はてなキーワード: メディア批判とは
http://anond.hatelabo.jp/20131225120526
を読んでこういう真面目な増田の使い方もあるんだとちょっと感心したので自分も書いてみたいと思います。
仕事で韓国に8年在住しておりハングル語がだいたい読み書きできるので、今回の銃弾提供問題に対して韓国のネットユーザーがどのような意見を表明しているか、大手掲示板や人気ブロガーの記事を読み漁ってみた。
大雑把に言えば韓国軍&韓国政府&日本に対しての批判が大きかった。
・銃弾数の管理も出来ない為に日本から提供を受ける事になってしまった 我が国の恥である(軍批判)
・日本の軍拡を真っ先に止めなければならない立場の韓国が弾薬提供を受けるなどもってのほか(政府批判)
・日本は必要の無い弾薬提供を口実に我が国に貸しを作ろうとしているのではないか(日本批判)
こんな感じ。
南スーダンの状況が極めて予想以上に悪化しつつあるという報道がなされ始めるとネットユーザーの意見がガラッと変わり始める。どこかしら他人事のように自衛隊のニュースを眺めている日本と違い韓国は徴兵制で全ての国民が何らかの形で軍と関わっているために「身内」意識が非常に強い印象を受けます。たとえ自分の家族や友人が従軍していなかったとしても韓国軍に死傷者で出るような状況に対して国民総出で危機感を表明する文化があります。建前上軍隊を持たない日本人として最初違和感をかなり覚えたのですが、まあほとんどの国ではそんなものらしいです。この段階に入ると批判の主な矛先は韓国メディアに移ります。
・身内(軍)に予想外の危機が迫っているのに空虚な建前論で日本を批判するメディアの無秩序さはいい加減どうにかならないのか(メディア批判)
・日本は南スーダンPKOの同僚として当たり前のことをやっただけ 軍の若者と現地の避難民の生命が何よりも優先される
・批判の矛先がおかしい 我が国の未来を担う若者が遠い地で生命の危険に晒されている中でメディアは飯事に終始している(メディア批判)
・全ての事象を日本の責任に転嫁して何の果実も得ない相変わらずの朴槿恵の無価値外交(政府批判)
この辺のネットユーザーの矛先の変化に関しては朴槿恵政権と韓国メディアの無節操な立ち位置に対する9月頃から高まり始めた批判的な燻りを考慮する必要があります。政権発足当初は日本に対する強硬でぶれない姿勢と、アメリカと中国という大国相手に一歩も妥協しない立ち回り方が熱烈な支持を受けました。そのピークは朴槿恵の中国訪問時の異例の好待遇です。アジアのバランスは朴槿恵が担っているという自尊心に満ちあふれていた時代がありました。
ところが9月頃から様相が一変してきます。日本の集団的自衛権をアメリカがあっさりと認めるとメディアは180度態度を変えて朴槿恵批判に舵を取ります。「ぶれない姿勢」と評価された政権の姿勢は一夜にして「独断専行」というレッテルと張られ始めます。日本でもこういう事はさほど珍しく無いのではと感じる方もいるかと思いますが、韓国メディアの無節操さは半端じゃないです。日本で言えば2chまとめブログのような扇情的な煽りをトップメディアが率先してやります。「1週間前まで真逆のこと言ってたよね?」と我が目を疑う事もしばしばです。
まとめると現在の韓国において「目立った成果を上げられない朴槿恵政権」と「あれだけ朴槿恵を絶賛しておいて一晩で手のひらを返すメディア」の両者に対して革新系を支持する若者を中心に強い不信感を国民が抱き始めている状況です。
日本の軍拡阻止はほぼ韓国国民全員が共通して持っている考えですが、今回の弾薬提供に関しては身内の軍隊が大変な危険に晒されているという事実が周知しだすと日本の行動を批判するネットユーザーは激減しました。
どうしても日本メディアで報道される韓国に関する情報は朴槿恵政権が発したものに限られます。でも実際の国民が実際に思っていることは全くの別問題なのです。日本だって同じですよね。政権与党の方向性に反発している人は星の数ほどいます。
私はハングル文字が読めるという特異な立場にあるのでこの辺りの微妙な空気感をそこそこ感じ取る事ができるのですが、どうしてもメディア報道にのみ韓国情勢の動向を頼らざるを得ない人は「誤解」「すれ違い」が生じてしまいがちです。これは韓国人にも同様の事が言えます。
今回の弾薬提供に関してもはや日本の軍拡の第一歩だと批判する人は皆無に等しい状況です。とにかく無事で帰って来て!という悲痛な声が大半です。
http://www.youtube.com/watch?v=YbSvueCpNyA
「[竹田氏]:麻生問題ではなくて朝日問題だと思うんですよね。これ朝日新聞があそこまで書かなければ何もなかったわけですよ。で、あんな大きく書いちゃったから、世界中にですね、言いふらしてですね、ものすごいバッシングを日本が受けたわけですから、これはもう朝日新聞問題ではないかと。」(動画7:15-7:35)
上の言葉は、麻生の「ナチス発言問題」が話題になっている時に発せられた竹田恒泰氏の言葉である。私はこのような言葉が堂々と公共の電波で流されているという事実そのものが恐ろしいし、こういった発言を流すことによってメディアは自分で自分の首をしめていることを自覚すべきだと思っている。竹田の言葉のどこが問題であるのかは、彼の言葉を一般化すれば一目瞭然である。
「問題とは問題を提起するから存在するのである。したがって問題の原因は、問題提起者だ」
これが暴き出された彼の発言の論理である。この論理を正当化するのは、ただ「大衆受け」という一点である。「朝日新聞」を揶揄すれば大衆に受ける。さらに朝日新聞を「陰口を言う人」に擬人化してもう一つ大衆受け! 楽しければそれでよし! 詭弁とはいつもそういうものだ。
もし彼のこの論理が誤謬なきものだとしたら「在日特権問題ではなくて在特会問題である」ことをお忘れなきよう。しかしご存じのように、竹田氏はこの問題に関しては、前の論理を使わず「在日特権はある」と「問題」にしている(そしてそのことがまさしく「問題」になったことも周知のことだろう)。まさしく「在日特権問題ではなくて竹田問題なのである」。さてはて、竹田氏よ、きみは愛国を騙っているが、いったい何者なのだ?
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あと別件として、近頃の保守の用いる言葉には危機感を覚えざるを得ないことを書いておく。それは、存在のヒエラルキーを活用し、そこで思考停止することである。
たとえば、「朝日新聞」「フジテレビ」「中国人」「朝鮮人」「在日」「左翼」「売国奴」「えせ保守」等等の言葉を活用することがそれにあたる。他人に劣等のレッテルを貼ることで自らを想像上において優位に置こうとする努力である。「劣等者」は、存在そのものが否定的にされることによって、言葉はつねに伝わらないものになる。つまり、彼らは存在からして悪なのであるから、いかによいことをしようともそれは悪事を行うための口実である。ひと言で言えば、彼らはつねに陰謀を図っているのだ。リアリストを自認する保守のなかでバカげた陰謀論が活躍する理由もそこにある。
だが、こうした存在レベルでの思考操作の手法は元来、保守のものというよりも共産党のものと言ってよい。より正確に言えばスターリン主義のものである。どういうことか。たとえば、張成沢に対する朝鮮中央通信の報道を見てみよう。
「朝鮮労動党中央委員会政治局拡大会議に関する報道に接し、反党反革命宗派(党派)分子たちに革命の峻厳な審判を下さなければならないという我々軍隊と人民の怒りの叫びが全国を震撼させている中、天下の万古逆賊張成沢に対する朝鮮民主主義人民共和国国家安全保衛部特別軍事裁判が12月12日に執り行われた。」
この文章が極度にヒエラルキー化された存在のレベルで記されていることは指摘するまでもないだろう。これがスターリン主義的な言語である(これは批評家ロラン・バルトも指摘していることだ)。私たちはこの文章を一種異様な目をもってしか読むことができないだろう。極度にヒエラルキー化されている言語とは、その外部にいる者から見れば狂気にひとしい。保守の言葉は、私にとってひとつの狂気である(私には、ニコニコ動画などで持ち上げられている例の三原じゅん子の演説を「朝鮮中央通信」あるいは「プラウダ」と比較して逐一その言語使用法の類似点を指摘する準備もすでにある)。
保守の人びとは、自らを指して「まっとう」「ふつう」「あたりまえ」という言葉を使う。「まっとう」に暴力をふるえることのなんと気持ちのいいことか。週刊誌も便乗中だ。(「KAZUYA Channel」とか「痛いニュース」とか「ジャパニズム」を読んで「お勉強」していてはいけないよ。私はさすがにここに「諸君!」までをいれる気はしないが、「正論」「SPA!」は片足つっこんでいる。蛇足ながら言っておくが、保守を自認しメディア批判を行うならば、フジ=サンケイのダブルスタンダードをもう少し問題にするべきだ。)
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本来、国を愛するということは、罵詈雑言を並び立てることでもなく、週刊誌で下品に騒ぎ立てることでもなく、強制させることでもない。それは、一瞬の赫奕たる奇蹟であり、心のうちで突如として燃え上がっていく祭典であり、孤独の奥底に秘められたほとんど不可能な「祈り」のようなものであるはずだ。
私は色んな解釈の可能性があるっていうことをずっと言ってるだけで、今まで全ての解釈に可能性があると思って読んでますよ。
あなたが「麻生太郎がナチスに好意的で馬鹿で歴史認識を誤っている」という前提でしか考えてないので色々質問してみただけです。
正当性について語っているのは、民主主義で良い憲法下にあったドイツでもナチス独裁政権が生まれたのを例に出して、同様のことが同じく民主主義の日本でも起こりうるという例えでしょ。
その原因が、この短い発言の中で麻生氏が少なくとも4回は強調している「狂騒・狂乱」です。
あなたもご存じだと思いますが、当時のドイツはヒトラーのメディア戦略のプロパガンダなどで異常な熱狂・狂乱の中にいたのは世間の常識です。
普通「ナチス下のドイツ=静か」とイメージする人ってかなり少数だと思いますよ。
だからナチスのようにならないよう、憲法改正の議論は冷静に落ち着いて吟味すべきと読んだ方が私は自然に思えます。
狂乱の中であれば悪法のナチス憲法でも「みんな良い憲法と納得」してしまいますからね。
あと、麻生氏は後半でメディア批判をしてますけど、これだとヒトラーの手口と真っ向から反対しますよね?
ヒトラーはメディアに騒がせておいて、麻生氏はメディアに騒ぐなと言っているんで、あなたの意見だと完全に矛盾しちゃってますよ。
あなたは麻生氏が憲法改正に意欲的なように解釈してますが、私は相当慎重だという印象を受けましたよ。
このみんなというのは会場に来てる一般聴衆ですよ?憲法改正に意欲的な人がこんなこと言いますかね?
発言全体通して聞きても麻生氏は憲法改正慎重派にしか見えないのですが。
事実、この公演の後、憲法改正推進派から「もっと熱く議論すべき」と批判されてます(笑)。
ナチス憲法という言葉を使ったのは、一般聴衆にも分かりやすいように全権委任法という言葉を避けた可能性があります。
(僕も大勢の前で話すときは専門用語とか堅い言葉を避けて、みんなに伝わりやすい言葉を選びますよ。)
これで麻生氏が無知だと推測するのは、あまりに考えが浅すぎると思います。
あなたはどうしても麻生氏を批判したいがために他の意見は完全にシャットアウトな状態ですね。
色々ご意見ありがとうございます。
これがホッテントリになって賛同だらけなのを見ても、相変わらず、はてなはど素人の集まりであることを再確認した。ホッテントリになるはてなダイアリーは低レベルの記事だらけで、はてなはますますバカになっているな。
ニコニコ動画 ニコニコニュースの記者の方が産経の記者よりはるかに優秀だった件 - 埼玉こそ最強
http://d.hatena.ne.jp/tnakashi25/20110114/1295027736
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tnakashi25/20110114/1295027736
記事の主観がとか言っているのだが、新聞社の記事に主観が入るのは当たり前だ。こういう記事を見ると、新聞社がどういう存在なのかを全く知らないんだな。本来は、通信社と新聞社は分けるべきなのだが、通信社が何か、新聞社が何かというのも知らないのだろうな。新聞には明確な主観があるのは当たり前で、日本はむしろそれを抑えている。自分たちの新聞社はこの政党を支持しますと明確に言っても構わないのが、新聞社という存在。日本だけを見ているど素人には理解できないことだがね。
ニコニコ動画 ニコニコニュースの記者の方が産経の記者よりはるかに優秀だった件(その2) - 埼玉こそ最強
http://d.hatena.ne.jp/tnakashi25/20110114/1295030081
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tnakashi25/20110114/1295030081
しかしニコニコニュースはそこは読者で判断してくださいというスタンスを貫いてる。ジャーナリズムって本質的にこうあるべきものじゃないですかね?
新聞社というのは主観を述べるものであって、主観を述べずに読者に判断してくださいというのは、新聞社の存在ではないんだが。こんなのに賛同しているはてなの奴らは、報道の知識もなく、メディア批判もしているのか。
「意図的・恣意的な編集」がニコニコニュースでなされないかという点とか、ニコニコニュースの客観性とか言ってるが、ニコニコニュースなるものにここまで信じきっているのも不思議なことだな。
それとね、産経がとか言っているけど、日本の新聞の歴史を見れば、最も問題があるのは朝日新聞。朝日新聞は戦争の煽り方が尋常ではなかったからね。はてなで産経を叩いて、朝日の記事には知的だとか勘違いしているのは、日本の新聞史も全く知らない無知だな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1430361.html
「ラモスが真の日本人だ」とかいってる人は本当にラモスと同じ意見なんだろうか?
ラモスが移民受け入れ反対なのは、現状では受け入れ態勢が不十分だから。
だからもし受け入れ態勢が整えば賛成になりうるし、或いは受け入れるために体制を整えよう、という主張をする可能性はありうる。
ラモスは真の日本人とか言っている人たちはそういう主張には賛成するのかどうか。
つまり受け入れ体性が整っていようがいまいが、移民を受け入れる事に反対という人は
ラモス賞賛している人は
単に目先の結論が「移民反対!!」で自分と同じだからっていうだけに見えるんだけど。
ちょっと流れとは関係ないけど、ゲーテッドコミュニティと移民の話があったので
(メディア批判が主な内容だけど)
7分以降から
http://www.youtube.com/watch?v=r2DS9t5lzJo&feature=related
後編part10
http://www.youtube.com/watch?v=g1HkKOMhloc&feature=related
ちょっと長いので1分20秒あたりからの気になった内容を文章に起す
宮台
「例えば同じようなメディアでも、まあこれはあのう自転車で行こうっていう、皆さん見ていただきたい、インディーズ系の大阪の生野区ですよね、鶴橋とかがある。
外国人がいっぱい住んでいるところの、その精神障害の人間たちの生き方を、生き様を映している訳だけども。
これは本当に皆さん見るとびっくりするんだけど、まあ生野区ってヘリテージがあるわけですよ。郊外化してなくて凄く地元性が残ってる。
でその地元性の中にコリアンとかチャイニーズ、或いは中南米の人たちと一緒に生きていくっていう事が完全に組み込まれているから、
精神障害の、知的障害の方々がいても、別に女子高生のコギャルも平気で話かけて喋ってるし、街で歩いてりゃたこ焼き屋のおばさんが、たこ焼き奢ってくれるし
その普通なら信じられないようなですね、地元的なコミュニティー的な者と、絶えず出入りする外国人との共生が成り立っている訳ですよ。
で僕はそういうヴィジョンを見ると、メディアはこういう風にも働く事が出来る。
つまり「異質な人間が入ってくると共同体がバラバラになって不安になるんだ」じゃなくて、まったく逆だと。
むしろ共同体が空洞化してバラバラになってるから、異質性に対して脆弱になって神経質になっちゃうんだと。
だからむしろ寛容さっていうのは共同体の強固さの表れなんだ、という様な事をね、ものすごく説得的に、本当だったら描けるわけだメディアでね。
メディアはどっち側にも加担できるわけなんだけど、どうも頭の悪い思考停止野郎が多いせいか知らないけど
ある一方側の、ネオコン的ニヒリズムをブーストするようなタイプの情報ばかりが、メディア空間に溢れるという現状になっている。
これは否めないですよね。」
神保
「一つはそっちの方が取材が楽だから、ともう一つ最近感じるのは、書いてる本人が多分本気でそう思ってるんだろうなっていう感じがして……」
それにしても既存メディアの論説に書き手の主観らしきものが見えると「お前の意見はいらねぇ、事実だけを書け」みたいな論難がされるが
この様子だとネットが既存メディアと置き換わったとしてもやっぱり書き手の主観あふれる言説ばかり読まされることになりそうだが
皆さんそれでいいんだろうか
既存メディア批判をする人はノイジーマイノリティであってみんなじゃない。
そういう論難をする人が多数派ならマスコミはとっくに潰れてる。
多くの人はそういう主観を読みたいと思ってるんじゃなかろうか。
ネットは読みたいというより書きたいという部分が大きいような木もするけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070607213419
小説に影響を受け、嬉しそうに議論を吹っかけてくる君、
漫画で得た知識を自慢顔で披露してくれる君よ!
なぜTVや小説、映画、漫画なんかで書かれていることを、そうも信じるんだ!
サッカー選手が卓球について解説しているのを見たら違和感を感じないのか?
解説を信じちゃうのか?
彼らに語れるのは卓球ではなく、語りたいのも卓球ではないんだ。
サッカーなんだよ!
沢山の小説を読んで、世間について考えてるんだと思っている君!
そうか、確かに社会は腐っているね。
変えたいだって?
良いね、その心意気は好きだ。
次に君がすべきことは小説を捨てることだ。
そこには社会は書かれてない。
書いた人は小説を書くのが専門だ。
何を今更!
君は君の人生を短い時間で全てを僕に伝えられるかい?
長い時間があろうとも無理だろう?
専門家も同じように、素人に全てを正しく伝えるのは難しいんだよ。
専門家が人生を費やした専門分野を語るというのは、つまり人生を語ると同じことなんだ。
その努力は認めてるが、それでも信頼するのは恐ろしい賭けだ。
メディアは当てにならない。
それはずっと前から分かっていたことじゃないか。