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2022-07-18

サイレントヒルシリーズ1-3の説明

全部米国舞台 

 

サイレントヒル1

父親が娘をステーションワゴン(サイド木目=70~80年代アメ車代表)に乗せて走っていると、「その娘」が目前に現れスリップ事故

意識回復すると娘は消えていた。

娘を探して霧にけぶる古いリゾート地サイレントヒルをウロウロするが異形の怪物が現れ、やがてサイレンが響くと世界が真っ暗で錆びと血だらけの世界に反転。懐中電灯の視界だけで探し回る。

やがてこの異常事態の原因がサイレントヒルの土着カルト宗教にある事、娘の失踪に関わっている事を知っていく。

車の前に現れた娘’はカルト司祭の娘で自分の娘を儀式の生贄として使用し神を産もうとしていた。この為娘’は虐待され生死の境を長く彷徨っていた。

娘’は死に、半分が転生したのが娘だった。要するに娘はサイレントヒルの半身に呼ばれて行方知れずになっていた。

娘と娘’が娘++に合一化したのでカルトの秘儀は遂げられて神が生まれたがどう見ても悪魔しか見えない。

主人公がそれをブチ殺すと娘++が赤子を託した。ここは彼岸でこの赤子は此岸で生きられる転生体。これが3の主人公

 

開発陣が当時非常に寂れて廃墟だらけだった熱海(今なら鬼怒川温泉が近い)に投宿した際に構想されたという逸話がある。熱海静岡からサイレントヒル。また、熱海は急斜面にあり、坂を上った先の箱根は濃霧で有名。

サイレンが鳴ると錆と血と臓器が散らばる世界になるっていうのは映画ジェイコブスラダー』が元ネタ

 

サイレントヒル2

1とは違う物語で、病気の妻の介護精神を病んだ男が主人公

死んだはずの妻から手紙が届き昔二人で訪れたサイレントヒルに赴く。

常世界の景色登場人物精神投影されている。その為に艶めかしい脚だけの怪物などエロ悪趣味が合一された世界が展開される。途中に何度も底の見えない穴があり、そこに飛び込む。

その筋では人気のレッドピラミッドシングが登場するのもこれ。

強迫観念メタファが多用され、例えばレイプされ続けていた父を殺した女性にはベッドと合一化した男が襲い掛かり、その周りには常に火が見えている。これは贖罪意識である事は容易に判るが、主人公にも火が見えている。これによりどうも彼女と同じ罪を背負っていると察せられる。

ホテル主人公と妻の忘れ物とされるビデオテープを渡され、再生すると看護疲れた自分が妻を殺した事を思い出す。

過去が判ってくると妻の手紙白紙になってしまい異常世界で妻に再会すると殺害咎められ、これを打倒し、贖罪意識の元になっている妻を再度殺す羽目になってしまう。

カルトの秘儀を行い妻を再生する為に男は霧の湖ボートを漕いでいく。

 

サイレントヒル3

1の転生体が成長したJK主人公

JKイオンに居ると異世界突入白髪三浦瑠璃のようなカルト狂信者に遭う。

家に帰ると父が殺されていた。この男の邪魔で神の降臨が妨げられた、再び神を降臨させ神の国を作りましょう、サイレントヒルで待つと。

JK自分輪廻を絶ち、父の仇の狂信者をぶっ殺す為にサイレントヒルに向かった。

落ちていた週刊誌からJK生前の娘’が居たのはカルト二世収容する児童養護院で、教義に基づいた虐待洗脳が行われていた事を知る。

錆と血とグロと暗闇の異常世界で色々あってカルト教会に着くとさっきの女に会うが、身ごもっていた神が産まれそうになる。

しかしこれを堕胎すると女はこれを飲み込んで発狂、消し飛ぶ。

神が生まれたが、どう見ても神じゃない。これが神なら文鮮明メシアだ。神をぶっ殺してJK輪廻運命自分意志で断ち切った。

 

たかホラーゲームと侮れないのは、メタファが多用されているところ。

例えば同じところに戻ってきたり、怪物が丸いハンドルを回していたりする。これは主人公輪廻を表している。

日本TVしか見ない人には判り難いが、洋画を見る人には結構刺さるものがあると思う。

グラフィックは大変悪趣味グロで、懐中電灯廃墟探検をしていて何年もタイルに流れた血を洗わず腐っていて瓶漬け臓器が転がっているような地下の霊安室、解剖室を歩いているのを想像すると良い。錆と汚れと血が乾いた梯子素手で上るとか。怖いというより精神的に参ってしまう。

ストーリー的には自分意志で決着をつけるという物語なので怖さはない。

 

件の事件との関係では、親族の仇に復讐する、殺人で己の運命を断ち切るというのはありきたりな話だから特別関係はないんじゃないか

ただ、美術史には図像学イコノグラフィー)というのがあり、キリスト教美術のこの部分はこのモチーフを表すという暗号解読みたいな絵の見方があるのだが、そういうのに素養があると「あれはこういう意味じゃないか?」というのが気になる作りになっている。

ただ宗教教義の中でそういう勉強はないと思うので、特にインチキカルトである統一教会にもないと思われる。

ただ、2→3と連続でやると、強迫観念メタファが多い2を引きずったままでメタファ多用の3をやる事になり、強迫観念増幅効果があるかもしれない。

また運命を断ち切る当為最中カルト二世児童養護院での洗脳虐待が出てくるって事情はある。

2では底が見えない穴に落ちるという行為連続していて、これは哲学的投企を表している事明白だ。死を暗示する行為が今の自分からあらまほし自分への前進という訳で、ちょっとファシズムテロルっぽいところもある。

 

ただこの程度で事件を決意するなら増田もスコセッシのタクシードライバー見て殺人事件起こしてるはずなので、結構心を動かされた程度の可能性だと思われる。

2021-12-15

いちフェミニスト温泉むすめに願うこと その2

https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き

温泉むすめ探訪は続く


半年の間を置き、2021年3月9日駅メモ!の新たなイベント駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。

小野川温泉松島温泉飯坂温泉鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉湯村温泉を巡るミッションしかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニット小野川小町松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代さら8月6日三朝温泉三朝歌蓮、玉造温泉玉造彗が追加になった。

この新イベント温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダー販売されている。こちから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモコラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾しかなかった温泉公認一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝塩原玉造松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。

だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラしかない。

しろ世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。

温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代パネル撮影し、キーホルダータオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合銅像写真も撮り、ドラマ資料館である千代館を見学ドラマ風景再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である千代の街として新温泉町広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。

次は南紀勝浦温泉南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合事務所内に設置されている。この温泉むすめにも観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭り太地町落合記念館で落合専用ガンダムエクシア見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港カフェまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。

鳥羽温泉鳥羽亜矢海は、鳥羽そばショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン農産物水産物直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジ干物とカキとサザエも買う。鳥羽温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪温泉に入って帰った。

鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃん牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザインリボンスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。

松島温泉には車で訪問した。松島観光協会タクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦から福浦島に渡り松島風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。

去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島温泉スルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。

小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街有馬温泉以来の街ぐるみ温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポット指定されていた甲子大黒天には小野川小町絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダー販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。

いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつ最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。

飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両テンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館ロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。

飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。

飯坂温泉は町出身オリンピック選手紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメ聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京オタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。

宇奈月温泉ももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンション飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉ちょっと理解の外にある。

自分の好きなアニメキャラ普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。

芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠オーナー飯坂真尋でなく自分似顔絵絵馬に描くナルシスト鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。

愛宕山温泉神社から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉はしごし、ラヂウム最中ラヂウム玉子お土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。

8月三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉温泉を使い境港海鮮丼を食べて松江ビジネスホテル投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネル撮影キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前から玉造ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。

途中、琴浦町道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学倉吉お土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネル写真を撮ってキーホルダーを購入する。

三朝歌蓮は儚げな美少女キャラ可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃん鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治パネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉制服姿は似合わないわ。

しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミサラドンだった。有袋類怪獣らしくお腹ポケット赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉温泉むすめでも良かったのに。ミサラドングッズはタオルストラップシールを買う。

ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。

その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。

その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府奥飛騨では温泉むすめパネル存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。

つづく

2020-07-16

沖縄旅行してきた(最後の方にGoToの話)

 京都が雨続きでうんざりしていたところ、天気予報を見ると沖縄だけ晴れているので、7/11-13に旅行することにした。

 多少コロナが増えてきたとはいえ一日十人程度の京都しか京都市ではなく田舎の、未だ感染ゼロ自治体住民なので、行くことに躊躇はない。

 これで「誰かに移したらどうするんだ!」なんて言う奴は、何でお前は死なないのと言いたい。お前が生きて活動してる限り、誰かにコロナを移す可能性はゼロじゃないんだからさ。

 もちろん手洗いとマスクは徹底するが、熱中症もあるので屋外ではマスクは外す方針とした。一人旅なのでどのみち喋ることはほとんどない。

 関空からLCCで2時間那覇に到着。

 驚いたのが国際通りガラガラだったこと。

 土曜の昼なのにほとんど人が歩いてない。牧志駅から向かったので、県庁側は違ったかもしれないが、それにしても大きな土産物屋に客はゼロ店員が暇そうに立っている。

 やはりどの県も観光業やばい状況である……誰かが行かないと。

 とはいえ着いたばかりで荷物は増やせないので、申し訳ないが通り過ぎて壺屋焼物博物館へ。

 こちらも来館者は他には二人くらい。見る分には見やすいのだが、どうしても心配になる。

 隣の陶芸センターも客ゼロで、二千円の酒器を買って『やちむん通り』に向かうが、やはり人影はほとんどなし。

 国際通りに戻ってレストランへ入るも客は自分だけで、一人で山羊刺しなどを食べる。

 ゆいレールの延伸部分を乗ってからバスうるま市へ。

 途中で金網に囲まれ米軍基地が見える。

 よりによってこの前日、基地の中で感染者が数十人見つかったとのこと。

 まあ米軍関係者接触するとも思えないので、気にせず続行。

 途中で普天間宮の洞窟を見せてもらった後、海中道路を通って、浜比嘉島ホテル投宿した。

 翌日は今回の主目的である勝連城へ。客はちらほら。

 登るのは辛いが青空石垣が映え、天守からの海の眺めも最高である今帰仁中城訪問済みなので、残る世界遺産は座喜味城のみだ。

 向かいの休憩所で土産を買ってからバスを待ったが、四十分ほどの間に購入者自分だけだった。

 バスで戻って海中道路のあやはし館へ。こちらの客は結構いた。

 沖縄そばやブルーシールアイスもずくグルクン天ぷらを食べる。

 二階が海の資料館になっており、コロナ対策に連絡先を書く方式だった。前の人が書くのが遅くて待たされたし、個人情報を書かされるのは少々不安大阪の追跡システムが広まればいいのに。

 ホテルに戻って近くの小さなビーチへ。

 ここも日曜なのに泳いでるのは数人で、海の家は採算取れてるのか心配になる。

 一人海水浴は手間がかかる割にあまりやることはなく、ナマコが多い海底を見てから10分ほどで上がってかき氷を食べる。

 この日は途中でマスクを紛失してしまい、離島ではドラッグストアもなく、ハンカチを巻いて代用する羽目に。

 予備を一枚持って行くべきだった。

 最終日は琉球開闢神話聖地であるシルミチューへ。

 バスが一日四本しかないので、行きだけ使う。

 海中道路から離島側は『うるま市有償バス』というマイクロバスだが、いつも結構乗客がいて、マスクをしてないおじさんもいたけどまあ喋ってなかったか大丈夫だろう。入口に消毒液があるのは嬉しかった。

 バスを降りて、コロナで封鎖されたビーチを横目にシルミチューに向かう。

 帰路の二人とすれ違っただけで、他に人影はなし。さすがに霊場となると人がいない方がありがたい。

 鍵のかかった洞窟の前で、柵越しに雰囲気ある聖地を思う存分拝んだ。

 意外だったのが中にあった大正時代の石碑に、日章旗が二つ描かれていたこと。別に撤去したりはしないんだな。そりゃそうか。

 三十分歩いてホテルに戻る。汗が噴き出す暑さ。

 「気温だけなら真夏京都の方が高いし大したこといかも?」とか思ってたがそんなわけはなかった。

 しかし車のめったに通らない島の道路を、さとうきび畑を眺めながら歩いていくのは趣があるな。

 ホテルを発って那覇へ戻り、途中でマスク調達する。

 最後に行くのは首里城。12年ぶりだが、まさかあんなことになるとは。

 以前にはなかったインフォーメーションセンターができていたが、こちらも寂しい状態

 平日とはいえカフェに客はなし。

 守礼門で視界に入るのが数人、城内では係員しか見えないことも。

 コロナのせいと火事のせいと両方あるのだろうけど、沖縄最大の観光名所でこれは心が痛い。

 有料エリアでは再建工事中で、壁の向こうでクレーン車が働いている。

 焼け残った龍柱や、燃えて髭だけ判別できる龍の飾り、遺構などを見学した。悲惨事件だったが、今しか見られないものからね。

 前は入れなかった東のアザナの展望台では、狭いのもあってさすがに多少の客が滞留していたので早めに退散。

 再建の募金をした後、土産物屋でお釣り二千円札をもらった。

 珍しかったが、本州で使える自信がないので、駅で切符を買って千円札に替える。

 空港職場へのお土産を買って伊丹に戻った。うちの職場旅行を叩くような陰湿な人はいいからね。

 帰宅途中にニュースを見たら、米軍感染うるま市の肝高公園無許可BBQしてたからって。

 よりによってうるま市かよ! まあ米兵には会わなかったし……。

 帰った後は世間GoToキャンペーンで騒がしくなっていた。

 俺はキャンペーン関係なく行くのでどっちでもいいのだが、観光地の閑散ぶりが本当にやばいので、多少の感染増は覚悟して決行するしかないのではと思ってしまう。幸い重症者は少ないようだし。

 大阪知事は「まず近場で」と言ったようで、それも分かるけど近場は五月六月にもう行ってるんだよな。

 嵐山金閣銀閣龍安寺三千院平等院東大寺通天閣ガラガラだった。

 コスモタワーコロナ関係なくいつもガラガラだが。

 唯一人が多かったのは、紫陽花が見頃の三室戸寺だけ。

 やはり地元人間は、「いつでも行ける」観光地にはなかなか行かないのだな。

 京都の人は京の名所には行かないって、前々から言われてるしね。

 宿泊土産を考えても、やはり遠くから人を呼ばないとどうにもならんのじゃないかなあ。

 もちろん自分が周る分には人は少ない方がいいし、五月末の誰もいない祇王寺の、青紅葉と苔が溶け合う風景には感動した。

 でもその時は、こんな京都は今だけだな!と思ってたんだ。

 あれから一ヶ月半後に、まだ回復しないどころかさらに悪くなりそうとは予想しなかった。

 一人旅では焼け石に水だろうけど、もっと観光地に金を落としに行かねば。

 無論むつ市みたいに来るなと言ってるところは行かないなら、来て欲しくない人は首長に働きかけてくれな。

2017-07-30

安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」が素晴らしい

安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03

安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代銭湯混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。

明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯混浴禁止される。しか田舎温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかガチ混浴の習慣はいつまで残っていたのか?

1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県鬼怒川温泉投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。

中野明. 裸はいから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)

1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代ドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶自分にもある。

ハダカはともかく、ムネはいから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。

しか女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。

中野明. 裸はいから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)

いずれにしても上記のことから女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力規定された禁忌を破ることによる興奮なのだそもそも男性女性欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外時代男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子欲情するもの、軟派は女性欲情するもので、鴎外は性暴力被害を恐れナイフ携帯して通学していたという。

少し前に少年ジャンプ論争とも言うべき話題があったので、↓の本を読んでみた。そして考えたことを書いてみた。

http://amzn.asia/cCmI3qf

 
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