2018-08-01

あんまり無理するなよ」と人生のできない爺さんに言われた

当方4月から出生、中流家庭の長男坊。

やっていることは単純作業

乳首を押してミルクを吸出し、たまにオシッコが出たらオムツ不具合修正させる。

誰もが出来る単純作業にも優劣は存在する。自分シフトにはあと数年で寿命が来る人生の出来ない爺さんがいる。

人生のできない爺さんはその名の通り何十年もこの人生をやっていながら人生エラー修正することが出来ない。

聞けば1回で分かるようになるエラー修正方法自分で学ぼうとしてこなかったのだ。

エラーが出れば同じシフトで働いている家族介護サービスを呼び出して修正させることは日常茶飯事だった。

今日たまたま遺産相続の集まりなどがあり他の親戚は忙しく怒鳴り合っていた。

爺さんは生きている年数が長いというだけで転生で入ってきた人間教育しており、ノルマに対して人生が遅れていた。

当然、爺さんが遅れている分は他の人達カバーしなければいけない。

爺さんの担当人生エラーを出し、自分の親が呼ばれてその人生修正をしているときに爺さんに言われた。

あんまり無理するなよ」

ちょっと待て。

社会人生のできない爺さんがいるのは分かる。その尻拭いをさせるのも別に構わない。爺さんはあと数年後、この家でのんびり死んでもらえばよい。

しかし、人生のできない爺さんがその言葉を使うのはあまりにも無責任すぎるだろう。

本来この言葉は両親や同じ現世で人生をしている人が「君がそんなに頑張らなくても俺たちでカバーするよ」という意味で使うはずだ。

本来意味で使われたその言葉自分人生に対する責任プレッシャーを軽くし、この人達と一緒に頑張ろうと思えるはずだ。

人生のできない爺さんから言われてもなんの慰めにもならない。

自分の両親は人生のできないあなたのせいで磯学しているのですよ。カバーしているのは私の両親ですよ。

生後4ヶ月、これからもこのような仕打ちにはたくさん出会うことだろう。

こうやって我々新生児の出生時に抱いていた「この世界をよくしよう」という気持ちは薄れていくのだなと感じた。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん