?逆に何が分からない?偏差値が頭の良さの指標か何かだと思ってるということ?
例えば複数の人がボール投げをしたとする。でも個々の人のデータを眺めても誰がどれくらいボール投げがすごいのか下手なのかはよく分からない。これを分かりやすくするために結果の平均が50、標準偏差(データのばらつきみたいなもの)が10になるように計算する。これが偏差値。
この記事に対して書いてあることは正論なのになんとなく感じていた違和感を言語化してくれた
そもそもこの考えって若いころモテていた人なら「遊ぶのは良いけど結婚はちょっとな…」って女を経験してとっくに気づいていることであって、今更殊勝に語ることじゃないからね
簡単に要約
・自分に自信を持とう
舐めてんのかクソボケが
俺のルーチンワークをお前らに教えてやろう。
こんなん仲良くないやつに話せるかボケ
高校までは良かった。
中学までは真面目に部活やってたし、積極的に「ちんこ」って言ってれば強引に笑いが取れてそれなりに友達もできた。誰もやってないポケモンの話を力説して苦笑されてた。当時は人気者だと思ってた。多分嫌われてたと思う。塾ではぼっちだったけど。
高校は陰キャが大半の学校に行った。他の奴らもオナニーか勉強くらいしかしてなかったから、成績がまぁまぁよかった俺は周囲にイキリ散らし、暴れまわって迷惑をかけつつもコミュニケーションが取れていた。高三の頃はイキリ散らすのやめたからややボッチ気味だったけど。絶対嫌われてたと思う。
問題は大学入ってから。キモオタ陰キャ発達障害アニオタしかいないと噂の束京エ業大字に行った。大学では下ネタは通用しないだろうし、どうせ同類ばっかだから無理して友達作らんでも目立たないだろうと思っていたのだが、考えが甘かった。
働きアリの2割がよく働き、6割がほどほどに働き、2割は怠けるとかいうアレだ。
2割が陽キャラ(相対的)となり友達を沢山つくり、6割は支障が無い程度に友達をつくり、2割がコミュ障陰キャとなり少数の友達とつるむかあるいはボッチになる。
俺は何故かこいつらの中ではマシな方だろうと謎の自信を持っていた。
よく、ぼっちが思うほど周りはぼっちのことを見ていないと言うが、それは我々が作り出した嘘だ。
俺もそう思って孤立したけど空気みたいなもんだから後で友達作ればいいか、と思っていたのだが、俺はいつしか
学内で有名なキモオタ陰キャぼっちアスペ発達就職不可能枠になっていた。
1年の成績がどん底で勉強大嫌いになったし、元々学部で学んでることにも興味がなかったので学力方面で一目置かれることもなくなった。
友達はおらず、部活は一年で辞め、バイトも定期的に辞めてニートになり、プレゼンでは小学生並みのものを作って教授陣にキレられる。成績はどん底。家では誰もやってないソシャゲとインターネット荒らし、オナニー、小説執筆と誰にも言えないことばかり。
ここからの人生復調は年老いた象が空を飛ぶのを夢見るようなものだ。
折角気を使って「○○って家で何やってるの?」って聞いてくれる人もいるのに、何も答えられない。殻を作って「自分のことを話そうとしない」のではない。
仲良くない奴にオナニーがどうこうとか言えるか?俺は高校のとき、ほぼ初対面の奴に包茎煽りして引かれた。
ネット荒らししてるなんて言えるわけがない。ただのコミュ障から関わっちゃいけないガチクズにランクダウンしてしまう。
小説書いてたのはまぁ言ってもいいかとは思うが、書いてる内容が人様に言えるもんじゃないので突っ込まれたら終わる。突っ込まれなくても会話が終わる。
要するに、まともな趣味のない人間がコミュ障を克服することなど不可能なのだ。
本を読もうとしたし、筋トレもしようとした。
でもどっちも続かなかった。本は二行以上読むと飽きるし、それ以上読めたとしても自閉症特有の妄想癖によりそれに関連する別のこと(主にエロ妄想)を夢想し始め、本の内容なんで一切頭に入らなくなった。筋トレはいろいろ理由つけてやめた。
本当に何もない人間なのだ。日本で一番生きる価値の無い人間だ。一応学生だが、生活費の他に親に学費を払って貰ってる時点でニートより格下だと思ってるし、同じような学生ニートでも人に話せる趣味のある人間には確実に劣っている。
短所は淀みなく出てくるのに。
コミュ障を克服なんてできないのだ。俺にはそのためのまともな人格も、趣味も、教養も、知性も、理性も、学も、何一つ持ち合わせてはいない。
自己評価が低すぎる自意識過剰だと言われることがよくあるが、本当に全ての能力が平均から大きくかけ離れているのだ。
学生であることを隠してネット荒らしをするとよく中卒ニート認定される。顔真っ赤にして俺は難関大生って言っても、誰にも信じてもらえない。小馬鹿にされて知性も語彙力も中卒レベルだと言われる。出された問題にはちゃんと勉強してないから答えられない。
社会人になったときに組みたいカメラのシステムを妄想してみる。
あ、社会人になる頃には新製品も出てるだろ!っていうのはナシね。あくまでも妄想なので
やっぱり、Fマウントに見切りをつけてZマウントに完全移行したい。
NikonがFマウントにさっさと見切りをつけたいのがビリビリ伝わってくる。Fマウントレンズのカタログも、レンズ一覧を簡単な表にまとめるだけのものになってしまったし。Fマウントに固執しすぎてレンズを揃えてしまうと、長い目で見た時に逆に金がかかることになりそうだ。
幸い?なことにレンズ資産が豊富なわけではないので、これを機に良いレンズを揃えてしまうのが一番安上がりで満足度が高いのではないかと。
・ボディ
やはりフルサイズへの憧れがあることと、小さすぎるカメラは使いづらいと感じるので、Z50とZfcは除外。風景写真がほとんどなので、Z7、Z7Ⅱ、Z6Ⅱはオーバースペック気味でこちらも除外。なのでZ6かZ5を選ぶことになる。社会人になる頃には販売終了ギリギリの時期で、在庫処分やニコンダイレクトの福袋で安く買えるかも...なんて思ったり。
動体撮影はあまり行わないけどたまーにする機会があること、暗所撮影を考えると奮発してZ6を買うべきか。撮影スタイルが変わるかもしれないしね。長い目で見ると大は小を兼ねるで行ったほうが無難か。
・レンズ
標準レンズはZ6の24-70のレンズキットにするとして、他のレンズはどうするか。
シグマ8-16を愛用してきた身としては、広角ズームは外せないところ。14-24mm f/2.8は流石に高すぎるしそこまでの性能はいらないので、14-30mm f/4 が丁度いい塩梅な気がする。
望遠も欲しい所。風景写真を撮る時に望遠を使うのが結構好きなので、最低でも400mmはほしい。理想的には600mmくらいほしいが....
理想的には100-400mmが欲しいけれどお値段30万超え。流石に手が出せないので、サードパーティーのレンズを待つか、中古を狙うのが現実的かなあ。
白人様「このままでは、我々白人が使うはずのリソースが無くなってしまいマス……。そうだ! 環境保護を理由を掲げて発展途上国の野蛮人どもが資源を使うのを食い止めましょう! グレタシールド! 女子どもを批判するのは差別主義者! ポリコレ違反! お前らは持続可能な開発目標のために石器時代の貧乏な暮らしに戻れ! SDGs! SDGs! ワタクシだけが資源を使えればいいんです!」
仮にリアルでは優秀な人に囲まれてるとしても、ネットを見れば、増田の基準だとかわいそうで見てられないそばに居たくないような人の割合は高いんじゃないだろうか。
たとえば、もし増田が読解力に難ありとして引用しているブコメを「かわいそうで見てられない」の枠にいれてるのなら、実は見てられないわけじゃなくて、構ってみるくらいには好きなのかもしれない。
あと、ネットで通りすがりに目にしたくらいでかわいそうで見てられないそばに居たくないという言葉選びをしたくなるほど強い感情を抱くことって、私は危害の恐怖を想起された時くらい(犯罪被害の記事とか、パワハラの記事とか)なので、増田より鈍感なのかもしれない。