廃藩してたところもあったくらいだ。
今の日本は、まだ墜ちきっていないのよ。
だから田沼意次とか松平定信みたいな、制度の枠のなかでの改革しかできない。
ギリシャでは、76ある州を13に、1000を超える自治体を300にするらしいけれど、
だから、徳川末期みたいに、あと二十年だか五十年だかは、
残念ながら、苦しむしかない。
それはまだ少し、先のことだろう。
いわば「旧時代」に生きなくてはならない今の世代が目指すべきは、
高校の頃、学部について相談した時に「経済学は役に立たない」と散々聞かされた覚えがある。
大学生になってミクロ経済学を勉強するようになった。大学でよく聞かされるのが「実学=役に立つ学問ではない」ということだ
「有形において数理学(理論と実証)と,無形において独立心と」と実学は表現されている。
これを最近よく考えていて、実は封建社会へのアンチテーゼと実学というのは両輪の輪にあるんじゃないか?ということに思い至った。
例えば少なくとも1に1つ加えたものが2であり、それに1つ加えたものが3である限り、1+1=2であり、3+3=6である。
これは誰にも否定できないものだ。これは前提と論理が正しければ結論も正しいというある意味当たり前のことだ。この事実は誰にとっても公平だ。
その点において実学は、人に左右されず修めることができる。それは実学が論理的に人にある情報を強制的に与えるものだからだ。ある前提を認める限り必ず認めなければいけない結論というのは、直感的におかしいと感じてもそれを乗り越える力を持つ。
その点、非実学(福沢諭吉は朱子学を挙げていた)に関してはどうだろう? 例を分かりやすく、「老子」にとってみる。
「道の道とすべきは常の道に非ず(道可道、非常道)」という言葉がある。これはよくありがたがれる言葉だと思うが、これは多様な解釈が許されるものだ。この難解さ、解釈の多様性こそが老子の醍醐味であろうし、年月がいくら経っても評価される理由だと思う。
しかしこの非実学というのは非常に大きな問題を孕んでいる。それは、非実学から得るものが人によって大きく左右されるという側面だ。
例えば坂本竜馬が西郷隆盛を評して「大きく打てば大きく鳴り、小さく打てば小さく鳴る」と言ったらしいが、これこそがまさに非実学の本質ではないか。つまり、非実学というのはそれを受容する人によって内容が大きく変わるということだ。
これはつまり、いくら学問を修めたとしても、自分自身の内面が優れていなければ、「非実学においては意味がない」ということだ。
このような非実学の曖昧さ、内面性というのは非常に封建的であり階級的だ。なぜなら、非実学はその人間を直接変革するような力にはならないからだ。むしろこれは、人の固有の内面を固定化し、変革を妨げるような意味しかない。人は自分が解釈しやすいように解釈をするし、都合のいいよう物事を受け取ることになる。これは商人は商人らしく、農民は農民らしく、武士は武士らしく、という発想を補助するものに他ならない。
そういう点で、非実学というのは格差を固定化し、社会を保守的に動かしていく力なんじゃないだろうか?
このような非実学というのは今の時代において溢れていると思う。極端に言ってしまえば、このような非実学というのは「権威のある諺のようなもの」にである。情報を取捨選択ができ、またしっかりとした資料が要求されないインターネットとはまさに非実学の温床ではないだろうか?このようなインターネットの普及においては、人は自分の身の丈にあった情報だけを受け取り、ほかのものを無視していく。この中で、例えば人は派遣なら派遣らしく、官僚なら官僚らしく、主婦ならば主婦らしくなっていくのではないか。
今日は7時過ぎに起床。
7時半過ぎに朝ごはんを頂く。
毎度のこと東京へは観光に来たわけでは無かったので、とてもブルー。
さすがに今のままお世話になるのはごめんだ。
家に居るのも気まずい。
せっかく田舎から来たのだからいろいろ見て回らねば。
おじさんに、秋葉原に行ってくるといったら
そっちの方に行くなら上野とかアメ横とか雷門とか見てきなさいといわれたのでとりあえず見に行くことにした。
秋葉原は一度入ってみたかったところだったが、やはり一人で行ってもなんか虚しい。
とりあえずヨドバシカメラと近くのファミリーマートと楽器屋とかに行って見た。
楽器屋のドラムとかあるフロアで、小出シンバルの特集がされてたニュース番組かなんかの映像に見入った。
自分はドラムを叩くのだが日本にシンバル職人が居るなんて知らなかった。
DTMのフロアでナノコルグに触って遊んだりした後上野へ向かう。
上野へ行って適当に歩いてたらアメ横についた。すごい賑わいぶりだ。
気持ちの切り替えができていたら何かいろいろ買っていたとこだろうが
すぐに歩いて通り過ぎた。
そして、上野公園へ。
すごい広いかった。とりあえず適当に座ってファミマで買ったタピオカミルクティーとパンを食べたかったので
適当に歩いていたらアコーディオンの音が聞こえたのでそこへ向かうと大道芸人がアコーディオンを弾いていた。
座って聞きながら昼食を食べた。
その後浅草へ向かうものの東京メトロがどこから乗ればいいのか分からず
改札口を通ってしまったのでいったん一駅のって上野に戻ってから浅草へ。
駅から出たら金のうんこみたいなのが見えた。あれってなんなんだっけ?
まぁ、いいや雷門へ向かうもののたどり着くまでちょっと時間がかかった。
雷門をくぐって店が並んでるとおりをまっすぐ行って次の提灯あるところまで突き当たった。
お賽銭を入れて拝んだ、あとおみくじを引いた。なんてこった「凶」だった。
途中で電車を降りるの忘れて焦ったけど、気付いたところで降りたら目的地行きの電車あったのでそれに乗ったら帰れた。
戻ってきたのが17時くらいかな・・・
晩御飯を19時過ぎに頂く。
後は話をいろいろした。明日は下北沢に行ってみようと思うとか。
そのあと、親戚宅の近くを散歩した。
東京で仕事探すとかでかいこといったけど、親戚に迷惑かけるし帰るとか
家出して住み込みで働こうと思ったけどそれこそ心配かけるし迷惑だとか。
友人が、じゃあバンド組もうぜとか。専門学校なのに独学でやってきた自分より下手の人しかいないとか信じられなかったけど。
自分はもうちょっと思ったことを遠慮なしにいったほうがいいとガチで思う。
思ったことを言えない、それなのに裏ではぐちぐちいうめちゃくちゃたちの悪いタイプ
事なかれ主義なんだよなぁ・・・安定を求めるが上に言われるがままって言うか・・・
自己開発セミナーとか行ったら変わるもんなのか?とか考えたりする。
どうすれば誰にも迷惑や心配をかけずにうまく社会的に復帰できるのだろうか
4ヵ月で会社を辞めてしまって次の仕事探すにしても何も無いから資格を取ろうとかバイトしながら音楽やるとか
都合のいいことばかり考えてしまう。
だいたいこういうことは昨日にも増田に投稿していて
なんだ、まだ何もして無いじゃん。
自分の甘さがわかってるなら4択。
1)慰めて欲しい
2)甘さを克服したい
4)EASYモードでお願いします
1か3か4→せっかく生まれてきたけど運が無かったと思え。
というのを見つけた。自分は18歳でこの先まだ長いので覚悟を決めればやり直せる
もともと音楽をやって生きたい。
まだその覚悟ができてない。そこがだめなんだろうな。ちくしょう。
この記事の中でも何回も「とりあえず」がいっぱい出てきてお分かりのことだと思う。
俺はまだ本気出してないだけ
虫歯になって慌てて歯磨き
鰯の頭も信心から
千代の富士はこう答えた
1001勝です
「よく禁煙に成功しましたね」
俺は勇者になりたかった!
だが魔王がいなかった!
お前には魔王がいる!
Living well is the best revenge
優雅な生活が最高の復讐である
もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。
マルクス・アウレリウス 自省録
我々は、現在の知識によってのみ物知りであるにすぎない。
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
「第一の性」より
人は死の間際になってはじめて、本気で生きてこなかったことに気づく。
人を見て、「こいつはまだまだだな」と思ったら、実際には自分とそいつは同じくらいのレベルで、
「俺と同レベルくらいかな」と思ったら、実際にはそいつは自分よりも上のレベルで、
「俺よりも少しできるな」と思ったら、そいつはもう手が届かないほどレベルが違うのです
強くなければ生きていけない
マーロウの名台詞
今君は夢を僕に言えるか?あの日と同じ瞳のままで
英雄とは個人的な恨みや、失望や、復讐心に駆り立てられてではなく、
人の小さい過失をいちいちとがめないこと。
人の隠し事・秘密を暴いたりしないこと。
人の過去の過ちを掘り起こして蒸し返さないこと。
この三つの点を守れば、人格を高められるだけでなく、人の恨みや反発を買うこともないのです。
司会「北京オリンピックに何か特別にもっていく物はありますか?」
浜田雅功「あたりまえや、こんなところで何言うとんねん。」
若いときは知ってるフリをしたがる
歳をとると知らないフリをしたがる
金は集めるより散じるが難し
生きる時間は変えられない
生き方は変えられる
人を呪わば穴二つ
スナフキン語録
1.ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。
今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。
テントでくらすって、いいものだぜ。きみたちは、どこかへ行くとちゅうかい?
2.自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。
その気になれば、世界中でもね。
3.そうだな。なんでも自分のものにして、 もって帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。
ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、
それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、
4.それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。
すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。
ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。
5.ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものをふやすということは、
ほんとにおそろしいことですね。
昔から仏教では「足を知る」ていうんだ
あれも欲しいこれも欲しいで尽きることのない欲望の果てが
『自滅』
だから賢人は必要なもの以外は切り捨てるようにするんだよ
駒田「とりあえずお疲れ」
悩むってのは余裕があるから
海で溺れてる時悩みますか?必死で泳ぐでしょ
悩まない代わりに溺れて死んでます
人生の大きさは悔しさの量で計るんだ
「サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。」
「(交代策は)うまくいくときもダメなときもあるもんだよ。采配が全部当たるなら、
「私には、理想とするサッカーはない。こういうチームと決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。
完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。」
「日本人はシステム論議が好きらしいが、システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。
「古い井戸があります。そこには水が少し残っています。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?古い井戸を使いながら、新しい井戸を掘ればいいんです。」
勝てない見込みのほうが大きい戦に
あえて臨む人間にはなんとなく肩入れしたくなる
「理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。
それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない」パスカル
「いいか、おまえら。恋愛というものはなだな、まず相手を好きになる。そして、好きが恋になって、
恋に愛が加わって恋愛になる。それで恋が消えて愛だけになると落ち着いてきたあたりが一番幸せだな。
俺、ビルゲイツが目の前にいたら言ってやるんだ
うらやましいだろ、ざまあみろ。ってね
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。
ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい
信じるものがすくわれるのは足元だけ
夜なのに僕が見るのは蒼井そら
「ボクは火星人であることとチンコが小さいことをなんとも思ってませんから!」
「チンコ出して街歩きたい」
「虹がヒットしたら俺の下の毛を虹色に染めてお前ら(リスナー)にプレゼントしてやるよ!」
「空中でオナニーしてみたけど踏ん張りが効かなくてエクスタシーに達するのは無理だった」
「陰毛は直毛です」
人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。 できるけど、したくない。
この人が王であるのは、ただ他人が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。
ところが、彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである。
『資本論』第1巻第1章
「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、
われわれもそれを若い人に強いたのだが、
これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。
もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、
海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」
久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ
ラストサムライの最後のシーンで、若い明治天皇が、トムさまに、渡辺謙が
演じたラストサムライ勝元(西郷隆盛がモデルらしい)の死に様を聞く。
「Tell me how he died」
アメリカ騎兵役のトムさまが、自信に満ちた微笑をかすかにたたえて答える。
「I'll tell you how he lived」
人の通わぬ山道に咲いた紅葉の心意気
「金」以外のものを絶対に信用してはいけません。
信用できるのはお金だけ
よく聞く言葉だけど、インフレおこしたらそのお金にも裏切られるわけで
国は信用できるって(信用する)ということにつながるんだろうか
強情を押し通すと、周囲にも自分にも苦しみとなる
やっぱり一番悪いと思うのはアルコールだ
勝った人はこちらへ 負けたら向こうへ
そんな訳には いかない いかさない
子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、
実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか。
今日逃げたら
明日もっと大きな勇気が必要になる
生き残るためには自ら変わらなければいけない
何事も 貴方が同じ土俵に立つから腹が立つのです
一歩退いて周りを見渡して御覧なさい
腹の立つ程の事ですか?
聞いちゃダメ!
聞いて偉くなった人は誰もいない!
勝ちに不思議な勝ちあり
負けに不思議な負けなし
女を腕に抱くと、やがて腕にぶら下がられ
そのうち背負う事になる
離婚の動機ですって?
ありますとも、弁護士さん
私が結婚してるという事です
今考えるとあの時食べておけばよかった
アーサー・ゴッドフリー
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小人(しょうじん)と仇讐(きゅうしゅう)することを休(や)めよ、
君子(くんし)はもとより私恵(しけい)なし
google:賢人君子は、小人を助けぬものとぞ知れ。小人は忠言を聞けば怒るればなり。西郷隆盛
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
パワハラや虐めは録音で第三者に提示すること 低コストで防水ボイスレコーダー製作 - YouTube
東芝現役社員が録音していた「無間地獄」:日経ビジネスオンライン
圧迫面接やら、内定辞退にあれこれみたいなのは、誰かが録音してネットに流して炎上みたいなのが2~3回起きて、ニュース沙汰になれば、衰退するんじゃないかね? いいか悪いかは別として - 情報の海の漂流者
高嶋政伸夫婦で話題の隠し録音「刑事無効民事有効」と弁護士│NEWSポストセブン
知らない間に同僚が会話録音!社内は疑心暗鬼…広がる秘密録音トラブル : J-CASTテレビウォッチ
身の回りの音(会話)を録音し続け、タップひとつでスマートフォンに保存するウェアラブルマイクのKapture | TechCrunch Japan
はてなブックマーク - その会話、録音されてます タクシー・コンビニ・病院で… : J-CASTテレビウォッチ
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないもの。アウレリウス
腹六分のつきあい 膝の上に上がるから頭をなでてやったら、いい気になって肩まで登ってくる奴がいる。それを放っておくと今度は頭まで登って、顔まで舐めだす奴がいる。俺はそういう奴が大嫌いなんだ。
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
自己向上
自己の向上を心がけている者は、喧嘩などする暇がないはずだ。
勉強する事は自分の無知を徐々に発見していく事である。デュラント
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
あいつは人生のどっかで人を怒鳴るってことを覚えちまったんだな
無力と放棄態度を、スカタン上司に調教され、そして再び以下ループ、か。
「あなたのためを思って」と言う人に対しては、まず、
「自分のために生きてください」と、言葉を返していきましょう。
あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない
自分を大切にすることだ。
自分を大切な人間だと思えば、自分の感情を他人の意のままにされることなど決してありえない。
だから他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。
ウエイン・W. ダイアー
結局ものすごい憎しみがあると、自分がいちばん辛いんで。そっから脱出するには、相手を許すしかない。敵を許すしかないんだという結論に彼は達して。それで救われるんですね。
Amazon.co.jp:ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない
『本当に偉いということの証拠は、殴られても気にしないという態度である。
たとえば、犬どもの吠え立てる方をゆっくりと見返す大きな野獣のごときである。
打ち寄せた波が当たっては空しく砕ける巨大な岩礁のごときである。
怒らない人は被害に動ずることなく、しっかりと立ち続ける。
怒っている人は動かされているのだ。』
セネカ 怒りについて
堅い岩が風に揺るがないように、
賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。
おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。
BUDDHA
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
「過去と他人は変えられない」―コミュニケーションの大原則 | 内田 眞 | 本 | Amazon.co.jp
あるとき、ある男が、人に挨拶をしたら、挨拶を返さなかったというので
腹を立てていると、彼は言った、
「笑うべきことだよ、君は身体の悪い人間に出逢っても別に腹を立てないのに、
心が粗野にできている人間に出合ったというので、憤慨するというのは。」
「人が君の身体を行き当りばったりの人に任せるならば、君は立腹するだろう。
だが君は君自身の心を出会う人に、
--もしその人が悪口するならば、それで君が悩まされ、動揺させられるように任せるのを恥じないか。」
ブッダは黙って耳を傾けていたが、
相手が話し終えると次のように尋ねた。
その贈り物はだれのものになるのか」
「そうか」ブッダは言った。
自分のためにとっておきなさい!」
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
完全に我々の力の範囲内にあるものは我々の思想しかない。デカルト
ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
[語録][エピクテトス][エピクテートス][Enchiridion][Epictetus]
正しいと信じている事をすればよろしい。批判を逃れる事はできない。
あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない
しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
[語録][エピクテトス][エピクテートス][Enchiridion][Epictetus]
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
あいつは人生のどっかで人を怒鳴るってことを覚えちまったんだな
無力と放棄態度を、スカタン上司に調教され、そして再び以下ループ、か。
「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
[人間(じんかん)距離][車間距離]人間関係には距離をおけ!
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
SOFREEE-LIBRARY フリー電子図書館『自省録』 第2章 マルクス・アウレリーウス
あらゆる物事を見聞し、
詩人のいうとおり「地の深みを極め」*、
他の人の心の中を探ろうとしておきながら、
その真実に仕えなければならないことを自覚しない奴のことだ。
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないものは、どれだけ多くの利益を受けることだろうか
自省録 マルクス・アウレリウス
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ
他人をあてにしてはならない。それは期待するほうがまちがっている。
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
【慧眼】世の中の人々の一〇人中七、八人は小人なのだ。西郷隆盛
人間はみな気狂いだと気付いたとたん、人生の不思議は消えて自明になる。
他人をあざける者は他人にあざけられることを恐れるものである。
「自分の無知」を盾にして、「知ったかぶりをする相手の無知をさらけ出す」
その論理を極限まで押し進めることによって
【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】
自己の向上を心掛ける。喧嘩などする暇がないはずだ。リンカーン
あるとき、ある男が、人に挨拶をしたら、挨拶を返さなかったというので
腹を立てていると、彼は言った、
「笑うべきことだよ、君は身体の悪い人間に出逢っても別に腹を立てないのに、
心が粗野にできている人間に出合ったというので、憤慨するというのは。」
なぜ私が彼らにそこまで侮辱されて怒らないのかだって?
君は犬や羊に足を踏まれたからといって、逆上し気が違ったように激怒するのかね?
それに人が乗っていれば腹が立つが、
無人の舟であれば怒る気持ちはなくなる。
荘子 外編 第二十 山木編 虚舟
ブッダは黙って耳を傾けていたが、
相手が話し終えると次のように尋ねた。
その贈り物はだれのものになるのか」
「そうか」ブッダは言った。
自分のためにとっておきなさい!」
「人が君の身体を行き当りばったりの人に任せるならば、君は立腹するだろう。
だが君は君自身の心を出会う人に、
--もしその人が悪口するならば、それで君が悩まされ、動揺させられるように任せるのを恥じないか。」
あなたを怒らすことができる人は誰でもあなたの主人となる。エピクテートス
人はあなたがその人に秩序を乱されることを許す時に限って、
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
君が何か仕事に携わろうとする時、その仕事がどのようなものであるかを君自身に思い出すがいい。
もし入浴しようとして出かけるならば、浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者、等々を思い浮かべるがいい。
そうしてこのようにしてもし君がすぐさま「わたしは入浴したい、しかもわたしの意志を自然本性にかなっているように保持したいのだ」というならば、
君はより安全に事に携わることになるだろう。
どの仕事の場合でも同様である。というのはかくてもし入浴に対して何か妨げが生ずるならば、
「わたしは入浴だけでなく、わたし自身の意志を自然本性にかなっているように保持しようとしたのである、
人を非難することが、どんなに人生をむなしくダメにしているかがよくわかるだろう。
人を許すことは、非難しておこるマイナスを超越する手段なのだ。
人を非難しないで、人生の責任をとろうとすると、大変な自制心がいる。
それには自分を大切にすることだ。
自分を大切な人間だと思えば、自分の感情を他人の意のままにされることなど決してありえない。
だから他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。
ウエイン・W. ダイアー
「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」
「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。
自省録 マルクス・アウレリウス
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないものは、どれだけ多くの利益を受けることだろうか
自省録 マルクス・アウレリウス
公益を目的とするのでないかぎり、
他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。
なぜならばそうすることによって
君は他の仕事をする機会を失うのだ。
すなわち、だれそれはなにをしているだろう、とか、なぜとか、なにをして、なにを考え、なにを企んでいるかとか、
こんなことがみな君を呆然とさせ、
自己のうちなる指導理性を注意深く見守る妨げとなるのだ。
どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・
そしてたいていの馬鹿がそれをやる。
心にもない言葉よりも、
沈黙のほうが、
むしろどのくらい社交性を損なわないかもしれない。
自分の行いが馬鹿げている人に限って、
真っ先に他人を中傷する。
ジョージ・ワシントン 米国初代大統領
沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、
あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。
アフガニスタンの諺
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
徳高き者に茨(いばら)の道は付き物と心得ております。
それよりも、意地の悪い者どもにかれこれ言われるからといって、
やるべきことをやめてしまってはなりますまい。
そんな連中は、立派な船と見れば卑しい大口を開けて、
落ちて来もしない餌(えさ)をうろうろ待っている鱶(ふか)のようなものです。
人がどんなに善い事をしても、心がゆがみ目がかすんだ者の口を通せば、
手柄はよそに移ったり、消えてしまったりしがちなものです。
逆に愚かな行いが、自分たちの尺度にぴったりなので、
最高の業績などとほめられたりいたします。
それに人が乗っていれば腹が立つが、
無人の舟であれば怒る気持ちはなくなる。
荘子 外編 第二十 山木編 虚舟
くだらない質問には答えぬがよい。
ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。
くだらない話には耳をかさぬがよい。
あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。
道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。
荀子
人間はみな気狂いだと気づいたとたん、
「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」
「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。
自省録 マルクス・アウレリウス
どんな人でも、もしまことに自分を愛するならば、
人はそれぞれの尊い心を守らなければならない。
BUDDHA
堅い岩が風に揺るがないように、
賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。
おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。
BUDDHA
漫述 佐久間象山
謗(そし)る者は汝の謗るに任せ
嗤(わら)う者は汝の嗤うに任す
天公(てんこう)本(もと)我を知る
他人の知るを求めず
議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。
竜馬は議論しない。
してはならぬといいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ、
負けたあと持つのは負けた恨みだけである
われわれは喧嘩口論に近付いてはならぬ。
これらのことからは足を遠ざけねばならない。
無知な人々のするこのようなことは、何にせよ無視されねばならない
(このようなことは無知な人でなければすることは出来ない)。
そして
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
そうしなければ、われわれは軽蔑への恐怖または嫌悪のために、多くの必要なことを止めることになろう。
また、何か気に染まぬことを聞くのではないかという女のような心配がわれわれを締め付ける限り、
公的にせよ私的にせよ、もろもろの義務をあえて遂行しようとはしないであろう
また、時にはわれわれは有力者に憤慨して、自分の感情を勝手自由にむき出す。
しかし、自由とは何事にも我慢しない、ということではない。
われわれは誤っている。
心の喜びが流れ出る唯一の源たらしめ、
それは結局は、
世間一般の嘲笑や、同じく世間一般の評判を恐れて、
なぜというに、
世間の誰か一人が軽蔑を行なうことが出来るならば、
教養のない人は小理屈をこね、
あらさがしをして得意がる。
あらを見つけるのはたやすいが、
できはじめの教養はきまってあらさがしをはじめるが、
できあがった教養はどんなものの中にも積極的なものを見る。
自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。
しても悪口をいわれ、
しなくても悪口を言われる。
どちらにしても批判を逃れることはできない。
中傷誹謗に対する最善の返答、それは黙々と自己の義務を守ることである。
ジョージ・ワシントン
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないものは、どれだけ多くの利益を受けることだろうか
自省録 マルクス・アウレリウス
他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。
自省録 マルクス・アウレリウス
小事省事
韓信が若い頃、町で無頼の青年に辱められ相手の股をくぐったが、のちに大をなしたという故事。大志のある者は目前の小事には忍耐して争わないというたとえ。
もしもこの者が善に化せられたならば恐らく彼が役立つと思われる他人をも、
ことごとく台無しにすることになるが、それとちょうど逆に、
自己のために良く尽くす者は誰でも、
他人のために将来役立つものを用意するという、
正にそのことによって他人に役立つことになる。
単純な人はそれを賞賛し、
ただ賢い人はそれを利用する。
着眼大局、着手小局。
プラトン 法律
自己の向上を心がけている者は、喧嘩などする暇がないはずだ。
おまけに、喧嘩の結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、
いよいよ喧嘩はできなくなる。
こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重要なことでも、相手に譲るべきだ。
こちらに十分理があると思われる場合でも、小さいことなら、譲ったほうがいい。
細道で犬に出会ったら、権利を主張して噛みつかれるよりも、
犬に道を譲ったほうが賢明だ。
たとえ犬を殺したとて、噛まれた傷は治らない。
小人(しょうじん)と仇讐(きゅうしゅう)することを休(や)めよ、
小人はおのずから対頭(たいとう)あり、
君子 (くんし)に諂媚(てんび)することを休(や)めよ、
君子(くんし)はもとより私恵(しけい)なし
貴方を悩ませたり、悪口を言う人にも、平静な心で注意を向けなさい。
きっと貴方にとって得るところがあるはずです。
『本当に偉いということの証拠は、殴られても気にしないという態度である。
たとえば、犬どもの吠え立てる方をゆっくりと見返す大きな野獣のごときである。
打ち寄せた波が当たっては空しく砕ける巨大な岩礁のごときである。
怒らない人は被害に動ずることなく、しっかりと立ち続ける。
怒っている人は動かされているのだ。』
セネカ 怒りについて
人を悩ませるのは、事柄そのものではなくて、
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい
いかに多くの人のためになることでも、新たに大事業を提唱するのは、提唱者にとって大変な危険をともなわずにはすまない。
ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、
たとえ言葉だけであっても他者を脅迫したり侮辱したりしないことであると言ってよい。
なぜならこの二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。
脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、 相手はそれまでは考えもしなかった強い執念をもって、
あなたを破滅させようと決意するにちがいない。
古代ローマ人は、このことを熟知していた。彼らは、
この二つの誤りを犯すことほど
相手の胸中に憎悪の念をかき立てることはないとわかっていたのである。
タキトゥスも書いている。
「どぎつい冗談とは、それが真実からかけ離れている場合はなおさらのこと、
とげとげしい後味を残さないではすまないものである」と。
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
人付き合いは「性悪説」を軸にしたほうがうまくいく
分別よりも愚行の方がとかく仲間や追随者を呼び寄せるものだ。
―「ドン・キホーテ」―
君子の交わりは淡きこと水の如(ごと)し、
小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如(ごと)し。
君子は和して同ぜず小人は同じて和せず
光クラブ事件
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
山崎晃嗣(あきつぐ)のモットー
他人をあてにしてはならない。
それは期待するほうがまちがっている。
あらさがしをして得意がる。
あらを見つけるのはたやすいが、
よい点とその内的必然性を知るのはむずかしいからである。
できはじめの教養はきまってあらさがしをはじめるが、
できあがった教養はどんなものの中にも積極的なものを見る。
ねたみ・批判にあったときの名言
ブッダは黙って耳を傾けていたが、
相手が話し終えると次のように尋ねた。
「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、
その贈り物はだれのものになるのか」
男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」
「そうか」ブッダは言った。
「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。
自分のためにとっておきなさい!」
我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
世間の誰をも、すべてを満足させようなんて、狂気の沙汰だ。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
我々は、他の人たちと同じようになろうとして、
自分自身の4分の3を喪失してしまう。
かけがえのない人間になるためには、
常に他人と違っていなければならない。
ココ・ シャネル
自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。
しても悪口をいわれ、
しなくても悪口を言われる。
どちらにしても批判を逃れることはできない。
十人が十人とも悪く言う奴は善人であろうはずがない。だが、
十人が十人とも良く言う奴も、 善人とは違う。
真の善人とは、
十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。
私は他人に何も期待しません。ですから人の行動が、私の願いに反することはありません。
スワミ・スリ・ユクテスワル
人の時間には限りがある。
アップルコンピュータ社 スティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)
「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日)
全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないこと
粉屋と息子とロバ
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数決をとってみたところで、
それが正しさの保証とはならない。
民衆ほど軽薄で首尾一貫とはほど遠いものはないとは、ティトウス・リヴィウスの評価であるが、他の多くの歴史家も、これと同じことを書いている。
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
隣人の語ること、
行うこと、
考えることを
気にかけないものは、
どれだけ多くの利益を受けることだろうか。