はてなキーワード: メダルとは
「ジャーップップー!流石は我が国が手塩にかけた戦士たちジャプー!見事に結果を出しているジャプー!」
「税金泥棒ジャプー!メダルを持ち帰れないような能無しは日本に帰って来るなジャプー!」
「ジャプーん・・・スポーツしか出来ないZ世代のカスにも以外と使い道があるもんジャプ・・・」
「ジャップギャー!我が国の国技を怪我したホワイトモンキー共がツケを払う姿は爽快ジャプー!!!」
ジャップップと笑ってる所以外はおおむね我が職場でテレビ見てる中年オヤジ共の実際の発言です・・・
頭の中身が成長しないまま体だけ大人になって加齢臭ムンムンなのキモすぎるだろ。
平たく伸ばしてメダルにしようぜ
オリンピックに並々ならぬ闘志と情熱を燃やす人もいれば、オリンピックって言葉を聞くだけで批判を口にする人もいる。オリンピックって何者なのか?
オリンピックは当初、アマチュアの祭典だった。スポーツの商業化が当たり前になった今ではこの規定は無くなったけど、スポーツだけで生計を立てられる選手はかつては出場できなかった。アマチュア選手にとって極めて重要な大会であり、「参加する栄誉が一番の報酬」という思想がオリンピックには存在する。
今となってはスポーツだけで生計を立てられるプロ選手も出場しているが、オリンピックの価値は唯一無二であり、出場するだけでも十分な栄誉であって、引退後も「オリンピアン」という肩書きが保持され続ける。
アスリートや関係者にとっては、「他の大会でいいじゃん」では片付けられない価値を有し続けている。
オリンピックも各競技の世界選手権のように個人での争いにすればいいのに、何故か国別での争いがメインになっている。日本だけが「メダル◯個」で盛り上がっているわけではない。入場からメダル集計まで国別だ。
でもこれが、五輪が「平和の祭典」とも言われる理由であるように思う。
国際紛争や戦争は国同士の争い、プライドや意地の衝突だ。しかしスポーツに置き換え、スポーツで堂々とスポーツマンシップに則って国同士で戦おう……というのが根底にあるように思われる。だから国家の連合である国際連合にも認められ、「オリンピック休戦」というものが国連決議として存在しているのだと考える。
国別のメダル計上を馬鹿らしく思う人もいるかもしれないが、国家間の争いが、戦争による土地の奪取や人の死ではなく「メダル数」で片付いているのだ。こんな平和な事はない。
上記の理屈からすると、オリンピックが政治性を有し、国家が威信をかけて開催させる事に納得がいく。オリンピックも一つの外交であり、平和への投資であるという考え方だ。そのうえ商業化により経済効果を生み、メダルへの憧れによりスポーツへの意識も高まる。これだけ聞けば悪い部分は見られない。
しかし、オリンピックがアスリートにとっても平和にとっても重要な存在であることを忘れ、オリンピックを一つの興行としか見ず、汚職など悪辣なことに手を染める人も出てきているのが現状だ。
レガシーとかエコとかいうコンセプトは一旦置いておき、今一度、オリンピックの真の価値に目を向けていくのが良いのかもしれない。
あと2週間ほどでパリオリンピックが始まる。テレビでは今は呑気に「今回から新しく採用された種目に注目です」とか「こういう境遇から這い上がってきた選手から目が離せません」などと言ってるけど、じっさいオリンピックが始まると、テレビはメダルの個数とメダルを取った選手しか出てこなくなる。しかもぜんぶの局で同じことをやっていて、試合終了直後で息があがっているような選手を連れてきてしゃべらせる。メダルが取れなければ、新種目だろうが厳しい境遇だろうがテレビには出してもらえない。
自分はオリンピックでは予選を見るのがけっこう好きで、各国の選手の表情とか、和気あいあいとした会場の雰囲気とか、たまにファインプレーが出て沸き立ったりして、そういうものを味わったりしている。会期の初日くらいはニュースでもそういう雰囲気が伝わってくるが、誰かがメダルを取ったりすると、もうその人しかテレビに出なくなる。メダルのことしか言わなくなる。つまらない。