無期か有期かの違いってことなら分かるけど、それなら有期社員とか他に良い呼び方ありそうなもんじゃん。
はっきりいって、「契約社員」って言葉がまかり通る社会自体、「俺たち労働者は法律に関して無関心です」って感じがして、不思議だ。
付き合ってもないのに無理やりセックスを迫られたり
まあ、たぶん私に問題があるのだろうから、そのこと自体は仕方ないと思っているのだが
どういう顔をしていていいのかわからなくて困る
今日もおつかれさま
私はそれで仕事をやめました
おめでとう!
親子に血のつながりなんて関係ない
そのソシャゲで最近ストーリーが更新されたのだが、その内容が非常に共感できるものであった。
その内容を簡潔だが以下で説明する。
・とあるキャラクターは放任主義の家で育った。現在は主人公とともに寮で暮らしている。
・ある日両親が離婚することに。そこでなんと、アメリカへ行く父親についてこい、拒否権はないと言われる。
・んでまあ色々あって、そんな名ばかりの親よりも、寮で一緒にいろんな時間を過ごしたみんなが家族だよ!
・日本に残ることに。またみんなで寮で過ごせる!やったね!
以上だ。
「たとえ実際に血が繋がっていようとも、過ごした時間は仲間たちのほうが多いから、その仲間たちこそ家族である。」(言い方とかいろいろ変えてます。ニュアンス)
この世にはいろいろな家族の形がある。血は繋がっていても、子供を虐待する親もいる。
逆に、いつまでもいつまでも親に寄生し、今まで育ててもらったのに親を殺したり。はたまた、本当の親の顔を知らなかったり。
そんな多様化する社会の中で、家族=血の繋がった人たち、というのは浅はかではないだろうか。
私の話をしたい。
私はいわゆる連れ子である。5歳くらいの時に、今の父の養子となった。
最初から再婚であることを隠されず、新たな両親たちの結婚式のお祝いもした。
今、私は21歳。就活に追われる日々だ。つまり16年間、今の血が繋がらない父と過ごしていることになる。
この16年間、一度も連れ子であることを負い目に感じたことなんてない。何不自由なく育ててもらった。
血の繋がらない子であるのに、お金がかかる部活をやらせてもらった。血の繋がらない子であるのに、私立の大学に入れてもらった。
血の繋がらない子であるのに、毎年誕生日は盛大に祝ってもらえる。
また、私には年の離れた姉がいるが、その結婚式の費用ももちろん出してくれている。車を買うときの補助も。何もかも。
「なんで血が繋がらない私なのに、こんなにお金をかけられるの?」と。
理由はわからない。でも理由がわからないことこそ、真理なのではないだろうか?
理由はなくとも愛することが愛情であり、そこに愛情があればそれは家族となりうるのではないだろうか。
今になって思うが、私は愛されて育ったのだろう。だからこそ、血の繋がらない父であるが、一度もそれを意識したことはない。
で。じゃあ。何を言いたいのか?っていうと。
血の繋がらない親子でも元気出して!っていうことを言いたいのではない。いやもちろんそれを負い目に感じる必要ないよ。元気出して。
むしろ、血の繋がった親子だけど、めっちゃ仲悪い親子なんてたくさんいるだろう。
そんなあなたに言いたい。
たとえ血が繋がった家族だとしても、必ずしもお互いに愛し合えるかといえばそうではない。
血が繋がった親子だから、必ずそこには愛情が生まれるかといえばそうではないと思う。
だから今、親子なのに愛されている実感がない人よ!
子供ができた以外にも、パートナー、ペット、友人を愛せばいいのだ!
親子という関係にとらわれちゃいけない!
親子というのはある種の呪いだ!
解き放たれていいんだ!
一緒にたくさんの時間を過ごして、血は繋がらずとも心がつながれば、それはもう家族なのだ。(うまいこといった)
追記
そうじゃん夫婦も血の繋がりないやん。
気になって調べたら絶版じゃんー!
かぶとむしのにおいは?
・他人は大切にするが、意思決定は委ねない。委ねてはならない、委ねてたまるか。最終的に決めるのは俺独りだ。俺独りで決めなくてはならない。独りで決める以外に道はないのだ。
・他人の思考は参考にするのみ。基本方針、基本姿勢を決めるのは俺だ。
・ところで先日、Stein’s gateという話題らしいアニメを視聴したのだが、観るに堪えない。つまらない。子供が観て楽しむものだ。当たり前だ。この歳で観てどうする、馬鹿か。
ただそこで解せなかったことがあった
服育っていうのかな?アルマーニみたいな高級な服を着せたほうが良いと当の校長も言っていたそうだ
http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/07/principalletter_a_23355613/
"...安価な服のなかには、途上国等の貧困問題、ものによっては児童労働の問題も横たわっている。チョコレートなども同様だ。こういうことも含めて、社会や総合などの授業で扱うことができれば、服も立派な教材である。"
https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20180210-00081460/
これは違うだろうと思った。何がって?
"児童の権利条約"は1990年成立で、1994年に日本も批准している
これは義務教育中の労働の禁止や、危険な労働、酷使をしないことが謳われている
子供って従順だから親の都合や雇用主の都合に従ってしまうから。
アルマーニなどの紳士服の縫製も南部で児童がやっていることがある(あった)と。
当時は服飾ブランドではアルマーニ、ダナキャラン、カルヴァンクライン、ベネトンそんなブランドの名前が挙がっていた。
今はアルマーニのようなハイファッションだけでなく、H&M、ユニクロなどファストファッションの名前もあがる
鉱業、コーヒー、カカオマスなどアフリカ、南米などにもスポットライトが当たる
国際NGO ヒューマンライツウォッチ(主に戦乱地域の窮状報道のことで耳にするNGOかも)による
アウトソース先の工場リストや、労働の権利や児童労働に関する質問に回答しないようだ
http://features.hrw.org/features/HRW_2015_reports/Cambodia_Garment_Workers/index.html
それに我がユニクロも人権のことではしばしば吊るし上げられているしグローバルブランドはどっちもどっちな気もする
ただ言えるのは泰明小学校の制服が仮に採寸地と縫製地が近い方がいいからということで日本国内生産かもしれない。
もしくは国内の制服専門メーカーにアウトソースしているかもしれない。
しかしグローバルブランドは仮にアウトソースしてようがサプライチェーン全てを管理する必要があり
グローバルブランドは労働者の権利や賃金が低く据え置かれている国や地域で生産しようとする動きはずっと変わらない。
それを知った方が服育になるでしょう、そう思った
濡れた仔犬の腹のにおいかと思った…
・朝の情報番組は実にどうでもいいことに長時間を割いている。出張先のホテル朝食の際にどうしてもTV音声が耳に入ってしまうのだが、聴くに堪えない。TVは馬鹿製造機だというが本当にそうだと思う。テレビ局も出演者も愚かしいし、これを見ている人々が日本中に大勢いるのだと思うと言葉がない。
・大衆とはそういうものなのだと結論付ける他ない。圧倒的大多数の人々は愚かしいことに長時間を費やし、それが当然だと思っている。
・安いホテルの朝食会場にはたいてい大音量でTVがつけっぱなしになっている。迷惑である。質の高い、比較的価格帯の高い宿だとそうではない。TVの音量は抑えられているか消音とされているし、そもそもTV自体がおいてなかったりする。
・宿は良いところを選びに選んで利用すべきである。安宿を日常的に使っていると自分までも馬鹿になってしまう。おそろしい話である。