な~にが癌のギフトやねん健康損なってなけなしの乳も取られて抗がん剤で髪までないやろがって思ってたんですけど思わぬギフトがあった~
何かにつけ巨乳アピールする女とか、育児以外にアイデンティティ保てないからとにかく子どもは良いわよこれこそが唯一至高の幸せとアピールすることに必死な既婚女性とかが超めんどくさかったんだけど、
「いや~あなたと違ってもう乳すらないですし!あ!片方は残ってますよ笑!」とか「子どもどころか薬で生理も来ないんすわ~!でも超快適~!」って言ったときの
ちょっと反応に困るんですけど系の顔!
乳はなくなったけどブラジャーする必要もなくなり、よく分からん値踏み合戦賞レースからも降りられたし、そのへんに関しては最大のギフトだなー。
https://togetter.com/li/1844786
この記事のブコメを一通り読んでなんとなくわかったんだけど、「でしょ」のイメージについては東西の認識ってそんなに異なってはいないんじゃない?
元のtogetterには「でしょう」すらタメ口と言っている人もいたけど、ブコメでは少なくとも「でしょう」は丁寧語という意見が並んでおり、それに対する反論も特にない。
これについて意見の相違はないと見える。
注目したいのが、「でしょ」を丁寧語と言っている人でも、「くだけている」ことは認めているということだ。
つまり、「でしょは丁寧語派」の中では、「くだけた丁寧語」という概念が成立している。
一方で、「でしょはタメ口派」は、くだけたら丁寧語ではないという前提が暗に陽に存在している。
これらを見るに、「でしょう」の省略である「でしょ」は、「くだけているだけで丁寧語の範疇である」VS「丁寧な言い方でないので、丁寧語ではない」の戦いといえる。
おそらく「でしょ」という表現は文法的に丁寧語にあたることと、丁寧ではないことを同時に満たしているのだろう。
ただ、肝心のその「でしょ」の中身について、両者はそれほど異なったイメージを持っていないのでは?と感じる。
だとすれば割れているのはむしろ「丁寧語」の定義のほうではないのか。
敬語には「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種があると言われている。
ゆえに「でしょ」がもし「くだけた丁寧語」と認められるのであれば、「くだけた敬語」であるということになり。「敬語である」と言える。
これに加えてさらに「タメ口」を「敬語ではないこと」と定義するならば、でしょはタメ口ではないということになる。
しかしブコメでは、タメ口と敬語には重なりがある(タメ口かつ敬語である表現が存在する)という受け入れ方をしている人が多いように見えた。
それが「でしょ」や「あざす」なのだろう。だとすると「でしょは敬語」「でしょはタメ口」は同時に成立しうる。
自分は今大阪に住んでいるが、大阪では「ちょうどよい敬語を使うべき」という文化があると感じている。
尊敬の度合いが低すぎるともちろんいけないが、高すぎても、「なんでそんなに恐縮してんの?」「ちょっと固すぎ」みたいな苦言を頂戴する。
したがって相手との関係性によって「でしょ」「あざす」のような「くだけた丁寧語」表現を必要不可欠としているところがあると思う。
他の地域にもそういった文化があるのかどうなのかがわからないのだが、これに関係して一つ思いつくのは、東京の人のいう「同期」という考え方に自分は非常に違和感がある。
「同期なのに、なんで敬語?タメ語使ってよ!」みたいな。初対面なのにね。
それなのに、ほんのわずかに先輩後輩という間柄になった途端に、togetterの元ツイの先輩のように、きっぱり上下関係の話し方をしないと許せなかったりするわけだ。まるで線を引くように。
ただ間違いなく言えるのは「すすんで生理になることを選んだわけじゃないのに、それなしの人生と比べて継続的に大きなデバフがかかる」ということ
(一部のスピが毎月生まれ変われるのは生理がある人だけ!とかわけわからんこと言ってることはあるけどあんなの例外にしていいよね…)
そんななかで、何らかのサポートを受けたいと思う気持ちが湧いてくるのは自然だよなと思う
貧困云々に関しては、本当に生理の貧困と言って然るべき問題提起からスタートしたところ、潜在的にあった生理ある者たちの苦痛が噴出したために、生理なき者たちからは本筋が見えづらくなっちゃったように感じる
私は生理が始まる前の体に戻りたい
罰みたいだもの、こんなの
〜は俺の猫、
なんで今になって騒ぎ出したのかよくわからないわ
お前すきえんてぃあだろ
https://twitter.com/kobutakundayo7/status/1493791154743115778?t=0i-cROBuRblQDb_mqD9XQg
育児関連で見かけました
ここに書いてあること全部間違ってるの?
ボレロ村上こと陶芸家C++erとして著名な村上原野さんが2020年2月に逝去されたとのこと。
https://facebook.com/100519794904313/photos/a.115722580050701/115721186717507/
2020年2月16日未明、おまえは32歳という若さでこの世を去った。
最後の作品を制作中、倒れる直前粘土をひと掻きした跡そのままに、手に竹べらをもったまま息絶えた。
きらめく魂、やさしい魂、躍動する魂よ、おまえのすべての命が燃え尽きたのだ。
「新潮」note開設の一発目の記事として谷川俊太郎が投入された
それに加えて、谷川俊太郎をよく知らない人への説明でもあったのではないか
名前と一部作品程度しか知らない人(増田のような)にわざわざ何を説明する必要があるんだ
と思うだろうけど、時事ネタへのコメントが苦手な件で、谷川もいよいよ大丈夫なのかな
などと邪推していた増田は、アレは平常運転であり老いてますます元気なんだなと納得できた
なんとなく、追悼文にアレは大丈夫なの?みたいな声が新潮の耳にも届いており
1月号にちょうどいい記事があったので編集部が気を利かせて、一番に出してくれた
と見るのは穿ちすぎだろうか
https://note.com/monthly_shincho/n/n74bb120454d4
>新聞雑誌ラジオテレビなどのいわゆるメディアから、発言を求められることがあります。大体時事的なテーマが多いのでほとんど期待に添えない。情報過負荷で矛盾に満ちたこの時代に、公的な発言ができるほど僕は知識がないし、器も大きくない。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220201-OYT8T50129/
西村賢太さんとの最後のやり取り…石原氏追悼原稿に「動揺もあって汚くなって申し訳ありません」|読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220205-OYT1T50204/
記事掲載の2日後に急逝した西村賢太の絶筆の石原慎太郎への追悼文
詩人の谷川俊太郎さんの話 として短い思い出だけが掲載されている
【特集】天才詩人と石原慎太郎氏の意外な接点 「あいつはいいやつだ」の関係|47NEWS
https://www.47news.jp/1466515.html
>彼は僕が全然やらないことを知っていて、クレー射撃の散弾銃を撃たしてくれたり、ヨットに乗せてくれて三浦半島の方まで連れて行ってくれたり。
少し前の話。昔の知人がソーシャルグッド系の団体を立ち上げていたのがSNSで流れてきた。へえとページを見ていたところ、テーマが多様性を支援し、すべての人に自己肯定感をみたいな内容だったので言葉を失った。
なぜかというと、その立上げ人物の欄にパワハラ加害者の名があったからだ。実はわずかな期間一緒に働いたことがあるのだが、観測した範囲で2名は精神病院送りにしており、素直に応援できない何かがあった。ついでに多様性とか言っておきながらやや激しめの容姿いじりなんかも日常的にしていたことも忘れない。
もう関係のない人物だから、晒そうとか懲らしめてやろうとは思わないのだが、この「自分にとって良いことを言う者のみを内側に取り込む感じ」に吐き気がした。
増田も彼らを糾弾できるほど潔白な人生を送ってきたわけではないが、なぜよりによってパワハラをしてしまう立場の人が人権やら多様性やらメンタルヘルスケアを標榜する団体を立ち上げてしまうのか。
団体のSNSや応援メッセージのリツイートを眺めているが、見事に仲間内ばかりでなにが多様性だよと思う。
多分これからも人の多様性を認めるとかソーシャルグッドを標榜して自己肯定感 を満たす人間を信じられない。そんなことを言えるのは、すでに権利を持っている側で支配する側の人間だけだよと思う。