2017-07-30

安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」が素晴らしい

安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03

安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代銭湯混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。

明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯混浴禁止される。しか田舎温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかガチ混浴の習慣はいつまで残っていたのか?

1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県鬼怒川温泉投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。

中野明. 裸はいから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)

1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代ドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶自分にもある。

ハダカはともかく、ムネはいから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。

しか女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。

中野明. 裸はいから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)

いずれにしても上記のことから女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力規定された禁忌を破ることによる興奮なのだそもそも男性女性欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外時代男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子欲情するもの、軟派は女性欲情するもので、鴎外は性暴力被害を恐れナイフ携帯して通学していたという。

少し前に少年ジャンプ論争とも言うべき話題があったので、↓の本を読んでみた。そして考えたことを書いてみた。

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