はてなキーワード: 腹八分目とは
いままで炭水化物カットをしてたけどむしろ体重が増えるようになってきて相当悩んだ。
身体も疲れやすくなってきたしこれが老いというものかと諦めかけてたのだけど、ちょっとしたことでブレイクするーしたので共有。
きっかけは、炭水化物はそれそのものでは太らないという記事を読んだこと。
だったらどうして自分は太ったのだろう?と色々考えて行き当たったのが脂質。
考えてみれば単純で、脂質はあまればそのままダイレクトに脂肪になるのに対し、炭水化物は余ってもそのものが脂肪になるのではなくて炭水化物から順に燃焼してあまった脂質が脂肪に変わるというだけのことだった。
コンビニなんかで買い物をするとき成分表をチェックするようになったのだけど、脂質の量って思ってたより全然違うことが多くて驚いた。
例えばチョコレート。
お腹が空いたらひょいひょい口に放り込んでいたけど、あいつら自分の重さのほぼ半分が脂質。
いままでお煎餅のほうが太ると思って避けてきたけど、嘘。
むしろお煎餅一枚をしっかり胃に入れたほうが、おやつとしては正解。
意外だったのが豆乳。
いかにも痩せそうな顔しているくせに実は牛乳と同じだけ脂質が入ってた。
牛乳は味が苦手だからそれでも豆乳を飲むけど、こいつは痩せる飲み物じゃない。
菓子パンなんかもうまく選べば脂質が一桁グラムのものがちゃんとある。
そのかわり失敗すると脂質30gとか余裕なので、どうしても食べたいときは30g太るつもりで食べたほうがいい。
ということで、炭水化物をしっかり食べて、脂質を意識的に避けつつ腹八分目生活を一ヶ月過ごしたところで2キロほど体重が落ちたことを報告しておきます。
もうちょっとで標準体重なので、おそらくそのあたりで代謝と摂取カロリーのバランスが取れて減量が止まると思うのだけど、これだけ食べて標準体重が維持できるならそれで十分です。
とにかく片付けができない性分なので、そこを改善したい。家族以外の人がいつでも入っても大丈夫なように整理整頓をする。布団は毎朝畳む。ちゃんと畳めばカビは生えません。
いつも余計なものや外食で浪費してしまうので、外食は月3回までにする(学食は除く)。ゲームソフトは2ヶ月に一本まで。自炊しても一回で食べきらないこと。腹八分目で抑える。家計簿をつけましょう。
いくら自分が夜型人間だとしても今の社会は昼型中心。授業に遅刻してたら単位は取れない。朝8時、遅くても9時には起きる。食事は7〜9時、12〜13時、18〜20時の間にすませる。洗濯物を貯めると干すのが大変で乾きにくくなる。
毎日9時には部室に行って勉強する。学習スペースと違って部室には誰もいないんだから周りを気にせずに勉強できる。とにかく勉強は習慣を身につけるのが大事。
射精後の倦怠感は全てのやる気を削ぐので禁欲は大事。何度も失敗してるんだから気を引き締めること。
自立した大人にならないと周りの人に迷惑がかかる。今までは発達障害を言い訳にしてきたけど、しっかり出来るところもあるんだから言い訳しないでやるべきことはやる。
俺がサービス残業をした事で俺の手に渡らなかった金は資本主義のシステムにより巡り巡って金持ち達の懐に入っていく。
俺はこれがどうにも許せないのだ。
もしこれがどこかのニートが生活保護で暮らすために使われているというのなら、まだ納得はできる。
真っ当に仕事をすることも出来ないクズを世の中に放たないためにしゃぶらせる飴を配るためにその金が使われているのなら、俺の手に渡らなかった金は俺の手を介さずして俺の生活を豊かにしてくれているとロジックを組み立てられるから。
でもなあ、どっかの金持ち達が水商売の姉ちゃんたちのケツを触るために使われているとして、それが俺の生活を豊かにするとはとても思えんのだ。
水商売の姉ちゃんたちの手に金が渡って、それが姉ちゃんたちの化粧品や生活費に消えて、そしてその姉ちゃんたちは夜の街と家とブティックを往復するわけだが、その過程で俺が豊かになることは全く持ってない!全くない!
そうなると途端に許せなくなる。
俺の手に渡らなかった金が俺の生活を全く豊かにしない!これを許せるほどの余裕は俺にはないんだよ!
なぜなら!その余裕がまさにその、俺が奪われ続けてきた金によって生み出されるはずだったからだ!
まず先に余裕があって、その上で奪われているというのならまだ許せたかも知れねえ。
腹一杯食える所をちょっとつまみ食いされても、腹八分目まで満たされるならそれで満足して寝息を立ててやることも出来るがよお!
そうじゃねえんだよ!
最初っから腹八分行くかどうかの量しかねえ所から奪われてんのよ。
巫山戯んじゃねえよ。
この怒りをどこへぶつければいいんだ?
国会か?
国会議事堂か?
それともトランプタワーか?
はてな本社か?
よっし!わかった!
NHKだな。
そうなんだな???
●肩が凝りすぎてる
→お酢を飲む。水で薄めて飲む。肩の軽さが全然ちがう。歯が溶けるらしいからストローで飲むといい。
●喉が痛い
→絶対風邪の前兆。痛いと思った瞬間にペラックっていう市販薬飲む。神。すぐ治る。龍角散よりこっち
●外行くと疲れる
●肌あれてる
→ビタミンB飲む
●肌が乾燥する
→油死ぬほど入れまくった料理食べる。もしくはオリーブオイル飲む。割とすぐ効果出る。
●肌の調子よくしたい
→トマトジュース飲む。
→低血糖。応急処置でチョコとか飴食べる。ご飯時近かったらご飯食べる。
●食後の眠気とだるさが
●腹の調子が悪い気がする
→常備してるセルベール胃腸薬すぐ飲む。精神的負担の腹痛にも結構効果ある。
ジャニヲタになってから、もうすぐ10年が経つ。最初は茶の間で、当時好きだったグループがテレビの中で笑っていてくれればそれでよかった。それが大学進学と共に東京に出てきて、現場に行きやすくなったことで私は様々なグループの現場に足を運ぶようになる。恐ろしい勢いで現場厨への階段を駆け上ったのだ。その中で、私は多ステというものを覚えた。多ステとは、1つのコンサートや舞台に複数回入ることを言う。今回はそんな私がノリと勢いだけでとあるグループのツアーをほぼ全ステした時の話をするのだが、せっかく匿名にしたので包み隠さず全部話そうと思う。私はこのツアーに25公演中の20公演参加し、地方も含めて約10会場回った。気分は共にツアーを回るバックJr.だ。そのくらいの達成感はあるし、その分時間もお金もかかる。ではこれから、この経験を通してわたし自身が考えたことを、つらつらと書き記していこうと思う。
単刀直入に言うと、私は定価主義ではない。こうしている今現在もチケット流通センターやチケットキャンプ、メルカリにヤフオクなど様々な媒体でチケットの高額売買が行われているが、私はそこでチケットを買うタイプのヲタクだ。もちろん定価でチケットが手に入るに越したことはない。誰だって出す必要のないお金は出したくないはずだ。
しかし、最近そうも言ってはいられないのが現状としてある。所謂"相場"の高い公演(ここでの相場とは、倍率が高かったり人気の高いタレント、バックJr.が出演する公演のことを言う)では、定価でその公演に入ることはほぼ絶望的だ。天下の嵐さんのチケットなんかだと、アリーナが25万円で取引されていたりする。そしてヲタクはそういったチケットの値段を、単位を省いて"25"というような言い方をするのだが、これによってさらに高額売買をしているという意識が薄れてしまう。"3"と言われると、"3万円"と言われた時よりも罪悪感が薄れてしまうような気がする。
そして、例えチケットが手に入る状況になったとしても今度は欲が出る。彼をもっと近くで見たい、あわよくば気づいてもらいたい。以前どこかで聞いたことのある言葉を借りるとすれば、見たいという欲求より、見られたいという欲求の方が強くなってしまうのだ。
このことから私は今回のツアーにおいて、チケット代だけで約30万使った。普通の人が見たら目玉が飛び出る金額なのかもしれないし、私の様に普段からチケットの売買をしている人たちからすればなんてことのない金額なのかもしれない。「お金を落とすこと」が愛になるとは言わないが、少なくともCDや雑誌を購入したりコンサートに行ったりすれば、彼の事務所内での立場は良くなる。ただし高額売買というのはこの限りではない。私が必死でバイトして稼いだお金は、どこの誰かも分からない人のお財布に入ってその人の生活を支えることになる。御門違いも甚だしいことは分かっているのだが、それでも買ってしまう、最早麻薬にも似たところがあると私は考える。
2時間半の幸福(かもしれない)な時間を数万円で他人から買うのだ。
少し前に「ファーストクラス」というドラマが話題になった。仕事やお金や持ち物、男などの様々な観点から主観で勝手に順位をつけることで会社での地位や立場を築いて、ファッション誌編集部という女社会でいかにうまく生き抜いていくか。そんなドラマである。ジャニヲタ同士もこれに近いものがあるのでは、と私は思う。どれだけ多く、より良い席でコンサートに入ったか。見た目に気を遣っているか否か。比較観点は様々だが、私は前者の「どれだけ多く、良い席で入ったか」に囚われてしまった。さらに言うと、この文章には"同担より"というワードが追加される。
自分の身の回りにいる同担よりも、より良い席に沢山入りたい。他の同担よりも自分に構って欲しい。女の汚い嫉妬だと言われてしまえばそれまでなのだが、当時私はとてつもなく真剣だった。それ故に、高いお金を出して入った席で同担と隣になってしまえば、この世の終わりかの様に落胆する。それが規定外うちわを所持した茶髪ゆる巻き花柄ワンピの女であったならばダブルパンチだ。
実際に私は一度この状況に直面したことがあった。頑張って生活を切り詰めてなんとか買ったチケット。物凄く楽しみにしつつ席に向かうと隣には、キラキラグリッターのどデカイ規定外うちわを掲げた所謂量産型ヲタク。それまでのウキウキしたテンションは、一気に地の底へと落ちる。
「終わった………………」
もうその公演で構ってもらうことは無理なんじゃないか、この人の隣にいる自分がこの人より先に目につくはずがない。そう思って、頭に回るのはチケットの金額だった。冷静に考えれば馬鹿馬鹿しいのだが、躊躇せずに買うくせに公演に入っている時にはどうしても「その値段に見合う価値」を求めてしまう。その価値とは所謂「ファンサ」のことで、せっかく目線の来る席を抑えたんだからこちらを見て欲しい、あわよくばファンサが欲しい。そういったエグい感情が自担が近くにいる時は常に金額と共に頭をぐるぐる回っている。食べ放題のバイキングで元をとらなくちゃ!と焦る感情と似たものがあると私は思う。それでファンサをもらえれば浮かれポンチでその後のことはよく覚えていないし、もらえなければどこか沈んだ気持ちでコンサートを終える。毎回ファンサをもらえる保証なんてないし、なんならもらえない確率の方が高かったりもする。楽しみに行くはずなのに、本末転倒だ。若手グループで、まだまだ狭いキャパでやっている間は仕方のないことだとは思うが、コンサートがファンサありきになってしまうのはとても悲しい。
これ。ほんとにこれ。多ステすると、感じなくてもいいことを感じてしまったりする。例えば「このセトリどうなん?」とか「このゲームどうなん?」とか。2、3回だったら普通に楽しんで終われたんだろうなってところにも目をつけてしまった。
あと単純に飽きる。ただこれに関してはもう仕方ないことだと思って、ある程度は覚悟した上で公演に入っていた。あくまで個人的な意見なのでもちろん全ステしたって飽きない人もいるだろう。しかし私には全ステは向かないんだな、と思った。というのも、6公演目を過ぎたあたりから自担の出ている曲以外はメモの整理時間or休憩時間になっていたのだ。ペンライトは腕にぶら下げてライトも消灯…いやチケ代勿体無いにも程があるだろ。自担が出ている曲以外もせめてペンライトを振っていられるくらいの回数で止めるべきだな、と確信した出来事であった。
ここまで私が多ステをして感じたことをまとめてきた。結論から言うと、私はもう全ステを目指すことはない。腹八分目がちょうどいいとはよく言ったもので、コンサートにしろ舞台にしろ、"ちょっと物足りないな"くらいで終わらせるのが1番気持ちがいいし、思う存分ロスに浸ることが出来る。最終的に交通費なども合わせるとツアーを回るために私は3ヶ月で50万使ったわけだけれど、ここまでやってようやくそのことに気づいたのは本当に馬鹿だったなとは思う。ただ逆に言えばここで気付けてよかったな、とも思っているのだ。
実際今回コンサート中に、高いお金を払って入ったコンサートで真顔でメモを取って野鳥の会をしている自分を客観的にみてしまって虚無感に襲われ、自担がステージで笑顔を振りまいている中で泣いたことがあった。自担のことを見るのは楽しいことのはずなんだから、今後は笑顔で楽しめるヲタクになりたい。馬鹿みたいに高いチケット代金を赤の他人に支払うために必死で働いて、稼いだお金をそのままATMにつぎ込む選択をしてしまう自分の心に待ったをかけられるような大人になりたい。
今現在の話をすると、私は未だにnot定価主義はやめられずにいる。入りたい公演があれば買ってしまうし、それによって家計は火の車だ。人間ってそうすぐには変われない。ただ、第一歩として見栄や意地でチケットを買うことはやめてみた。それだけでも私にとっては大きな第一歩なのだ。今後、私自身どこまで自制することが出来るのかは正直わからないが、あの虚無感をもう一度味わうことがないように祈るばかりである。
みんな食べすぎ。特に炭水化物なんて少しでいいん。炭水化物に限らず全般につていもいえるけどね
どのぐらい体調が良くなったかというと、朝起きられないし視界に霧がかかってもやもやして眠くて情緒不安定でどうしようもない飛びたいような感覚に襲われていたのが、朝パっと目が覚めて日中も眠くなくて思考もクリア、頭脳明晰情緒安定、すこぶる終日体調がよいの
人間 食事という不毛な煩悩にとらわれることで酸化しつづけ死へと加速を続けるわけである
グルメの観点からも食事は必要だが原則、生命を維持するために十二分な栄養が確保されればそれでよい