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はてなキーワード: 権威とは

2021-05-17

anond:20210516225443

どの説が一番説得力があるかだろう。

いろいろな説を読んで、これが一番説得力がありそうと思う説を支持すればいいんじゃないか。

当然だが、実績がある人達が支持している説は、より説得力が高い。

でも過去偉人と呼ばれた人も間違った予測したことがあるように、それが間違っていることもある。

その時は、なぜ間違いだと言えるのか、なぜ違う説のほうが良いのか、いろいろな意見を聞いたりデータを見たりして、

自分が一番納得した説を支持すればいい。

その結果とんでもを支持してしまうかもしれないが、それは自分感性が腐っていたってことで、

布団かぶって泣いたあとで、今後につなげればいい。

時間がなくてそんなのいちいちやってられないというなら、

複数権威のある人達が支持している説を、とりあえず支持するでいいんじゃないか。

一箇所だとノイズも入るだろうから複数意見多数決でいいだろう。

anond:20210517090050

日本でわかりやすく有名な例は古代研究ゴッドハンドしちゃった人じゃないかな。あとは権威じゃないけどSTAP細胞の人とか。

医者コロナだって言っても、PCRで陽性だって言っても、肺にそれっぽい影があっても

「それをコロナだって決めるのはただの権威ですよね?」

って言われれば、それはそうなのでは?

その考えかたに何かメリットがあるのかわからないけど

anond:20210516225443

権威が間違ったこと言って訂正しなければ批判に晒されてあっという間に権威ではなくなる。

そのための仕組みが科学

からある程度は信用していい。

政治とは違うんだ。

anond:20210516225443

表面だけしか見ない観察者にとっては、「科学の真理は疑いの余地のないものである科学上の論理は誤ることは無いし、学者ときおり思い違いをすることがあっても、それは論理規則を見損なったためである。」

...

世間の多くの人々、とくに物理学の初歩を学んでいる高等学校の生徒などは科学の確実性の起源について、このように考えているのである

...

少しでも反省したものは、仮説の占める領分がどんなに広いかということに気が付いた。数学者は仮説なしでは済まされないし、実証科学についてはなおさらである。そこで、

はたしてこれらのすべての構築が極めて堅固なものであるかどうかが疑われ、わずかの微風にあっても打ち倒されてしまうと信ずるようになった。こういうふうに懐疑的になるのも、また表面的な考えである

全てを信じるか、全てを疑うかは、どちらも都合のよい考え方である。どちらであっても我々は反省しないで済むからである

から簡単判決を下したりしないで、仮説の役割を念入りに調べてみるべきである

そうすれば仮説の役割必要であるというばかりでなく、たいていの場合は仮説が正当であることを認めるであろう。

...

仮説には多くの種類があって、ある種の仮説は実際に検証することができ、ひとたび実験によって確かめられたなら、多くの結果を生む真理となる。

またある種の仮説は、我々を誤りに陥れないで思考に拠り所を与える役に立つ。

また第三の種類の仮説は、見かけだけが仮説であって、実は定義規約が扮装をつけたに過ぎないということが分かるだろう。

(アンリポアンカレ 「科学と仮説」)

定常宇宙論者として今なお健在な人はフレッド・ホイルである。(*フレッド・ホイル2001年に死去。)

かれは1948年に定常宇宙論論文を発表し、それから50年を経た現在においてもなお健筆をふるい続けている。

...

…このように、定常宇宙論観測結果を取り入れるのに精いっぱいで、とても預言的能力を持つとは言い難い。そのため、宇宙論の分野では影響力を失っている。

ホイルの論文も、偉大な業績を持つホイルであればこそ受理されているのであって、私が書けば受理されないだろう。

しかし、全く無意味ではない。宇宙背景放射の塵起源論は、物理学としては原理的に否定できないかである。そのような変わった塵が存在するならば、ホイルのいうようなことが起こるであろう。

問題はそのような塵が実際に存在するかどうかであり、ホイルの提案に刺激されて、塵生成に関する研究が大いに進んだことも確かである

(池内了宇宙論のすべて」)


  • 科学者は仮説なしに仕事をすることは出来ないし、あらゆる仮説を信じたり、またあらゆる仮説を疑って見たりするような「無責任」な態度で仕事するべきではない。
  • 仮説の一部は実際に調べることができる、また一部の仮説は、科学思考の拠り所として機能する、また別種の仮説は、「規約」を言い換えただけの命題に過ぎない。
  • ある種の科学が確からしいのは、多くの先人がその領域を踏み固めてくれたからであって、まだ踏み固められてない領域、つまり仮説的側面が大きい科学領域がある。
  • 仮説的側面が大きい分野では、その論文の確からしさの基準として、「誰が書いた論文か」も、当然重視されるはずである。なぜなら、どの仮説を信じるかは科学者各々の責任であり、「誰を信じるか」は、「自分科学思考から踏み外さないための思考の拠り所」として機能うるから。

(追記分)

anond:20210517121108

よく分からないな。俺は権威の主張内容を具体的に吟味するのは現実的ではないと思っているのだが。

結局はそれが現実的か否かという評価問題になるのかとも思ったが、お前はただの反駁者だからそういうわけでもないか

anond:20210516225443

複数権威から認められているかどうかでとりあえずいいんでないか

後はだいたい海外でどう評価されているかどうかとか

まあ結局ある程度はなんとなくで判断するしかないよな。すべてどころか、その一部すら検証することだって量的に不可能なんだから

anond:20210517120000

それは権威に頼るしかないので結局は権威主義になります

anond:20210517114536

権威の主張を客観的手法検証できるかどうかを判断基準します。その根拠客観的手法検証できないのであれば、権威に対する信頼を根拠にその主張を信頼していると考えられるからです。

anond:20210517112901

権威が言ってる中身」は吟味できないだろ

anond:20210516225443

現代学問タコツボ化ってやつです

いちおう流れでいうと、もともと権威からスタートしていって、そこから矛盾が生じて行って、結果的権威否定する、という繰り返しか誕生してはいるんですよ、学問

から一応は「権威批判する仕組み」はあります

だけど、仕組みがあるからといって必ず正常に機能するわけじゃない

というより、しょっちゅう不具合を起こしては修正し、を繰り返しま

 

いちおう、仕組み的には

とある権威権威に対する批判批判に対する批判批判に対する批判に対する批判>……

という具合に無数に積み重ねた結果として今の学問があります

で、結果として、今、誰か学者が言ったことに対し批判しようと思うと、その

とある権威権威に対する批判批判に対する批判批判に対する批判に対する批判>……”を、ある程度理解してないと批判できない

そうすると時代が新しくなるほど、実質的批判出来る人がすごく少なくなっていき、結果、批判が追い付かず、「言ったもん勝ち」がしばしば発生する

「新発見」にばっか注目してると、その手の「言ったもん勝ち」に振り回されます

というわけで制度現実においついてません

Twitterで専門の肩書しょっちゅう専門家発言してる人の全部の発言なんて、とてもチェックできるわけないです

そういう意味でいうと、Twitter上の専門家発言というのは「学問方法論に裏付けされている」わけではなく、あくまで「権威裏付けされている」だけです

昔はSNS自由発言しまくれたわけじゃないので、専門家発言する場所や機会は限られてて、そこでの発言に目を光らせれば、まだ少しはマシだったんですけども

はいってもネットのない30年前ですら、TVや雑誌の全部チェックなんて無理だしね

そのへんの感覚がないままに「科学には科学的な検証手段があるから違う」と一斉に囀るのは、ちょっとどうかとは思います

 

ただ、現実に追いつけないのは、そもそも権威批判する」という学問の態度そのものが元からそうだという面もあります

警察と同じですよね犯罪が発生してから手当てするように現実出来事が起きてから検証するのが学問というもの

そのへん踏まえて、科学を称してても「未来予言」の性格が強いものは疑ってかかるとか、対処方法はあると思います

anond:20210517112639

そもそも権威主義って権威を疑わない、権威のもの正当性担保にすることなので

言ってる内容を吟味してる時点で権威主義ではないやろ

anond:20210516225443

どの権威を選んで、どの程度までそれに頼るか、というある意味メタ的な権威主義がリテラシーなのかもな

anond:20210517103405

気象庁やで

それ以上の権威は思いつかんからワイはそれで満足して生きていくわ

anond:20210517102340

より大きい権威とは具体的に何を意味するのですか?

医療で難しいなら、例えば「明日の天気をどう判断するか」だけでもいいでしょう。

明日の天気を知りたいときあなたならどんなものを見て判断するのですか。

anond:20210517102301

新しい事柄については主要な権威見解が固まるまで判断保留しとけばいい

anond:20210517101546

寄って立つ権威を間違えないために科学リテラシーなど必要ない

より大きな権威に寄って立てばほぼ間違いはない

掲示板で騒いでるQanonよりアメリカ政府機関の方が大きな権威からそっちを信じればいいし

地球平面説を唱えてる団体よりも地球は球であるっていってる学会の方が歴史が古くて権威があるからそっちを信じればいいし

ネットで騒いでる医者よりも標準医療を信じればいい

anond:20210517101000

寄って立つ権威を間違えないために科学リテラシー必要なんだろ

Qanonやら地表平面説がおかしいのは論理的な推論や科学的な検証がないからであって、権威が劣るからではないぞ

まあ馬鹿からしたらその違いがわからいから、「科学リテラシーの大切さ」なんかを話題にしてるわけだが

anond:20210517100758

から現実問題として我々パンピーにできるのは「権威に従う、寄って立つ権威を間違えないように気を付ける」くらいだろつってんの

anond:20210517100434

科学って別に既存理論手法全部否定しろ」みたいな話じゃないんだが

権威をこじらせてるの痛いぞ

anond:20210516225443

たとえば森鴎外脚気

森鴎外ドイツ留学して医学を学び、軍医トップまで昇進した

陸軍では脚気流行していて、当時の医学では脚気の原因は分からなかったんだけど、経験的には白米ばっかり食べてると罹る病気で、麦飯が有効なことが知られていた

でも森鴎外ドイツ無駄細菌知識とか仕込んできたものから「そんな民間療法は駄目。脚気伝染病」と言い張った

しか無駄権力があるせいで兵食に麦飯を導入しないことを決定できた

そのせいで、日露戦争では脚気による死者が大量に出た

権威にすがって再現性のある知見を無視する態度は科学リテラシーがあるとは言えないよねえ

anond:20210516225443

この世には隠された真理があって、実験観測を繰り返すことで少しづつ解明され、いずれは全てが理論化できる、ってのが科学

科学においては、色々な条件でたくさん実験されて整合的な結果が得られた理論は信頼される。

理論権威を持つ。

そういう理論を重視するという意味では、科学権威主義的である

権威を持った理論が実は間違っているってことも、ままある。

いずれにせよ権威を持つの理論であって、人ではない。

anond:20210517093358

でも「こういう実験で確かめられますよ」ってのがそもそも権威の言うことを妄信してますよね

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