はてなキーワード: 瀬戸際とは
http://anond.hatelabo.jp/20110725201746
1匹病気になった。病院に連れていったけど、膀胱に腫瘍が出来てるそうで、輸血して手術すれば助かるかも知れないと言われた。猫の輸血用の血液を用意している病院などない。「連れて帰ってもいいけど、自力で食べられないし、介護が必要」と言う。私は人間の介護で手一杯だ。とても、猫の介護まで出来ない。出せる金額まで入院させてもらって、連れて帰ってきた。エサをちゃんと食べたかどうか、他の2匹のエサと一緒だとわからないからゲージを買ってきて、病気の猫と猫のトイレとエサ箱を置いた。人間の介護のために家を出て、8時間後に帰ったときは死んでいた。(こんなギリギリの状態のを生かしておいてくれたんだ、先生すごいなあ)と動物病院の先生にまず感謝した。葬儀屋さんを呼んで、引き取ってもらった。よく使っていた寝床を一緒に焼いてくれるよう頼んだ。
責任持って飼っていても、生きるか死ぬかの瀬戸際になった「ペット」にしてやれるのはこんなもんだ。
野良猫のために、ちょっと泣いてやったら忘れなよ。それだけで充分な供養だよ。
福島児童問題で、文部科学省や教育委員会、PTAや放射線医療関係者が
ケンケンガクガク議論をしているが、肝心の主体が議論に加わっていない。
ずばり、児童そのものはどう感じているのか?
今回の件で一番ストレスを感じているのは、誰あろう児童自身である。
低学年ならまだしも、高学年になれば、なんとなく
「自分達の健康について、経済性等と天秤を掛けた議論が展開されている」
ということに気付くはずである。
ネットリテラシーが高い児童であれば、「20ミリシーベルトは危険」というサイトを自力で見つけ、
その際、教師は「安全だから安心してね」という政府公式見解しか話することができない。
となると、児童は「先生の言うことだから、安全なんだ」と正直に信じるだろうか?
恐らく、過半数の児童は、「先生のいうことはタテマエで、実は危険なんだけど言えないんだなあ」という
「大人の事情」を察することになる。
そのまま「大人の事情」を察したマセガキになって事が収まるか、
それとも「大人なんてウソツキだ、先生もウソツキだ」として反抗児童になるか、
いずれにしても「教師への全幅の信頼性が瓦解する」ことになる。
あるいは親はどう話すか?
この場合、政府見解どおり「安全だから安心して」と話す親もあれば、
「実は危険だけど、家の事情で避難できなくて・・・」と話す親もいるだろう。
で、「安心して」と話した家の子供と「実は・・・」と話した家の子供同士で情報交換して、
見解の相違がわかって更にひと悶着が発生する。
小学校高学年だと兎も角、中学生ならそのまま非行まっしぐらになりそうだ。
ということで、あまり議論されていないのだが、
僕は多国籍軍が正義だと訴えたい訳ではなく、リビアの国民、カダフィに対抗する人たちの事を想うからこそ、多国籍軍ができるだけ少ない犠牲で迅速に成果をあげることを願っている。
介入までの経緯を忘れてる人が多いので、これを書こうと思った。
この文章 自体にたいした問題はないのだが、これを読んで「多国籍軍が悪い!カダフィは英雄!」と言い出す知り合いがいるのに驚いた。かなり平易に噛み砕いて説明してるから、仕方ないのかもしれないが、これを読んで「カダフィと反政府側がにらみあっただけで、世論を無視して多国籍軍が急激に推し進めて戦争始めた」と取る人がいる。
自分は、最後の最後までリビア反政府側の人々、つまりリビアの国民殆どを思えば、できることなら介入が行われない方が良いとずっと思ってた。事の経緯を見守ってた人の多くがそんな想いだろう。介入は望まないという大きな旗、あの写真は今でも忘れらない。リビアの民主化は、リビアの民衆の力で行われるべきだった。
しかし、一ヶ月あまりの間、あまりにも多くの民衆が犠牲になった。
今でこそ武装している民衆もいるが、多くが無抵抗やせいぜい棒や投石程度の武装で虐殺された。非人道的な兵器が民衆に対して使われた。爆撃を命令された戦闘機が命令を遂行できず、マルタに亡命したのを覚えているだろうか。掘り出されただけで数百人という単位で、命令に背いた高官が埋められていた。数千人が地下に閉じ込められていた。多くの幹部がカダフィから離反し、同胞を虐殺することを望まない軍も離反し始めたために、カダフィは傭兵を使って国民を攻撃し続けた。
その間、何度もいまこそ介入すべき時ではないかという論争があった。しかし、リビアの人の誇り高き「死は覚悟の上だ、最後まで自分たちで戦って自由を勝ちとりたい」という命がけの訴えを見て、出来るなら介入なしでカダフィの降伏まで行って欲しいが…と犠牲者数に呻きながら祈るような世論がTwitterでは主流だった。
むしろ、これだけの非人道的な虐殺が行われているのに、介入が今まで起きなかった事に、国際社会は本当によく我慢したとさえ思える。ブッシュだったら半月は前にもうリビアにミサイルを撃ち込んでいたのではないだろうか。オバマは最後の最後まで乗り気ではなかった。(昨日の声明がどっかに上がっているだろうから、読んでいただきたい。)
国連の決議が行われた直前には、反政府側の最後の拠点であるベンガジに総攻撃をかける、残り24時間で全てを終わらせるというカダフィ側からの通告があった。この時点では、介入も致し方なし助けに来て欲しいという意見もリビア国民に見られるようになっていた。もしカダフィ側が本気で空爆を始めれば、多くの国民が一瞬で死ぬ。これを受けたギリギリのタイミングで国連の決議が通った。
決議のすぐあとに、カダフィ側は「即時停戦する」という声明を出した。国連はすぐに攻撃を行わず、カダフィが本当に攻撃をやめるのか見守った。しかし、言っている事とは裏腹にミスラタへの攻撃は止まぬどころか、ベンガジにまで爆撃が行われた。
どうみても崖っぷちの状況だ。
介入はここで始まった。昨日のことだ。
介入を認めたくない、リビア人の手で民主化を成し遂げさせたいと思っていた自分でさえ、これ以上は無理ではないかという瀬戸際のタイミングだった。
しかし、多くの人はこれを聞いて「戦争が今始まった。多国籍軍が戦争を始めた」と取る。違うんだ、一ヶ月前からリビア国民の戦いは続いていたんだ。カダフィの虐殺は行われていたんだ。
一度介入が始まったからには、いかに民衆の被害を少なく、迅速にカダフィを降伏させるかを論点として欲しい。
英国はともかく少なくともオバマは最後まで消極的で苦渋の決断として今回の決定を飲んでいる。米軍は地上制圧しないと言っている。ブッシュのようにやらせまで使って世論を煽って正義を振りかざして攻撃したわけではない。始めに上げたブログで、世論は介入に傾いていないのにとあるが、それはオバマがブッシュのように世論操作しなかった、比較的冷静であった証拠だろう。
イラクがあのような事態になったのは、操作された世論によるところも多く、多国籍軍も正義を振りかざして攻撃しにいった感が強いが、今回は違う。介入が始まったからといって、絶対に最悪のストーリーになると決まったわけではなく、まだどのように被害を最小におさえつつ、どれだけ早くカダフィを降伏させるかという目的が残っているのだ。
たしかに、この介入で得をする国もあるだろうが、これまでのような「反米か親米か」「宗教戦争」「米帝」「イスラム教が悪い」などといったイメージにむりやり押し込めてリビアの状況を捉えないで欲しい。そして、そういうステレオタイプでしか見ない論争によって、カダフィの行った戦争犯罪、虐殺行為、なによりもリビアの民衆の意思と行動と犠牲がおざなりにされることだけは無い様に願う。
カダフィを擁護する意見の中には、カダフィの演説する支離滅裂な内容を信じている方もいます。カダフィは自分の敵を西側諸国の回し者だと言ったり、アルカイーダだといったり、麻薬漬けにされた反逆者だと言ったり、国民が電話を使えないように情報統制しておいて、「国民が私に電話で助けを求めている」等と言ったり、しまいにはアルジャジーラが黒幕だとまで言っていて滅茶苦茶です。最近は「英雄である私が国民を守る為にアルカイーダと戦っている所に多国籍軍を名乗る十字軍が侵略してきた」ことにしたいようですが。次に何を言い出すのか注目しておいてください。
さらに、多国籍軍によって国民が攻撃されたとリビアの国営放送では虚偽の内容を流し続けています。リビア人の中には「カダフィは捏造の為に、冷蔵庫に数千人の死体を用意している」という噂を語る人もいます。そんな噂が本当に信じられるような状況なのです。
多国籍軍が正義だとは言わないけど、それ以上にカダフィの言う事を信じるのは陰謀論がかわいらしくなるほどトンデモな事だと自覚して欲しいです。
お爺ちゃんとかおばあちゃんとかがフォロしてたんだけど
それもなくて
愛されないまま 愛し方もわかんなくて
間違ってる 絶対間違ってる!
で まぁ 生きてる俺はそれに介入できるから
今、愛されていない子供にも、
愛されないまま大人になって愛し方が解らない大人にも
なんかできるかもしれんねん
でも大きいのはそこだけでなんとかすることじゃなくて
まわりのこういう状況の人・・・例えばACとかボーダーってのは
気持ちが繋がれば楽になるから
理解しあえれば楽になるから
メンドクサイのがグギャーっていっぱいあって
もう、なんでお前らそんな下らないもんを
必死になって守ってんだよって思うんだけど
それだって癒されてないってだけの話で
寛容になれるし他人愛せるし人育てられるし。
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一人で作るの無理。いや、別に無理じゃないけど
みんなと作るほうが楽。話し合いながら
ちょっと思いついたら共有して、粗だして。
そういうのが楽。
すごい難しいんだよ?一人で頑張って見つけるのって
あとなんか、一人でやってるとノーミソぐるぐるして
みんなでやってると楽しいんだよね。
ただ議論をぐるぐる同じところで回してるだけでも楽しい。
もうほんま、俺みたいな愛されないバカ死ねばええとおもってる。
怖いからでけへんねんけどね。
でもさ、そういう俺の書いた筋道に、有能で、賢くて、
すっごいイイ子たちが乗っかってくれて、一生懸命作業してくれて
愛さないなんてのは無理っていうか大好きなもんになるわけですよ。
でも、みんなでつくると、これが無い。一切無い。
あんな有能でいい子たちが全力で協力してくれて
俺も全力で頑張って、その成果物を否定するとかマジ無理不可能。
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意味分かんないですけど。って最初にドラッガー読んだらやっぱ思いますよ。
「もしドラ」でちょっと解説されたけどさぁ
やっぱり俺はわかんなかったね。第一漢字が難しいじゃん。「真摯さ」
なんていうか、職場で真摯さのある奴とそうでない奴、ちゃんと分けれたよ。
でさ、いるんですよ。もう、ほんとに、ゲームが良くなるためなら
なんでもやるって連中が。ほんとに。ほんとに。
これが真摯さだよ。
もうなんかわかんないけど、俺に言わせりゃ下らないもんで
でも真摯じゃないよね。もっと良くなるかもしれないんだよ?
試してみればいいじゃない。ダメなら引き返せばいいじゃない。
そんなに「僕の考えた事」が大事かよ。ゲームをみろよ。
有効性とか機能性をみろよ。お前が大事なのはゲームじゃなくて自分だろ。
うちの会社はスゲェ。ほんとにスゲェ。真摯さ含有率パネぇ
体調崩して生きるか死ぬかの瀬戸際までいきかねん連中がいっぱいいる。
おれは大好きですよ。最高だな、おい。そうじゃないのもいるけどさ。
俺はね、もっともっとずっと一緒に働きたいのよ、君らと。
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**********
あー 書いた書いた。ぶちまけた。
ここの所、生きる意思みたいなのを持てなくて。
もうお金の使い方が荒かったりね。
もうだめだーって。 明日死ぬかもしれんのに
この手と目と心で、何かできる事があるはずなのよね。
夢を描いている。こんな風になったらいいなーって。
何かを変えるには障害があるんだけど
それに立ち向かっていくのは、きっと楽しめると思うんだ。
夢がないとさ。こうなったらスゲーわくわくする!
そんなんしたら絶望するけど、もうそれはいっぱいしたじゃない。
さんざのたうち回ったじゃない。なかなか慣れないけどさ。
最近は酒に逃げてなんとかしてるけどw
みたいな妄想をするの。そのための現実的なステップを思い描くの
なんとかしてる。絶対なんとかなる。
俺が輝くためなんだよ!!光になるんだよ!俺が!
おしまい!
もうみんなわかってるだろ。
au IS03でさ、未来へ行くならAndroidとか言われてレディ・ガガが踊ってるって、どうするんだそれ。
iPhoneで「その笑顔も」とか言って子供が笑ってる動画と比較しなくても判るだろ。
おれらが中国の偽iPodみて笑ってるのと、全く同じレベルの模造品だろ。
Galaxy Sなんかさらに酷いだろ。あれサムスンだし。
いや、サムスンの製品だから悪いとは言わないよ。液晶とか強いしな。モノも悪くないよ。
で、docomoはサムスンのiPhoneパクリ端末で大々的に売り出すわけか。
で、作ってるのはサムスン。(IS03は違うけどね。プライドのない形してるよなアレ)
乗ってるのはAndroid。
どこがものづくりなの?
「au03はもっさりというけど、ホーム画面入れ替えたらさくさくになりました」とかいう記事を見て軽く絶望した。
そこ否定されたら、端末作った人何してたのいったい。
だから、常に「一つ前よりも良くなる」事を求める。
そりゃね、シンプルな何もないところからスタートすれば、その圧力はとても良い方向に働くよ?
どんどん良くなる。どんどん進化する。
でも、何かのきっかけでちょっと違うモノが入ってくると、それをうまく真似できなければ終わってしまう。
みんな叩くだけ叩いて買わないしな。
特殊化の果てにあるのは緩やかな死ではなく、環境の変化に耐えられない種、疫病で死滅する均質化。
貪欲に外来種を飲み込み、咀嚼した上で完全に異質なものとして模倣する匠の技は死んだ。
注文の多い顧客を「注文をするのが当たり前だ」という植え込みをするのが、最後の防波堤だった。
おサイフケータイ、ワンセグ、高画素カメラ。それらの価値をもっと植え付けるべきだった。
ガラケーに必須の機能が、携帯電話には必須だと顧客に植え付け続けられれば、もしかしたら勝てるかも知れない。
でも、そこで手を抜いていたら勝てない。
カメラで写真を撮って、ネットにアップしてリンクをTwitterにPostする。
それだけのことが、どれだけの手間になるのか。
一事が万事そう。
ガラケーはその名の通り、環境の激変に耐えられない瀬戸際に来ている。
Androidへのガラケー融合は、結局の所Androidへ飲み込まれる。
防波堤を作り、それを補修しない。ものをつくれず、それも守れない。
プライドのない模倣に対して「恥を知れ」と言えない顧客は、諸共に死んでいく。
せめて散り際ぐらいは、美しく散って欲しいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20101110041534同情する。
きょうはどうしても伝えたいことがある。
「世の中つらいことばっかりだ。いいことなんかなにもない」、そんなふうにおもってるひと、いるとおもう。
ぼくもおなじだ。なにもかも投げ出してしまいたくなる。そういうきぶん、よくわかるつもりだ。
でも、「もう絶望した。電車に飛び込んで死んじゃうんだ」なんて、もしもそんなふうにまで考えてしまってるとしたら、一度でいいから想像してみてほしい。
もしも、
もしも、だよ?
あなたが飛び込もうとしているその列車の車内に、襲い来る便意と必死に戦っているひとがいたとしたら。
あなたが飛び込もうとしている、まさにそのときが、守り切れるかどうかの瀬戸際、生涯最大の正念場だとしたら。
他人の人生まで終わらせてしまう権利が、あなたにあるだろうか?
真剣にな。
たのむな。
男の目の前には大きな大きな壁があった。真っ黒で、のっぺりとしていて、つるりと表面が滑らかなまま立ち塞がる圧倒的な威圧感を放つ壁である。掴められるような突起など何処にも見当たらなく、以前よりこの先に進みたいと願い続けていた男は途方に暮れてしまっていた。
一体おれはどうすればいいのだろう。腕を組み、むんずと唇を結んだ男は、無い知恵を振り絞ってうんうんと唸っている。目前にどうしようもないほどの障壁が起立しているというのに、まだその向こう側に、あるいはその壁の上に、男は立ってみたいと望み続けていた。
しかしながら、現実問題として男には為す術がないのである。ロッククライミングの経験などあるはずがなかったし、そもそも登るための手掛かりがどこにもないのである。ぺたりと押し付けた手のひらに黒壁の感触は冷ややかで、男には絶望することも憤慨することもできなかった。ただただ見せ付けられた己の実像を受け入れることしかできなかった。
腕を下ろし、ひとつ大きな溜息をつく。男はちらりと視線を傾け、右斜め上に開いた、力いっぱい飛び上がって壁を蹴り、ようやくその縁を掴めそうな小さな通路を見上げた。
ここしかなのだろう。もう、今のおれの力量で挑むことができる道はここしかないのだろう。
思いながらも、そんな通路でさえ、縁を掴んだ後、全身全霊の力で持って体を持ち上げ転がり込めるかどうかの瀬戸際なのであった。置かれた状況の散々たる有様に少なからず失望し、男はつうっとその視線を更に右に、地続きのまま緩やかに傾斜して伸びるひとつの道に顔を向けた。
この壁を越えることを諦める。あるいは諦めなければならない。その選択肢を選んだ先に待っているのは、右側に伸びた茨の道である。男の背丈以上に伸びた刺々しい生垣を掻き分け、何とか進む事のできる、痛みの道。
男はその道を歩くことが嫌だった。元来より痛いことが嫌だったし、一体全体茨がどこまで続いているのかも分らないのである。行く末は蛇行し、このまま上り坂が続くのか、それとも下ってしまうのか、あるいは再び壁が現れるのか、一切が阻まれた様子からは予測はまったく付かなかった。
不可能な理想に挑戦するのか、行き先の見えない未来に賭けるのか。目を閉じしばらく考えた後、男はゆっくりと左側に伸びる細い道の先を見つめた。
もう一つだけ残された選択肢。十三階段を上ったところに、ぶらんとひとつの影が揺れている。
ぶんぶんと頭を振って、男はその選択を振り払った。絶対に、あのような姿にはなりたくない。その心理の背景には、ついこの前まで隣を歩いていた同胞の末路への嫌悪と、並々ならぬ恐怖とが並列して存在していたのだった。
「おれはどうすればいいのだろう」
そう呟いてみたところで、誰も答えれくれるものはいない。どこか遠くから男を嘲うかのような哀れむような声が聞こえ、壁の向こう側あるいはその上から充実感に満ちた談笑が聞こえるばかりなのである。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
いつからこんなことになってしまったのだろう。
悲しくなった男は、ふと背後を振り返ってみた。幻想を抱きながら歩き続けた長い道のりが、始まりが見えないくらい遠くまで伸びている。分かれ道があり、上り坂や下り坂があり、行き止まりも、落とし穴もあった道だった。
けれど、ここまで来てしまう前、例えば五キロメートルも前の時点から見たとき、現在目の前にある壁はもっと小さく、簡単に跨げてしまいそうな柵に見えていた。
もっと前、例えば十キロメートルも前から見たときには、現在目の前にある壁のほかに、もっと多くの壁が遠くにぽつりぽつりと存在していた。
そしてもっともっと前のこと、二十キロメートルも前から見た世界は、まったくもって平らかな地平をどこまでも広げていて、男はどこへ進む事も、どんな景色を見ることも可能であるはずだった。
「どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」
口にし、男はどうにもならない一歩を、今日も前に進めていく。
今日先輩が「torrentならつかまらないよw(キリッ」などと発言していた。
おいおい…。
勿論反論はしたけれど聞いていなかった。
「torrentだからつかまらない?」
そんなことは無いだろ。Winnnyだから…とかPDだから…とかの問題じゃなくて。
ただでさえも昨今9割非正規ユーザー、1割正規ユーザーと言われているし唯でさえも狭い業界で10年生き残れるか生き残らないかの瀬戸際でメーカーだって手間もかかるし、儲からないのにしぶしぶアクチを導入しているぐらいなのに。
自分はアクチには賛成である。
でも正規ユーザーも打撃は受けるし、メーカーが今後つぶれたら…とか、メーカーが儲からないとか、サポートが大変だとか、問題は山積みだと思うんだよな。
ほぼ打撃を受けるのが“ユーザー”でなくてメーカーというのが悲しいと思う。
Googleでも、「ゲーム名 torrent」とかで出るのなんとかならないのかな。
torrentというソフトとシステムについては賛成なんだけど。
分割してDLするのも厳しいものがあると思うようなパッチ(SummerDaysとか)みたいなのを共有してDLするのは全然問題ないと思うし、LinuxのOSをDLするときとか。
いきなり上司に呼ばれて。
「ア○エベラジュースっていう凄く良い製品があるんだけど・・・」
いきなり始まった製品の紹介。
あれは卑怯だ。
曰く「天然の何たらかんたらを使ってて、とてもいいもので、自分の家族もこれで病気が治った・・・医者なんていらない」云々。
こっちは入社したての下っ端、相手はこっちを好きなように出来る立場。
「いいものなんだ、マルチではないんだ、無理に押し付けようって魂胆はないんだ、断ってもいいんだよ? よく誤解されるけど、マルチじゃないし」
という風に上司はおっしゃいますが、断ったら絶対に今後の影響がでるだろうが! チクショウ!
了承の返事をしてしまった。
「・・・はい分かりました。そこまで言うのなら飲んでみる事にします。」
そう言った時の上司のあの嬉しそうな顔! 憎たらしい!
「誰にでも勧めてるわけじゃないんだ。自分が信頼してる人にしか教えないんだ(大真面目)」
入社したての下っ端のクズを信頼してくださってありがとうございます!チクショウ!
明細から約8000円が引かれて、代わりに得体の知れないア○エベラジュースが自分の手元にあった・・・。
・・・せっかく頑張って働いたのに、それがお金じゃなくてこんな得体の知れないジュースになってしまうなんて・・・。
泣きたい気持ちをぐっと堪えた。
自棄っぱちな気分になって、どうせだからとジュースを飲んでみた。
飲みながら、社会について思う。
これが社会人になるということか。
これが会社での人との関わりってやつか。
なるほど、学生時代とは一味も二味も違うぜ。
http://anond.hatelabo.jp/20100223010649
それに比べてあなたは根性があるし、
実行(逃走)するかしないかの瀬戸際にいる人間なら腐るほどいる。
まったくもって問題はないレベルだ。
ここからうざいこと承知で自分語りさせてもらう。
高校までは逃げたことがなかった。
部活もそれなりに厳しかったが辞めなかった。
大学もそこそこいいとこに決まった。
大学に入り、貧乏家庭な俺は寮に入ったんだがそこは軍隊だった。
俺は数週間で退寮(逃げ:1回目)し、そこから悪しき逃げ癖が付いた。
「なにかをやめる」というのは初めての経験であり、
すっきりした気分を味わったのと同時にその味をしめた。
逃げたせいで、時々見かける寮の人間におびえてしまい、
サークルに入ったり授業で仲間を見つけたりといったことが
何故か出来なくなっていた。
その夏にレストランでバイトを始めたが一週間でバックレた(2回目)。
延々と皿を拭くだけのバイトだった。
これをやっていなかったらもっとひどい非コミュになっていたところだ。
3年時に違うサークルもかけもちで始めたがそれは数ヶ月でやめてしまった(3回目)。
最初のサークルも4年時にやめてしまった(4回目)。
ゼミの個人的な共同作業(研究?)も俺が口だけで「そのうちやる」ばっかり言っていて
で途中まで順調だったものが未完成(5回目)のまま卒業となった。
あとこの時点で他人から全く信用されない人間になっている。
体育会系の厳しい上司とウマが合わずに半年で辞めた(6回目)。
その後すぐに単純機械作業的なバイトを始めたがあまりに単調で二日で辞めた(7回目)。
なんとなく近所の派遣会社に行くとよさそうな募集があったので登録した。
これは仕事こそ典型的な泥臭い肉体労働だったが同僚に恵まれて毎日楽しかった。
公務員試験とかどうでもいいやと思えるくらい充実した仕事だったため、
一定期間後正社員になれる者と派遣を継続する者とに分かれて俺は後者だった。
なんだか自信を完全に喪失してしまい、辞めた(9回目)。
それから数ヶ月ほど経った。
仕事を辞めてすぐは心地よい気分で満たされる。
自分は根性なしの非コミュの人間のクズで一生まともな職に就けず
彼女も出来ずある日突然首吊りをするのでは、といった精神異常に陥る。
仕事を辞めてほとんど他人と会話をしていない。
日に日に会話力が落ちているのを実感する。
後輩も俺以上の収入を得ている。
高校・大学の同窓生で俺より根性のない人生を歩んでいる人間はいないという強い確信がある。
次の仕事は辞められない。
辞めるごとに精神が破滅するし、その感覚に伴う苦痛をもう味わいたくないからだ。
このところは毎日だ。
ちなみに仕事を辞める直前ギリギリまで死のイメージが浮かんでは消えるのを繰り返す。
死ぬくらいなら逃げる、という覚悟なので仕事は続かない。
簡単に辞める。
働くしかない。
このような精神状態だとネットで年収関連の話題を見ることが出来ない。
俺は年収100万円程度だ。
逃げ癖が続くと確実に精神がやられる。
自分よりも明らかに劣る人間を探して精神を安定させる作業が延々と続く。
落ちた資格は日商簿記二級で、己の能力を過信して1週間漬けで失敗し、
計画性のないクズだと思っています。
落ちてから死ぬほど勉強してやっと過去問がスラスラ解けるレベルになったので、
どこでもいいので経理職に就きたいと考えています。
年収100万程度で生きていけることは分かりましたから。
ちなみに実家には帰れない。
逃げるごとに何かを失っているというか、
歳だけ食ったような。
たくさんの人間に追い抜かれ、俺はもう死ぬしかないし、
ここまで職を転々としたのでばれない範囲で履歴書を捏造するしかない。
そしてヘタな会社に入るのも難しい。
やはり死ぬしかないし、あなたは辞めない方がいい。
数分に一度自殺することを考えるようになるし、
他人を殺した際のニュース映像を妄想するような日々を送ることになる。
書くことによって安定させている。
外観は社交性があるらしく(中身はクソ非コミュ)、
真顔で嘘を付けるため面接でほとんど落とされないが、
それが毎回見かけ倒しな評価となったり自分自身の甘えとなっているようだ。
早く仕事を見つけないと俺は死ぬか他人を殺して刑務所で人生の安定を図ろうとする存在になる。
早く仕事を見つけないと。
とこのように何も考えずに書いていると論理破綻したクズのような文章になることが分かりますし、
結局精神も安定しません。
俺には彼女もいないし金もないし死にたいし今求人情報誌を読んでいるところです。
とりあえず次はバイトでも派遣でもいいので経理の職に就きたいのですが
なかなかありませんね。
それと最悪のタイミングで前職を辞めたため、
これを逃避と言いますがいつ死ぬか分からないのです。
もう死ぬしかありません。
全て自業自得です。
逃げるとこうなります。
新卒の方は絶対に辞めてはいけません。
死にたくなります。
面接苦手でしたらなおさらです。
面接得意な俺ですらこのようになるのですから。
ttp://rionaoki.net/2010/01/2925
、教養教育を受ける場所としての大学の機能は消滅の瀬戸際だ。いまや多くの学問分野は自学自習が可能だ。インターネットにはリソースが溢れているし、勉強したい者同士集まることも可能だろう(そういう場所をもっと作れればよいとは思う)。そもそも現在の大学生のどれだけが「教養」を身につけているかだって疑わしい。
経済学にしたって社会人として必要なレベルの学習に大学という(機会費用を含めた)莫大な投資が必要だとは到底思えない。本当の専門教育以外、大学で勉強する必要は見つからない。そして、それだけの教育が社会的に必要な人間の数は現在大学に通う学生の数より遥かに少ないのではないだろうか。
これは教養教育の価値を否定するものではない。私自身、教養学部に四年間も在籍したし、文理問わず色々なことを勉強した。しかし、大学がなければ出来ないことではなかったし、大学で他の専攻にいたとしても同時に勉強することは出来ただろう。しかも私は教育の真の社会的費用を負担していたわけではない。国立大学の費用の多くは税金によりカバーされている。本当の費用を負担してなお、教養教育に何年間もかけようという人はどれくらいいるのだろう。
http://electronic-journal.seesaa.net/article/112214327.html
これ見たときは陰謀論だろjkとか思ったが、100兆とまでは行かないものの似たようなことが起きてたんだな。
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080717/fnc0807172048018-n1.htm
7月16日、渡辺喜美金融担当相は訪ねてきた米政府元高官に語りかけた。
「米住宅抵当金融公社の経営不安を憂慮しています。まず、日本は政府の保有分はもとより、民間に対しても住宅公社関連の債券を売らないように言います」
うなずく米要人に対し、渡辺氏は続けた。「米政府が必要とすれば日本の外貨準備の一部を公社救済のために米国に提供するべきだと考えている」
http://mainichi.jp/select/today/news/20091006k0000m020130000c.html
米政府系住宅金融機関2社が経営危機を迎えていた08年8月下旬、日本政府が外貨準備を使って両社の支援を検討していたことが5日、関係者への取材で分かった。入札不調に終わる懸念があった2社の社債数兆円を、日本政府が買い支える計画だった。世界的な金融危機に陥る瀬戸際とはいえ、公的資金で外国の金融機関を救おうとしたことは極めて異例で、経済的に密接不可分な日米関係の特殊性を明らかにする事実といえる。
「あなたとは違うんです」その通り。確かに、誰かたちとは違ったね。
377 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2008/10/17(金) 03:51:28 ID:RCbqhuxf
康夫ちゃんを悪く言っちゃらめえ。
康夫ちゃんは、国士だったんだよ。
あのとき、まだリーマンが破綻になる前で、アメリカからリーマンを助けるために
米国債購入経由で公的資金投入の資金よこせってゆすられてたの。
渡辺みっちーのバカ息子が「じゃあ100兆円用意しますね」って準備を進めてたの。
それに気付いた康夫ちゃんは、内閣改造して渡辺の首を切ってうやむやにしたの。
でも、アメリカはしつこくて許してくれなかったの。
そこで最後の手段、靖男ちゃんの自爆攻撃を敢行したの。
退陣して総裁選、となると、時間稼ぎできるでしょ。そうやってタイムリミットをやりすごしたの。
これは早すぎても遅すぎてもダメなの。
(だから、松子と重なってもしょうがないの。でも、あともう2時間後にやってほしかったけど。。。。)
で、向かった先が韓国。韓国が俺が面倒見る二ダって手を上げて、
だから再建関係の環境を浴するのに協力する二ダってアメリカに持ちかけたの。
アメリカは協力したの。おかげで韓国は破産を免れたんだけど、リーマンを無視したの。
アメリカに嘘ついたのね。日本にいつもやってるから、世界にも通用すると思っちゃったのね。
で、ここから世界恐慌が始まったの。
はげたかさんもどんどん集まってきたの。でも自業自得なの。
・・・まあ、そんなわけで、康夫ちゃんは、日本の金庫からアメリカが100兆円を盗もうとしたのを
だから、悪く言っちゃだめなの。
↓裏取れました。
米政府系住宅金融機関2社が経営危機を迎えていた08年8月下旬、日本政府が外貨準備を使って両社の支援を検討していたことが5日、関係者への取材で分かった。
入札不調に終わる懸念があった2社の社債数兆円を、日本政府が買い支える計画だった。世界的な金融危機に陥る瀬戸際とはいえ、公的資金で外国の金融機関を救おうとしたことは極めて異例で、
経済的に密接不可分な日米関係の特殊性を明らかにする事実といえる。
金融機関2社は、社債で調達した資金で金融機関から住宅ローンを買い取り、証券化商品に組み替えて投資家に販売しているフレディマックとファニーメイ。
両社が発行した住宅ローン担保証券の残高は約6兆ドル(約540兆円)と米国の住宅ローン残高の半分を占め、世界の金融機関も広く保有していた。
両社が経営破綻(はたん)すれば、日本を含めた世界の金融システムに深刻な影響を与えることは確実だった。
日本政府では、限られた財務省幹部が米財務省と緊密な連携をとりながら、外貨準備から数兆円を拠出して両社の社債を購入する救済策「レスキュー・オペレーション(救済作戦)」という名の計画を立案。
通常は非公表の外貨準備の運用内容をあえて公表し、日本の支援姿勢を打ち出して両社の経営に対する不安をぬぐい去ることも検討した。
しかし当時の伊吹文明財務相が慎重論を主張し、9月1日の福田康夫内閣の退陣表明で政府が機能不全に陥ったため、実現しなかったという。米政府は9月7日、公的資金を投入して両社を国有化し救済したが、
同月15日には米リーマン・ブラザーズが破綻し、結局、金融危機の深刻化は防げなかった。
伊吹元財務相は毎日新聞の取材に「大臣決裁の段階にはなかった。しかし、米国の経済危機が目前に迫る中、日本の外貨準備で損失が出かねない資産を購入すべきでないという当たり前の判断だ」と述べた。【斉藤望】
ttp://mainichi.jp/select/today/news/20091006k0000m020130000c.html
http://anond.hatelabo.jp/20090905222613
本来、人間は一人ひとりが違う。障害があるということも個性のひとつだ。だから、みんなの中に入れて、個性の一つとして認識してもらいたいって気持ちが保護者の中にはあるんだ。もちろん、健常者と同じことをするわけにはいかない。でも、まるで隔離するみたいに、他人の目に止まらないところに隠れさせる必要があるだろうか? 見慣れないものを気持ち悪いと思うのは、人間として普通の感覚だ。見慣れないから気持ち悪い。なら見慣れてもらえばいいじゃないか。障害者をまるでゴミみたいに見る人間だって、毎日見かければ見慣れて気持ち悪いとは思わなくなるんじゃないか。そう思ってもらえるよう願ってるんだよ。実際に、通常より背の低い人くらいだったら、普通学級に普通に通ってるよね。誰も特別扱いしない。奇妙なものを見るような目では見ない。
すべての学校に車椅子で来られる設備を用意すればいい。そしたら、健常者が一時的にケガなどで車椅子生活を余儀なくされても学校に通える。一人のために設備を整えると思うから、ぜいたくとかやり過ぎとか思われるだけで、設備を用意したら「みんなのため」に活用する方法を考えればいい。車椅子で入れる方法があれば、老人ホームを子供たちが訪ねるだけではなくて、老人ホームのほうから来てもらえる。
今は過渡期なのだと思う。障害者が町の住人として受け入れられるかどうかの瀬戸際なんだ。
将来は、普通に車椅子生活の人もそこらへんを歩いているといいと思う。脳性マヒの人も自分で車椅子を運転して自立しているといいと思う。誰もが付き添いなしで町を歩けるほど日本が平和だったらいいと思う。困っている人がいたら、誰かが助けてくれると安心できるほど、日本社会が安定しているといいと思う。
理想論だけどね。実現不可能なほどではないんじゃないかな。
※一番下に追記があるよん☆(09年07月23日1時16分)
http://d.hatena.ne.jp/DCasakura/20090716/p1
それでなくても見る目が腐ってやがるのに、こんなゴミを見ちまうと失明するぞ。
日本のインターネットが終わったのはお前みたいな病原菌が蔓延ったからだ。
個人ニュースサイトが終わった今、日本のインターネットは転換期に入ってる。
このまま朽ち果てて土に還るか、新しい新天地として生まれ変わるかの瀬戸際なんだよ。
頭悪いだろうから、もう一回言ってやる。
個人サイトの時代は終わったんだよ。
猿のお前が好きな、2ちゃんねるやニコニコ動画を見れば一目瞭然だろ?
キーキーわめいてみたところで、
お前が稼ぐアクセス数は弱小まとめブログの足元にも及んでねえのが証拠だぜ。
俺が言わなくても、一番骨身に染みてるのはお前だよなあ?
新参のふりしてもバレバレなんだよ猿が。
贖罪のつもりか知らねえけど、
今さらテキストサイト(笑)もニュースサイト(笑)も活性化なんて無理だから(笑)
まぁ、英語どころか日本語すら不自由してる時代遅れの猿が考えそうなことだが、
この三文芝居は寒すぎておぞましい。
FUCK YOU
消えうせろ。これ以上、恥をかきたくなければな。
【追記】
この記事はid:DCasakura、通称今世紀最後のバーチャルネットアイドル「朝倉なんとか」が書いた釣り記事でーす。え? 言わなくても分かってるって? でも、なんか勘違いしてる人がいたりなんかして困るので一応ね☆ ほらあちきって心が優しくて親切だからさぁ~
http://d.hatena.ne.jp/DCasakura/20090722/anond2
↑
詳細希望の兄チャマは上の記事を見ればなんとなく分かるかもしれないし分からないかもしれない!! ちなみに
http://anond.hatelabo.jp/20090209235643
は俺様が書いたものではありません。あちきのダイアリーにある「通」の方は当然あちきが書いたものだけどね! ややこしいわ!!!! 責任者でてこい!!!
でもよく考えたら証拠無いしなあとか思ったりします。匿名ダイアリーだからこその難点、もしくはロマンですよねっ
そもそもこの記事だっていったいどこまでが釣りでどこまでが本心なのやらーって感じでございます。
しかしながら、こんな記事なぞネット上のほとんどの人は知らずに生活しているわけでして、なんとも諸行MUJYO!ですよねっ ではそんな感じでまたお会いしましょう増田の兄チャマと姉さまがた! 会いたくないって? いやだなあ、そんな風に嫌がられると余計に会いにきちゃうんだからっ☆ミ
これが最も尊厳を保ちつつ、あわよくば回復する可能性もある手段。
因みに付け加えておくと、現在ワープアだけども親から一定の遺産相続が見込める方は死んではいけません。(是非、相続税を緩いままにしてくれる政党に投票して下さい)
幸せというものは、人それぞれの形があると思います。
しかし、ある程度の一般形とも呼べる幸せの形は存在すると思います。
そのある程度に達するには汚いようですが、はっきり言ってお金が必要です。
一定の所得がなければままなりません。こんな事はワープアを自覚する人ならとっくに理解していることだとも思います。
ですが、ここで改めてそれについて確認したいと思います。
物質主義と吐き捨てる人もいるかもしれませんが、
普遍的に望むものとしてまずは車でしょうか。軽自動車か中級クラスのものかは問わずに、とりあえず車の所持です。
次は住宅ですね。何千万のローンを背負って何十年もかけて返済していくあれですね。
もっともこれはワープアの身分ではおそらく契約もままならないでしょう。
まず、結婚に必要なものについてはしばしば、ネットでも議論が散見されますね。
個人の信条などで大きく左右されます。しかし、確実に一定の所得は必要だとは思いますね。
出会いやお互いの尊重が一番大切という、実に優等生な回答もよくみかけますし、部分的には私も賛成です。
ですが、この手の論を展開する人をよく見てください。
そういった人たちはまずワープアではありません。ワープアでない人たちの人生観を真に受けると
苦しみが増えるだけに終わることも多いですよ。
教育。これはワープアの方なら大概は高卒もしくはFラン大でしょう。
仕事を通して如何に学歴が人生を左右するかもよく存じておられるかと思います。
これもまた学歴だけが人生ではなく、社会にでてからは実力で勝負だと言うテンプレのような優等生的回答が存在しますね。
結婚の話と同じように論を展開する人をよく見てください。
それなりの学歴を保持している人が多いですよ。もしくは中卒だけども今は起業して平均以上の年収だという人もいます。
後者のような方は本当に実力で抜きんでたんだなぁと、感心させられるような人も実際います。
ですが、これはなかなか本人たちが言葉に出さないので見抜けないのですが(成功者は他人から良く見られる姿勢を心得ています)
強運、もしくは汚い真似を成している人が多い。
運も実力であり、汚いかどうかは個々人の基準で変わりますが、ワープアのあなたとは全然違うという事だけは理解してください。
もうひとつは老後の生活です。
仮にワープアのまま実直に生き続けたとして、若年層のあなたが高齢者になったとき
この制度はどうなっていると思いますか?年金制度については破綻論者のほうが優勢です。
ここではとりあえず、破綻したケースで考えてみて下さい。
ワープアではない方たちは良くも悪くも消費を抑えて貯蓄傾向があるそうですが、ワープアな貴方に貯蓄はできますか?
生きる中で発生する苦悩は上記以外にもたくさんあり、またそれ以上の苦痛を覚えさせるものもあるでしょう。
ありがちなものばかりですが、大勢に適用できるであろう事を改めて挙げてみました。
しかし、漠然と問題に対峙するのではなくそれの除去が可能かどうかを更に考えてみて下さい。
今から所得を増やす方法はありますか?
昭和の時代ではありません。終身雇用でもなく定期昇給もありません。ワープアではそれどころか解雇されるかどうかの瀬戸際でしょう。
地道に銀行へ預けても無駄なことですね。昔の用に金利がついて増えていくこともありません。(老人はこの辺りを隠してポジショントークを展開する人が多い)
今から政治体制を変える方法はありますか?
話し合いで解決したことって何かありますか?
これは本当にタチの悪い幻想ですね。物事は恫喝か誘惑で動きます。
善意で動くものゼロではありませんが、大局には何ら影響を与えません。
見事な高齢化社会です。世代ごとに利害関係が衝突も起こしてます。
国会答弁を見ていると、政治家も流石に完全な鬼ではなく若年層の貧困について野党がもの申しています。
しかし、与党は財源がないと切り捨てて終わりですね。財源が無いというのは一見正当性があるように見えますが、
まぁようするに問題放棄です。仮に与党が変わってもワープアは放棄されると思いますよ。
選挙に当選することが至上命題なのでご老人にとって不利益となることが国会で成立することはありません。
寝言ですね。こんなもので国は変わりません。すさまじい暴力はイノベーションを生みますが、
ワープアの引き起こす微々たる暴力は世の中に何ら影響を与えません。
人に平気で迷惑をかけるようなやつだからおまえらは落ちぶれたんだと、団塊の皆さんが説教垂れておしまいです。
全うに問題と対峙しても、明確に閉塞感を感じるだけですね。
突き詰めればやはり人を救うのは自殺です。
現在、日本では確認されているだけでも年間3万人以上の自殺者がいます。
WHO基準を用いるとなんと10万人の自殺者が発生しているとも考えることができます。
日本では年間14万人の変死体が発見されます。WHOでは変死体の半分は自殺と考えますので14万人の半分
7万人と確認された3万人で10万人といった数字に相成ります。
3万人であろうと10万人であろうと、多いと思いませんか?
また、変死体が14万人というのもすごい話です。この科学と道徳のある程度浸透した日本ですら
自然死を迎えるというのはとても難しいことなんです。ことさらワープアな人にとっては。
首吊りのインセンティブとは上述の諸問題を解決してしまうことです。
自殺とは自己保存欲の一環です。これ以上苦しみたくない。傷つけられたくないという己の尊厳を守るための尊い行為です。
一時期、硫化水素を用いた自殺が流行しましたね。しかし、あれは好ましくありません。
あれは周囲に迷惑をかけるという面において影響が大きい。迷惑をかけることそのものよりも、
事後において自分一人で死ねばよかったのに、というTVのコメンテーターにいるような普通の人々につけいる隙を与えてしまうからです。
まず、これは確実です。服毒やリストカットなどは未遂に終わったり、後遺症が残るなど確実性に欠けます。
女性の自殺志願者が未遂に終わることが多いのはそういった方法を用いることが多いからです。
よく、糞尿を垂れ流して醜い死に様であると揶揄されるこの方法ですが一定の誤解があります。
人は死後硬直が発生します。死後1~2時間程度で始まります。ポイントとなるのはいつまでも硬直しているわけではなく
数十時間経過すると筋弛緩が始まります。ここで初めて体内から糞尿が漏れ出すという事態になるのです。
およそ丸一日は硬直していられますので、こういった面を気にする方は割と発見しやすいところを選ぶと良いのではないかと思います。
また、一般的に首吊りというと空中に宙ぶらりになった状態をイメージすると思いますが、これを定型縊死と呼びます。
それに対して非定型縊死という状態があって、これは膝をついた状態で首に荷重をかけた死に方です。
結局のところ、動脈と静脈に荷重をかければいい訳なので、およそ30kgほどの荷重が必要です。
先にあわよくば回復と書きました。
とかく、ないがしろにされるワープアですがそれなりの母数はいるのです。
一人一人では本当に脆弱な一介の貧乏人に過ぎませんが、連ねれば産業構造に欠かせない要素の一つなのです。
ここに勝算があります。
現在サイレントテロなどという行動様式があります。しかし、そんなものではなま温く遅い。
従来の外部へと働きかけていたテロルを自己がいつのまにか所属していた属性にぶつける。つまり自殺です。
ドラスティックに短期間で多くのワープアが自殺すれば産業構造に大穴を開けることができるのです。
これは社会的強者、上位層を道連れにできるという効能を備えています。
他人を能動的に傷つける従来の先鋭的自殺(自爆テロ)よりも、遂行者を貶める隙を与えません。
一人一人の小さな自殺がいずれ社会を大きく変えていく……これって素晴らしいことだと思いませんか?
私自身は絶対に自殺なんてしません。自分を殺すくらいなら平気で他人を傷つけます。
その方が比べようもなく爽快で愉快な手段です。
これから先しばらくはサイコパスだけが生き残る。そんな世の中が続くと思います。