MC「今日はなんと、メンバーの○○君の誕生日です!はぴばすでー(歌、ひどい時はケーキとか出てくる)」
客「(今日初めて見ておそらくもう二度と会わない奴の誕生日なんてどうでもええがな…)ぱちぱち」
マジうざいからやめろや
The publication in France of our book Impostures Intellectuelles [1] appears to have created a small storm in certain intellectual circles. According to Jon Henley in The Guardian, we have shown that ``modern French philosophy is a load of old tosh.''[2] According to Robert Maggiori in Libération, we are humourless scientistic pedants who correct grammatical errors in love letters.[3] We shall try to explain here why neither is the case.
Some commentators go farther, attacking not our arguments but our alleged motivations for writing the book. Julia Kristeva, writing in Le Nouvel Observateur, accuses us of spreading ``disinformation'' as part of an anti-French politico-economic campaign[4]; she was even quoted (we hope misquoted) by the Italian daily Corriere della Sera as saying that we should undergo psychiatric treatment.[5] Vincent Fleury and Yun Sun Limet, again in Libération, accuse us of seeking to divert research funds from the social to the natural sciences.[6] These defences are curious: for even if our motivations were indeed as ascribed (and they most certainly aren't), how would that affect the validity or invalidity of our arguments? We have the modest hope that calmer heads will soon prevail among both our supporters and our critics, so that the debate can focus on the substantive content of our book.
Which is what? The book grew out of the now-famous hoax in which one of us published, in the American cultural-studies journal Social Text, a parody article chock-full of nonsensical, but unfortunately authentic, quotes about physics and mathematics by prominent French and American intellectuals.[7] However, only a small fraction of the ``dossier'' discovered during Sokal's library research could be included in the parody. After showing this larger dossier to scientist and non-scientist friends, we became (slowly) convinced that it might be worth making it available to a wider audience. We wanted to explain, in non-technical terms, why the quotes are absurd or, in many cases, simply meaningless; and we wanted also to discuss the cultural circumstances that enabled these discourses to achieve such prominence and to remain, thus far, unexposed. Hence our book, the noise and the furore.
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よく食事にいったんだ
プレゼントもした
付き合ってくれとは確かにいってなかったけれど
ほとんど付き合ってる状態だと思っていた
セックスこそやらなかったが
よく家に泊まりに来た
帰るのは次の日の昼ごろで
眠くなったら俺の目の前で仮眠とかとっていた
鍵も渡してあった
互いに好きだといっていた
俺と話す時はすごいうれしそうな顔してて
しばらく会わなかったらメールで「ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?」
「他に好きな人がいるの」だと。「君の事は大事な友達のつもりだった」だと。
畜生。もう一生女なんか信じない。興味もない。おれは一生独り者だ。
ソース示せなくて申し訳ないけど、英語の書籍を日本語に翻訳したら結構ページ数増えるって何かで読んだことある。
「どう表現するか?」
だから本を読んでない=語彙力に通じる部分が多かれ少なかれあると思う。
日本語って結構難しい表現ばっかりつかってると思う。個人的に。
日本語で英語みたいな文章書いたらすっごいドライな印象しか与えないと思う。
それを外国人が読むなら、簡潔に書いてるねってなると思うけど、日本人が読んだら、説明書か?ってなるんじゃないかなと個人的に思う。
もともと人づきあいは苦手
まわりが盛り上がる中同調して場を盛り上げることが苦手
上辺だけの同調を許せない
でもこれまでは、少ないなりに友人もでき、
そこまで明確に周りから拒絶の意思を示されることはなかった。
特に飲み会の場で、あからさまな“拒否”の態度をとられるようになった。
皆もう本音を隠すことなく、いやのものはイヤって、明確に示すようになる
社会人になると。
最近ホントに凹む。そりゃあ不器用で、誰にでも過剰なくらいに親切に誠実に接して、それが相手をひかせているんだってことは分かっているけど、それ以外にどうすればいいのかわからないから僕は全力で相手のために働くんだ。仕事をするんだ。そして結果、ひかれるんだなぁ。
今ではもう、どのような態度をとれば自然な行動なのか、いつも模範解答を考えるようになってしまい、なおさらぎこちない言動をするようになってしまっている。
最近は、ようやく「自分と波長が合う!」と思えた人と出会えたのに、その人からも突然手のひら返しの冷たい態度(距離をあける態度)をとられてしまって、そのショックたるやすさまじかった。もういよいよ人間不信で、誰も信じられない。
誰とも分かり合えないよ。
もともと人づきあいは苦手
まわりが盛り上がる中同調して場を盛り上げることが苦手
上辺だけの同調を許せない
でもこれまでは、少ないなりに友人もでき、
そこまで明確に周りから拒絶の意思を示されることはなかった。
特に飲み会の場で、あからさまな“拒否”の態度をとられるようになった。
皆もう本音を隠すことなく、いやのものはイヤって、明確に示すようになる
社会人になると。
最近ホントに凹む。そりゃあ不器用で、誰にでも過剰なくらいに親切に誠実に接して、それが相手をひかせているんだってことは分かっているけど、それ以外にどうすればいいのかわからないから僕は全力で相手のために働くんだ。仕事をするんだ。そして結果、ひかれるんだなぁ。
今ではもう、どのような態度をとれば自然な行動なのか、いつも模範解答を考えるようになってしまい、なおさらぎこちない言動をするようになってしまっている。
最近は、ようやく「自分と波長が合う!」と思えた人と出会えたのに、その人からも突然手のひら返しの冷たい態度(距離をあける態度)をとられてしまって、そのショックたるやすさまじかった。もういよいよ人間不信で、誰も信じられない。
誰とも分かり合えないよ。
「このひと、私のことをそんな目で見てたんだ」
ってショックを受けた。
気持ち悪くなった
急に
おええ
おええおええええ
そういう恋愛感情と全然関係ないひとだからこそ、安心できたのに
それを裏切られたような気持ち
これは裏切りだ
そんなややこしい愛だとか恋だとかが、からまなきゃいけないんだろう。
男女の愛以上得がたくて、崇高なものだろう?
国立環境研究所は、2013年1月から2月初めにかけて日本各地において観測されたPM2.5の高濃度現象を、現時点で入手可能な観測データとシミュレーションモデルをもとに調べました。その結果、全国の一般環境大気測定局における環境基準値超過日数(1日平均値35μg/m3を超過した日数)は16日であったこと、西日本で広域的に濃度が上昇し九州西端の離島でも高濃度が観測されたこと、観測とシミュレーションモデルの結果を総合すると越境大気汚染が影響していた可能性が高いこと、大都市圏では越境汚染と都市汚染が重合して濃度が上昇した可能性があること等がわかりました。
本発表は、PM2.5濃度の概況、越境汚染による影響について速報し、現時点での国立環境研究所としての知見を提供しようとするものです。本発表の一部は、2013年2月13日に開催された環境省の「微小粒子状物質(PM2.5)に関する専門家会合(第1回)」の資料として使用されました。
環境省の大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」のデータをもとに、2013年1月1日~2月5日における日本全国のPM2.5濃度の概況を調べました。
(注)「そらまめ君」からダウンロードした速報値データを用いて解析したため、今後のデータ等の追加やデータ確定作業により、以下の数値は変化することが予想されます。
① 西日本4地域の一般環境大気測定局(以下、「測定局」という。)における日平均PM2.5濃度の平均値と最大値を見ると、期間中に何度となくPM2.5濃度が高くなっている特徴が認められます。特に、1月13日前後、1月21日前後、及び1月30日~2月1日には4地域ともに濃度が上昇して、最大値が50μg/m3を超過する地域もありました。(図1)
性行為についての軽々しい言及がタブーなのは実名環境かつ公共性の高い場での話であって、増田のような匿名環境ではその社会規範は全く機能しない。
増田のような匿名環境下ではカジュアルに言及することは許容される分、脈絡なく言及すると必ず言及者当人の欲望やコンプレックスに結びつけられてしまいます。
また現実での生身の付き合いと違って、誰だかわからない相手の感情を害しても後々それが実害になって返ってきたりするリスクが低いのでガンガン非難しやすい/されやすいです。
社会規範のかたちが変わってくるというか、発言の自由がある分発言自体のキモさへの非難をより負うことになる。
「現実では誰にも言えないから増田に書いてみた」がセーフなだけで、実際書いた内容が支離滅裂だったりクズだったり品がなかったりすると「支離滅裂」「クズ」「下品」と突っ込まれます。
結果的には「コンプレックスをいじり回されたくなかったら無駄に性的な事は言わないでおいた方が得」という(一種損得勘定的な)プリミティブなかたちで規範は機能してきます。
>わざわざセックスがどうこうなどと言わなくても、「女は子どもを産むべき」とだけ言えばそれで済む。セックスがどうこうなんてゲスなだけで一利無し。
↓
>だから書き手が女なら「増田ばっかりして子ども産まない女ってどうなの?」とかそういう批判する方向に来ます。
ここ、論理の飛躍。「女であればゲスではない」という大前提がないとここは繋がらない。
「だから」で繋がらない。
女が「女は子どもを産むべき」と言う時、それは他人に規範を押しつけていると同時に同性に規範を示していることにもなります。
つまりそういう叩きをやる女は自身について「私は規範を示している」と認識している心理なわけです。極言すると正義の執行側にいるつもりということになる。
そこでセックスに言及することは正義の正義性を揺らがせます。何せ品のないことについて、言及するだけ無駄なのに言う。これは嫌がらせであり正しくありません。
だから言わない。「女であればゲスではない」のではなく、「正しい事を正しくない人に注意してあげる人間なのだからゲスな事を言って正しさを減じさせてはならない」という心理的な前提があるので、セックスには言及しません。
そして別の記事で触れましたが、この「正義」にはこれ自体に固有のキモいゲスさが別種として有りますのでそもそも「女であればゲスではない」という前提は大雑把すぎて適当ではありません。元記事の「ゲス」という表現を引用しただけだと思いますが。
あと、もちろんあのトラバを書いた増田が実は女性であるという可能性は匿名記事の特性として微レ存してますが、はっきり言って説得力がないので主張するだけ無駄だとは思います。というかたとえ画像アップロードまでしたとしてもいくらでも偽造は可能なので事実上証明は不可能です。
しかし「男にしかできない表現とか言いやがって、女が書いたのかもしれねえだろうがよ。あ?どんな女がって?知らねーよそんなこたァ」では単なる非難逃れです。
書かれたものそれ自体から推論する余地があるのならば、それを行わずに書き手についてどうこう言うのは決めつけの域を出ません。
あの表現の「〜しなさい」というのは同性が同性に規範を提示する際の文法ではなく外部から非当事者がルールを示す際の物言いです。
同じ「宿題をしなくてはいけない」という規範が内在化されていても、母親なら「宿題しなさい」、同級生なら「宿題やった?え、まだ?それヤバいよ」と表現が変化するのと同じです。
「女はちゃんとセックスして〜」というのもそうです。同じ女なら「女は」とは言及しない。「アタシ女だけど子ども産まないとか最低だと思う」とあくまで内部者として物言いします。
つまりあれを書いた人間は男である可能性は(女であるそれに比して)非常に高いのです。「男にしかできない表現」とされるのも納得の高さです。
そして男のくせに母親のような言葉使いでセックスに言及するってことはセックスと女と母親についてごっちゃに絡まったコンプレックスを抱いているマザコン童貞なのかなと。