はてなキーワード: 幼児虐待とは
俺は日本の住宅産業や賃貸サービスに関わる人間は人殺しやレイプや幼児虐待してる人間と同等とあつかうべきだと思う。広瀬すずとかさ、詐欺の片棒を担いでるクズだと思う。日本死ね。
俺は日本の住宅産業や賃貸サービスに関わる人間は人殺しやレイプや幼児虐待してる人間と同等とあつかうべきだと思う。広瀬すずとかさ、詐欺の片棒を担いでるクズだと思う。日本死ね。
別にLGBTというわけではなく、純粋にモテなくて、この年齢まで彼女がいません。
彼女作りの先にある婚活も一度も成功したことがなく、この年まで異性との経験がないまま、無駄に歳を取ってきました。
奥さんと子供がいる割と大多数が考える普通の幸せを求めていたつもりですが、叶うことなく今日も一人で生きています。
千葉で虐待をして捕まった容疑者と自分とどちらが人間として問題があるのか、自分には分かりません。
もし、容疑者の方に問題があるということであれば、容疑者は結婚できる程度に女性にモテ、子孫を残すチャンスがある一方で、自分にはチャンスがなかったことを考えると、子孫を残せない、我が子を可愛がる機会がないという事は児童虐待にまさる問題ということになります。
一方、自分が容疑者よりも問題ということであれば、もてない事は幼児虐待よりも問題のある状態ということになります。
モテないことはそれほどの罪なのでしょうか。
https://www.kanken.or.jp/project/edification/years_kanji/2004.html
記録的な天災
台風:大型台風が毎週のように日本列島上陸。その数、観測史上最多の10個。
地震:「新潟中越地震」発生。中小の地震も多く、浅間山は21年ぶり爆発噴火。
猛暑:夏は記録的な猛暑に。農作物が被害を蒙り、餌を求めて熊が人里に出没。
目を覆う人災
殺害:イラクでの残虐な人質殺害。国内では幼児虐待や、子供の殺人事件多発。
今年とかなり被っている感じがする。
歴史は繰り返すか。
性犯罪を形容する言葉として「魂の殺人」というものが用いられているのをよく見る。
数年前に私が初めてその言葉を見たときもその用法で使われていた。
#Metoo運動もまだなく、ジェンダーについての議論もそれほど活発ではなかった頃。その時私は、この言葉は虐待を形容するのにもドンピシャだなと思った。
自分の中のごちゃごちゃとした気持ちが正しく簡潔に表されるというのは気持ちがいいもので、こんなに的確な言葉を使うことができて羨ましいと思った。
その「魂の殺人」が元々児童虐待を表す言葉だったと知ったのは最近のこと。
アリス・ミラーというスイスの心理学者の著書だ。彼女は児童虐待について研究していたらしく、この本もそのことについて書かれているらしい。
らしい、という言葉遣いからお察しの通り、私はこの本を読んでいない。読んだらものすごくスッキリするか、ものすごくしんどくなるかのどっちかだろうなと予想できるからだ。こういう予想ができるだけに、それが大外れして何も変化がなかった時の落胆も酷そうだから今は読みたくない。
閑話休題。
「魂の殺人」というのは邦題で、原題は"For Your Own Good" 英語は得意ではないから自信はないけれど、さしずめ「あなたの幸福のために」といったところだろうか。
原題とかなり違うので気になって文中検索をかけたところ、確かにアリス・ミラーは"murder the child's soul","psychic murder","Soul Murder"という言葉を使っていた。さらに、彼女よりも先にモートン・シャッツマンという人が"Soul Murder"というタイトルで教育熱心な親による子供への迫害について綴った本を出版していたことも分かった。こちらの本も「魂の殺害者」という邦題で「魂の殺人」よりも後に日本で出版されている。
「魂の殺人」の訳者は「あなたの幸福のために」よりも「魂の殺人」(≒"Soul Murder")のほうがよりインパクトがあり、より虐待について書いたことが分かりやすいと判断し、そちらを邦題に選んだのだろう。
「魂の殺人」という言葉は、この本が出版された1983年、虐待を意味する言葉として使われたのだ。
元は幼児虐待を形容するための言葉だったと知って、深く納得するとともに、自分の道具を取り上げられたみたいな気持ちになった。
私は性犯罪被害で苦しんだことはないから分からないが、私が最初にその言葉を見た時みたいに、性犯罪被害者の人もドンピシャだと感じて使うようになったのかもしれない。自分の魂はソレによって殺された、と。
もちろん、偶然という可能性もある。1983年よりも先に別の人が性犯罪を形容するために使っていた可能性だってある。
私が今後虐待を形容する言葉として「魂の虐待」を使用しても何ら問題ないし、使うなとまだ誰かに言われたわけでもないから「取り上げられたみたいだ」という気持ちは完全な被害妄想だ。けれどもう既に私の中では「魂の殺人=性犯罪」というイメージがついていたから、私と同じくそういうイメージを持った人に何か言われるんじゃないかと思ってしまうし、とても使いにくい。
「被虐待児のための言葉だ」とか「(だから)使うな」言う気は毛頭ない。言う権利もない。けど、やっぱり使われている場を見ると少しモヤモヤしてしまうようになった。
かねてより、ジェンダーについての議論が活発になされている場を見るたび、虐待についてももっと世間の目が行けばいいのになと思っていた。その羨ましさと、この「魂の殺人」という言葉をめぐっての私の色んな気持ちが混ざってゴチャゴチャしている。
とりあえず、
『ある心理学者は、幼児虐待を"Soul Murder"と形容することにし、
http://tabi-labo.com/163141/adhd-2/
ADHDではない子供にまでその診断を下してしまっている傾向や、必要がないはずの化学薬品による治療が行われることも見受けられます。
実際、食事に関する問題を解決することで症状を改善できるケースも多いそうです。しかし、アメリカではというと、食事の内容と子供たちの態度の間にある関係性はあまり考えられていません。
「しつけ」で、ADHDは予防できる?
それが分別のある内容であれば、子供を叩いたりすることが幼児虐待として認識されることはありません(個人的には子供を叩くのは気が進みませんが)。
どれだけの親が傷ついてきたんだろう
28日に会見した京都大学iPS細胞研究所によりますと、山中教授が14年前の平成12年に発表した万能細胞の1つ、ES細胞に関する論文で、画像の一部が切り貼りされたのではないかなどの指摘をインターネットで受けていたということです。
(略)
一方で、画像の元となる実験データについては、当時の共同研究者の実験ノートが保存されていないことなどから示すことができず、遺憾だとしました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140428/k10014091181000.html
いやいやいや、STAP細胞の1~2年前のデータはともかく、14年前の論文の1次データ(の一部)をもっていないのはそんな、謝らなきゃいけないこと?
それ言ったら、
小学校に受けた授業のノートを提示できない大学生は小学校を不正に卒業した疑いをもたれるってことだし、
大学で受けた講義のノートを提示できない30代の大卒社会人は大学を不正に卒業した疑いをもたれるってことだし、
離乳食を買ったレシートを提示できない、中高生を持つ親は食事を与えなかった幼児虐待の疑いをもたれるってことだし、
・・・ああ、もうきりがない。
なんでこんなにも叩かれているのか不思議だった。
見る前に、このドラマって施設批判ではなく、毒親批判やヤリチン・ヤリマン批判では?
と思って見てみたら、案の定、糞親やヤリチン・ヤリマン批判のドラマだった。
この意見について返ってくるのは
「病院を特定するようなアダ名はマズイ」「子供のイジメに繋がる」「実際の児童養護施設はあんなではない」
なんて意見ばかり。
これも不自然。赤ちゃんポストの是非については、劇中では良いとも悪いとも言及されていない。
「ポスト?」
触れられているのはこれだけだ。
「実際の児童養護施設はあんなんじゃない」という批判だが、
施設内の雰囲気は、子供は捨てられたということでそれなりにやさぐれているが、子供同士ではそこそこ和気藹々としていて、
施設長は、これから孤児が生きているための心構えを相当にキツイ言葉で諭す。
この態度や考え方は、極端で厳しすぎるが、ドラマや漫画に慣れ親しんだ人なら、こいつがツンデレだということはすぐ解る。
あんな妖怪人間ベムみたいな悪人ヅラの手厳しい奴が、ガチ悪人なものか。
その気づきを補強するかのように、子供たちは施設長に恨み言の類は言っていない。
一話の最後で、帰宅が遅い子供たちを叱った施設長に対し、子供たちはテヘペロる。
個人的には件のポストの病院の取り組みや思想には懐疑的だが、「『ポスト』が病院関係者に対して失礼だろ」という批判があるのは解からんでもない。
だが、
第1話の『ドンキ』のエピソードは「シングルマザーに彼氏が出来て前夫の子供なんて邪魔!」という幼児虐待でよくあるパターンを、
第2話の『パチ』のエピソードは親がパチンコ中毒で子供が熱中症になって、というこれまたよく見るパターンをシナリオに落としこんでいる。
どちらもネットニュースではよく見る事件のはず。
あれ? このドラマって意欲作じゃね?
こういうふうに思っていたら、今朝にあってネットをふらふらしててこんなことを知った。
http://gladiolus2009.wordpress.com/
・「養育里親」には、里子1人につき年間200万円以上の「養育費・里親手当」が支給されます。
・ 「専門里親」になると(養育里親としての経験が一定以上あれば、無試験・無資格でなれる)支給額は約300万円に増額されます。
手厚い手当が(委託時の支度費、進学費、教材費、クラブ活動費、塾費用、暖房費、学習指導費、夏季特別行事費、
期末一時扶助費、タクシー代など通院交通費etc)支給されます。
・ 上の手当は、国から支給される「最低限」の額で、その他に、自治体などから各種手当が支給されます。
昨年度と今年度は「こども安心基金」から、里親宅の住宅リフォーム費、パソコンやベッドなどの購入費などが支給されてます。
・これらの手当は、実際の使用用途に関わらず、すべての里親に一律支給されるので、実際に里子のために使った金額との差額を着服する目的で、
・もちろん、これらの「里子のための手当」とは別に、里親には報酬が支払われています(養育里親の場合、里子1人で7万2千円~10万7千円/月。地域によって差があり)。
それにも関わらず、里子のために支給される手当を里子に使わず、私腹を肥やす里親が多いのです。
・里子の養育は公費でまかなわれ、里親は公費から報酬を受け取っています。里子の養育に、里親が私費を拠出することは、ほとんどありません。
これは、養育里親(養育家庭)に委託された経験のある4人の元・要保護児童(里子)たちが執筆・投稿しているブログからの引用だから
金額は盛ってあるのかもしれない。
だが、里親になると、里親手当という少なくない額を貰えるのはまちがいない。
どうだろう?
このドラマの不自然なまでの批判の正体が見えてこないだろうか?
このことに触れられてはマズイって人間がいるのだ。
先に書くけど俺は独身の男。
何かを守ろうとしているうちに、守るべき物がずれてきちゃうパターンってのはよくある。
日本の労働行政でも、「職を守って人を守らず」になってしまっていて本末転倒だって話はよく聞く。児童売春とか幼児虐待の件でも、結局「子供を守ろうとしている自分たちは偉い」とか、「児童性愛は心の中だけでも持つことは許されない→男を罰しろ」とかの議論に終始して、結局子供は守られずに終わるってパターンが多い(実際に子供を守るための具体的な活動をされている人たちは尊敬するが)。レイプ犯罪の裁判でも、犯罪者を裁くことに力点が置かれた結果被害女性が警察・検察・裁判所で「二次被害に遭う」という例は多い。
例えば、ロボットを性奴隷として作ろうとすることへの反応とかでも同様。しばらくまえに「ロボットの研究者は自分の好みの性奴隷を作りたいだけだ」っていうネット上の書き込みが話題になったけど、冷静に考えれば、男の性欲のはけ口をロボットもしくは機械に向けさせれば、女性の性被害を大きく減らせる可能性があると思うし、そんなに悪い話ではないと思う。「女性が解放されるためにはどうすれば良いのか」っていう本来の議論が忘れられて、「女性が苦しむのは男のせいだ。男を懲らしめろ。」「女にモテないなくて人格がゆがんだオタク男はウザい」という方向に行っちゃって、結句うーんって感じ。
もっといえば、女性も、自分が好みの顔と身長と体型でナイスチンコを持ったイケメンセックスロボットを作れば男女平等・対称でいいと思うけど。俺は特にそれが問題だとは思わんな。たぶんアメリカとかではそうなるだろう。
これに反対する人は、「そういうことではなく、男が女性を対象とした欲望を持つこと自体が悪いんだ」とか、「女性を性の対象として見るという発想がおぞましいのだ」とか、その当たりの反論をするのだろうけど、結局これは結論が出ないし解決もできない問題だよな。というか、意図的に結論が出ない方向へ議論を誘導したいのだろう。女性の権利とか人権団体的な方々も、組織を維持するにはそれなりに金も労力もかかるし、結論がでて終わりになってしまうテーマじゃ団体を維持できないし、定期的に話題を作らないと宣伝/広報もやりづらいだろうし、そこらへんの苦労はお察ししますという感じで生暖かい目で見ている。
例えばマハトマ・ガンディーが非暴力不服従というスローガンを唱えたのは、非暴力不服従の姿勢を貫いてインド人が何人死のうが気にならなかったからで、
最近ホットな居酒屋チェーン店のシャッチョさんは政治に色気出してるけれども過労自殺した店員の名前はナチュラルに覚えていないと思われる。
よくいる新興宗教の代表者だって信者を金づるとしか思ってない。じゃないと商業的に成功できない。
金、権限、地位のために頑張る人間というのは自然で、理念を全てに優先する人間というのは狂っている。
人が大学受験を頑張って良い就職にありつきたいと思うのは、ブラック企業勤務や非正規雇用者のようになりたくないという保身のためであるからで、間違いなく他人のためではない。
母親ならば子供のために何でもするというのは様々な作品で築かれてきた幻想で、実際はストレスが臨界点に達したら幼児虐待をするのはまず母親であるし、
ピストルを突きつけられて子供を殺したらお前は助けてやると言われたら、だいたいの母親は子供を真っ先に殺すものだ。
社会を憂うのではなく、「こういう社会にする。俺に従わない奴は殺されても仕方がない」という思想を持つことが革命者の素養であるわけで