はてなキーワード: リスペクトとは
そんけい
「敬意を表す」とは、心を揺さぶられるでき事を起こす人や物事に接した時、あるいは何かの偉業や功績を耳にした時などに、自身が感動していることを高らかに表明することを言います。 相手を尊敬し、相手を重んじるという態度を宣言することが、まさに敬意を表するという感覚です。
しんぷく
極論を持ち出して自己正当化に努める奴の証言なんか当てになるか。
具 体 的 に 言 え よ 。
俺の言っている「無視するな 毎日話しかけろ 孤立させるな」の方が100倍分かりやすいわ。
どう違うのか具体例を出してハッキリ言えよ。
具体的に言ったらまた極論持ち出して回避しようとするだろ?
そもそもあーだこーだと拒否する時点で君は他人に敬意を払う気がない、気に入らない奴は排除したいというのがミエミエ。
職場でも学校でも家庭内でも孤立しててもネットがあれば生きていける。そう君は言うのか?
違うなら的外れだな。
それなのに行動するのを拒み、「誰も受け入れてくれない」と自分の殻に閉じこもってちゃ
「閉じこもってる」のじゃないぞ。「閉じ込められてる」のな。君みたいにリスペクトのない奴に。
具 体 的 に 言 え よ 。
俺の言っている「無視するな 毎日話しかけろ 孤立させるな」の方が100倍分かりやすいわ。
どう違うのか具体例を出してハッキリ言えよ。
同じ考えの持ち主を探せば良いだろ。大抵雰囲気で分かる。ネット上探せばいくらでも居る。
それなのに行動するのを拒み、「誰も受け入れてくれない」と自分の殻に閉じこもってちゃ
お前の言いたいことはずっと、「無視するな、孤立させるな、毎日話しかけろ」だもんな。
俺は「お互いに話し合って離れると決意したならそれくらい許せ」としか言ってない。
俺の言ってることは「そんなケースは存在しない。排除するな最低限のリスペクトをしろ」だが。
お前は無視されたり孤立したりしたが、本当はグループに所属したかったんだろう?
まぁそれはそれで良いわ。そういう事だろうからな。
俺個人についての話なんかしてないぞ?
「特に何もしていない」じゃないぞ。排除してる。積極的か、便乗してるだけかの違いがあるだけ。
まず認識が可笑しい
「勝手に孤立しにいってる」は9割9分「俺たちのいうことを聞かないということは孤立したいんだな?」という意味。
お前みたいに「被害者が絶対に可哀想」みたいに言って「周囲の奴はもっと被害者をおだてろ、奉れ!」みたいな奴
ほんとうに害悪だと思うわ。
「おだてろ!たてまつれ!」などといっていないが。
人として最低限のリスペクトを払えと言ってるだけ。
はー。面倒くさい。
言いたいことは具体的に言ってくれないかな。
たぶん「無視するな」と言いたいんだろうけど
同じ社会(共同体)にいる以上はかかわりがないなんてことはない
相手のパーソナリティや意見の存在は否定してるって証左じゃん。
そこに如何なるリスペクトがある?
人間とみなしてない。「用があったら用をなす」だけのマシーンとして扱ってる。
誰もが話しかけないことは罪だ。
そのままクラス全員と話したとしても1対1じゃないんだ。
起こりえない仮定に意味などないし、またそれでも「1対1」ではない。
最低限のリスペクトって何?
ワザワザ「違う」と書いてるのが読めないのだろうか?
1対1で話し合っているのに、どこから「多数と少数」になったの?
勝手に話を変えるのやめてくれる?
その「1対1」というのが錯覚だと言ってるんだが?
だから、何回も言ってるけど「お互いに受け入れたくない」んだから良いじゃん。
多数と少数の間に「対等の話し合い」なんか存在しない。
1対1で話し合っているのに、どこから「多数と少数」になったの?
勝手に話を変えるのやめてくれる?
だから、何回も言ってるけど「お互いに受け入れたくない」んだから良いじゃん。
元増田は書いていたけれど、お互いに言い合い、話し合った上での結果でしょ?
多数と少数の間に「対等の話し合い」なんか存在しない。
ごときとか言うんじゃないよ。
クリエーターへのリスペクトが欠如してる以前に、普段から他人を舐め腐っているんじゃないか?
せめて自分が同等以上の作品をつくる監督くらいの立場になってからそういう言葉を使うべきだね。
そうすれば制作やマネジメントの難しさ、業界のままならなさ、過去の自分が視えていなかった部分が分かり、
想像力がどれだけ欠如していたか、どれほど自分の都合のいいように考えていたか、そして傲慢であったかが、脳に問題がある人でも身に沁みて理解できるだろうから。
まあ俺はケムリクサは見てないんだけど、だからといって「俺の御眼鏡に適わなかった作品だしどうせゴミだろう」みたいな考え方はしない。その理由がなぜか分かったろう。
一方で、
「この人すげーわ」とか「こいつ有能だな~」とか感心した事がない。
驕るようだが、「俺が今すぐ変わっても同等以上の仕事ができる」と思ってしまう。
営業は"営業スキル"というか、仕事を好条件で取ってくる話術とかあるんだろうなって思うけど
実際に営業がそういう仕事を持ってきても「不慣れな先方が好条件を提示してきたんだろう」としか思わない。
よしんば営業方針とか踏まえるとしても現場の人間で事足りるだろうなと。
つまるところ、「誰でもできる仕事」をやって一丁前にそこそこの給料を貰っている感があって、リスペクトできない。
外注とか業務委託で1000万希望してくる人事も500万希望してくる人事も、仕事の質と量そんな変わらないんだろうなあ、みたいな。
実際どうなの?
昔、中世から幕末に至るまで老人には替えの効かない価値があった
識字率の低い地域や、壽命の短い時代には知識の宝庫たる老人には、敬意を表し保護するだけの
資産的価値があった。年齢比ピラミッド的にも60才以上の老人は少数であり、レアリティも高い。
でも現代違う。情報の伝達が容易になり、スマホやPCがあらゆる分野の情報を教えてくれる現代で
老人の知恵袋の価値は極端に落ち込んでいる。壽命も、医学の発展のおかげですっごい雑に生きてても60才を超えるのは容易であり
情報が常に更新され、極力最新版を求められる時代に、学習能力が落ち込む老人は非常に不利な構造となっている。
そんな逆ピラミッドな時代にも拘わらず、現代の老人は「自分が子供の頃に見た老人と同様のリスペクト」を求める為か
声高に主張し辛い主張な事も相まって、実に歪な時代と化している。国内の老人化は今後数十年後にピークがくる為
現代の若者は、更に老いが加速した終末期を見るハメになる。逆ピラミッド人口比を変えるには移民しか無いが
余談だが子供の価値はむしろ上がっている。中世の時代は幼少期に25%の子が死に、成人できるのはさらに半数とされる為
10人くらい出産する事は珍しくも無かったらしい。更にヨーロッパなんかは14世紀のペスト大流行の為、生き延びた老人の知恵袋は
文字通りの金言だったのだろう。プラハ辺りの当時の知識の宝庫で半生を過ごした修道士は、現代の老人の何千倍くらいの資産的価値があったのだろうか