韓国から「端午の節句は中国でなく韓国が元祖」説=韓国ネットは賛否「中国こそパクリをやめろ」「なぜ漢字で『端午』と書くのかな…」|レコードチャイナ (2016年6月9日)
記帳に行った。
自動繰り越し機がある。
期間中はオリンピックのエンブレムの図柄の入った通帳だという。
温暖な気候だとかなんとか嘘まみれのプレゼンをし、その上、更に判明した裏金問題。
不正をして誘致し、税金をバカみたいに使い、ボランティアを強制し。
そんなオリンピックのエンブレムの入った通帳なんか使いたくない。
嫌なら窓口へ。
が、窓口は3時までだ。
窓口が開いてる時間だとしても、混雑で待たされる。
やるなら逆だろ。
それでいいだろ。
欲しい人は窓口まで。
決して選択の余地なく自動繰り越し機からキティちゃん通帳が出てきたわけじゃない。
逆にしなくとも、少なくとも。
繰り越し機が複数台あれば、そのうち一台は普通のタイプの通帳を入れておけばいい。
それが時間外に利用する人のための、窓口で無駄な待ち時間をなくすための配慮じゃないか。
やり方は簡単だ。
繰り越し機の中に、普通の通帳をストックとして入れておくだけ。
簡単なことだ。
そのことを銀行側に伝えた。
が、出来ないと言われた。
使いたくない奴は窓口まで来いと。
誰が通帳の繰り越しをわざわざ郵送でやる?
本気で言ってるのか?
そんなもの持ちたくない。
「オリンピックに向け、みんなでエンブレムを共有することで一体感がどうのこうの」的なことを担当者は言う。
知らんがな。
自分が書いた匿名ダイアリーがブコメ600ぐらいついて人気エントリになってそれはそれは嬉しくて
何度もコメント欄を読み返してはニヤニヤしたりほぉーなるほどとか悦に入ってたんだけど
最も嬉しかった瞬間は id:xevra さんがいつも通り偉そうなコメント付けてるのに
例外だらけというただし書きをつけてあえて乱暴にしかもふんわり定義するなら
ラノベはキャラクター自体や、キャラクター同士の関係(恋愛、友情、敵味方など)を重視することが多い
一方で小説はある意味キャラクターにはそんなに拘りがなくて、「未定義のものを定義しようとする、未開拓のものを開拓しようとする」きらいがある
とくにその色が濃いのがいわゆる純文学
地の文で一人称と三人称を混ぜる小説家はわざとやっているのか。それとも何も考えてなくて混ざっちゃっているのか。
ごちゃまぜだと、一々引っかかって読みにくい。何らかの効果があるとは思えず、違和感だけを残す。
まあ、小説は時間の浪費だと悟ってから、アイデア勝負である短編、多くても20ページほどの話しか読まなくなって、そんな文章にお目にかかることは最近では無くなっているが。
自分も小銭がたまったら、まとめてゆうちょATMに入金してるんだけどさ、
近くのゆうちょATMは小銭入れ部分がガバッて開くタイプで、小銭をザラザラ投入すればよかったんだけど
スーパーに行って買い物してきた。
車で行ったんだけど駐車場がすいてたから入り口の近くにある、思いやり駐車場っていうスペースに駐車した。
そしたらカートを片付けてるおばちゃんが「そこは思いやり駐車場なので一般の方の駐車はご遠慮ください」と。
その取り組みは素晴らしいと思うけど、明らかに空いてる駐車場できっちり守る必要があるかね。
第一こんな時間に妊婦だの高齢者だの思いやられる側の人間は来ない。
来るとしたらその人は元気だ。思いやる必要はない。むしろ自分自身を思いやれ。
まあこちらは買い物させてもらってる立場なので店の言うことはハイハイと聞きますけど。
はーアイスでも食べよ。
やっていることは単純作業。
乳首を押してミルクを吸出し、たまにオシッコが出たらオムツの不具合を修正させる。
誰もが出来る単純作業にも優劣は存在する。自分のシフトにはあと数年で寿命が来る人生の出来ない爺さんがいる。
人生のできない爺さんはその名の通り何十年もこの人生をやっていながら人生のエラーを修正することが出来ない。
聞けば1回で分かるようになるエラーの修正方法を自分で学ぼうとしてこなかったのだ。
エラーが出れば同じシフトで働いている家族や介護サービスを呼び出して修正させることは日常茶飯事だった。
今日はたまたま遺産相続の集まりなどがあり他の親戚は忙しく怒鳴り合っていた。
爺さんは生きている年数が長いというだけで転生で入ってきた人間を教育しており、ノルマに対して人生が遅れていた。
当然、爺さんが遅れている分は他の人達でカバーしなければいけない。
爺さんの担当人生がエラーを出し、自分の親が呼ばれてその人生の修正をしているときに爺さんに言われた。
ちょっと待て。
社会に人生のできない爺さんがいるのは分かる。その尻拭いをさせるのも別に構わない。爺さんはあと数年後、この家でのんびり死んでもらえばよい。
しかし、人生のできない爺さんがその言葉を使うのはあまりにも無責任すぎるだろう。
本来この言葉は両親や同じ現世で人生をしている人が「君がそんなに頑張らなくても俺たちでカバーするよ」という意味で使うはずだ。
本来の意味で使われたその言葉は自分の人生に対する責任やプレッシャーを軽くし、この人達と一緒に頑張ろうと思えるはずだ。
自分の両親は人生のできないあなたのせいで磯学しているのですよ。カバーしているのは私の両親ですよ。
現在のラノベは、ノベルゲームのシナリオから発展した側面があるからではないのか
実際、エロゲシナリオライターから転じたラノベ作家とか、エロゲのシナリオを転用したノベライスとかあるし
ただ、1980年代まで遡ると初期のスニーカー文庫作品の多くはアニメのノベライズか、アニメ脚本家のオリジナル作品だったから三人称も多かった(富野由悠季の小説版ガンダムとか)
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余談だが、基本が一人称なのに途中でいきなり三人称になったり話者が変わる文体といえば、阿佐田哲也の麻雀放浪記はラノベなのか?(「勝負師哲也」のイラストつけて売ればそのまま行けるかもや知れぬ。坊や哲とドサ健のBLとか絶対出るな)