いちおう流れでいうと、もともと権威からスタートしていって、そこから矛盾が生じて行って、結果的に権威を否定する、という繰り返しから誕生してはいるんですよ、学問
だけど、仕組みがあるからといって必ず正常に機能するわけじゃない
というより、しょっちゅう不具合を起こしては修正し、を繰り返します
いちおう、仕組み的には
とある権威>権威に対する批判>批判に対する批判>批判に対する批判に対する批判>……
で、結果として、今、誰か学者が言ったことに対し批判しようと思うと、その
”とある権威>権威に対する批判>批判に対する批判>批判に対する批判に対する批判>……”を、ある程度理解してないと批判できない
そうすると時代が新しくなるほど、実質的に批判出来る人がすごく少なくなっていき、結果、批判が追い付かず、「言ったもん勝ち」がしばしば発生する
「新発見」にばっか注目してると、その手の「言ったもん勝ち」に振り回されます
Twitterで専門の肩書でしょっちゅう専門家発言してる人の全部の発言なんて、とてもチェックできるわけないです
そういう意味でいうと、Twitter上の専門家発言というのは「学問的方法論に裏付けされている」わけではなく、あくまで「権威に裏付けされている」だけです
昔はSNSで自由に発言しまくれたわけじゃないので、専門家の発言する場所や機会は限られてて、そこでの発言に目を光らせれば、まだ少しはマシだったんですけども
とはいってもネットのない30年前ですら、TVや雑誌の全部チェックなんて無理だしね
そのへんの感覚がないままに「科学には科学的な検証手段があるから違う」と一斉に囀るのは、ちょっとどうかとは思います
ただ、現実に追いつけないのは、そもそも「権威を批判する」という学問の態度そのものが元からそうだという面もあります
「科学なので常に専門家が正しいと盲信する馬鹿」なんてそこまでたくさんおらんやろ メディアにでてきたよくわからん「専門家」がどんだけ断定的に言おうが話を聞いてなかったり半...