2018-03-02

家族に血の繋がりなんて関係ない

親子に血のつながりなんて関係ない

最近私はあるソシャゲにハマっている。

そのソシャゲ最近ストーリー更新されたのだが、その内容が非常に共感できるものであった。

その内容を簡潔だが以下で説明する。

とあるキャラクター放任主義の家で育った。現在主人公とともに寮で暮らしている。

・ある日両親が離婚することに。そこでなんと、アメリカへ行く父親についてこい、拒否権はないと言われる。

・すでに高校は転学届が出されており、アメリカ行きは決定。

・んでまあ色々あって、そんな名ばかりの親よりも、寮で一緒にいろんな時間を過ごしたみんなが家族だよ!

日本に残ることに。またみんなで寮で過ごせる!やったね!

以上だ。

何に一番共感たかというと、

「たとえ実際に血が繋がっていようとも、過ごした時間は仲間たちのほうが多いから、その仲間たちこそ家族である。」(言い方とかいろいろ変えてますニュアンス

この世にはいろいろな家族の形がある。血は繋がっていても、子供虐待する親もいる。

逆に、いつまでもいつまでも親に寄生し、今まで育ててもらったのに親を殺したり。はたまた、本当の親の顔を知らなかったり。

そんな多様化する社会の中で、家族=血の繋がった人たち、というのは浅はかではないだろうか。

私の話をしたい。

はいわゆる連れ子である。5歳くらいの時に、今の父の養子となった。

最初から再婚であることを隠されず、新たな両親たちの結婚式のお祝いもした。

今、私は21歳。就活に追われる日々だ。つまり16年間、今の血が繋がらない父と過ごしていることになる。

この16年間、一度も連れ子であることを負い目に感じたことなんてない。何不自由なく育ててもらった。

血の繋がらない子であるのに、お金がかかる部活やらせてもらった。血の繋がらない子であるのに、私立大学に入れてもらった。

血の繋がらない子であるのに、毎年誕生日は盛大に祝ってもらえる。

また、私には年の離れた姉がいるが、その結婚式費用ももちろん出してくれている。車を買うときの補助も。何もかも。

中学生のころからよく思っていた。

「なんで血が繋がらない私なのに、こんなにお金をかけられるの?」と。

理由はわからない。でも理由がわからないことこそ、真理なのではないだろうか?

理由はなくとも愛することが愛情であり、そこに愛情があればそれは家族となりうるのではないだろうか。

今になって思うが、私は愛されて育ったのだろう。だからこそ、血の繋がらない父であるが、一度もそれを意識したことはない。

愛情さえあればそれは家族なのであろう。

で。じゃあ。何を言いたいのか?っていうと。

血の繋がらない親子でも元気出して!っていうことを言いたいのではない。いやもちろんそれを負い目に感じる必要ないよ。元気出して。

しろ、血の繋がった親子だけど、めっちゃ仲悪い親子なんてたくさんいるだろう。

そんなあなたに言いたい。

たとえ血が繋がった家族だとしても、必ずしもお互いに愛し合えるかといえばそうではない。

お互いも人であるから、どうしても愛せないこともあるのだ。

血が繋がった親子だから、必ずそこには愛情が生まれるかといえばそうではないと思う。

から今、親子なのに愛されている実感がない人よ!

きっとあなたはいつか、家族と思える人ができる!

自分子供ができた時!最大限に愛せばいいのだ!

子供ができた以外にも、パートナーペット、友人を愛せばいいのだ!

親子という関係にとらわれちゃいけない!

親子というのはある種の呪いだ!

解き放たれていいんだ!

一緒にたくさんの時間を過ごして、血は繋がらずとも心がつながれば、それはもう家族なのだ。(うまいこといった)

オチイマイチわからんな。

追記

そうじゃん夫婦も血の繋がりないやん。

でもまあ言いたいのは血縁関係のある親子で、関係が良くなくても気にしすぎない方いいよ、ってところが一番伝えたいかも。

  • 江戸時代は血がつながってない農民でも優秀な人だったら武家の名前を継がせたんだっけ 明治ごろにも神童は金持ちに用紙に迎えられたんだってね でもDHA鑑定で実子が分からなかった時...

  • ほぼすべて家族において、夫と妻の間に血のつながりは無い。

    • それ、養子が血のつながりについて悩む時に意外とみんな盲点らしいよね。

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