はてなキーワード: nmmnとは
公式がーーーとか本尊がーーーーーとかそんなまどろっこしい話じゃないんだよnmmnのマナーは!!!!
nmmnやってんのが本尊や公式にバレると!!!!供給が断たれることがあるの!あったの!ジャンル問わず生きてる人間をネタにしてきたところではどっかであった事例なの!!!!!!過去の事例に学んできたんだよ!!!!その結果の隠れろっていうマナーなんだよ!!!!公式を不快にさせず供給を気持ちよく続けてもらうための手段なんだよ!!!!
nmmnマナー知りませーんわかりませーん萌える〜っていう特定班のせいで推しが一切プライベート写真あげなくなった気持ちはわからんだろうなイナゴにはなあ!!!!!
ツイッターで話題の例のnoteは、正直5%くらいしか読んでいない。
ので、これは私の独り言です。
誰が、いつ、どういう文脈で言ったかは割愛するけど、知っている人は知っていると思う。
記憶があいまいでニュアンスしか覚えていないところを、更に特定されないように改変している。
その当時、そういう声が、お互いに届きやすい関係だった、とだけ言っておく。
当事者にとって、腐とアンチは同列で語られる存在なんだと、痛感した。
でも、考えてみれば当たり前。
だの
「それお揃い?さっすが~ラブラブだね~~」
だの、
そんな風に言われたらいやになるし、それが続けば気持ちが悪くなる。
nmmnで、実在する人物で、今、同じ時間を生きて、過ごして、同じように感情を持っている一個人のことを、
好き勝手に妄想して、人物像を作り上げて、言動を、趣味趣向を、人間関係をいじり倒すことは、
どれほど失礼で、気持ちが悪くて、マナーもモラルもあったもんじゃない行動なんだろうと思う。
偶然二人で歩いていたところを写真に撮って、スクープをでっち上げてあることないこと吹聴するクソ週刊誌と同レベルだ。
いや、nmmnを垂れ流している人はないことないこと吹聴してるから、それ以下かも。
hnnmだろうとnmmnだろうと、
腐だろうと百合だろうとノマだろうと夢だろうとガチ恋だろうとでっち上げだろうと、
「今、この瞬間も実在している人物のことを、勝手に妄想して、勝手に作り上げている」ことは確かだ。
nmmnやhnnmで妄想するのは、クラスメイトや会社の同僚の関係を勝手に妄想しているのと同じだ。
それを、関係者や本人も目にできるところに晒し上げるのが、どれだけ非常識なことか。
そんなことを平気でやってのける人を、同じファンだと言いたくない、アンチと同列に扱いたい、
……まぁ、こうして書いても、なんだかんだと反論されるんでしょうね、きっと。
オタクになってからというものの、ずっと二次元ジャンルでついにnmmn沼にもはまってしまったが絵が圧倒的に書けなくて萌を発散できない。三次元は自分ならかけるけど自分以外の人となると書けない。どうにか模写だけはできるようになろうと思って書いた某野の獣の先輩が爽やかな一般男性になってしまうとは思わなかった。そこまで下手くそだったのもショックだったし何よりもう○この擬人化と言われる程だったのに何故か爽やかに一般男性に化してしまった、というのがショックすぎる。たぶんこれじゃ何書いても地味にずれるんだと思う。
絵が書けないから推しの顔いいよな〜〜〜〜〜と思って書いてみようと思ってペン握っても無に帰してしまうのが悲しいし推しを推してるのに推しすら書けないのか、と情けなくなる。
最初に断っておくと、この話はVtuberというものに対して一視聴者の立場であり、面白いものではない。
私がVtuberという存在を知ったのは2017年末頃、ちょうどバーチャルのじゃロリ狐娘おじさんなるワードがパワーワードとして捉えられ俄かに周知を帯びたころである。
当初、そういった存在があると知りキズナアイ、ミライアカリ、ちょうどその頃活動開始した輝夜月の動画をひとしきり漁り、そういうものかと認識だけして捨て置いたのは記憶に新しい。
Vtuberというものにハマったきっかけとなるのはそれから数月の後になってだった。
配信主体という性格はともかく、奇天烈な言動や強烈な個性を表に出したそのVtuberに心は奪われた。
映画という共通の趣味がありながら、まるでその好みは違ったのも一因ではあった(私はアクションやサスペンスを好んだが、彼女はヒューマンドラマを好んだ。)
ただ、きっかけと言えばそういった表層的な面の浮き出るまとめ動画ではあったが、本当は異なっていた。
彼女の同僚である同じくVtuber、その子が配信で曝け出した強烈な嫉妬心を切り出した動画によるものというのが真相であった。
もちろん、彼女(ら)がVtuberというキャラクターでありながら、その実配信者という側面をもついわゆる「nmmn(ナマモノ)」という面を持つのは当時の私でも理解できた。
私は、いわゆる百合といったコンテンツを好みながらもあくまで「現実の人間関係」を楽しむという罪はあくまで意識したつもりだった。
そういった前提を踏まえて密かに応援しながらも、彼女らがVtuberという活動を通じて親密になっていく過程を楽しんでいた。
母体であるグループがpixivでfanboxを開設したとなればすぐさまに登録し、配信ではスパチャ(俗にいえば投げ銭)をして、ボイス販売があれば買うことが応援であると信じた。
一方で、その更なる母体である企業と言えば少しばかり怪しい面は覗かせていた。
本来ならあくまで配信ツールの提供者であると、意図しないバズであるから仕方ないと同情の念はあった。
事情が変わってきたのは半年ばかり経ってか徐々にリアイベの開催を行うようになってきてからだった。
そういったスタンスも認めていたつもりだったし、2人が中心となるトークイベントでは事前の「一部配信」の表記を信じて、抽選の倍率を通り抜けて遥々遠征の計画を立てた。
当日、新幹線に乗っていた昼下がりにTwitterを開いた瞬間、公式による「全編配信を行います」の文字列が飛び込んできた。
「これは一体何だ?何のために私は遥々東京へ行く計画を立てたのだ?」
そういった疑問を思い浮かべつつも、"配信されない部分がある"ことを悲しんでいた人々のことを喜んでみせた。腑に落ちないものを感じながら。
その企業はイベント限定販売と称しながら、脈絡なく再販する真似をその後も繰り返した。
2人という"コンテンツ"(あえてそう呼ぶならば)を追い続けて半年以上が経った。その中で同期のメンバーとも親しくなりコラボ配信を行うようにもなり、それも私にとっては楽しみだった。
しかし、楽しみにしていたコラボの中の雑談の内でそれは現れた。
(以下引用。仮にA,B,Cと置く。)
B「え、何が?」
A「稼ぎ頭とかめっちゃ弄ってくる」
B「そう。私のことめっちゃ弄ってくるんだよね」
A「凄い弄るよね」
C「そう。食べた割り箸がーとか」
B「あれでしょ。私が食べた弁当の後とか"この割り箸いくらいくらで売れますよ”とか」
A「うそぉみたいな」
C「うざぁっ…。こらこら」
B「一々ね。なんでも鑑定団みたいな…」
あくまで、当人(=B)による被害意識はそれほど無いという口ぶりの中であった雑談ではあったが、有り体に言えばショックであった。
ショックの理由としては3人とも自分の推しであったこともあるし、その彼女らが明らかにセクハラ的な言動を受けてることもあったし、
彼女らに対して行ってきたスパチャやグッズ購入等の収益の一部がそういった言動をした人間の懐に入ったこともあった。
今まで、輝かしいばかりの活躍を見せてきた彼女らに対して感謝の思いを込めて金を落としてきたのは事実だ。
そこには(恐らく)偽りなどなくて、多分、一人のファンとしての行動としては間違いなかったのだろう。
けれど、今になってはそれらの金銭の一部がそういった言動をした(あるいはそういう物言いが許される企業の)下に行った事実がどうしても頭を占領するのだ。
眩いばかりの彼女たちのきらめきを思い返す度に、下卑た笑みを浮かべた名もないだれかが札束を数えている姿が思い浮かぶのだ。
恐らくそれを騒ぎ立てたとしても、そのスタッフが辞任にまで追い込まれるようなことはないだろう。
結局、ファンである一個人としてはFanboxを解約し、スパチャを辞めて、彼女らの配信を眺めながらも「セクハラ加害者に協調するか」「彼女らの活躍を応援しないか」の2択を迫られるのだった。
Vtuberという存在を知った時や、彼女を知った時、確かに生きる喜びを味わったけれど、その輝かしさは凡人によって永遠に拭い去られてしまった。
私は今後、その同グループのライバーを応援する人々を見ても「セクハラを容認する企業を応援するのだ」という思いがちらついてならないし、
自分の好きな2人に対しては更なるジレンマを抱くしかないのだろう。
結局、Vtuberという珍奇な存在の到来に対して、凡庸な一個人によるセクハラだけで酷く幻滅させられた今が、ただただ疎ましく悲しい。