はてなキーワード: 降臨とは
今日は新しいポケモンでなかなか勝てないって言う人のために我が勝てる秘訣を教えますなwww
ダメージレースとその中で相手にかける負担を重視し、圧倒的な火力でサイクルを崩壊させて絶対的な勝利をもたらす論理こそが役割論理ですなwww
貴殿らの中でじゃんけんをしたことがない人はいないと思いますが、常に後出しジャンケンをすれば勝てるのは理解できますなwww
だからポケモンでは「有利を取る」という選択肢が異教徒の中で流行っていますなwwwこれをサイクルといいますぞwww
でも自分が出している手が「グーであり、チョキでもある」手だったら相手はパーを出しても勝てませんなwww
「グーであり、チョキでもある」手を多く採用し、相手がどんな手を出してきても役割をもてるポケモンを「ヤケモン」といいますなwww
ヤケモンを多く利用したヤーティは相手のサイクルを崩して必然力により絶対的な勝利を収めることができますぞwww
んんwww優秀なタイプ、高い攻撃力をもっているが、耐久が低いゴミですなwww
そして使える技も単純にダメージが低く負担を掛けにくいですぞwww
そういったポケモンを「ボーナスポケモン」すなわち「ボケモン」といいますなwww採用するだけで相手にボーナスを与えてしまいますなwww
どうしても使いたいなら特殊型に眼鏡をつけるといいですが、同じくゴーストタイプのヤャンデラ(役割論理シャンデラ)のほうがいいですぞwww
ボ、ボ、ボボ、ボボボミッキュ(ボーナスミミッキュ)wwwwwwwwwありえないwwwwwwwww
火力が低く、耐性もクソなくせに耐久も少ないゴミですなwwwありえないwww
巷ではつるぎの舞を積むことで突破力~とかいっていますが、積み技を使うことはありえないwww
素早さを重視してステータスを割り振った所でスカーフなど不確定要素の多い打ち合いで相手より素早さが低ければゴミですなwww
勝率の目で見れば勝ち越すことは可能かもしれませんが対策を取られていればその時点で勝利から最も遠くなりますぞwww
それよりもサイクル崩壊のスピードを上げ、正確に有利をもてるヤケモン(役割論理ポケモン)を繰り出せば100%の勝利を得られますぞwww
ただし、相手もヤーティであることを考慮したり、異教徒の調整を逆手に取った素早さ調整は総合的にロジカルすればありえる場合もありますなwwwただし基本的には交代戦における火力と耐久が最重要ですなwww
変化技は「交代することを考えると積むのは無駄」「相手に無償降臨を許すことになる」「変化技は無効化されやすい」「技範囲を広げて殴りサイクル崩壊させたほうが早い」などの理由から採用する理由が特にありませんなwww
ボボッキュ(ボーナスミミッキュ)を「ありえないwww」と言いつつ最後に「対策が必要なぐらいには強い」と言っているのも一見相矛盾してるように見えますが、ボボッキュを対策しないなんて勝ちたいのならありえないんですなwww
そうするとボボッキュ対策はほとんどの人がしているためボボッキュを選出する=わざわざトラップに掛かりに行く鼠ですなwwwつまり今の対戦環境でボミッキュを採用するという時点で5VS6という圧倒的な不利を取られますぞwww
現実問題として一般的によく見るボボッキュはすべて「じゃれつく、かげうち、シャドークロー、つるぎのまい」のテンプレボボッキュですなwww型がわかりきっているボケモンはそれだけで「終わっている」んですなwww
ボボッキュはありえないwww(人によっては夜の役割はもてますぞwww)
諸聖人の祝日ともいう。キリスト教においてすべての聖人を崇敬する祝日。この祝日においては,個々の聖人の崇敬よりも天国のすべての聖人の集いと地上における教会とが一つの神の教会に属するとの信仰の表明が重要である。東方教会では4世紀以来聖霊降臨祭後の最初の日曜日にすべての殉教者を祭る習慣があったが,西方教会ではボニファチウス4世が 609年5月 13日にローマのパンテオンをキリスト教の聖堂にかえて以来,この日を全殉教者の祝日とした。すべての死者を祝う習慣はアイルランドから入ったが,837年グレゴリウス4世はこの習慣を認め,11月1日を万聖節と定めた。現在この日に万聖節を祝うのは,カトリック教会とイギリス国教会である。
俺たちが祝っては失礼に当たるってね
はなちゃんは、シャーシャーねこちゃんだ。一緒に暮らしてもらってからもうやがて満5年になる。2015年2月21日に家にきてくれた。ねこの日と、僕が大好きな、亡くなった男の子が2ちゃんねるに降臨した間の日を選んだ。
いちども、(ただの、ではなく)ほぼ、いちども、触れていない。指先で、2、3度ちょいちょいした覚えがある。その瞬間にはなちゃんは総毛立ち身をすくめ、僕が身を引くといくつかの怯えた眼差しと姿勢の段階を経て、同じ住まいの僕からいちばん遠いところへと隠れていった。
はなちゃんは、人が嫌いなのである。10代の頃は歩く尖ったナイフと、20代では人形ヒトガタをしたハリネズミ、30代では「まだ衰えないか」と陰に陽に呼ばれた僕は、だからはなちゃんのことがある意味わかる。いや、わからない。ねこのことは人にはわからない。
はなちゃんは、美人なのである。写真を見せたい。しかしここは増田なので見せられない。実に残念だ。
そのはなちゃんは、僕がくーちゃんのことを抱いてなでなでしたあと優しくリリースすると、自分のほうに歩んで挨拶にきたくーちゃんのことを、丁寧に毛づくろいする。
「はなちゃんは、いいお姉さんだなあ」と、しばらくの間は思っていた。
どうやらそれは勘違いらしかった(いいお姉さんであることは、それはもう、間違いない)。毛づくろいの間、はなちゃんは僕から目をそらそうとしない。はなちゃんは、僕のことが嫌いで、むしろくーちゃんから下僕の匂いを消そうとしている可能性が高い。
はなちゃんは「だいすきなくーにゃん😺」「はな姫のくーちゃん😺」と思っていることだろう。くーちゃんは、はなちゃんにあやされるとき、いつも「ふにゃふにゃ😺」と満足そうな顔を浮かべる。
おれの負けである。
それでもいいのである。10月下旬を迎え、部屋に3箇所(どこでも一番好きなところでリラックスできるようにと)仕掛けた「ほかほかのわな」、人間界でいうホットカーペット(小型)の上で、はなちゃんが落ち着いているのを離れた場所から見ることがある。はなちゃんは、小さいころの外暮らしでずいぶん辛い思いをしてきたに違いない。はなちゃんはもうそろそろ「自分が雨に濡れる」感覚を忘れてくれただろうか。
おれのはなちゃん😺