別れてから少し経ってようやく落ち着いてきたから、なぜ別れたのかをここに書いておく。
別れた原因は、言ってしまえば自分の傲慢さと完璧主義的な性格、他人の価値観で生きすぎたことだった。
自分を持っていて、学ぶことが大好きだった恋人。共に苦楽と長い時間を過ごしてきた。
これまで側にいてくれたから、何があってもずっと側にいてくれると思っていた自分は、本当に傲慢だった。
もともと自分はいろんな物事に取り組むのが好きで、でもそれはどこかで他人の価値観の中で認められる自分にずっとなりたかったのだろう。
将来やりたいことのために修行をしたいと新卒で入社した会社だったが、配属先の上司との反りが合わず、業務量も多く、通勤時間が馬鹿みたいに長い。
でも、社会人になったばかりで自分は新参者だから、慣れていないからそんなもんだろうと思って自分の気持ちにずっと蓋をしていた。
まだまだ頑張れる。まだやれる。
そうしたら、仕事中にネガティブな言葉が頭を占拠したり、帰宅途中や帰った家でいきなり涙が溢れてきたりした。
それでも頑張らなきゃと思って毎日を必死に過ごしていたけど、最近やっとわかってきた。無理をしすぎていた。自分はまだできる、とか自分に期待しすぎていた。
そんな数ヶ月を過ごすうちに、自分にとって大切だったものが大切にできなくなっていった。
疑って、疑って、疑った。
身体が気持ちについてこなくてセックスができなくなり、自分が責められているように感じた。
次々と押し寄せる「やらないといけないこと」に取り組むのに精一杯で、自分の気持ちは無視し続けたままで大切にできないから、もちろん側にいる人も大切にできない。
でも渦中にいるときは自分に何が起きているのか認識できなかった。
じっと耐えていたら、いつかどうにかなるんだとどこか他人事のように思っていた。
もし自分のような人が身近にいたら、自分も側にいたいとは思えない。なんなら逃げ出したい。
だから、別れを告げられたのは当然だと思う。
自分が大切にしたいものは大切だって言っていいし、思いっきり大切にしていい。
休みたいときは休んでいいし、愚痴も悪口も言いたければ言っていい。
へー。
オリジナルメインってのは、流行のジャンルの二次同人イナゴで荒稼ぎという世界よりはよっぽど健全だね。
クリムゾン先生の作品は半分が女性に売れてるらしい(と本人が言ってたと思う)。
何か分かる気はする。
コンピューターが、onとoffは、0と1で表現出来るって、当たり前のようにホーそうですかって受け入れているが、考え出したらキリが無いのかも。
中学校のあいつら。ギリギリ高校入学のお祝いに買ってもらえたガラケー(という呼び方もない時代)持って赤外線通信してメルアド交換しあったあいつら。もう何年も連絡をとってないあいつら。
高校のあいつら。ケータイ持ってるのは当たり前。赤外線通信しあった友情の入り口。まだLINEもTwitterもないときのお前ら。異性とのメルアド交換は部活の先輩が最初だった。ウブだった俺は先輩に童貞を奪われた。ような気がした。先輩は俺の恥部とも呼ぶべき「名字+名前+生年月日」という佐藤太郎なアドレスを先輩同士で俺の断りなく共有した。恥部拡散であった。拡散先のアドレスには「彼氏+Love+彼女+初キス(結合?)記念日」と思しきアドレスもあった。別れたらアドレス変えるのだろうかという俺の期待は虚しく卒業するまでその先輩のアドレスは変わらなかった。怒張した、あるいは豊満なそれを想起させかねない文字列を、その先輩が俺にメールを送るたびに見せびらかしてくるのであった。屈辱である。このような屈辱が、性の早期化に拍車をかけるのである。
大学のあいつら。・・・は、Twitterやら始まりつつあったのであまりメルアド交換せず、TwitterIDの共有がご挨拶となったが、さすがにサークルの連絡共有では未だにメールが現役だった。とはいえ、そのメールもPCからのメールへと移行した。学生一人ひとりにメールアドレスが交付されることで、学生と講師陣との円滑なコミュニケーションが期待されていたわけだ。この頃にはGmailも本格的に使い出す。ゼミの飲み会などはこちらを利用する。つまり、個人のガラケーのメルアドなどは、この時点で大して知る理由に乏しいというか、極めてプライベートなものになったのである。思い返せば私も自分から相手にメルアドを聞くことはしなかったはずだ。聞かれることもなかった。ちなみにこの年リーマン・ショックである。私は内定先を得られずに卒業することとなる。ゼミの仲間も半数は内定できずに卒業、留年、院進と歩を進める。
私がスマホを買ったのはこれから2年後の話である。長い付き合いだったが、昨日、突然再起動を繰り返すようになった。
・・・とまあ、このようにして蓄積されてきた私の青春の一部であったものが、昨夜、すべて失われた。厳密に言うとクラウドに移行しつつあった大学以降のメンバーのアドレスは直ぐにわかるのだが、それ以前、ネットが普及しつつあった時期のあいつらのアドレスなどはすべて取り戻せない。本日キャリアのショップに足を運び、考えた結果、データ復旧は無理という結論に達した。
基本的には、私が悪い。スマホを買った時点でバックアップを取るべきだったのだ。それを数年も疎かにした私のツケだ。
高校までに知り合ったあいつらもいい年だから、まあ半分以上は結婚し、出産もし、良い家庭を築いているのだろうし、当然俺の顔を覚えている奴は殆いないだろう。俺自身も、今町中であいつらを見かけても記憶と一致できる自信がない。近いようでいて、俺とあいつらはいつの間にかこんなにも遠いところまで来ていたのだ。あいつらも、俺に今更メールや電話を送ることも掛けることも全員がしないだろう。できないやつもいるはずだ。例えば私と同じコトになってバカを見たとか、例えば津波に飲まれて死んだとか。
だいたい、小学校の頃に知り合った友達はどいつもこいつもケータイのケも知らなかった。電話帳だ電話帳。学校で遊ぶ約束したら準備して直行。その場には必ずあいつらが来る。そしてあいつらとゲームボーイで遊ぶんだ。いや、もちろんサッカーもする。サッカーもするが、ポケモンをするんだ。ゲームは男女平等。小学生でサッカーとなると既に体力差が見えるが、ゲームでモノを言うのはサッカーとは別なところ。女子はゲームもするけど男子とサッカーしたがったから一緒に遊んだ。そこから女子の家にお邪魔したことも何度かある。
まったく、いい年していつまでこんなものに執着してるんだろう。新しい出会いの少なさもそうだが、社会人になってから会う者どこかみんな余所余所しいというか、皮を何枚も被ったかのような付き合いだ。いつしか私もそれを当然のこととして他人に仕掛けている節もある。こんな大人のなり方なんて、誰が望んだんだ?
正確には、そういう付き合いができる人がいないわけではないが、圧倒的に少なくなった。
また、あの頃のような付き合いがしたい。何もかもが瑞々しくて、眩しい。出会いばかりで別れのない幸運な日々。この生なら、飽きの来ない無限を謳歌できる。
どうして俺たちは、かつてのような付き合いができなくなったんだ?
好循環を自らで作り出せばいいだけ
成功したらやる気が出るし、いろいろ手に入る。
それでまたやる気になる、そして成功する。
成功するには、自分の適性に合ったところで努力を投下すればいいだけ
簡単な話
これだけやっていれば、好循環ばっかり
たまにへこたれて「ウッ?」てなるけど、適当にこなしてたらすぐ乗り越えれる。
一度あった失敗にかかることは薄いので、またヌルゲーになる。
つまらない。
つまらないので、社会人2年目から門を閉ざし、ゲームし続けて15年たった。
さすがに、そろそろいい難易度になっている頃だろうか?
外に出るのが楽しみだ