「ビッグネーム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ビッグネームとは

2011-03-30

東電、抜かりなし。

 週現の元木氏、WILLの花田氏が東電接待旅行を受けていたことが明らかになった。巨大な利権の動く原発事業だけあって、やはりメディアへの根回しは抜かりないといったところだろう。

 だが元木花田氏とも雑誌業界のなかではもはやOBといえる存在で、この2人を押さえたからといって週刊誌が黙るわけではない。同様に、スポンサー契約で縛ってきたはずの民放各局も日に日に東電へのプレッシャーを強めつつある。

 しか東電、抜かりなし。今度は日テレ氏家氏と講談社野間氏という、超ビッグネームを手にかけた。これは明らかに、「これ以上騒げば、誰でも殺せるぞ」という東電からメディアへのメッセージに違いない。これでテレビ雑誌は文字通り死に体となるだろう。エレクトリックマフィアの本領発揮だ。

2010-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20100127001517

大学生になったばかりのタイミングは、誰でも知っているビッグネームに挑戦してみるのにちょうどいい時期だよ。

「5分でわかる云々」とか「誰も知らなかった云々」とかいったのじゃなくて、図書館の端っこにズラっと並んでる

文学全集みたいなやつ、なんても適当に引き抜いてみ。当れば激しく面白いぞ。本物の歯応え。

大学図書館も使えるようになるしなー。うらやましいね。

2009-12-29

がばいばあちゃん?

島田洋七のがばいばあちゃんってどうなんだろ。

読んでないんだけど。おもしろいの?

もう色んな人が言ったことかもしれないけど、なんだか作られたベストセラーっていう気がしてならないんだ。

売れ始めた頃からずっと、なんとなくそう思ってた。

うなづかれトリオビートたけしスーパーメジャーになった。島田紳助ビッグネームになった。

で、洋七だけがちょっと取り残されている風潮があって、だからみんなで作り上げたベストセラーなんじゃないかと。



よくさ、大阪人はみんな笑いのレベルが高い、とか言う人いるじゃない。

子供の頃から新喜劇を見て、ボケとツッコミを叩き込まれ、学校でいくら頭が良くても足が速くても、おもしろくないと認められない。

だから大阪人は笑いのレベルが高いし、芸人地方の人より大阪のほうが売れっ子になりやすい、とかね。

でも、ビッグネームになった人で、生粋大阪人っている?

ビートたけし東京だろ。あたりまえだけど。タモリ博多だし。

明石家さんま奈良島田紳助京都ダウンタウン兵庫だよな。

とんねるず爆笑問題志村けん所ジョージ萩本欽一も当然違うし。

強いて言えば、桂三枝やすきよ笑福亭鶴瓶くらいじゃね?

2009-12-07

自分は今まで何を見てたんだろう?

12月2日日本画家の平山郁夫が亡くなったけど、そんときは

「ああ日本画ビッグネームね~、版画よく売ってる、砂絵みたいなやつ」

なんて思ってたけど、土曜夜にNHKでやってた新日曜美術館再放送を見て

ぶったまげた。シルクロードの人々をスケッチした絵がメチャクチャ上手い!!

こらとんでもない。

エフェソスを描いた最新作も静謐な情感がただよっていて、これは大傑作なのでは・・・

この爺さん凄いな・・・と自分にもようやっとわかった



12/13(日)の朝にも再放送があるから、気になった人は見てみてください。

2009-04-24

タレント酔った勢い全裸になって逮捕されて損害が1000億とかいう見出しをみたが、ほんとなの? その金は、分類すると、1)人に何かを伝えるためのコスト広告) 2)単に注意を引くためのコスト広告広告の間の番組) の2つでいいの?

報道のされ方をみるとビッグネームなんだろうけど、テレビなんてもう10年ぐらい見てないので知らないんだよね。あと、広告テレビ業界における1000億の価値もよくわかってないし。

サラリーマンの生涯収入って数億の下の方だよね? 仮に年収1000万×30年として、サラリーマン300人以上の損害? よくわからん。

ものを伝えることは大切な仕事だと思うけど、コストをかけすぎなんじゃないかと思う。そりゃまあ、視聴者だって何十人何百人と人の顔と名前覚えてられないから、アテンション力のあるタレントってのは貴重なんだろうけど、逆にいうと知られてさえいればだれでもいいわけでしょ。

あ。

国民アイドル=大雑把に1億人に知られているとすると、一人あたりの損害額は1000円か。良質なアテンションの対価としては妥当な気がしてきた。うーん。

しかし、そう考えるとテレビの力の源泉ってのはアテンションなんだなぁ。大きな物語喪失、だの、帰属意識の細分化、だの、趣味の多様化だの、情報洪水だの、力道山が活躍してたころのテレビはみんながかじりついてた、だの、アテンションバルク性の喪失だと捉えるとメディア未来がみえないかな?

2008-03-06

anond:20080306131914

増田です。

ブクマの皆さん、様々なご意見ありがとうございます。

論点が明確なエントリーには有用な意見が沢山集まるんだなと実感しました。


これまでの意見を見て、一番の問題は本筋の定義・コントロールであると感じた。

本筋のコントロールに関しては、「本筋を自ら引き寄せる」という考えに同意。

そして、個人的にはそれを不特定多数によって行えればと思っている。

個人だけではどうしてもid:fromdusktildawn氏のようなビッグネームによる流れを断ち切ることは難しいのではないかというのが大きな理由。

必ずしも同期・同調して行われる必要は無く「はてブダイアリー増田での発言によって本筋のコントロールが可能である」という認識が広まればいいのではないかと思う。


不特定多数が自らの定義によって本筋を引き寄せようとするようになれば、そこから先はブクマやスターによって本筋が淘汰・選択されるのではないだろうか。

本筋の定義はそのような形で決まっていくのがいいように思う。

本筋の定義をめぐって議論が収束することは難しいだろうから。

もちろん、当事者がそれを明確にしていれば、そもそも本筋を再定義する必要は無い。


こうやって振り返ってみると、必要なことは「はてブダイアリー増田での発言によって本筋のコントロールが可能である」という認識を持つというだけのような気がする。

しかもここには少しも新しいアイディアは無い。当たり前のことを再認識しようというようなことだ。

でもこの認識が広まれば、皆がそれを意識するようになれば、ソーシャルファシリテーションは実現するんじゃないかという気がしてきた。(「皆が」というのが難しいのだけれど)


●追伸

確かに「本筋はマッチョでは?」と考えても全くおかしくはない。

マッチョ」というあまりにキャッチーフレーズが持ち出された結果、以降の議論は「マッチョ論」と言ったほうが全然しっくりくる。

あのエントリーは大きなターニングポイントだったと思う。


●追々伸

もしかしたら私は、今まさに私の定義した本筋を引き寄せようとしているのかもしれないとふと思った。

収束した議論を呼び戻すことが可能かどうかはわからないけど。


>id:n-e

仰るとおり。追々伸自体がノイズとなっていたため、消します。

2007-10-13

マドンナ移籍の微妙なトーン ‐吉本興業を目指す音楽産業‐

Nine Inch Nailsレコードレーベルを捨て、今後はアルバムを直接一般に公開するというニュース土曜日に報じてから、OasisJamiroquaiも同じくレコード業界を離れた。しかし、今日一番のビッグニュースは何といってもMadonnaレコード業界を捨てたことだ。

(中略)

今回の件は、世界女優にとってさえ、デジタルダウンロードP2P音楽共有の時代には、もはやレコード会社は必要とされていないということを物語るものだ。

そして壁は崩れはじめた―マドンナ、レコード業界を捨てる TechCrunch

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世間的には「音楽データで収入を得ている」レーベルから離反したのだから音楽フリー(自由と無料)に近づいている、と取られているっぽい。

しかし、特に業界内部の見解を聞きたいところなのだが、これは知的創造従事者の受難“モダン・タイムス”の本格的な始まりではないのだろうか。

待っているのは世界中で作品を共有し啓発しあうユートピアなどではなく、クリエイティビティが限りなく無価値となり資本の規模だけがモノを言う世界ではないのか。

ユーザーにとっても、音楽無料にはなるかもしれないが自由とは言い難い未来しかないのではないかと危惧する。

万人が富豪で支配者になれる最終解決などでなく、工業化に伴う50年間の市民の試練が情報化によって知的生産者に今及んだと見るべきではないか。


世間の誤解はネットメディア進化が本物の錬金術と思われていることにある。例えば10万円する金貨を100円分ぐらいの材料と手間で製造する方法が発明されたらどうなるのかと想像してみたらいい。我々はあっという間に千倍の資産を手に入れることができて誰もが豊かになれる?

しかし少し考えを進めれば分かるようにこれは100円で10万円が手に入るのではなく、実際には10万円の価値だったものが100円に暴落するということを意味している。錬金術発明と同時に金は無価値になるのにも関わらず、人々はその術の完成を心待ちにしているのである。


現代に町から職人がことごとく消えたのは何故か。流通革新によって町に点在する必要がなくなったからである。現存する大工だって現実には大手住宅メーカーの下請け組立工である。例外的に飲食店職人は居るがこれは鮮度という要素がローカリティを維持しているためだ。

音楽流通には制作環境パッケージ流通広報が必要だった。つまり満遍なく金と手間がかかった。制作可能な者の偏在と流通の偏在が中小零細規模の商業作家存在を許容したのである。

ところが制作環境メディアおよび流通技術的な革新によってほぼゼロにまで暴落してしまった。このことにより音楽市場におけるキーは誰でも作れて流通できる楽曲そのものではなく希少な資本そのものである「ブランド」と資本によって成り立つプロモーションに完全に主導権が移ることになる。


音楽事業「マドンナ」にとって、誰にでも作れる「楽曲」自体に意味は無い。必要な才能はサラリースタッフとして雇い入れればよい。イベントでの収入は音楽にではなくマドンナというキャラクターに、そのビッグネームと空間を同じくする権利の対価として入ってくる。

自動車メーカ家電メーカーと全く同じである。タレントへのシンパシーという商品の販促“カタログ”である楽曲データは複数のスタッフによって作成され、ネットで配布される。場合によっては対価を払ってコミュニティ押し込み、手にとってもらうための大量の広告を打つ。この場合楽曲はもはや財産ではなくコスト広告宣伝費)である。

ここにいたって小資本どころか中規模ごときの音楽事業者では採算に乗せることができなくなるだろう。よく言えば近代化による産業の集約が進む訳だが、事業化するのに必要な最低資本がどんどん上がっていくからだ。

HITOMIヒット曲"SAMURAI DRIVE"のオリジネータバンドcuneはいかほど潤ったのだろうか。ちなみにミキシングは“エンタープライズHITOMIの方が遥かに洗練されていると思った。)


一方でユーザーはどうだろう。無料であらゆる楽曲へアクセスできる夢のような時代になるのだろうか?

大半の人にとってはメリットがあると思われる。いま無料テレビラジオプログラムと同じだからだ。社会全体で見ても効率は高いと思われる。

無料動画が見られる」と言われれば好きなだけ自分好み映画を見ることが出来る気になるが、現実は見たくもないCMとお仕着せのプログラムが待っている。今ユニクロで吊るしの服を買えば5千円で一通り揃うだろう。しかしオーダーメイドすれば10倍でも済まない。

悪い社会ではないかもしれないが、これがフリー(自由)かと言われればどうだろうか。


今までだってミュージシャン貧乏でどうしようもなかったのだから何も変わりはしないという向きもあるだろう。現実の変化は微妙なものだ。恐らくは中抜きが進む。池田先生が言うような中間業者を中抜きしてハッピーという話ではなく、業態空洞化で柔軟性が失われるだろうという話だ。

既にあるタレントメディア露出という両極端な評価軸しかなくてそれ自体の価格は限りなくゼロで日常的に流通しているもの。それは対人コミュニケーション、会話である。その中で唯一換金できるのがお笑い伝統芸能は含まない)だろう。お笑い芸人自虐ネタにもなるように一部スター以外の待遇は悲惨としか言いようが無い。また事務所の寡占が既に起こっている。

音楽業界吉本興業のようになるかもしれない。誤解しないで欲しいが、後進の育成とタレントの露出に力を注いでいる超優良企業という最善のケースとしてである。

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