自分は根暗で、人間が嫌いで、自分にとって嫌なことがあるとすぐにスマホでネガティブワードで検索をし始め、精神病の名札がほしいというただそれだけの思いで精神病を調べまくってたらいつのまにかバーナム効果に陥っちゃってたり、ルサンチマンとかアレキシサイミアとかいう自分の中でかっこいいと思っているカタカナの文字列をわざわざ使いつつ、大学の心理学とか哲学だかの講義の論述問題で自分のどっよ~んとした心情を吐露して先生をドン引きさせて人様に迷惑をかけない主義の自分が先生に迷惑をかけたりしている超アイデンティティークライシス状態のつい最近虐待以外で自分の意志で飲酒しても未成年者飲酒禁止法に引っかからない程度の年齢になった大学生だけど、
本当の幸せになりたい
と思った。
自分の中での本当の幸せの定義は、「恒常的に幸せであると"感情レベル"で感じることができている状態」のことである。
感情レベルで感じるというのは、感情的に感じることができるということであり、逆に、いままで見てきた人の中に「~だから幸せだ」という、"考えた"結果として自分は幸せであると言っている人がいて、これを"思考レベル"の幸せというのならば、自分の中では 思考レベル < 感情レベル という幸せ度の違いがある。
そして3時間程度考えた結果、本当の幸せになるには性格を変えなければいけないという結論に至った(性格は簡単に変えることができないと考慮した上での結論である)。
なぜそのような結論に至ったのかというと、自分の中では感情とは脊髄反射に似たような反応であると思っていて、脊髄反射に似たような反応は性格によって起こっていると思っているので、脊髄反射的に幸せを感じるには、性格という不可侵領域をなんとか書き換えるしかないと思ったからだ。
自分の中では性格という地盤の上に考えが成り立っているので、思考レベルの幸せで妥協しようとしても、自分の場合は情緒不安定で考えが性格に支配されているので、考えがコロコロ変わり恒常的に思考レベルの幸せを感じることができない。
そこで、考えがコロコロ変わってしまうのなら、その考えを性格に強制的にインストールしてしまえばいいんじゃない?と思ったが、それはもはや"思考レベルのインストール"でしかない。
やはり本当の幸せになるためには、大嫌いな第三者に自分へ自分が感情レベルで脊髄反射的に感じる言動を与えてもらって性格を書き換えてもらうしかないのだろうか。
LSDが合法だった時代のアメリカに生まれなかったことを嘆きなさい