平和的に事態を好転させる立場にいるはずの国連が打つ手なしで、事務総長は現実逃避して日本にちょっかい出してるような現状はどう思いますか?
長文を書く労力がかかってるだけに、釣りなのかどうかいまひとつ判断が付かない増田。
アメーバピグを知らないことを始めとして、全体的にオタクの常識と言えるような共通知識が
しばらく前からアップデートされてない状態で書かれたような印象を受ける。
あと作品をまともに見ずに批判してるんじゃないかと思った。
ガッチャマンクラウズおもしろいのかつまらないのかどっちだよ
んなもん「やっぱ自分には合わなかったからやめました。情けないと思われるかもしれませんが無理なものは無理なので心機一転職探し頑張ります」
と開き直れよ
どうせ誰からも共感されないだろうな、みたいなダイアリーを書いたら案の定的確な批判が二件ほどトラックバックされていた。
誰でもわかることをドヤ顔や怒り口調で言われても、なんかなって感じがする。
要するに汲み取ってほしいわけよ、100歩譲って考えろって言う訳じゃなく。
はぁ、弁明も大変だわな。弁明の使い方あってるか知らんけど。
知人の紹介で転職したのに、すぐに辞めることにした。
いろんな人に合わせる顔がない。
退職することなんかよりも、周りへ報告するのがつらい。「転職しましたー」っって「イイね!」もらったのつい最近だし。
紹介してくれた知人にどう説明したらいいんだよ。
そういうのも引っくるめて、それでも続けられないと思ったから辞めるんだけど。とはいってもな。
まー、私のメンタルが弱いのは仲間内じゃ知られてることだし。みんな一瞬は驚いても納得するだろう。つかそんなに興味ないだろ。
私のメンタルが強くないことを知らない知人もいるけど。この機会にそういう人にもカミングアウトすればよいのか。そうか。
もう退職することは覆せないし覆さないし、どうにもならないんだけど。
「逃げること」から来る今後の自己評価の低下予測に対してじゃなくて、
「逃げちゃいました、かっこ悪いですね」って周りに告白することに対して怖れてる。
そういうことじゃないだろ、とは思う。もっと、「続けられなかったこと」とか「始める前に選ぶべきじゃなかったこと」とかを悔やんだほうが自然じゃないか。反省すべきはそっちでは。
でもメンタル弱いからなあ。過去の失敗を認知するのは今やるべきじゃないよな。覆らないんだし。
ガッチャマンクラウズを一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。
スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。
SFとは未来のプロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。
新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。
ガッチャマンクラウズの世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、
その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。
この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。
バーチャルリアリティもアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。
LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形も必要ない。
それにソーシャルゲームの最新型はアバターなんかで稼いでいない。
ツイッターっぽい画面やYoutubeっぽい画面、ニコニコ動画っぽい画面も登場するが、
すべて現実のマネッコでしかなく、そこにその先を行く想像力は存在しない。
しかし、現実の最新型はグーグル・グラスであり、ツイッターやアバターはもう終わりを遂げようとしている。
バカゆえに空気を読まない発言や行動で、物事の本質を突くというものだ。
「視点を変えれば世の中面白い」なんて手垢にまみれた主張であり、
「○○っす」「○○っす」ってうるせえんだよ、黙れ。
同じテーマを持つVOWの方が、見せ方ははるかに洗練されている。
ほかにもGALAXの夢想するSNSの繋がりで世界を変えよう、だなんて
昔懐かしい「ウェブ2.0」の主張とおんなじだ。
GALAXの開発者は『ウェブ進化論』でも読んだに違いない。7年前の本だ。
この主張の古臭さはもちろん、その危険性も私たちは「パーナさん」で知っている。
『ガッチャマンクラウズ』はネット上で感想があがり、盛り上がりを見せた。
その中の人たちは「クラウズ論壇の誕生だ」とか言ってはしゃいでいる。
彼らの名前を見れば、どういう層にクラウズがウケているのかがわかる。
クラウズを褒めているのは「Hatena」に生息する批評家ワナビーたちであり、
「一時期の東浩紀のマネ」とは何かというと、アニメを通して社会を語るというスタイルである。
アニメの一部分を取り出して、「○○は××を象徴している」という論評の仕方だ。
これをすると、アニメを見ているだけなのに、社会も語れて頭がいい気分になれるので、非常に人気がある。
例えば、「エヴァンゲリオンは現代社会の生き辛さを象徴している」とか、そういう語り方だ。
そういうスタイルの人たちには、ガッチャマンクラウズほど語りやすいものはない。
「ゴテゴテに化粧した男の娘は、SNSやアバターで着飾る現代人の象徴!」
「ガッチャマンを助ける一般人は、ソーシャルメディアで助け合う現代人の象徴!」などと何とでも言える。
スタッフがあらかじめ社会現象を反映させようとして作っているので、とても読み込みやすい。
そうやって用意されたものを読み込んで「俺って頭いい」と興奮している、そんな印象だ。
東浩紀自体は、そういう見方をやめてしまっている。彼の関心は政治であり、原発だ。
そういうアニメ批評、漫画批評が盛り上がりを見せたのは2000年代の中盤だけで、もう終わった。
しかし、現実の問題は語れないくせに、「現実を語りたい欲」だけがある人間が、この読み方をし続けている。
いわば「東浩紀フォロワーの残党」たちがごちゃごちゃ言い合っているだけなのだ。
彼らがごちゃごちゃ言っている間に、現実はもうはるか先に行っている。
アバターは廃れたし、不特定多数と不用意に繋がる危険性を、私たちは知っている。
ガッチャマンクラウズは『東のエデン』を引き合いに出されることが多い。
確かに作りは似ている。どちらも現実の社会問題やガジェットを取り入れてドラマを作っている。
しかし、今の時点でいえば、ガッチャマンクラウズは現状追認で終わっていると言えよう。
『東のエデン』にはまだ「東のエデン・システム」という現実の先を行く想像力があった。
しかし、ガッチャマンクラウズにはそれがない。
ガッチャマンクラウズよりも現実の方がはるかに新しい。
私たちの目の前で起きている現象を観察すれば、
ガッチャマンクラウズなんか見る必要ない。
こんなの見るくらいなら、『アキハバラ電脳組』でも見た方がマシだ。
(追記:8/30 21:40)
何年か前、主婦してたハイカーさんがhagexさんのダイアリに嵌ってしまって画面前から離れられないとぼやいてた。
自分はスポンジボブが嫌いでそのアイコンが見えたのが嫌で見ることはなかった。
内容にもそんなに興味を持てなかった。
数年して、ここ2週ほどは嵌ってしまったとしか言いようもなく長時間読みふけってしまっている。
変わったんだな自分。
たぶん過去のぶんも全部読んでしまえば熱も冷めるんだろうけどいろんなことが滞ってしまってヤバい。
なんか中毒っぽくてどうしよう
engineer (N-COUNT)
An engineer is a person who repairs mechanical or electrical devices. (COBUILD)
someone whose job is to repair electrical equipment or machines (LDOCE)
と声高に叫んでいた人たちは、震災以前に構想された「風立ちぬ」が、震災以降の感覚で受容されているのを、どう思っているんだろう。
宮崎駿が、震災や原発の問題にコミットしているのを、どう感じているんだろう。
「ピングドラム」や「進撃の巨人」が、震災と絡めて語られるのを、どう考えたのだろう。
震災から二年以上が経ってようやく、震災後に構想された作品が生まれつつあるのを、どう見ているのだろうか。
富野由悠季が、新作のガンダムに震災や原発の問題意識が盛り込むと言ったのを、どう聞いたのだろうか。
「あの意見は明らかな間違いだった」と言い切った人が、同じ口で「ガッチャマンクラウズ」を絶賛しているのは何故だろうか。
すべてはメインストリームになりえぬ辺境での出来事だと言うのだろうか。
「ガッチャマンクラウズ」、面白いです。
http://stocker.jp/diary/wp-admin-basic-auth/
こちらは、そういうのに対応みたいなことでしょうかね。
WPのログイン情報が生で常に流れてるっていう状態になってしまうと思うのだけれど、
どうなんだろ?
仮にそうだとすると余計危険だと思うけど。。。
この親にしてこの子あり。
何よりも子どものためにならないのに、すごく自慢げにドヤ顔で話してきてウザすぎる。
間違った優しさを与える親にはなりたくない。
これで、訴訟起こされても問題無いと思ってることにはびっくりする。
見ちゃうよ。そしておっぱいの人はいつも見られてるだろうから実はそんなに深く気にしてないんじゃないかなーと思いたい。
だから開き直って見ちゃえw
シリアに対しても経済制裁なんかはすでに行われてるが、それで独裁者が独裁や反対者の迫害、弾圧などをやめることはない。
北朝鮮見たって分かるだろう。
見せしめがほしい、血を流したいというのなら責任者だけを、裁判の上、犯罪者として吊すべきです。その労力を払うのが嫌で、空爆を行う、というのは非常に野蛮で、危険です。昨日も書きましたが、暴力は報復を生み、憎しみは連鎖することがあります。
で、調査の結果、化学兵器使用が判明したとして、それで裁判になんか、のこのこ出頭するとでも思うのか?
「こちらは国連ですが、化学兵器使用の件であなたを裁判にかけたいと思うので、お忙しいところ恐縮ですが国連本部までご足労願えますか?」ってか?w
フセインを捕らえた時のように、空爆その他で軍事力を裸にした上で部隊を投入して連れてくる以外に、「裁判」なんてどうやって実現する?
ま、国連の調査は待った方がいいかもしれないが、それでネタが上がれば空爆はやむを得ないんじゃないの。
「反対者の弾圧に化学兵器を使っても国際社会はスルーする」という前例を作れば、今後またそういう弾圧の犠牲者を増やすことになる。