それは「生産」という観念、あるいは「『生産』しなければ無価値」のような固定概念に囚われているからそう思うのでは。BIの議論は、それが達成された結果、経済観をはじめ人々の価値観が根底から少しずつ変わってくることを考慮した上で語らねばならないトピック。それゆえ論者の想像力・洞察力の緻密さが試されるものだ。それを現時点の価値観でもって批判しようとするならば、どんな制度であれ、大きく変えることは不可能だ。
まず、健康な人は無限に怠惰で無気力ではいられない。なんらかの新しい「刺激」を求めて違うことをしようとする。そこで経済的基盤がBIによって保証されていれば、現時点では抑えられていた多種多様な行動や現象が促進されることになる。その化学変化を期待し、総体としてプラスになることを予想するのがBIの考え方だろう。国民のダイナミズムを信じてカネを前払いでBETする制度と言ってもいい。と言われてもダイナミズムがある状態の世の中とはどんなか想像がつかないだろう。すこし現実的な例を挙げてみようと思う。
それはズバリSNSだ。TwitterやInstagramのようなSNSでは、流行りが目まぐるしく変化し、誰も止めることはできない。そしてそのブームごとにどこそこに人が殺到したり、どれそれが売れたりと、経済効果が伴う現象が起こることもある。ここでいうSNSは、誰もがアクセスできて、思うままにアクションを起こして「刺激」を得られる、敷居の低い環境として捉える。これが言わばBI状態の世の中であり、そうでない世の中は、月額制オンラインゲーム内のチャットが各タイトルごとに散在している感じだ。それぞれのタイトル内で何かがブームになったとしても、あくまで同じゲームコミュニティの仲間うちの流行であり、スケールが小さい。SNSの環境とは対照的に、ゲーム内チャットの環境では、特定分野の高い敷居をまたいで入会し定着した限られた人だけが「刺激」を得られる。それはそれで質の高い「刺激」かもしれないが、君が企業の広報だとしてプロモーション媒体に選びたいのは間違いなくSNSの方だろう。一般人にまで浸透したものは、質は低いものの経済的には遥かに「強い」のだ。BIには、世の中の多くのものごとを、日々の仕事に追われていた一般人の手の届く範囲にまで引き寄せる効果がある。日々を追われていた人は、手を伸ばすことも伸ばす欲求も失っていて自覚がないせいでこの部分を過小評価するかもしれないが、人間の探究心を甘くみてはいけない。
次に、そうして新たに一般人にまで浸透していったものがどう変化するか考えよう。ここで一つ問いたい。SNSで自撮りやつぶやきをアップロードすることは生産行為だろうか?それらはプロの写真家や文筆家とは明らかに異なるものだ。でもそれを「生産的」と捉えうる土壌になってきている。SNSのフォロワーを金を払ってでも集めたい人がいるのは、投稿が価値をもたらすからだ。では増田や2chへの投稿は?知恵袋や小町への投稿は?今現在ではそれらの投稿に価値を認め、お金を払うような人はいないだろう。なぜなら、「それは労働ではない」という価値観によって分断されているからだ。同種でもより上質な、労働の結果もたらされるコンサルティングやカウンセリングといった業務と差別化し、権威化しておきたいからだ。けれど、テクノロジー的BIとも呼べるスマホカメラの普及がもたらしたSNSにおける素人写真のように、BIによって敷居が下がり、その広い間口に集う人々が増え、誰もがそれを扱ったり目にしたりするようになれば、それをそれなりに正しく価値評価しようとする動きが出てくる。いわば「信用ポイント」だ。そうして価値(金銭とは限らない)の授受が可視化されるようになれば、たとえ2chの書き込みであっても内容によっては価値ある「生産的」行為とみなされる世の中になりうるわけだ。それは従来の世界における製品やサービスと同じように、人々を助け喜ばる行為だという認識を疑う人はいなくなる。今回例にしたネット上で完結する行為については、世の中に新しい価値を生み出すというよりは、既存の価値や信用を増幅させること事の方が多いかもしれないが、それも重要な経済的行為の一端であるし、もちろんモノを作ることに関しても、より素人仕事が日の目を見る機会が増えてくるだろう。
つまり、高度なスキルをもつような人々はそれ相応の立派な価値を生み出して「信用ポイント」を大きく稼ぐ一方で、スキルも意識も低く消費的な振る舞いをする人でも、完全に社会との関わりを断った生き方をしていない限りはなんらかの「信用ポイント」を少ないながらも蓄積させていく。そういった格差ができるのは不可避だが、少なくとも金銭的な格差と違って物理的に困窮して飢えや学費で苦しむことはなくなり、せいぜい承認欲求の不充足による精神的貧困程度に抑えられる。それですら、物理的貧困のせいで脱出が不可能ということはなくなり、トライアンドエラーを繰り返せるだけの環境は保証されるわけだから、嫌なら行動すればいいだけとなる。
最後に、「ろくなこと」についてだが、変化したあとの世界をどう捉えるかは、その人の感性によるところなので何とも言えない。プロの写真家や文筆家を差し置いて一般人のツイートが注目されることもある今の世の中を「ろくなもんじゃない」と思うのならば、BI後の世界でもきっと「ろくなことは起きなかったな」と君は言うだろう。
「僕はもう要らない(Oh-きゃんさまー)」のきゃんさまー
「だけどいつか気づくでしょうその背中には」の後の「ポーンポーンポーンポーン」
米津玄師のLemonの
(ウェ↑)
思い出せばまだあるだろうな
そういうトロフィーワイフ論で怒るのは女だったのでは。
前々からはてなでは外国人技能実習生は日本の悪徳経営者が発展途上国から奴隷を仕入れる悪魔の制度として炎上しやすい話題だけど
はてな民で実際の外国人技能実習生や実習生を雇ってる経営者と話したことある人ってどんくらいいるのかな?
俺はある
ご存知の通り地方の中小企業の多くは技能実習生なしでは成り立たない(そして日本の企業のほとんどは地方の中小企業なしでは成り立たない)が
経営者にとって実習生は都合のいい奴隷ではない。一部「日本人より真面目だからベトナム人の方がいい」という人もいるが、単純な労働力として見た場合実習生は非常にコスパが悪い
言葉の壁はもちろあるが、生活基盤が日本にある人間と違って実習生の場合は生活空間を企業が用意しなくてはならない(家賃はもらえるが)
しかし最低賃金は日本人と同額なので、ぶっちゃけ時給高くしてでも日本人雇いたいんだけれども、ご存知の通り地方は絶望的な人手不足なのである
日本に来てハメを外しすぎる素行の悪い実習生に頭を悩ます経営者も少なくないし
在留期間が終わり帰国するときには名残惜しくて涙を流す実習生も多い
これは会ったことがある僅か100人にも満たない技能実習生から感じた俺の観測範囲の話しだし
もちろん法令ガン無視の悪徳事業者のもとで奴隷労働を強いられている実習生もいるのだろう
が、日本人にも様々な価値観、生活があるように技能実習生も様々な価値観や生活があるわけで
童貞の糠床は風味が違うので、分かる人には分かるらしいよ。