今年初めて甲子園で投げてる子たちが子供に見えた。31歳の夏である。
もちろんもっと前から高校生との認識はあったが、初手からと「若いなぁ」と思ったのは今年が初めて。
おそいかな?
先輩たちがめっちゃできる人だからなのか、難しい仕事にたまたま放り込まれちゃったからなのかわかんないけど、自分のできなさ加減にイライラして急に涙出てくるから控えめに言ってタヒたい
色々重なりすぎてて鬱
俺たちの若い頃はもっと大変だったんだとか言われると余計鬱になるし、それ毎回言ってくるのって暗に責められてる?はやくタヒんだらいい感じ?
じゅぽじゅぽじゅぽじゅぽ
声優オタクの私は推しの声優が出演するイベントに行きまくっていた。
仲の良い声優とイチャコラしてくれればそれでいい。
そう思っていた。
コロナまでは。
顔出しは当たり前。歌も歌うし人前でライブもする。舞台も出るし写真集も出す。
アニメ・ゲームを数本出演しただけで食べていける世界ではなくなった。
そんな「仕事を増やしたい声優側」と「声優人気で稼ぎたい会社側」のニーズがマッチして生まれたのが
声優がただ何となくおしゃべりとちょっとした企画を繰り広げる30分。
放送媒体は様々であるが私が知ってる限りは「この後は有料パート」と言って月額500円のニコニコチャンネルを迫る番組が圧倒的に多い。
そしてその番組が会場を借りてリアルイベントを開催するケースも多い。
これもまた配信番組の内容と大して変わらない。変わるのは生で見るのに6000円ぐらいの入場料がかかるのと、
声優の一挙手一投足にオタクの「ヒュー↑」といった歓声が入るかどうかだ。
私はそのような声優バラエティ、リアルイベントに足げなく通った。
声優がパン食い競争したり、ケツで風船割ったり、リアルで競馬予想したり。
そういった風景を見ながらただ笑っていた。好きな声優が楽しそうで嬉しかった。
心のどこかで
という疑問を押し込みながら。
キャスティングからして闇だ。ほとんどが同じ作品に出演した声優同士を組ませる。
ファンはこう思う。
「作品以外で〇〇役の声優と●●役の声優が話してるところが見れて嬉しい」
制作会社はこう思う
「若手声優はギャラが安い」
「作品で共演しているから作品のファンが最初から番組を見てくれる」
声優はこう思う
番組初回で2人以上の番組であれば、番組が始まった経緯を言う。
制作会社、声優、ファン。すべての人間がわかっている。共演したアニメがきっかけだと。共演したゲームがきっかけだと。
関わる人間の全てが作品のおこぼれに預かっている。それが声優バラエティ番組だと思っている。
どんな内容であれ好きな声優という事実がイベントに向かわせた。
その気持ちがあったからいくら内容が虚無でもなんでも関係なかった。
2020年、新型コロナウイルスで多くのエンタメに影響が出た。
それは声優業界も他人事ではなかった。もちろん前述の声優バラエティも
自粛期間中は配信を中止したり、イベントを中止するところも少なくなかった。
私も多くを家で過ごした。
「こんなに土日に家にいるのは久々だなあ」
などと思いつつ、今までイベントに捧げた土日を自らの趣味や友達との遊びに費やした。
そんな生活を一か月…二か月と過ごしていった。
今まで暇さえあれば好きな声優のイベントに行っていた生活だったため
行かなくなった分のお金がそのまま残っていた。
そして声優以外の楽しみが増えた。
Amazonプライムで好きなアニメや映画を見た。
結論から言うと、コロナ禍をきっかけに入っていた月額制声優バラエティ番組のほとんどを解約した。
取るところも増えてきたがそれも見なくなった。おそらく今後コロナが収まって
結果コロナによって私の楽しみが変わった。
別にそれ以外でも楽しいし幸せを感じるということに気づいてしまった。
イベントを見に行って少しでも「虚無」を感じてしまっていたのが
自分が一番好きなのは声優がトークや大喜利をしてる番組ではなく
あくまでその声優が出演している作品自体やそのキャラクターだったはずだ。
そう気付いた瞬間、私はほとんどの番組を見る気がなくなってしまった。
ああ
しかも子供に安心して見せられるし(タバコ吸ったり酒飲んだりはするが)
なんでこういうものが作れなくなったの?
千葉市長って何年も前からメディア批判しているけどガン無視されているよね。
地方自治体は舐められてる。あからさまな失言をした時か、政権批判になる発言をした時だけ都合よく切り取られ紙面を飾る存在ってかんじ。
婚活垢の男も同じ
話がかみ合ってない。
そもそも俺はあんたみたいな反知性警察が来ることを見越してわざわざ「ジャパニーズ反知性主義」と書いた。本来の反知性主義の意味は知ってたので、それとは違ういわゆる日本型反知性主義(に近いもの)を意味してることを強調したつもりだった。
ところがあんたはそこを汲み取らず単に「それは本来の反知性主義ではない!誤用だ!」と突っかかってきた。そんなの知ってるよ。知っててわざわざ予防線張ってたのに警察ごっこがしたいあんたがこちらをバカと決め付けて薄っぺらい持論で煽りを繰り返す。自分を賢いとでも思っているのか?
批判を承知で無理矢理喩えると反知性主義と日本型反知性主義はJavaとJavaScriptぐらい違うものだと思ってる。俺はJavaScriptのことを書いたのにJava警察だ!誤用御用!って完全に警察の暴走じゃん。
むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある雪の舞い散る日、おじいさんが山へ芝刈りに行った帰りに沼のそばを通りますと、一羽のツルが罠にかかって苦しんでいました。
「おお、おお、可愛そうに」
おじいさんはすぐに鶴の罠をはずしてあげます。自由になったツルは嬉しそうに羽を広げて飛び立ちます。カーウカーウと声も弾んでいました。
家に戻ってからおじいさんはおばあさんに鶴を逃がしてやったことを話します。
「まあまあ、それはよいことをしましたね」
おばあさんもニッコリです。そこへ、トトトン。扉を叩く音がします。こんな夜更けに誰でしょうか。しかも外は雪です。
不思議に思いながらもおじいさんが「はいはい、どなたですかな?」と 扉を開けますと、そこには真っ白な着物を着たかわいい娘さんが立っていました。
「夜分すみません。都まで商いに向かう途中、大雪に降られて困ってます。どうか一晩泊めていただけませんか」
「それはお困りじゃろう。さあさ、中へ中へ」
おじいさんは娘を家に上げ、温かいお粥を出してあげます。話を聞いていると、娘は身寄りが一切なく一人ぼっちだということでした。
「それはかわいそうに。あんたさえ良ければしばらく家におってくれたらええ。この雪はもうしばらくはやまんじゃろうし。なあばあさんや」
「ほんと、そうしてもらえると私たちも年寄りだけの淋しい暮らしじゃから若い人がおってくれるんは明るくなってええんですよ」
こうして娘はおじいさんおばあさんと暮らすことになりました。娘は家においてくれるお礼にと、まめまめしく働きます。おじいさんの山仕事やおばあさんの洗濯を手伝います。掃除も丁寧で、うすよごれていた部屋がピカピカになりました。
ある時娘は布を織りたいので糸を買ってきてくれとおじいさんに頼みます。自分は織物が得意だから、少しでも家計の手助けがしたいというのです。
おじいさんが糸を買ってくると、娘は機織の周りに屏風を立てて、
「織りあがるまでけして覗かないでください」
と言って織り始めます。
ぎーこっとん、ぎーこっとん
屏風の向こうで機織の音が響きます。夜になってようやく娘は出てきました。
「これを町に持っていって売ってください」
それは見事なできばえでした。手触りはフワリと柔らかく、飛び立つツルの絵が刺繍されています。おじいさんおばあさんはびっくりしました。
おじいさんが町へ売りに行くと高い値段で売れました。そのお金で味噌や米を買って、久しぶりにごうかな夕食をとることができました。
「白米なんて何年ぶりじゃろう。ありがたいことじゃ」
と、三人で楽しく飲み食いしたあと、もう寝ようというころになって、娘は言います。
「私は夜なべして布を降ります。お二人は休んでください」
「なにを言うとるか、だいぶ頑張って疲れたじゃろう。今夜はゆっくりやすみなさい」
おじいさんおばあさんが止めるのですが、娘はとりあわず、明け方まで
ぎーこっとん、ぎーこっとん
機織りをしていました。
そして翌朝また見事な布が織りあがっていました。
おじいさんはそれを町に持っていって売る、
お米や味噌を買う
また、娘は夜なべして機を織る、
翌朝見事な布が折りあがる、
おじいさんが売る、
お米や味噌を買う
こんなことが一週間ばかり続きました。さすがに娘も疲れている様子です。
「今夜は絶対寝なさい。ムリがたたって病気になったらどうするんじゃ。今夜は、機織はナシ。ゆっくり休むんじゃ。わかったね?」
「でも…せめてもう一枚」
「だめだめ!約束しておくれ。今夜は休むって」
娘はしぶしぶ承知しましたが、「最後にもう一枚…急がないと」とぶつぶつ言っていました。
夜更け、おじいさんが目をさますと、
ぎーこっとん、ぎーこっとん
「またやっとるのか。まったく…どこまで自分を追い詰める気じゃ」
隣で寝ていたおばあさんも起きだします。
「おじいさん、だいぶ機の音がくたびれてますね」
「え、でも、覗いたらいけない約束じゃなかったですか?」
「そんなことも言っとられんじゃろう」
そうしておじいさんは屏風に近づき、
「まだ起きとるのかい」
…と声をかけようとしましたが、その時屏風のスキマからちらと中の様子が見えまして、
ハッ!?
おじいさんは一瞬目を疑います。
ぎーこっとん、ぎーこっとん
そこに娘の姿はなく、一羽の鶴が機を織っているのでした。鶴は自分の羽毛を抜いて、布に織りこんでいました。道理でキレイな布が織れるはずです。
おじいさんがボーゼンと屏風の前に立ち尽くしていると、娘がスゥーと出てきまして、
「見てしまったんですね」
「えっ?」
「どーも、あのときのトビウオです。でも、正体を知られたからにはもうここにいられません。いつまでも一緒に暮らしたかったのに…」
「すまん!のぞくつもりはなかったんじゃ。なんとかこのままいてくれんじゃろうか?」
「ほんとの娘みたいに思っとったんよ」
「おじいさん、おばあさん、ありがとう…。ここで過ごした楽しい思い出はけして忘れません」
見る見る娘は鶴の姿になりまして、カーウカーウと哀しそうに鳴いて、冬の空へ飛び立っていきました。
おじいさんおばあさんはその姿をいつまでも見つめていました。