はてなキーワード: ウォルマートとは
976 ソーゾー君 [] 2012/04/05(木) 22:39:06 ID:Gw8IhdBIO Be:
金が無くなりゃ単なる禿…哀れだな…
977 ソーゾー君 [] 2012/04/05(木) 22:47:58 ID:Gw8IhdBIO Be:
なーんにもないだろ?ビルゲイツもウォルマートのオーナーも同じだ…
金持ちだからしょーもない屁理屈も「なんか良い事言ってるのかな?金持ち=成功者だし」と解釈される。
解っていることは糞役人に政治を丸投げして原発が五十基以上存在して
雇用も保障も目茶苦茶になった事だけだ…
問題を先送りににして後世に問題を押しつける努力をしてただけじゃね?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
彼らの独占の仕方の前では、ウォルマートさえ街角の個人商店にすぎず、
そのような候補者は限りなくあるだろうが、
科学や最先端研究を理解することが望ましいということには、誰もが賛意を惜しまない。
最新の知識を欠いては安定した民主的決定は不可能だ。
タイムズ紙やサンデー・タイムズ紙をアクセスするのに24時間あたり1ドルという、
マードック流の購読システムには飽き飽きしている人も多いだろう。
しかし、少なくともその期間内はいくつでも記事を読めるし、ダウンロードしておくこともできる。
エルゼビアの出版する学術雑誌では、1つの論文を読むのに31.50ドルかかる(原注1)。
シュプリンガーは34.95ユーロ(原注2)。ワイリー・ブラックウェルは42ドルだ(原注3)。
1981年に出版されたレターを読みたければ、やはり31.50ドルだ(原注4)。
もちろん、(まだそれがあるとして)図書館で読むという選択肢もあるが、
図書館も多額の購読料に苦しめられている。
化学分野の学術雑誌の場合、年間購読料は平均して3792ドルだ(原注5)。
私が見た範囲ではエルゼビアの Biochimica et Biophysica Acta の2万930ドル(原注6)が最高額だ。
大学図書館は購読を打ちきることで帳尻を合わせようとしているが、雑誌購読費は予算の65%を占めている(原注7)。
そのつけは学生に跳ね返ってくる。
一方、学術出版社は論文と論文の査読と編集作業の大半とをタダで手に入れている。
コンテンツの製作に当たって支払いをするのは出版社自身ではなく、
そしてそれを読むために、私たちはもう一度支払うのである。
上がりは天文学的だ。
前会計年度のエルゼビアの経常利益率営業利益率は 36% (20億ポンドの収入中7億2400万ポンド)(原注
8)。
エルゼビア、シュプリンガー、ワイリーはそれぞれ競合企業を買収した結果、
研究者は最新の情報に追いつくためそれを読まなければならない。
多くの場合、出版者はたくさんの学術雑誌をパッケージとしてまとめて購読するよう、図書館に強制している。
この国の人々を食い物にした極悪人の一人、
ロバート・マクスウェルが学術出版でその財の大半をなしたことは驚くに当たらない。
製作と配布の費用をまかなうためにこれらの購読料を課さざるをえない、と出版社は主張する。
また(シュプリンガーの言葉では)「雑誌のブランドを築き、学術情報流通を電子的基盤で支援する」という付加価値を提供もしているという(原注10)。
「出版社が出版プロセスに与える付加価値は相対的にはほとんどないと考えられる。
もし出版社の反論するように出版プロセスがそれほど複雑で高コストだとすれば、40%の利益率は不可能だ」(原注11)。
大出版社は、投稿から出版までに1年以上の長いプロセスをかけることによって、
研究を伝播させるどころか研究を隠してしまっている(原注12)。
ここに見られるのは、公共の資源を独占し不当な価格を課す、純粋なレンティエ資本主義である。
その製作に当たって自分たちがすでに支払っている知識を得たければ、
これが学術界に対して害をなすのはもちろんだが、
世俗に対してはさらにひどいことになっている。
私は主張をするときは根拠となる原典をたどれるようにしておくべき、
だがその主張を私が公正に要約しているかどうか、読者が検証しようと思っても、
その費用を支払えるとは限らない。
数千ポンドを支払わなければならない(原注12)。
「全ての人は自由に……科学の進展とその恩恵を享受する権利を有する」とする世界人権宣言に抵触する恐れすらある(原注13)。
Public Library of Science (PLoS) や物理の arxiv.org などの優れた事例もあるとはいえ、
オープンアクセス出版は独占資本家を駆逐するには至らなかった。
「利益率40%の時代はまもなくロバート・マクスウェルと同様に終わりを迎えるかもしれない」と予言した(原注14)。
しかし2010年のエルゼビアの利益率は1998年と変わらず36%のままだった(原注15)。
その理由は、大出版社がインパクトファクター上位に来る学術雑誌を手中にしているからだ。
こうした雑誌で出版することは、研究者にとって、研究費を獲得しキャリアを積むためにかかせない(原注16)。
とっかかりとしてオープンアクセスジャーナルを読むことはできるが、
クローズドな方もけっきょくは読まなければならない。
少数の例外を除いて、各国政府は彼らと対決することができていない。
米国 National Institutes of Health は、自らの研究費を獲得した研究者がオープンアクセスのアーカイブに論文を置くように求めている(原注17)が、
英国の Research Council の公共アクセスについての宣言は無意味の極致である。
それは「出版社が現在のポリシーの精神を維持しつづけるという仮定」に基づいている(原注18)。
政府の研究費に基づいて製作される論文がすべて無料の公共データベースにおかれるよう強制すべきだ(原注19)。
また長期的には、政府は研究者と協調して中間搾取者を追い出し、
ビョルン・ブレンブスの提案に沿い、学術論文とデータの世界単一アーカイブを作る取り組みを進めるべきだ(原注20)。
いまは略奪を受けている図書館の支出でそれを運営することもできるだろう。
George Monbiot
http://www.monbiot.com/2011/08/29/the-lairds-of-learning/
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20100224/1266992162
で、実際に海外で働くとどうなるか
コレを読んでいくつか思ったことを述べてみる。
簡単にまとめれば、だいたいはあってる。少しは情報が古い。
20代のうちにアメリカできちんと働くには理系四大卒が必須。中退だとビザすらもらえない。
その結果、いわゆる「サラリーマンのような仕事(寿司職人とか俳優とか特殊なものでない仕事)」に就こうと思ったらビザかグリーンカードが必須。
観光であればアメリカへはビザ不要でいける。観光ビザとか要らない。
それが日米関係。
じゃあ就労ビザは?っていうとなかなか降りない。9.11以降はとくにとれない。
「きちんと働く」の意味が難しいけど、普通はビザを取って働きながらグリーンカードを取る。
あ、ちなみにグリーンカードって永住権ね。昔は緑のカードをもらえたらしい。いまは緑じゃないけど慣習でそう呼ばれてる。
グリーンカードって出るまでに2年とかかかるので、在米で働きながら取るしか無い。
ただし就労ビザは最長でも6年(いちおう例外もあったはずだけど)。そういう意味で落ち着いて仕事するならグリーンカード、というのは正しい。就労ビザで2年、そこからグリーンカードの申請や抽選を経て、3年目~5年目の間にグリーンカード取得、ってイメージかなぁ?
ビザ周りは法律とか絡んでややこしいし、真面目に書けばそれだけで1エントリー書けちゃうし、昨今の海外情勢に応じて変わっちゃうので(日米関係悪化したらビザおりなくなっちゃうかも!)、このへんで。
単純労働者の受け入れ制限は昨今厳しいらしいね本当に。
これはどっちかというと発展途上国から流れてくる人をふさいでるのだと思うけど。
・ボスの気分を損ねたらその瞬間にクビ
アメリカの主要都市では失業者が町に溢れ、車を信号待ちしているだけで「花を買ってくれ」とか「金をくれ」とかいう物乞いや、「仕事が欲しい」というカードを掲げた浮浪者はもはや珍しいものではなくなっている。
解雇に関しては、人種や性別や宗教に基づく差別で無い限りほぼ合法。
「あいつが気に入らないから」は合法だけど「あいつがゲイだから」はダメってよくわかんねー。
そのため、ある程度は気に入られるようにしないといけない。
ボスのまわりがイエスマンだらけ、というのは、とくに古いアメリカ企業ではよくある話。
主要都市では失業者があふれ…という話だけど、どこの街のいつの時代だろう。
昔に比べれば圧倒的に少なくなった。ああ、でも日本じゃそういうの一人も見ないね…。
失業者が多い地区ってのは決まっているので、日本でいえばあいりん地区とか、山谷とかなのかな?そっちに近づかなければOK。
あと、日本に比べて住んでる人がきっちり分かれてるので、道路の反対側は移民地区で超治安悪いとかあるから注意かな。
西海岸だとそんなに極端じゃないけどねー。
わりと治安もいいし。
新大久保だけ治安悪いとか、神戸の中華街エリアとかみたいな・・・神戸は美しい街だけど、ぽっと中華街があるよねみたいな。
あと、本当単純労働者は速攻クビ切られるよ。
めちゃくちゃ安い賃金で働かされるし。トヨタの期間工?派遣労働者?とかがテレビでおこってたけど、月に30万近くもらえて何言ってるの…。
ロッキードやボーイングの工場で働かされてる人たちなんかは、時給500-600円(6-7ドル)とかだぜ。
高度技能職もそれはあるし、大きな企業だと変なコンサルタント会社と契約しちゃって、「労働者が多すぎますクビ切れば儲かりますよヒャッハー」みたいなアドバイスを受けて従業員半分レイオフ、とかあるけどね。
その変わり、雇うのは簡単に雇う。
それに最初に提示された給料はちゃんと貰える。
日本だと提示された給料が貰えないとか、転職して1年目は給与が少ないとかもあるんだっけ?
反面、業績上げないと昇給しない。あげても昇給しないことも多い(笑)
給料上げるための業績基準が明示されてることも多い。ので結構ずるいコトをして業績出す人が多い。
今は多分無いんだけど、ソースコードを書いた行数が生産性=業績、みたいな理屈で、ひたすら長いコードを書いたりとかね。
大雑把に言えば
「適当」
「やる気ねぇー」
「他人に甘いし、それ以上に自分に甘い」
ってところか。
賄賂のやりとりは当たり前。仕事が欲しければメリットをよこしな
アメリカに限らず、日本以外はどこでもそうだと思うんだけれど、従業員への感謝の気持ちをチップとしておまけをあげる文化がある。
なのでお世話になるのなら、現金を渡すのは比較的普通の感覚だったりする。
日本だと「賄賂はだめ!」ってなるけど、仕事の付き合いなので普通にお金を渡す。
親しい仲だとお花とかもうちょっと贈り物贈るけどね。
日本もお歳暮お中元とか、いい文化なのに贈り物っていうより義務化してるよね。
もうちょっと楽しめばいいと思うよ。
たとえばダンキンドーナツは「警察官が制服とパトカーで来店すれば、ドーナツとコーヒーを無料にします」って言ってるので、警察官がよく立ち寄る。
これも賄賂といえば賄賂なんだろうけど、これのおかげでいろんな地域に、防犯対策の追加コストなく、多少危険な地域でも出店できたりする。(治安悪いところは本当に悪いからねー)
当たり前なんだけど、40歳のベテラン社員と、20の若造がいて、同じ仕事をしてたら同じ給料がもらえる。
日本だと40歳の方に少し色を付けたりするけど、それは「年齢による差別」とかになるのかなアメリカ。
なんかウォルマート出店されて、地元の肉屋さんが潰れちゃって、ウォルマート内の肉屋さんで再雇用・・とかあるけど、いままでは土日休みで10時17時で働いてたのが、休みは平日に1日のみで8時から19時まで働いて、でも給料は半分以下、とかね。
ってかこの肉屋、もとが怠けすぎだろ…と思うけど、あいつら怠けられればとことん怠けるしね。
そんな給料落として暮らせるの!?って思うけど、暮らせるんだコレが。
日本に来た外国人が「日本は物価高いよ!」ってよく言う。そんなことないよーと思ってたけど、最近意味がわかってきた。
日本は、下が無い。
吉野家の牛丼、おいしいよね。290円だっけ?320円?そのへんじゃん。
5ドルの宅配ピザを頼むと、ピザデブになれる。そのぐらいの量がくる。
あとパンも安いよね。1ドルで6個いりみたいなパンが売ってる。
あと、コシヒカリ買ったことあるけど5kgでいくらだったかな…
安い外食はまずい。でもまぁ一応腹には入るし量が多い。
安いし、まずい。安くてボロいアパート。そう言うのが日本には無いから生活できないんだよね。給料少ないと。
日本でも大阪と東京じゃ商習慣違うんでしょ?言葉だけじゃなくてさ。
西海岸と東海岸は、沖縄と北方領土くらい離れてるんだし(もっとかな?)、南北方向だってひどい。
ニューヨークでドカ雪が降ったって、マイアミじゃ海水浴してるっていうの。って言うか繁盛しすぎて人でごった返してるっていうの(行ったことないけど)。
死刑の有無が州によって違うのは有名だけど、東海岸じゃ黒人が多いし、西海岸じゃ黒人あんまり見ないでラテン系と中国人が多い。シリコンバレーは、東京で中国人を見る確率くらい黒人見ないかなぁ?
日本人はしゃべらないんだなぁと思う。
自己主張足りないよ。
日本の駅とか来ると、「え、お通夜!?」って思うくらいしゃべってる人少ない。
でもご飯屋さんで静かなのはいいと思う。
実力主義だし、適当だし、だだっ広いのはいいと思うけど、安いメシはまずいし。
自然が多いのは最高にいいけど、都市部に多いわけじゃないし(でも車でちょっとでれば自然満喫。都内からだとどれだけ行けば自然にあえるの?とか思う。昭和記念公園は素敵だよね)。
歴史を見るとほんとインディアンと黒人悲惨だし、それがつい40年前のことだぜ?
ゲイの開放は30年前くらいだっけ。だからまだまだ実際そんなにいいもんじゃない。
ただ適当なのはよい面もあるし、西海岸はそれでも真面目な奴ら多いし、東海岸はどうなんだろうなー。わかんねぇなー。
日本より「いい」か「悪いか」はともかく、生きるだけなら楽だと思うよ。
日本は生きるのが大変だから、つらいから、つかれて自殺するんだと思う。適当な仕事をして生きていっても変な目であんまり見られない、というかそういう人達の集団がちゃんとある。
とりあえず元記事のひとは、アメリカのどこに、いつ行ったのか書いてください。
それが言いたかった。
トヨタのリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。
なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。
前回はクレーム処理で目指すべきゴールについて書いた。
そこでの結論は、
(クレーム処理の)ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。
と言うことになるのであり、心構えとして、
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
もしクレーム処理をする局面に突入したら、レインボーブリッジを封鎖しながら、ぜひとも叫んで、気合いを入れて乗り切って欲しいところである。
トヨタのリコール問題はABSに問題がないことを告げ、お客を怒らせてしまったところにあることは既に書いた。しかしこのように書くと、なんでもお客さまのいうことが正しくて、それを全面的に受け入れなければならない、と読んでしまう短絡的な人が現れてしまいたいへん困るのである。
もちろん問題がないのであれば、それをあえて「問題がある」という必要はないのは当然だ。ただ、「問題がない」=「問題があるのはお前だ」となってしまうのがまずいのである。
この差が分かるであろうか?
クレーム処理とはお客さまに対話の機会を提供する事であって、どちらが正しいかを議論すること、ではないのだ。
昨今、ちまたにお客さま至上主義という言葉があちこちに溢れている。
お客さまによいことはなんでもしようという立場を取ることは、たいへん危ういというか、ほんとうに理解しているのだろうかと訝しがって眺めてしまう。
これには論点が3つある。
1.利益になるなら/なったならお客さまによいことはなんでもしよう。
(ただし、コストが合う範囲で)
2.お客さまの言うことはなんでも聞く(ただし聞くだけ)という態度は改善点を呼び込みやすくなる。
3.わたしたちは、お客さま至上主義に最適化した事業を構築した。
1.の論点は非常に分かりやすいと思う。お客さまの言うことを聞きはするが、それは利益の出る範囲でしかやらない、と言う観点だ。たとえばそのお客さまが既に商品を購入していて、そのアフターケアとしてお客さまの言うことを利益が出る範囲でやるのであれば、それは当然に当たり前の事だ。また、そのお客が見込み客として将来利益を生む源泉となるのであれば、当然に営業活動の一環としてやるべきだろう。
しかし、こうみてくれば、当たり前の観点で、利益どころか損害になるお客はわざわざ大事にする必要はないし、単にたかるだけのDQNなら、放り出して、塩でもまいて、二度とのれんをくぐらせないぐらいの覚悟は必要になる。問題は、そのお客が利益になるのか、ならないのかの見極めであり、当然に利益になりそうなお客と、損害になりそうなお客ではこちらの態度を変える。問題はその目利きとしてのお客を見る目であり、逆に言えばすべてのクレームは金にならないと考えるのは、商売人失格と言える。
2.の論点は別の要素も含むので、若干説明が難しい。基本的にクレーマーは、問題点を改善し二度とそのような理不尽な思いをしないこと、そして、その理不尽な思いをしたということにたいして、なんらかの手当をしさえすれば大抵引き下がるものなのである。そのなんらかの手当が、菓子折であるか、おいしいお茶と1時間の会話であるか、懇切丁寧な初動対応であるかは、お客によって変わってくる。しかし、少なくとも精神的な苦痛を受けたので慰謝料を払えというレベルで迫られるのは、よほど対立が激しくなって、大喧嘩に発展させてしまった場合か、相手がDQNな場合だけだ。
また、この論点は、こちらの改善点がお客さまの観点から見えてくる、という部分でも重要である。クレーム処理は懇切丁寧にお客さまが遭われた状況をお聞きするだけで、解決することが多い。そしててきぱきと問題の解決をしてあげる事で、安心するものなのである。
この点は後ほど書く。
3.の観点は、かなり特殊なケースでありレアケースとして、まれに無差別的お客さま至上主義を導入して成功する例があるという話だ。
お客さま至上主義を掲げる企業として有名な所と言ってどこが浮かぶだろうか?
真っ先に思い浮かぶのが世界最大の小売りチェーン、ウォルマートであるが、このウォルマート流の「顧客は常に正しい」をそのまま導入してしまおうとすると、たいへんな目に遭う。なんといってもウォルマートは、この顧客至上主義に特化して、自社のあらゆるものを構築しているのであるから。
ウォルマートでは、顧客からの返品はいつでも受け付けているが、その返品はそのままサプライヤーへ送られ、この損害はサプライヤーが受ける。つまり、この顧客によいサービスでウォルマートは一切の損害を受けない。
また、非常に安い賃金で従業員を雇い、徹底的にマニュアル化された顧客対応をする。
ウォルマートは、経営方針から、会社のシステム、社内ルールに至るまで、すべてを顧客至上主義に特化しているのである。これを、なんの備えもない普通の企業がまねたからと言って、損失を出してしまうだけに違いない。もしくは最下層の従業員にしわよせが行くだけになる。
日本の企業であればディズニーランドを運営するオリエンタルランドだろうか。
しかし、オリエンタルランドも、その顧客サービスはあの管理しきられたディズニーランド内のみでおこなわれている。たとえばディズニーランド内のゴミをせっせと拾う話は有名だ。ゴミ1つ落ちていない状況を作ることによって、お客にゴミを捨てにくい状況を作るのだという。同じように、ディズニーランドではDQNのような乱暴なお客が出にくいように、楽園的な雰囲気を維持している。それが抑止力になり、顧客至上主義を展開しても、お客が無茶なことを言い出しにくい環境を作り上げているのだ。
もし手軽にディズニーランド気分が味わいたいのであれば、Apple Storeを訪れてみてもいいだろう。確かに店員は親切にしてくれるのではあるが、店内は店員であろうと顧客であろうと親切で上品に振る舞わなければならない雰囲気に満ちあふれている。
このように、顧客至上主義を唱えて成功する企業は、同時に顧客がめちゃくちゃなことを言わないような、幾重もの施策を打ち、まるで要塞のように守られた環境で、その顧客至上主義を実現しているのだ。
もし一介の一社員がそれを1人でおこなおうとすればどうなるか。
それは、経営の問題であって、全社的にそれが上手く回るように取り組むのであればわかるのであるが、たった1人でおこなおうとして、出来る代物ではないのだ。まず、ここを押さえておきたい。
クレーム処理とはどんなものかと聞かれて非常に的確な言葉は、危機対応であると思う。自社のサービスを受けていたお客さまが理不尽な思いをする。そのときの危機対応を的確にすることが出来るか、これが的確なクレーム処理が出来るか否かであると思うのだ。
しかし、そのような危機というのは、頻繁に発生してもらっては困るものである。
たとえば、スーパーにやってきて買いものをしたら、その牛乳から異臭がする、腐っているのではないか。
このようなクレームが入ったとする。
しかし、よく考えてみれば分かるように、そんなことが頻繁に起こっては小売業失格であるし、だいたい洗練された鮮度管理を徹底した売り場でそのような事が起こるはずもない。それでもこういったクレームは必ず、ちらほらと発生する。
この場合、大抵その原因はそのお客の勘違いであるのだ。
店側に問題があることはほとんどない。
けれども、どうであろうか。お客さまはそう思い込んでいるのだ。牛乳が腐っていると。
このとき、クレーム対応者はこう思うとよい。
これはお客さまからの抜き打ちテストだ。
もし万が一、そのような事態が発生したときに、そのお店の人間は適切な危機対応が取れるであろうか、それをお客はテストしているのだと。それは避難訓練みたいなもので、もし万が一が危機が起こっても、そのお店は的確に対応できるとお客さまを納得させる、これをゴールとして考えるのだ。
お客さまは、普段はそのお店で信頼して買いものをしている。
すくなくとも卵が腐っているかもしれないとびくびくしながら買い物をしていないことは間違いないと思う。しかし、あるとき、ひょっとしてと、その信頼が揺らぐときがある。そしてお客はそれをお店に突きつけてみるのだ。
ほんとうに、このお店は鮮度管理がしっかり出来ているのだろうか、と。
もし、この危機対応テストで、いや、腐ってませんよ? などと言ったら、お客さまは確実にテスト結果に落第点をつけるだろう。そして、もしほんとうに腐っていても、同じように言い訳をするのであろう、と思い込み、店の信頼はがた落ちになる。
初動としてどんな対応がいいのだろうか。
こんなのはどうだろう?
「ちょっと、この牛乳腐ってるんじゃないの? 変なにおいがするのだけど」
「はい、変なにおいがしますか。不快な思いをさせてしまいたいへん申し訳ありません。当店は鮮度管理は行き届いておりますので、そのようなことがあるとはにわかには信じがたいのですが、万が一と言うことがございます。たいへんお手数ですが、いつお買いになられたのか、などをお聞かせ願えますか? 至急調査したいと思います」
この対応のポイントは、お客さまが変なにおいがしたという不快な思いに対してのみ謝罪している、という所だ。まずお客さまの主観を一切否定せず、主観的に不快な思いをした点にはのみ謝罪している。牛乳が腐っているとはみとめておらず、万が一があるので、調査したいと切り返している。
顧客にしても、このケースはでは牛乳が腐っているかどうかはどうでもいいのである。
顧客がみているのは、ほんとうにこの店は大丈夫なのか? と言う部分なのである。
このような観点でトヨタのリコール問題を振り返ってみると、トヨタはこのお客さまの抜き打ちテストに落第してしまったために、何か問題があっても嘘をつくに違いないと思われてしまったところに敗着がある。
クレーム処理は危機対応の抜き打ちテストみたいなもので、そんな危機にどう対応するかがみられているのである。牛乳が腐っているかどうかはどうでもいいのである。
(つづく)
高所得者に1%から5.4%の新しい税を掛けるという話になっているようである。保険業界のロビーに屈したという印象である。
アメリカの医療制度の問題は、医師の資格が州ごとになっている点に始まっている。州ごとに免許が違うので、州内の医者の数を一定に保つ為に、免許が濫発されたり、厳しくなったりということで、質が一定になっていない。まともな医者を求めて、患者は医者を探しまわることになる。結果的に、評判の良い医者の所には患者が集まり、ダメな医者の所には閑古鳥が鳴く。この、暇を持て余した医者が、医療過誤裁判で、売れている医者の足を引っ張る側に回る。
医療過誤裁判で医者が負けるようになると、医療過誤保険の保険料が高騰し、売れない医者は市場から排斥されるので、結果的に、ダメな医者は排除されるという結果に繋がったが、今度は、一度値上がりした医療過誤保険の保険料を維持しよう、あるいは、搾り取れるだけ値上げしようという話になってしまった。
医者として20万ドルの年収があっても、医療過誤保険の保険料に18万ドル支払い、手元に残るのは2万ドルという状態では、アメリカでは貧困層に分類される。年棒2万ドルの仕事というと、時給9ドル75セントで一日8時間、週5日、52週間働いたのと変わらないとなる。夜勤や救急対応で夜中に叩き起こされる事を考えると、時給8ドルでウォルマートの店員でもやった方がマシだし、自動車工場のライン工の方が、遥かに高額の時給を得られる上に、医療保険も会社負担で得られる事になる。医者の成り手が居なくなっているのである。
これらの構造こそがアメリカの医療の問題点であり、高所得者に課税して、そのお金でメディケアやメディケイドを拡大しても、本質的な解決にはならない。
保険業界の献金攻勢にすっかり骨抜きにされてしまったと見られるのも、仕方が無いであろう。
保険業界はCDSで大火傷をしており、国費を投入して救済してしまった以上、いまさら潰すわけには行かないというのもある。投入した国費を回収するには、保険業界には今まで以上に利益を上げてもらわなければならない。医療過誤保険で医者からがっぽり保険料を毟り取るというのも利益の一部であるし、企業が従業員に出している医療保険を請け負い、利ざやを抜くというのも利益の一部である。病院が、病気をした国民から、医療過誤保険料と破産によって踏み倒された他の人の医療費分を上乗せした医療費を徴収し、自宅やクレジットカードのローンを支払えなくなって破産に追い込むことになったとしても、医療保険部門の売り上げは好調であり、好調な部門の売り上げを減らすような事には、献金を使ってでも反対するという話になる。
CDSを買っている資金運用部門が大赤字であっても、本業の保険部門が好調ならば救えるというのが保険業界救済の建前であるが、保険部門の好調さが資金運用部門の大赤字の原因では、合成の誤謬が暴走している状態と言えるのであった。
問題を解決する為に、政治権力を民主党に与えたのに、それをまっとうできないばかりか、献金を受け取って私腹を肥やしているようでは、支持率は低下していくであろう。
国民は、見ていないようで見ているし、気づいていないようで気づいている。身近な人や支持者を欺く事は出来ても大衆を欺く事は難しい。
割り箸を使って森林資源を使うのと、プラスチックの箸を再利用するために使う洗剤、その他諸々の経費を十分考えて結論を出すべき問題だったと思うんだよね。
プラスティックというか、使い捨てでない箸が大量に登場し始めた背景には、箸を洗うことだけに特化した安価な洗浄機とのセットでの普及がある。実際の所「エコ」と言っているが本音では「エコロジー」ではなく「エコノミー」を重視してる。つまり安い。
プラスティック箸は、大量に作る場合、もちろん質にもよるが実は十数回再利用すれば元が取れるぐらい安い。(そのため、世の中にはプラスティック製の割り箸などというものまで存在する)一定以上の規模ならば機械の導入コストを含めても、実はかなりの経費節減になっているというわけ。さらに普通に考えても、少量であれれ多くの飲食店では食器洗い乾燥機を導入しているだろうから、そこに籠でもつけて入れるだけでいいのでほぼ追加コストがなくて導入できる。
それでも今まで導入してこなかったのは、やっぱり滑るし使いにくいとか、衛生面の懸念から(たとえ問題がなくても)の苦情とか、(さらに言えば、礼儀作法では高級な使い回しの箸よりも、割り箸の方がよいとされている)そういうことがあったからだけど、そういう所を、エコロジーブームにかこつけてみんな理由をつけることができるようになったから。
それは、高価な国産材を使った一部の割り箸だけ。そんなコストが高いものをそういった激安な店が使っているはずもなく(というか激安とまではいかなくても、庶民が普通に行く店ではまず使ってない)、そういう理屈から行くとエコロジーではある。(悪かったところをやめる、と言うだけではあるが)また、間伐材の貴重な使用用途だった、と言うのは今は昔。実際には割り箸などは外国産に押され値段が下がってしまっている。そのため、割り箸を使うことだけをもって「間伐材の利用促進」とは言えなくなっている。(爪楊枝等も同様)
世の中には高級ブランドのエコバックとか、贅沢な素材を使ったエコバックなどという「お前頭沸いてんのか?」と言いたくなる糞みたいなエコバックも存在しているので程度ものだが、実用的なものであれば、基本的に単純なものなので、簡単に考えると値段で判断すればいい。
たとえば、ウォルマートグループ(日本だと西友とか)が販売しているエコバックは不織布でできて、200円とか言う激安なものがある。構造もかなり簡単だが、それなりに丈夫で、作りもまとも。今まで同様の使い捨て前提の使い方を変えずに使うような人や、そもそもものを大事にしない考えが足らない人でない限り、相当持つ。(たとえば我が家ではこれを、農作業用の袋として数十枚使っているが、かなり丈夫である。とか書くとウォルマートの人に怒られそうだが)
そして、だいたい買い物袋は一枚5円と言われている。
単純計算すると
200/5=40
で、約40回で元が取れる。
このウォルマートの商品はあまりにも安すぎるが、これがたとえ1000円でも、約200回で元が取れることになり、全く問題ない。
さらに言えば、超高効率で生産されていると思われる買い物袋はそのほとんどがエネルギー費や材料費であると考えられること、エコバックは商品であるため、小売店の利益も上乗せされて販売されているであろうことから、環境コストという面ではこれよりも召還が早いはずである。
ただ、店側が負担していたコストを、消費者に添加するのはどうよ、と言う話はもちろんあるが。
これはよくある誤解。"太陽電池を作るのに使ったCO2"というのがどういうものかよくわからないが(排出されたCO2の間違いでは?)、太陽電池を作成するためのエネルギーコストは、数年で回収できることがすでに立証されている。
説明すると長くなるし、自分がここで書くよりも読んでもらった方がよいと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%85%89%E7%99%BA%E9%9B%BB%E3%81%AE%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%80%A7%E8%83%BD
Wikipediaの上記記事(太陽光発電の環境性能)を参照して欲しい。ちなみに太陽発電パネルは、メーカーによって十年単位で保証がある。(建材では一般的な長さ)
後、こういった問いかけに対して、今はかなりの資料がネットから参照できるので、印象論で語らず、調べてみることをおすすめする。ただし、この手の技術は近年急速に発達しているので、5年前の資料でもすでに情報が古い可能性があることと、一カ所の情報を信じないことと言うことは忠告としておく。世の中には「リサイクルしないほうが環境によい」と主張する自称専門家もいるし。自分が知っているだけのちっぽけな知識で話をする奴もいるし。(例えば俺とか)
評価手法は確立している。国際標準ですでに規格(ISO14014/44)で規定されている「ライフサイクルアセスメント」という手法を使う事が一般的で、これを持って、国際的な環境負荷に対する基準と比較することが出来る。「あまりにも難しい」などと言うレベルでは少なくともない。
ちょっとした企業なら、すでに普通にやっていることである。国際認証を取得するためのコンサルティングをやっている企業などでは、たいていライフサイクルアセスメントのコンサルティングもやっているし、一般的な指標なら、政府や各種行政機関などから計算済みの資料を入手することも出来る。
これを「超長期の影響が不明であり、見逃し等があるため意味がない」という風に主張する人もいるが、そういった人々は何らかの利害関係があるか、結論のために理由をつけている様な人たちなのであまり相手にしなくてもよい。彼らが出す答えはいつも「人類は18世紀の産業革命前の暮らしに戻るべき。でなければ滅べ」であったり「標準が意味がないので、環境配慮などせず今まで通りでよい」という極論ばかりであるからだ。
最後。どっかのネットのアホが言った一部で有名な言葉に「やらない善よりやる偽善」という言葉がありました。わりと大事だと思うよ。
理由がないと行動できないツンデレ的に「あ、あんたのためにやったんじゃないんだからねっ」と言うためのいいわけも世の中にはそろいつつあるので、納得できないことを調べることは重要だが、わざわざ否定して回ることもないんじゃないかと思うがどうだろうか。
アメリカは石油、航空、宇宙産業、IT、バイオ、医薬、農業、娯楽、スポーツ、学術を制覇しているため。
ドルが基軸通貨なので銀行、保険も世界一。(サブプラ問題でがたついているけど)
http://anond.hatelabo.jp/20071031041735
アメリカでの「アニメ離れの低年齢化」が想像以上に早く進んでいるという話。
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20071015/1192466969
こちらアメリカだが、ウチの子供たちも、そういえばここ1-2年、全くテレビ・アニメを見なくなった。上の子が10歳なのでもうアニメを卒業するというのはわかるのだが、下の子は6歳。(単に兄の影響で他のものを見るだけかもしれないが。)先月は学校の新学期だったので、バックパックやTシャツなど、学校用品を買いに店に行ったが、そういえばアニメのキャラクターで目新しいものがあまりない。
もともと、アメリカでは「KAGOY(Kids Are Getting Older Younger)」現象と呼ばれる、昔よりも子供が早く玩具を卒業する傾向がある。以前読んだ新聞の記事では、「昔は10歳ぐらいまではトイザラスの顧客、と思われていた」ようだが、トイザラスなどの玩具専門チェーンが経営不振なのは、ウォルマートのせいばかりでなく、こうした「子供の玩具離れ」が背景にある、ということだった。