ようは職業訓練校なんだけど、保険払ってないひとでも受けられるようになったもの
給付金制度も併設されてて、月10万円もらえる。(前年度の所得とか扶養関係とかでもらえないこともある)
結論から言うとすごくいいと思う
金いらないってのもいいけど
なによりおれが言いたいのは、身になる感半端ないってこと
というのも毎日同じ科目を続けて教えてくれるんだよ
HTMLなら一週間ずっとHTML、そのあとCSSをずっとみたいな
これがすごくいい
記憶に定着するし、体でも覚える感じ
習うより慣れろみたいな話あるけど
この学校のカリキュラムだと、習うし、慣れるし、ほんと素晴らしいと思う・
実は、一昨年WEBデザイナーになりたくて専門学校に行ってたんだよ。結局嫌になって中退したんだけど
基本教養みたいな、直接WEBデザイナーに関係なさそうなものばかり
WEBデザイナーに関係してそうな授業が一日に1コマか2コマなんだよね。
しかも毎日違う科目(月曜はHTML火曜はC言語、水曜はデザイン論みたいな)
予習復習が前提だった
すごく苦痛で、俺には才能ないなと思ってやめたんだよ
それでいろいろあって、ハロワで訓練の案内見つけてタダだしだめ元で行ってみたんだけど
これが大当たり
今の学校じゃ、毎日5コマですよ。余計な授業はしない。ただひたすらWEBデザイナーになるためのカリュラム
このあとphotoshopとillustratorとjqueryとphpとwordpressと、あとSEOもやるらしい
気になったところも、次の時間すぐ解決。なぜなら毎日5コマあるから!
あーこれだ!俺が求めてた授業形態はこれだったんだって思った。
大学とかだと教養とかそういうのも大事なんだろうから、一見関係ないものもやることに意味がありそうだけど
専門学校は訓練校みたいな形にするべきだとおもうな(すでになってるならごめん)
お前は、そうやって、物乞いやってるのがお似合いだよ。
お前の親が困ってるのは、お前の親の意志で、うさぎ小屋を建てたからだろ。
そこで、困るのはお前の親が見通しが甘かったか、無計画だったからだろ。
大人になった案件はもういいよ
俺と境遇が似ててゾっとした
年金について - 産前産後休業保険料免除制度 | 日本年金機構
ハローワークインターネットサービス - 雇用継続給付(サイトがまだ更新されてない?)
どっちも届出が必要らしい
なんだよ、単なるうつ病患者じゃねーかよ、ヤンデレやメンヘラはよ。
メンヘラはうつ病患者らしく通院して病人らしく生きればいいのに
治そうと努力すればいいのに
つきあう人は大変だろ
もう一回いうぞ
急いでいるわけでも、賢くなければいけない理由もないので、
北に歩いた。
近くまで行けば見えるだろうと言う目論見だ。
ところが、歩けど歩けど斜塔は見えず、疲れてしまった。
一息つこうとバールに立ち寄り、カプチーノと伝え1ユーロ硬貨をカウンターに置いた。
この店のカプチーノを再び飲むことは二度と無いだろう。
まあ業種とか職種とかは何でもいいんだけど、「なぜ○○は成功しないのか」「なぜ××は儲からないのか」みたいな話ってさ、どんだけ理屈をこねくり回しても「その会社のトップが仕事が全然出来ないから」って所に落ち着くんだよな。
末端や現場の人間達がどれだけ優秀だったとしても、トップが不勉強で見当外れな方向見てたら、やっぱり焼け石に水だよ。
だから新聞や経済誌みたいな商業メディアの記事って、いかにしてその現実から逃避させてくれるのかを競ってるようにしか見えない。
オフコース・アルフィー・杉山清貴・稲垣潤一・来生たかお・・・
レパートリーに楠瀬誠志郎、KATSUMI、ミスチル、スピッツ、谷村有美辺りが加わった。
だが、世紀が明けて2000年代になって、パタッと音楽を聴かなくなった。
一つには個人的にそれどころじゃない(赤ん坊ができた)というのもあるが、以前だったらカウントダウンTVとか
耳が保守化したのかな?とも思ったが、日本の音楽自体が変質した気がする。
一番感じるのは、いわゆる「ラップ」というのか、メロディーラインを軽視してリズムを重視して、
「語るような感じ」の音楽が増えてしまって、メロディー・ハーモニー重視の自分の嗜好と真逆になったのが大きい気がする。
アルフィーの3人のハモリみたいな楽しさが、2000年代以降の音楽に、全く感じられなくなっている。
大学生の頃、コンビニでアルバイトをしていた。烏丸通という表通りから、少し離れた裏通りにあるマンションの1階で、客のあまり多くないコンビニだった。「バイト代は安いけど楽だろう」と思って応募した。
実際楽だった。僕は大学生だったから夕方から夜にかけてのシフトに入った。オフィス街の近くだから夜は本当に客が少ない。仕事帰りに寄る人が数名、近くに住んでいる人が数名、上のマンションに住んでいる人が数名というだいたい決まりきった人数だった。仕事といえば品出しと、掃除と、レジぐらいで、ほとんどの時間はシフトに一緒に入っているバイトの人と喋っていた。夕方のシフトは同じ大学生の女の子や就職浪人している人など、年齢の近い人が多かった。
コンビニでバイトしたことがある人なら知っていると思うけど、シフト交代の1時間は次の人と被ることになる。夜間シフトの人は夕方の人と毛色が違った。基本的に年配の人が多く、夜間は一人で物騒だから男性に限られていた。僕はその、限られた交代の時間だけ一緒になる夜間の人と仲良くなった。
その人は28歳で、とても社交的な人だった。高校を卒業してからは吉本のNSCにいたそうだ。その後コンビを解散して何故コンビニで働いているのか聞かなかったけれど、「機会があればまたお笑いをやりたい」と言っていた。
僕がその人と仲良くなったのはただ「社交的でおもしろい人だから」という理由ではなかった。僕は普段人と話すことも少なく、一人でいることが多かったが、その人とは妙に会話が弾んだ。彼は「君は僕に似ているよ」としきりに言った。僕はそう思えなかった。むしろ対極にあると思ったが、そうやって自分に関心を示してくれることについて悪い気はしなかった。
僕らは二人とも映画が好きだったけれど、映画の話をしても見る映画が全く違った。唯一二人とも見ていた映画は「乱」だった。その映画を見る視点も全く違っていた。僕が感じたのは、シェイクスピアの原作を時代劇に当てはめるとどうしても違和感があるとかそういうことだった。その人が大絶賛していたのは隆大介演じる三郎が死ぬシーンだった。「いつ殺されのか全く気付かなかった。あのシーンで急に馬から落ちる演出は度肝を抜かれた」などと熱く語っていたが、僕にはあまり理解できなかった。
そんな中で唯一分かり合えたのが「笑いどころ」だった。彼は小田原ドラゴンが好きだった。人を蔑む笑いというのは、蔑まれた事がある人によって本当の笑いに変わる。人を蔑んだことがない人や、逆に蔑んだことしかない人には、その笑いを真から理解できない。蔑まれたことのある人が唯一笑いに変えることができる。
彼とは、僕が大学を卒業してからも「バンドを組もう」と誘われたり、就職してからも「君は絶対に社会と合わない。今からでもコンビ組もう!」などと誘われていたが、お互い携帯を変えたタイミングで連絡先がわからなくなり、それっきりとなった。
それからもう5年経ち、いまだに彼のことを懐かしく思う。僕は結局会社を辞め、あの時のあなたと同い年になりました。あなたは今何をしているのですか。