はてなキーワード: 遅刻とは
遅刻っちゅうのは、ただ時間に遅れるだけのことやないんよ。それは相手との約束を破ることと同じやといえるねん。時間を守ることで相手への敬意や信頼を示す行動にもなるんや。
約束の時間に遅れるってことは、相手の大事な時間を無駄にするだけやなくて、「あなたとの約束をそんなに大切に思ってへんで」っていうメッセージを送ってしまうようなもんや。相手はその時間を他のことに使えたはずやから、それを無駄にするんはちょっと失礼やんね。だから、遅刻って結果的に相手に対して不誠実な行動として見られてまうこともあるんや。今の時代、時間ってめっちゃ貴重なもんや。仕事やらプライベートの予定やらで、スケジュールがパンパンな人もおるやろ。そんな中で、相手が自分のために取ってくれた時間を無駄にするんは、信頼を失う大きな原因になることもあるんや。
遅刻せんようにするって、ただ「時間通りに着く」だけやなくて、もっと大事なことがあるねん。それは計画性とか、相手への思いやりやね。交通の状況とか、思いもよらん出来事があっても対応できるように、ちょっと早めに行動することが大事や。どうしても遅れそうなときは、すぐに相手に連絡入れてフォローするのも礼儀やしな。遅刻って、ただの一時的なミスやないんよ。相手との信頼関係に傷をつけるかもしれん行動やからこそ、遅刻せんように心がけて、時間を守ることで約束を大切にする。それが、自分自身の信頼を守ることにもつながるんや。
ナプキンなかなか変えないとか
ベッドメイク毎朝しないとか
中出しした後拭かないとか
食べ終わったお茶碗に米粒残ってるとか
お手洗いの後ハンカチ使わないとか
そんなだらしない感じがする
他なんかある?
思い返すと自分はひとに遅刻されて腹が立った記憶がないのだけど、それはたぶん、その相手やその人と行く場所、イベントに本当には興味がないからなんだろうなと思った。
なんというかあらゆることが「どっちでもいい」ので、連れに遅刻やドタキャンされたとしても、それはそれで一人の時間を楽しむだけなんだよな。
これは寛容さってことでいいんだろうか。
分単位の遅れだと思っているのは遅れる方だけで、待っている方はそれが分単位の遅れなのか、十分単位の遅れなのか、時間単位の遅れなのか分からないんだよね。
待ち人がいつ来るか分からない中待つしかないっていう状況が、どれだけ待っている方にとって負担になるか。
それが想像出来る人は、相手にそういう負担をかけさせないために「遅刻しないようにしよう」と行動する。
そういうときに、「こうすると実現できるかもね」っていう方法を、元増田(https://anond.hatelabo.jp/20241003190546)は書いてくれているよ。
というだけのことで、まー噛み合っていないな、と想いました。
この増田、すごい…
論点のすり替えと誇張表現と矮小化表現を巧みに繰り返して問題を有耶無耶にした挙句、なぜか全く関係ない車旅行に終着してる…とんだ怪文だ
特に前半の、遅刻を許さない人を異常者に見立てる表現は素晴らしい
個人的に整理したくなったので書く
崖の例えはおいといて、遅刻者が時間を奪っているのは事実のはず。
そのため、遅刻に対して恐怖、というか怒りを覚える人は多いのは妥当。自分の物を大した理由なく奪われたらそりゃね。
ここでは、遅刻した側の背景や理由を一切無視して、遅刻される人の感じ方に問題があるのではないか、とあまりに大胆に論点をすり替えている。
清々しい。
誇張表現
遅刻を死と直接結びつけて考えてる人はいないし、罪という表現も大袈裟。
崖の例えはあくまで、早い分にはいいけど遅れるとまずいよねっていうデッドラインの考え方のために出された例え話。
なのに、遅刻と死を無理矢理結びつけて「遅刻を許さない人は遅刻によって命を脅かされていると感じている。そのため、遅刻する人に断罪的」と、遅刻を許さない人を異常者に見立てている。
この後に続く矮小表現との落差を出すことで、馬鹿馬鹿しくもある意味説得力が出ている。美しい。
一方で、それ以外の時間にシビアでない待合せでも数分の遅れを許せず、機嫌が悪くなったりする場合、遅刻フォビアの害が表れてしまっているといえる。
誰も明確な数字を出していないことをいい事に、増田は勝手に遅刻ラインを数分に設定し、遅刻を許さない人間を「数分の遅刻も許さない心の狭い奴」に仕立てている。
遅刻を許さない人をここまで不当に徹底的に貶めておいて、「みんなもう少し寛容になろう」は草
しかし、増田が言いたかったことは、(おそらく増田の趣味である)車旅行の話である。
恐れ入った。
遅刻そのものが許せないんじゃなくて、遅刻したことで損するのは本人ではなく待たされているほうなのに、それを大した損失ではないと考えて改善しようという努力をしない姿勢が許せないんだよ
だから「遅刻癖がない人の突発的なトラブルや、いつもはちゃんと来る人のたまたまの寝坊での遅刻」とかにはみんなそこそこ寛容だと思うよ。
例えば緊急速報レベルの予測不可能な災害が発生して、新幹線などが数時間~半日一日止まり、準備は万端でそれがなければまったく問題なく間に合っているのは明らかなのに、もうどんな代替手段でもどうしようもないことが判明、速やかに電話連絡して「本当に申し訳ありません」と平身低頭、「そこまで謝らなくていいですよ、こんな状況ですし大変ですねぇ」とやりとりを経たような場合を除き、そのレベルには至らない遅刻をここで「普通の遅刻」ということにする。たとえば交通機関の数分~数十分程度の遅延によって遅刻した場合は「普通の遅刻」に入る。
人間、1回でも普通の遅刻をした場合、もう他の人からの認識は「遅刻をする人」に転落し、「普通に時間を守る人」に一生戻ることはない。たとえ今までの大半が時間に間に合って来ていたとしてもである。それこそ、減点ではなく失格である。他の人はこれからその人と付き合うときは、「その人は遅刻をする可能性がある」ことを考慮にいれて付き合うことになるし、その付き合いは表面的で軽いものになるだろう。
もしあなたが遅刻をする人で、たった1回だけで厳しい、と思ってしまった場合、それは自己認識が間違っている。あなたは、基本的に時間を守るがたまたま遅刻することもある人、ではなく、基本的に遅刻をする人だがたまたま今まで時間に間に合ってきた人、である。残念ながら、成長過程で、時間は守るもの、と意識の底に銘記されることのなかった人だ。
遅刻するということは、「私はあなたを比較的どうでもいいと思っている」「私にはあなたより大事なものがあり、そちらを優先する」というこの上ないメッセージである。どんなに言葉で言いつくろおうが、行動がそれを表している。
例えば仕事が遅れて人との待ち合わせに遅れた場合、仕事だから仕方がない、ではなく、本当にその人やその待ち合わせが大事ならば、仕事でも「今日は○○時にどうしても抜けなければいけないので失礼します」と通知できる場合があって、つまり仕事と待ち合わせの重要度を天秤にかけ、今回はそうするほどではないな、と判断したということだ。同様に家を出るのが遅れた場合は、家でのんびりすることがその人より大事ということだ。
例えば女性で、相手に会う前に自分の納得いくメイクに時間がかかり待ち合わせに遅刻した場合。それはまずメイクを開始する時刻に遅れていることに加え、すでにタイムトライアルが始まっているという意識に欠けている。つまり、残り時間何分かを把握し、その時間で最大限できることをし、時間がなければ諦めないといけない。でもメイクに手を抜いたら相手に失礼になる、と葛藤するかもしれないが、そもそもこの状況に陥っている時点で遅刻しているといえるので何とも言えない。
そう、たとえ結果的に時刻に間に合ったとしても、「出る直前なのに○○がなかなか見つからなくてバタバタして焦った」とか「○○したほうがよかったが時間がなかったので諦めた」などがあった場合、それは広い意味でもう遅刻しているとカウントした方がいい。遅刻一歩手前、遅刻ヒヤリハットだ。遅刻ヒヤリハットを続けている状態は、たとえ最終的に間に合っていたとしても、時間を守れているとはいえない。数年単位でその状態を続けていれば当然遅刻が発生する。遅刻対策も、まず遅刻ヒヤリハットをつぶす、とすれば考えやすいだろう。
遅刻癖のあるやつは「遅刻しないようにしよう」という心掛けがそもそもないよね
という要旨1行で済む文ではあるんだが、それだけ書いたところでそうだねで終わってしまう。
長文にしたことで無駄にあれこれ考えてる感が出てはてなの無駄にインテリぶる雰囲気を体現してるっぽくなるし、俺は元増田に完全同意するよ