窒息しない?
フェミニストというのはなんなの?女性の権利とやらは反政府のダシに過ぎないのか?
自称フェミニストのみなさんは全ての女性の性を理由にした搾取に立ち上がるつもりはないのかな?
そのつもりがないのならお前ら「テレビに文句をつけることが本業の自称フェミニスト」は滅びて当然だと思うよ。
ていうか、死ね。
スキルとか能力以前に、自分の存在自体に自信がない感じなんだけどわかってもらえるだろうか
何かがある程度できるようになったとしても
「俺なんかが何かを出来るようになろうとすること自体が不遜だった…」と思う
面白いことを言おう、気の利いたことを言おうとしてるのかな?っていう人が多い。
面白いし、気も利いてる人が多いんだけど
なんか関東からの「関西の人は面白いしノリがいい」という先入観に
一生懸命応えようとしてくれてる感じがする。
こいつは私にもLINEで「結婚するまででいいから付き合おうよ」「本当に好きなのはお前だけだよ」「お前が部署で一番可愛い」など散々送り付けてきていた。
こいつを角が立たないようにやんわりかわしてるのと同時期に後輩にも同じように言いよっていた。
後輩が「〇〇さんが、、Hしようってライン送ってきて…」と私に相談してきたから発覚したが、言ってくれなかったら永久に気づけなかったと思う。
男の人って意外と嘘つくことや取り繕いが上手い。
こいつ以外の男上司もさりげなく背中や肩に触れたり、飲み会で肩組んできたりなど下心のあることをする。
昨日遊んだ友達も「飲み会で男の人にしつこく連絡先を聞かれてご飯を誘われて迷惑だった」と言っていた。
友達が女として舐められているのは黙っておけない。
偶然なんだろうがこんなに事案が頻発するともう40代の男が既婚でも独身でもみんな見境なく女に手を出すゴミにしか見えなくなった。
私はどちらかといえば寛容な方だったのにもう無理になった。
50より上のおじさんや若い男の子はがっついた感じが無いので平気である。
とにかく40代の男性のことは気持ち悪く思っている。ごめんなさい。
社会って辛いなあ
はあちゅうの件、読んだ。
電通時代の事とはいえ、退職してから7年も苦しめられてきたのは苦痛だったろう。
パワハラやセクハラは根絶すべき課題なのはその通りなんだけど、このタイミングで
はあちゅうがぶっこんできたのは、自身に染み付いたネガティブなイメージを帳消しにしようと
炎上芸人も、過去にはいろいろあった。パワハラ・セクハラ被害者、かわいそうな人。
でも今は頑張ってる感。なんか気持ち悪い。
相手もかなりのクズだけど、電通のちょっとした有名人ならみんなあんな感じだろう。
しかも、火消し対応がなかなか悪くない。昔の事だけど反省して謝罪したい、と繰り返す。
これ、炎上期間は短いだろうな。
俺らの手足になって深夜でも作業してろや。
有名な台詞としては「根拠の無い自信を持て!」みたいなものがあったが、それは半分しか事実では無い、と、一応書いておこうかなと思った。
順に説明すると、「根拠の無い自信」というのは「ハッタリ」である訳だが、「ハッタリ」を使っていると、当然、「ハッタリを使うことが上手くなる(上達する)」訳である。
では、「ハッタリを使うことが上手くなる(上達する)」ということはどういうことか?
一般的に言えば、「どこに嘘を混ぜるか」、「嘘の演出方法(=演技力)」のようなテクニックが上達するということだと思う。
(もちろん、個人によって他にも色々テクニックはあるだろうが)
具体的には、「ハッタリの使い方が上手くなると、どこまでハッタリが通用するかある程度分かるようにもなってくる」ということであり、「どこまで嘘が通用するか」という自分の確証は「根拠の無い自信」ではなくて、「根拠のある自信」ということになる。
つまり、「根拠の無い自信を持つ」という方向性は、「(ハッタリに関して言えば)根拠のある自信を持てるようになる」と言える。
もう一つは、「ハッタリをかました後で、引くに引けない状態になり、とりあえずやってみたら上手く行った」というのも良くある成功者の話ではある。
これは、動機はともかく、やってみた結果が上手く行ったので、自信になった、という話であり、その成功体験が「根拠のある自信」に繋がったという話である。
すでに混乱している人もいるかも知れないが、要するに何が言いたいのか?と言うと、戦い方というのは、「虚実入り混ぜる」訳だが、この場合、「虚」の部分しか語っていない、ということを言いたい。
では、語られていない「実」の方は何か?と言ったら、実際の「実力」であるという訳であり、「実力をどうつけるか?」という話になる。
そしてそれは、上でもう語っているように、「何回も使う(練習する)」という結論になる(上の場合は、「ハッタリが上手くなる」訳だが)。
例えば、イラスト(絵)でも良いと思う。
「とりあえず、顔だけならある程度似せて描けるようになったが、身体全体はまだ上手く描けない」。
「とりあえず、30ブクマまで安定して集められるようになった。しかしそれ以上は伸びない」。
あるジャンルであるレベルまで行ける、でもそれ以上は難しい、頭打ち感を感じたので、違うジャンルに行ってみたら、自分の予想以上に伸びた、という経験をした人もいるかも知れない。
というか、「自信」というのは、文字通り、「自分への信頼」である訳であって、「ここまでなら自分が上手くやれる可能性が高いと思われる自分なりの予測」の根拠だと思う。
だから、普段から自分との約束を守り、節制を守るような生活をしている人は自然に自信が出てくるだろうし、否定的な反応しか返ってこない場合には自分に自信が持てなくなる。
「どこまで上手く出来てどこから上手く行かないのか、何が壁になっているのか、伸びしろはあるのか」と考えていくと、例えば、「もうこれ以上、このジャンル(この仕事)を続けても意味が無いな」であるとか、「いや、まだあのやり方は試していないな」などが判断出来るようになる。
では、「あるジャンルで努力してスキルを身につけても、別のジャンルに行ったら、そのスキルは無駄になるのでは?」という疑問が出てくるかも知れないが、「努力をするスキル」は上達しているので、そこまで経験が無駄になるのか?と言ったら、無駄にならないと思う。
逆に、あるジャンルで開眼して(壁を突破して)、「今なら、絵を上手く描けそうだ」と思って絵を描いたら、案外、上手く描けるかも知れない。
というか、学歴も、受験勉強は「努力をするスキル」を持っていないと出来ない訳で、それで企業側は判断している、とも言える。
まあ、AO入試などで、コネを使う等もあるかも知れないが、コネを使えるということは、ある程度の身分証明にもなる訳でもあり、それは私企業の判断であるから例えブランド力が落ちようが自己責任という物である。
ただ、「努力をするスキル」を手に入れないで良い身分を手に入れた人はプライドは高くても自信は持っていないだろうし、AI時代になったら生き残れるかは結構怪しい気もする。