はてなキーワード: テレビの力とは
テレビを全く見ない自分がいうのも変な話だけど、むこう10年くらいネットに対するテレビの優位性は保ち続けるように思う。
しかし、ネットの影響力はテレビのそれを超えることなく、ほぼ同等になったあたりで均衡するのではないかと思う。
超えたとしても、ネット7に対しテレビ3くらいには残してるはずだ。
たしかに、自分が知りたいことを知るためには、ネットのほうがテレビよりも強力なツールだ。
しかし、みんなが同じ知識を共有するためには、ネットでは不十分なんだ。
たとえば、テレビだったら、民法10社とNHKに地デジ化のお知らせを流せば、テレビを殆どみない僕なんかにだってその情報はいずれ伝わってくる。
あるていど同じ知識を共有しないと、議論も出来ない。
広告媒体としてネットよりもずっと優秀だから、お金が集まるし、権力も集まる。
しかし、一方的で、権力者寄りの放送であればあるほど、必然的にテレビ以外のメディアに注目が集まってくる。
テレビなくしてネットの隆盛がない以上、ネットがテレビに置き換わることはない。
池田信夫には賛成だ。
テレビの重要性は認めるが、それでも最もいい帯域はデジタル通信に当てるべきだ。
しかし、ネット、テレビの他に、もう一つ、メディアの第三極があるべきだと思う。
いくつかの点で、ネットは貧弱だ。
まず、既存のメディアの焼き直しの情報がほとんどだということだ。
既に出版された本や、既に放送されたテレビを元にしている場合が多すぎる。
それに関しては、いくぶんは改善されているようにも思う。
一次情報をテレビや本の形ではなくネット発で流すことが多くなってきたように思う。
それでもまだまだという印象は拭えない。
そこに入り込むのが、SNSになるんだと思う。
なにが見える、なにが聞こえる、という未編集の一次情報をダイレクトに伝えるのがその役割だ。
きちんと体裁と論理が整った情報は、今まで通り通信社がテレビや新聞に(あるいは直接ネットに)売り、ネットはそれを再編集したり、視点を変えてユーザーに情報を届ける。
一方的で情報量が少ないがリーチ力のあるテレビ、圧倒的に情報量が多くマスメディアを監視するネット、未編集だが加工されていない情報に触れられるSNS、メディアは天下三分の計で安定すると思うんだ。
タレントが酔った勢いで全裸になって逮捕されて損害が1000億とかいう見出しをみたが、ほんとなの? その金は、分類すると、1)人に何かを伝えるためのコスト(広告) 2)単に注意を引くためのコスト(広告と広告の間の番組) の2つでいいの?
報道のされ方をみるとビッグネームなんだろうけど、テレビなんてもう10年ぐらい見てないので知らないんだよね。あと、広告・テレビ業界における1000億の価値もよくわかってないし。
サラリーマンの生涯収入って数億の下の方だよね? 仮に年収1000万×30年として、サラリーマン300人以上の損害? よくわからん。
ものを伝えることは大切な仕事だと思うけど、コストをかけすぎなんじゃないかと思う。そりゃまあ、視聴者だって何十人何百人と人の顔と名前覚えてられないから、アテンション力のあるタレントってのは貴重なんだろうけど、逆にいうと知られてさえいればだれでもいいわけでしょ。
あ。
国民的アイドル=大雑把に1億人に知られているとすると、一人あたりの損害額は1000円か。良質なアテンションの対価としては妥当な気がしてきた。うーん。
しかし、そう考えるとテレビの力の源泉ってのはアテンションなんだなぁ。大きな物語の喪失、だの、帰属意識の細分化、だの、趣味の多様化だの、情報の洪水だの、力道山が活躍してたころのテレビはみんながかじりついてた、だの、アテンションのバルク性の喪失だと捉えるとメディアの未来がみえないかな?
見ていて思ったんだけど、もうこういう形式の番組が成立するのがかなり難しくなってると思うんだ。
オリコンはCDの売り上げを基にしてるから、オリコンのランキングって昔ほど売れてなくても上位にいっちゃうんだよね。
で、そのオリコンランキングを元にアーティストが出てくるから、誰?っていう人が多かったりする。
しかも、この曲流行ってたの?という曲が歌われたりする。
もしくは、以前から継続的にメディアに出ているアーティストに頼らざるを得ない。
司会者の顔色にコイツ誰?とか、この曲あんまり知らない(^^;という雰囲気が見え隠れする。
昔は良かったって言うんじゃないけど、CDやレコードしか媒体がなかったから流行はわかりやすかった。
木の枝が増えすぎて、流行が枝ごとで起こっている。
メディアとしてのテレビの力が落ちてきていて、枝分かれしすぎた流行を伝えきれなくなっている。
だから、特番やっても、盛り上がらない。
ぎこちなさばかりが目立つ。
先月末に放送された、某局の毎年恒例日がな一日テレビが遠回しに言って嫌いである。
面白くないとかマラソン意味ねえとか偽善的だとか、そういった理由はよく挙げられるが、
友人との会話の中で「なぜ嫌いか」の答えにたどり着いた。
先日の放送では、遺伝的要因による皮膚の疾患をもつ子どもたちが取り上げられていて、
当人や家族の苦しみとそれに負けずに明るく生きる子どもの姿が多くの反響を呼んだようだ。
内側で外側で奮闘している人がいることも、
いわゆるテレビの力で弱者救済に一定の成果をあげることも頭では分っていたのだ。
だが映像を見て、彼らの素顔をみて、チャンネル変えようかと思うくらい衝撃を受けた。
彼らを「きもちわるい」と感じるのは許されないと思っているし、
ましてや口に出す人が居たらそいつの良識を疑い「最低」「不謹慎」タグで固定するだろう。
だが実際自分は内心おおいに衝撃を受け、恐怖を感じ、
彼らに寄り添い共に歩む気にはとてもなれなかった。
自分が小学生の時、11歳にもなる同級生たちが図書館にあった被爆者の写真集を見ながら
爆笑していたのを目撃した。
どこが面白いのか訊くと表情だという答えが返ってきたが、
同意できず、その輪には入らなかった。
高校に入学すると、
他校出身の同級生たちが「しんしょ」という単語を
どちらの場面も彼らにとって、何の気なしの悪意なき言動だったかも知れない。
だが自分の中での彼らの評価は大いに下がり、心底嫌悪した。
だからこの番組を見てると
「結局お前は障害者きめぇとふれまわる奴らと同レベルの最低人間だ」、
そう言われた気にさせられる。
過去の同級生たちのように
表出させないだけ余計に姑息で陰湿で偽善なんじゃないかとさえ感じてしまう。
似たような方向性で、毎年毎年
「どこか恵まれない人が周囲の協力と愛情の中で懸命に生きる」を繰り返す。
その度自分への「最低」タグ固定を強いられる。
自分を嫌いにさせられる。
自分内評価の下落を強いる番組なんぞ好きになれるものか。
それが答えだ。
じゃあ見なきゃいいだろ糞がと言われるだろうけど。