はてなキーワード: リエゾンとは
2007年から2009年にかけて、2年弱ではあるが、外資系金融で派遣社員として働いていた。
外資系企業で働くということは、私にとって、黒船到来とでもいうべきエポックメイキングな出来事だった。
日本のベンチャー企業で解雇の憂き目に逢い、1年以上ニートをやっていた30歳過ぎのキャリアもない女性に仕事などなく、
私は今でこそ「社畜」と形容される日本の会社の風土そのものに全く馴染めない社会不適応者であるのだが、外資系企業は、
そんな私でも馴染む組織であるということを働いてみて初めて知った。
日系大企業に見られる「社畜」の風習である、空気を読む、他者迎合、足の引っ張り合い、残業していることをPRするための
残業(残業自慢)、横並び意識、おべっか、滅私奉公、給料=我慢料、「あれをこうして」という抽象的で意味不明な指示、
非ロジカルな会話、議題のない長時間の会議、社内政治、客よりも組織内の利益を優先する、奴隷営業、就活の茶番、パワハラ、
セクハラ、長い物には巻かれろ、付和雷同、といったありとあらゆる理不尽を永遠に繰り広げる旧陸軍のような環境そのものが、
反吐が出るほど嫌いだった。
しかし、外資系企業では、これら当たり前だった日系企業の風習が、随分緩和された環境であるということを経験した。
もちろん、外資系企業といえど、日本人社員が比較的多い組織を渡り歩いたので、上述のような風習が全くないというわけではない。
それでも、日系企業の「社畜」に囲まれる空間より、居心地が良かった。
景気悪化により、2010年より、私は日系企業に再び戻ることになった。典型的なドメスティック企業で、旧態依然とした社風に
発狂しそうになった。それでも、自分の希望する職種であったため、社畜集団しかいないということは織り込み済みで働くことにした。
面接した当初、直接雇用を視野に入れているという言及があったものの、後にカモフラージュであることが判明。
勤務先の管理職より、先月6月の株式総会後、経営方針の変更等という上っ面の理由で、
直接雇用はしないという旨を暗に諭され、転職活動を真剣に視野に入れるようになった。
ダイレクトかつストレートかつ正直に現況を述べず、オブラートに包むやり方は、いかにも日系企業らしい。
会社から直接契約終了とは告げず、私が辞めてくれるのを手ぐすね引いて待っているような状況である。
自分たちは決して悪者にはなりたくない。。。
怒りすら生じなかった。
以前、就業していた派遣会社に問い合わせたところ、早速現在の仕事に類似した外資系企業を紹介された。
このご時世、このようなタイミングで希望する職種に近い求人があるのは非常に珍しい。
派遣といえど、リーマンショック後は、書類選考や面接を行い、スクリーニングするようになった。
誰でもできるような一般事務で、誰もが知っている大企業の求人になると、50人〜100人くらいの応募者が殺到することすらある。
企業の選びたい放題である。完全に買い手市場だ。現在の私のポジションも、3〜4人面接を行い、最終的に私にしたと管理職から聞いた。
この2年半で、外資系企業に再び戻って働きたいという渇望は募るばかりで、過去の経験に基づく事実が心の中で勝手に膨張され、
妄想になっているのではないかという懸念はあった。片思いの人に入れこみすぎて、リアルな人物像よりも勝手に素晴らしい人物像を
今回は、そんな妄想を打ち破る現実に直面するかもしれないという覚悟はしていた。同時に同業他社動向を知りたいという好奇心もあった。
■面接で聞かれたこと
全部で4人の方と面接した。
日本の会社のように「自己紹介をしてください」という決まり文句からはじまり、新卒から現在に至るまでの経歴を延々と述べることはあまりない。
外資系企業の多くは、予めレジュメ(履歴書)は閲覧しているので、気になる点をピンポイントで質問するというパターンが多い。
転職歴の多さ、年齢、既婚未婚、協調性、弊社を選んだ理由といった典型的な質問や、会話のあいまいさに起因する論旨の不明瞭さ
今回の会社では、直近に携わっていた仕事をどこまで踏み込んでやっていたのか、何ができるのか、という1点に絞られた。
私は具体的な数字を述べ、先方に業務タスク量が明確にイメージできるよう述べた。また、業務裁量に関しても、具体的に
どこまで自主的に仕事に取り組んでいるのか、先方に理解できるようPRした。
その後、現在の勤務先の取扱商品数と、取扱金額も質問されたので、明確な数字を述べた。
面接した企業と、現在の勤務先のビジネス規模は殆ど同様であるということが判明した。
そして、今後携わる仕事内容について、詳細な説明がなされた。
現在の仕事と先方の業務内容で、決定的に違うポイントをその場で端的に指摘された。
そして、その違いが、先方の業務の肝であるということが面接を通じてお互いに理解できた。
このような理解に至るのは、面接官が非常にロジカルに会話を展開するからだろう。
現在の勤務先で自分が携わっていることを詳細に質問するので、自然とPRに熱が入る。
日本の会社はどちらかといえば、圧迫面接に近い感じがするのだが、外資系企業の多くは、ポジティブに過去の業績をPRしたくなる雰囲気がある。
狙ったわけではないが、業務上最新の注意を払っていることについて、述べた所、何故か「オチ」のあるギャグになってしまい、周囲が笑いに包まれた。
久々に外資系特有の「会話のテンポやノリ」に触れることができた。
今回の求人は、携わっていた正社員が海外移住するとのことで、ポジションが空いた求人だった。しかし、本国のバジェットの都合等の理由で、
正社員のヘッドカウント(頭数)が正式に降りず、申請中との説明を受けた。ただ、打診は行っている最中であるとのことで、私のパフォーマンスと、
本国からのヘッドカウント承認如何では、そのまま直接雇用の可能性があるとのこと。その一方、私のパフォーマンスが悪い、もしくは、
本国のバジェットの都合で雇用は1年契約で見送る可能性もまだ残されているため、その場合、雇用契約は終了する可能性があるという説明も受けた。
要は、首になるというリスクを予め、面接時に開示している。会社の保守的な(悪くいえば都合の良い)防衛策でもあるのだが、
日本企業の期待をほのめかしながら、最終的に公約違反を平気でやってのける卑怯なやり方よりは、随分良心的である。
■業務内容のロジカルな説明について
業務内容の説明時に、一通りメモをしていた。現在の業務に関連する仕事ではあったものの、業務特性は異なることが判明。
私は現在、編集土方として制作物をリリースしているが、外資系での仕事は、編集コーディネーター(執筆者とのリエゾン)
としての要素が非常に強い業務内容だった。
面接官の説明が、非常にロジカルだったせいか、メモの内容を友人に話すだけで、非常に明瞭な業務内容の説明になっていた。
私は人前で何かを説明するのはおろか、吃音なども多少あるので、基本的に会話が苦手である。しゃべることができない。
しかし、メモを読むだけで、誰にでも分かるような業務フローを述べることができた。
それくらい、面接官の説明がロジカルで明瞭だったのだろう。キレのある人達だった。
■業務プロフェッショナルとして
過去の私の経歴をざっと説明していたとき、面接官でトップの人が、法的専門知識に関することをポロッと余談のように言及していた。
その知識は、現在の勤務先の部課長よりも、明らかに深い内容であった。
非常に嬉しかった。
しかし、焦点は編集作業員から、編集コーディネータ要員という毛色の異なる業務に注力できるか、否かということだった。
結論としては、私は編集作業員(土方)としての経験がなかった時から、編集業務を全うできるだろいうという根拠のない自信はあったが、
コーディネーターとして業務を全うする自信はあまりないと判明した。
友人曰く、「コーディネーターとして采配を振るう仕事は、あなたが例えばマネージャー以上の権限のあるポジションだったら、
強く出ることはできるのでやりやすい仕事だと思うが、派遣という立場をあなたが意識してしまうと、調整業務に支障が生じる公算が大きい。
あなたは、力のあるポジションじゃないという理由で被害妄想を抱き、ひるんだり、やる気をなくしたりする弱さがある」と。
友人の指摘の通りである。
悩みに悩んだ末、今回は辞退させていただいた。
たった40〜50分の面接で知り得た断片的な商慣習、そこで働く人、カルチャー。。。
同じ日本人でいながら、黒船に乗った人々は、もはや、日本人の面をした、外国人なのである。
きっと、あの組織ならば、満足度の高い環境で仕事ができるだろう。
しかし、どんなに環境が良くても、不得手な仕事を長く続けられるかといえば、NOなのである。
そう思ったとき、現在の自分の仕事に、かなりの自負があるということに気がついた。
精神病を発症させ、毛嫌いしている日系企業で、社畜として猛烈な我慢と忍耐を強いられながら、
■熱病
できれば、一生おさらばしたい。
もう、こうなると、ただの熱病のような岡惚れといっても差し支えない。
私は熱病にうなされながら、次を目指す。
(増田の使い方をよく理解していないので、何か不備があった場合はすみません)
詳述を控えた部分を述べます。「スピーキング」とは瞬間的に自分の頭の中で文章を構成しなくてはなりません。まず、ここが非英語話者にとって難儀なことです。大学入試で課されるような英作文を、即興的に口から発しなければならないからです。いくら個々の単語の発音やリエゾンがうまかったとしても、発している言葉が文法的に滅茶苦茶であてば、通じません。そういった意味で、「スピーキング」においては、発音より先にこの構成能力が問われているといえます。一方、「スプリクト読み」に関しては、何を言うかがあらかじめ定められています。だから、自分の頭の中で文章を組み立てる必要がないぶん、発音それ自体に注意を払う余裕が生まれます。
これは恐らく上に述べたように、「注意を払う余裕」の無さから生じている事態です。
僕も勉強中の身なのであまり参考になるのかわからないのですが、この状況を打開するには無意識に落とし込むしかないです。
ま、練習するしか無いな、とは思ってるんだけど。
これまでも、練習さえ愚直にけど工夫しながら繰り返せば結果は出たし。
※もっとも、僕がここで申している「スピーキング」というのは、英会話でペラペラ話すというものとは少し異なります。自分はTOEFL学習者であるので、会話の中での英語というよりは、他者を介在させないスピーチとしての意味合いがどうしても強くなってしまいます。実際の、日常会話の場面では、相手が場を読んで察してくれたり、会話のキャッチボールの中で話し合いを深めて言ったりできるので、多少、構成や発音が拙くとも、相手がカバーしてくれる部分があるはずです。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1034917248/313
313 :名無しさん@3周年:2007/10/24(水) 09:21:32
あき+あめ あきさめ(秋雨)
いと+あめ いとさめ(糸雨)
き+あめ きさめ(樹雨)
きり+あめ きりさめ(霧雨)
こ+あめ こさめ(小雨)
はや+あめ はやさめ(速雨)
はる+あめ はるさめ(春雨)
ひ+あめ ひさめ(氷雨)
ひち+あめ ひちさめ→ひさめ(大雨・甚雨)
むら+あめ むらさめ(叢雨)
やぶ+あめ やぶさめ(藪雨)
よこ+あめ よこさめ(横雨)
よ+あめ よさめ(夜雨)
314 :名無しさん@3周年:2008/01/23(水) 23:48:27
素晴らしい!
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062575744
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50990818.html
「hospital」は「ハスペロウ」。
「How are you?」は「ハオユ」。
「You are welcome」は「ユオウエウクム」。
そんな感じの本です。
法則1:「最後のLはウ」 例:beautiful:ビューレフォウ
法則2:「Aはエア」 例:animal:エアネモウ
法則3:「IONはシュン」 例:station:ステイシュン
法則4:「最後のTはッ」 例:difficult:デフェカウッ
法則5:「Oはア」 例:coffee:カーフィ
法則7:「Tはラ行」 例:capital:ケアペロウ
法則10:「最後のアーはオ」 例:paper:ペイポ
法則11:「NTのTは消える」 例:twenty:トゥウェニ
法則13:「痰(タン)は鼻づまり」 例:important:エンポーッン
http://allabout.co.jp/children/kidsenglish/closeup/CU20020620a/
続き http://anond.hatelabo.jp/20100716134521
なんてよくばりなんだ!そんな博士課程まで出て外国で教える機会まで勝ち取ってさらに英語を完璧に話せるようになりたいなんて。
だからあまり努力が出来る方ではない自分が意見を書くのもおこがましい気がするけれど、ちょっとだけ。
英語圏の外国人に通じる英語と言うレベルになると、日本国内でやる英語の学習も、実際に英語圏の子供たちが育っていく過程で行われる国語としての英語教育に近づけないといけなくなると思う。論文の書き方にしても、子供の頃から構成や内容の選び方を学ばせるし、考えを述べさせたりというのが日本よりずっと早い頃から行われるし、それが楽しめるように出来ている。人前で話す機会なんていうのも多いから、どうやって人を引き付ける話し方をするとか、そういう事が上手な人=知性のある人と考える文化が根付いてしまってる。
英語という言語は、同じ内容を様々な、時にはラテン語の表現等から引用して行うのが賢いと思ってる節が日本語よりももっともっと強いから、沢山表現の仕方を習わされる。日本語だって漢文引き合いにした方が賢いと思われるけど、今じゃそんな事5・60代の知性の競り合いでしか見たことないです。単に自分の環境が悪いからかも。でもアチラでは賢い10,20代の学生が難しい表現をしようと試みている訳で。国語のテストのやり方だって異なる。日本だと作者がどう思ったか、どん文章からそれを読み取れるか、だけど、英語圏だと自分が読んでどう思ったか?とか同じような表現の言葉で書き直しなさいとか韻を示しなさいとかだって聞いたことある。(自分は日本の教育しか受けてないので伝聞でごめんなさい。)
学生は皆「あいつの英語はおかしい」「アクセントが強くて聴いているのが疲れる」「表現が稚拙で繰り返しが多すぎる」といった不満を述べてきた。「頑張ってるのは分かるけど、英語があれでは尊敬できない」とも書かれた。
確かに、日本人の英語は聞くに堪えないらしい。日本のカタカナ英語っぽいアクセントや、受験英語で身にしみついちゃったんだねその19世紀的な言い回し、みたいな表現を用いつつ、話し方の構成も日本的に話してると確かに鬱陶しがられる。日本人だってアジア圏の人々が物凄いおかしな抑揚の日本語で、拙い話し方してたら訝しんで、まず話をちゃんと聞こうという態度にならない人が多いと思う。(これは仕事でそういう事があった実例。なぜか白人や黒人の人が拙い日本語で話してても、姿勢があったりする。年配の方々であったし、多分潜在的な差別意識のある人だったのかもしれないが。)
でもこれは元増田が悪いんではなくて、きっと、元増田に発音教育をした学校の先生や、その時使ってたOCのテープの品質が悪いんだよ。英会話の授業とかで流すテープ、あれは自分の頃は大体アメリカ英語しか流してなかったけれど、今はどうなんだろう。様々な英語、民族の共通の公用語の英語の国の英語を聞いてると、同じ単語でも国によって発音が違ったりするけれど、発音の強弱が違ったりするけれど、そこは省いて、同じだったりする、そういう所をちゃんと教えておくことの方が重要。
他に勉強するところが沢山あるおかげであまり重要視されてない(できない)けれど、発音って物凄い重要。Aは「ア」とは発音しないしIだってちゃんと聞けば「アイ」ではないんだよ。「ai」なんだよ。もう一文に滅茶苦茶出てくるwだって目の前に居る誰かにチューするんじゃないかって位唇突き出さないと、向こうの人にはwの音に聞いてくれないんだよ。イヤまじで。日本人の発音で聞きづらいのはRとLとか言われてるけど、そんなの可愛いもんで、細かく洗えば同じ発音って殆ど無いんじゃないかって気すらしてくる。(大げさ) 発音という意味では日本語と英語は本当に水と油だなあって思う。
更に、極端に言うと、自分の受けてきた日本の英語教育って発音記号で書いた文章通りちゃんと読ませようとしてた。リエゾンとかするけれど。
でも、リエゾンだけじゃなくて、先の話とも重なるけど英語の教養として彼らは詩とかでリズムと強弱に重きをおくことが重要だと信じてるわけだから、そのあたりが出来てないと、どんなに正しい文章を話してても聞いてて気持ち悪い、と言われた。日本でもリズムつけて読ませるけど、日本に居る日本人の英語の先生のダイナミックさと、英語圏に居る英語教師のテンションの高さは比べ物にならない。少々アホっぽくてもいいから教育するという意味なら後者を少し見習って頑張ってほしい。
此処までこき下ろしてしまったけど、日本(というか東アジア人)の英語教育ってある側面では凄いしっかりしてて、文章とか書かせたらちゃんと文法的にも時制も正しい文章書くし、その気になれば辞書を引きながらでもある程度の難しい文章が読めるし、英語で発信されている情報の重要な話は日本語でも同様に発信されてて同じ情報を見てたりするから知としての英語を読んでいても話を理解するのは比較的早くできると思う。英語できないって言ってる学生でも論文は読めるしさ。それがヨーロッパ人とかになると語順が殆ど同じはずなのに時折自分の国の言い方の語彙、語順になったりするし、アラブ人は話すのは凄い上手だけれど、英語圏というか、イスラム以外の文化的下地が全然なくて突拍子もない事言いだしたり、書かせると時制の捉え方がめちゃめちゃで面白い事になってたりする。
こんなこと書いている自分は英語が上手ではないけれど、それなりに勉強してきたお蔭で最初の掴みの段階で英語圏の人と話して日本人アクセントが強くない調子で話せていると思う。
最初の印象で日本人と思われることはまず無い。日本人にも日本人と思われないことも多いけど。
(話が熱くなってくると其処まで気をまわしてらんないから化けの皮が剥がれて日本人らしくなってくるけれども。)
その時言われたのが「あら貴方のアクセントはソフトなのね、日本人じゃないかと思った」
相手にしたら褒めてる積りぽかった。
つまり、「日本人=マジメ、努力家、よく働く、寿司食ってる、漫画!」ってイメージを抱かれてるのは皆知ってるけれど、それよりも普段の実生活で目にする日本人像は、「発音が独特で直せない」「(構成の仕方が違い過ぎて興味を持たれず)話の内容の表現がつまらない」「差別対象」扱いなんだな。と思った。
英語教育とか英語とか全く専門でない自分が半ば酔っぱらいながら書いたから、この文章こそ構成も論点も滅茶苦茶だけど、
元増田は努力家だから、多分、発音を矯正して向こうで高校生が読むような名作や普通の大人が一度は目にしているような現代映画に目を通して表現方法を自分ですぐ使えるように増やすだけで実はそんな不満消しにイケるんじゃないかって気がしたから書いてみた。で、博士で英語使いながら仕事してるんだから、あの手この手でこれからこのイメージぶち壊してほしいよ。自分も少し頑張って努力してみるから。
あと、別に総合大学の知の殿堂みたいな賢い人達を相手にしないんだったら言い回しの引き出しや、語彙が少なくたって大丈夫だと思う。
上手く言えないけどこんな感じ。最後まで読んでくれた方ありがとう。さらに最後に一言だけ。TOEIC信仰滅びればいいのに。おやすみ。
追記)というか、皆が皆英語で元増田と同じような壁にぶつかるわけではなく、