副島隆彦「私はプーチンがウクライナで開戦し、感動した」…佐藤優と語る「ロシア側の見方」 - みんかぶ(マガジン)
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ブコメ見ててちょっとびっくりしたんだけど、みんな副島隆彦の言うことを鵜呑みにしすぎ。
副島隆彦は小室直樹の弟子で、社会科学つまみ食いが大好きな作家。
研究者でも何でもない自分が飯食っていくにはどうしたらいいかってことで、陰謀論を担ぎ上げて人を集めるスタイルをとっている。
師匠の姿を見てて、社会科学のつまみ食いじゃ本職の研究者に勝てないと踏んでこういう戦略を取ってるんだろう。
副島の主張は、陰謀論的なフレーズを取り除けば、その辺の左派論客とそれほど変わらない。
なので 「あらら副島センセイがまた耳目を集めようとしているわ」 という姿勢で眺めるべきであって、その言説をマジになって叩くのは、鳥肌実をガチで批判しているようなうすら寒さがある。
佐藤優もこの辺はきちんと分かってて、副島の発言に乗っかって 「ディープステイト」 という言葉を使ってるが、これは一種のリップサービスであって、読者はマジで受け取ってはいけない。
(ちなみに、むかし佐藤が別の人の対談で、「今度副島さんと対談するらしいけど大丈夫か?」 みたいな趣旨の質問を受けて 「いやあ副島さんはあれが芸風ですからなワハハ」 みたいな回答をしていた)
こういう次第で、この二人の対談は興行みたいなもんなので、マジになるな、と言いたい。
富裕層の課税が議論される時に必ずと言っていいほど言及されるのが、富裕層に課税すると彼ら彼女らが海外に移住してしまう、という意見。
海外移住は色々な点で大変だ。富裕層なので金銭的な負担は少ないだろうが、言葉の壁と向こうの文化に慣れることは大きな問題となる。そして、その解決のためには多大なる努力が必要で、お金だけでは解決できない。不自由なく意思疎通ができる語学力を身に着けたり、向こうの文化(食事・住まい・マナーetc...)を理解し慣れていくことには、結構なモチベーションとエネルギーが必要である。
そして、日本で慣れ親しんだ文化から離れることに耐えられる日本人は、どれだけ居るだろうか。あなたは、昼飯に悩んだとき、お気楽にラーメン屋やとんかつ屋に入ってうまい飯を食える生活や、家の風呂でザバザバ湯をかぶれる生活から離れられるだろうか。半年や数年程度であれば何とかなるかもしれないが、一生となるとかなり厳しのではないだろうか。少なくとも、私は幾ら金が有り余っていても絶対に無理だ。
また、日本で築き上げた人間関係から離れられる人も居るのだろうか。特に富裕層ほど人間関係が広そうだし、だからこそ金が稼げている面もあると思うのだが、そういった関係を「金がかかる」という理由で離れられる人はいるのだろうか。
ちなみに、富裕層に限らずインドネシアのような物価が低い国に移住すれば、かなり裕福な暮らしが可能である。メーカー技術者の知り合いからは、海外赴任先のホテルが5つ星ホテルだったり、使用人付きの家で暮らしていたなんて話を聞く。
しかし、長くても数年程度で彼らは日本に帰ってきた。そんな様子をみると、課税を理由に富裕層が海外移住するムーブメントは果たして来るのだろうかと思ってしまう。
なんでそんなに水かけ論がしたいんですか?
昭和の人って脚の長さにこだわりが強い人が多くないですか?
以前ラジオで5、60代の女性アナウンサーが好きな男性有名人を興奮気味に語っていたとき「なんと言っても脚が長い!」と強調していたし。
別のラジオでとある演歌歌手が若い頃二枚目なのに脚が短いのが鉄板のいじりネタだったと語られていたし。
部長が両津を貶すとき「短気短足単細胞」と言っていたこともあったし。
石原裕次郎も別にイケメンじゃないのに人気があったのは皆が顔以上に脚の長さに魅力を感じていたからなのでは?
なんでそんなに脚が長いのが価値だったんだろう?そしていつから脚の長さへの関心が薄くなったんだろう。
現在テレビ等で「チビ、デブ、ハゲ、ブサイク」あたりは現役の悪口なのに「短足」は既に悪口ラインナップから消えた感がある。
芸人がスタイルをいじられていることはあるけどバランスだったり顔の長さに対しての全体的な均整の話だったりで、純粋に脚の長さにフォーカスしたいじりって記憶にないな。
以前「日本人の長い脚への憧れと短足への強烈なコンプレックスはマッカーサー元帥が由来だ」という言説を見たことがあるようなないような…本当?それが年月が経つにつれ薄れてきたってことなのか?
要は、「キモイ」という形容詞が、集合全体を修飾するのか、部分集合を限定するための形容詞か、どっちの意味で使ってるかということだけども。
この部分、納得できないぞ。
「キモい女性」みたいに大きな集合を修飾した場合、その集合全てを「キモい」と形容するのはさすがに暴論だと思うので、「部分集合に限定している形容詞だな」と理解できる。
「キモい性的マイノリティ」とした場合、性的マイノリティ自体が十分限定的な集合なので、「集合全体を修飾している形容詞だ」と受け取られがちだと思う。
ということで、「オジサン」は十分でかい集合であって、「キモい」がそれ全てを修飾しているとは受け取れないので、詭弁でもなんでもないと思うけど。
だって、俺オジサンだけど、「キモいオジサン」って言われて自分がその集合に入ってると全然思わないぞ。
「女を異性と思うな、普通に友達として接しろ」みたいなのあるけどあれ嘘だよね。男とだったら2人で夜飲みに誘うとか全然ありだけど、女性と2人ってなったらまずはランチとか、みんなで飲みにいくにしても女性が1人にならないように他にも女性を呼ぶとか、女性の心理的負担を減らす方が良い(つまり男性と同じ扱いをしてはいけないと言うこと)に決まってる。
以下はAIイラスト叩きを見て思ったことをだらだらと並べたものです。
ロバの耳的な感じで吐き出した何かなので、あまり真剣に読まなくて大丈夫です。
「NovelAI」でAIイラストを作成できる話題が出てからやけにAIイラスト叩きを見る。
著作権とかそういうので叩いているのは分かるが、「AIイラスト」の存在自体を叩いているものも見かける。
やれ「楽をしているだけだ」、やれ「絵師から仕事を奪うのか」、やれ「描く気なくした」だのだの。
再度言っておくが、著作権云々ではなく、AIイラストが毛嫌いされているという話がしたい。
AIが毛嫌いされているのか、と言えばそういう訳ではない。
「AIのべりすと」などは面白おかしく使われて楽しまれていた。
これも小説家の仕事を無くす云々の話が上がったかというと少なくとも自分の周りでは聞かない。
では、「NovelAI」の登場でAIへの認識が変わったのかと思ったがそうでもないらしい。
「ChatGPT」というAIと会話できるものについては画期的だの面白いだのとポジティブに飛びついているのを見かけた。
以下の感想は自分がAIイラストを作成して遊んでおり、かつ、絵師ではないから思っているだけかもしれない、と言い訳しておく。
自分から見ると、絵師たちが自分たちの領域にAIが入ってきて声を荒げているだけに見える。
おばさんはどうなん?