はてなキーワード: gplとは
タイトルの通りです。
本当に自分の倫理観を疑ってしまうのですが、正直、興奮してしまいます。
学会等では真面目に重大な人権問題・歴史的事象ですみたいな顔をしていますが、
男として興奮してしまうのが正直なところです。
悩んでいます。
ぼくはどうすればいいのでしょうか。
来春からは学生を教える側になるのですが、ぼくはどうすればいいのでしょうか。
甘言等で何の業務をするかよく分からないまま「慰安婦」にされてた朝鮮人等の若い少女たち。
女子学生なんかが来たら、教えながら興奮してしまうと思うのです。
一次史料を見ながら、自慰行為をするのも日常茶飯事です。ごめんなさい。
これでも来春からは昇進して田舎とはいえ、「大学教授」です。ごめんなさい。
【追記】
「慰安婦を想像して興奮することは、被害者を尊重していないと同時に、不道徳であると言えます。また、性的暴力や強制的な性的行為は法律で禁止されており、そのような行為を望むことは違法です。
興奮すること自体は決して悪いことではありませんが、そのような想像をすることで、他の人々を傷つけることになるかもしれません。自分の行動が他の人々に与える影響を考えることが大切です。また、倫理的に正しい行動を心がけることも大切です。被害者を尊重し、彼らの人権を尊重することが大切です。」
日本語で指示を出すと指示に応じたプログラムコードが出力されるんだけど、
これでプログラマーも失職だね!ってなるか?
出力されたプログラムコードが正しいのか、確認できるだけの力量はいるよね。
この方向性だと、将来精度が上がっても、複雑なプログラムを作ろうと思ったら大量に日本語で指示を出す必要があるけど、それって日本語でプログラム書くのと何が違うんだろ?
・指示の結果出力されたコードがGPLコードと同じものだった時どうなるんだろ?
・出力がプログラムコードじゃなくて、実行バイナリ(exeファイルとか)になった時、例えばエクセル出力して、とか指示を出して、出てきたバイナリがエクセルそのものだったらどうなるんだろ?
iPhoneの話題でAndroidとの比較を、日本のケータイの歴史も絡めた増田がホッテントリしていたけど、
個人的には、むしろAndroidがここまで普及したことのほうがにわかに信じがたい話だったりする。
自分は、大学で覚えたパソコンで2ちゃんどっぷりだったキモオタ系ということもあり、
すでにJK~20代の女性とっては当たり前になっていたガラケーも、仕事するようになって数年後、渋々持ち始めたくらいの代物。
だからそもそも、ガラケーの文字入力からして使いにくかったし、iモードに至ってはなにそれおいしいの?という感じ。
だからW-ZERO3とかBlackBerryといった、液晶画面+qwertyのハードウェアキーボードという当時のスマートフォンは、文字通り垂涎の的だった。
「本物のネットはパソコンの世界にあるもんだ、スマホはそこらへんをよくわかってる」
と胸踊らせたものだった。
しかし自分がいたキャリアはあくまでガラケー一辺倒=そういう機種は一切ラインナップに加えないので、本当に歯がゆかった。
そんな自分がアラサーのとき日本に上陸したiPhoneには、そりゃもう興奮した。
しかしまたしても「スマートフォンはまだ早い」とか言ってたキャリアが…。
さて、そんなiPhoneの後塵を拝す形でひっそり登場したのがAndroidなわけだが、これがモノになるなんて正直思えなかった。
海外ではすでにハードウェアキーボードのスマホが一定のシェアを持っていたことはなんとなく知っていたし、そういう従来のスマホとiPhoneの一騎打ちになると予想していた。
だってBlackBerryもNokiaもめっちゃ強かったから、まさかソイツらがブランドイメージ皆無なAndroidに全て駆逐されるなんて、ありえないと思うじゃん。
何よりAndroidがLinuxのスマホ向けディストリビューション、要は中身がLinuxということが、以下の理由でパっとしない感を更に強めていた。
あと全面液晶の「iPhoneクローン」なスマホだったら、Windowsのモバイル版が伸びるだろうと思ってたこともある。
Windowsはそこそこの値段でそこそこの使い勝手のデスクトップPC向けOSとして、当時はもちろん今もデファクトなわけだし、その実績からLinuxというCLIメインのOSよりも、ずっとスマホに近い場所にいると思ってたし。
それにスタープログラマのカトラーが文字通り人生を賭けて作ったOSなんだから、少なくとも院生のお遊びから始まったLinuxなんかよりは、モバイルでも上手くやるだろうと。
そういう当時を空気感を知っていて、かつ、ほぼXperiaしか触っていないとはいえ5年以上Androidスマホを買い替えつつ過ごした人間として、正直Androidなんて…と思っているわけで。
そして去年ようやく念願のiPhoneに乗り換え1年ちょっと経ち、「別にAndroidでいいじゃん」が「もうAndroidには戻れねえ」となった結果、更にその思いが強くなったと。
だから、AndroidとiPhoneをガチで比較してなお「Androidでいい」とか、ましてや「Androidがいい」という人は、一体何を見てそう思ったのか、心底理解できない。
PixelやGalaxyや中華スマホは触ったことないけど、Xperiaは国産スマホでは最高レベルに優れていると聞くし、そんな高級スマホと比較してもiPhoneのほうが全然使いやすいのだが。
ガソリン撒いたところだけボヤ程度で、
みんなは慌てふためいて窓から逃げたり上階に逃げたりして、
全焼も死者無し火傷程度かな。「俺の怒りを示してやったわ!」って。
それとも皆殺しかな。みんな殺してやる。何十人も死者がでることイメージしてたのかな。
知ってる人にも「大手出版社に自分の小説を盗作された!」って人が居て、
その出版社の社長にメール書いて無視されて、「温厚な私でも、もう勘弁なりません」って特攻した人が居て。
盗作なら喜ばしいことじゃん。他に盗作されるような小説、また書けばいいのに。
だけどもう、 その盗作問題のことしかなくて、その問題が解決すれば名誉回復汚名返上、
悪の帝国 Oracle が Java を有償化し重税を課そうとしたその時、正義の勇者 Amazon が立ち上がり新しい Java 実装 Corretto を無償で広めて救ったのだ!
……という情弱が好きそうなデマがあるんだが、こんな陳腐なシナリオに喜んでいるようではインチキなテック系 YouTuber に食い物にされてしまうぞ☆
Oracle レジスタンスはいた。彼らは Oracle の中に潜んでいたんだ。
時は2005年に遡る。
Java を開発した 米 Sun Microsystems は赤字にあえいでいた。
2004年に Java 5 (目玉機能はジェネリクス) がリリースされてしばらくの頃だ。
この頃、ひとつのオープンソースプロジェクトが立ち上がる。名を Apache Harmony という。
開発は2005年5月に開始され、2006年10月には Apache 財団のトップレベルプロジェクトとなった。
Sun は多数の企業をまきこみ、いろんな企業に Java™ をライセンスしていた。
Java の実装は Sun が持っていたが、各社が独自に実装したり、Sun と契約してコード提供を受けたりしていた。
Java™ を名乗るためには Technology Compatibility Kit (TCK) という互換チェックをパスしなければならない。
初期の Java はオープンソースではなかった。誰もが自由にコードを参照し用いることができるものではなかったんだ。
これをオープンソース化しようという野心で始まったのが Apache Harmony プロジェクトだ。
Java の実装をいちから書き起こしオープンソースの代表的な Apache License Version 2 ライセンスで提供したのだ。
しかし、Sun は Apache2 ライセンスを良しとせず、Harmony に Technology Compatibility Kit (TCK) を受けさせなかった。
なるほど。彼らが Java をオープンソース化したレジスタンスだったわけか?
違う。話はそんなにシンプルではない。
2006年 Sun は Java をオープンソースにする意志があると発表した。
Sun は Java を リンク例外付きの GNU General Public License でオープンソース化することにした。
Harmony のライセンスは自由な改変を認めるものだった。
OpenJDK のライセンスは派生物を作ったなら、そのソースコードの公開義務がある、という点が大きな違いだった。
OpenJDK は出た当初はまだ Sun の JDK との非互換が多かった。しかしこれが現代まで続く OpenJDK の始まりだったのである。
2007年11月 GoogleがAndroidを発表した。 Android は Java 言語で開発することができる。
そのベースとなったのは Sun との火種くすぶる Apache Harmony だった。よりにもよって!
(後にGoogleが負けて賠償し、現在のAndroid は OpenJDK ベース)
その渦中、赤字に喘いでいた Sun はついに身売りを決断する。2009年のことである。
当初 IBM との交渉が報じられていたが金額で折り合わなかったようだ。
そこに颯爽とあらわれたのが Oracle である。 Oracle が Sun Microsystems を買収することになった。
しかし Oracle にはよくない噂がある。敵対買収してプロダクトを潰してしまうという黒い噂だ。
Sun の Java も Oracle に食い物にされてしまうんじゃないか、いわゆる 「悪のOracle」 のイメージはこの頃からのものだ。
しかし、 Sun はすでに Java をオープンソース化していた。 派生物もオープンソースにしなくてはならない OpenJDK で!
Oracle は Java を Sun 社ごと買ったが、 Java はすでに独り占めできるようなものではなかった。
Sun 本家の JDK を引き継いだ Oracle JDK と、OpenJDKがついに統合される。
Oracle がソースコードを OpenJDK に寄贈し、 Oracle JDK も OpenJDK ベースとなった。
ここに OpenJDK への移管は完全となり、Javaのオープン化は成就した。
それまでの OpenJDK は Oracle JDK との非互換が不安視されていたわけだが、Java11 からはその不安もなくなった。
こうして完全にオープン化された Java は、各サードパーティーからディストリビューションが出るようになった。
Java11 での Java のオープン化を経て、Javaはディストリビューション乱立時代へと突入する。
Amazon Corretto もそうした OpenJDK の派生ディストリビューションのひとつである。
OpenJDK の開発は今なお Oracle が主力となって牽引している。
Java を解放しようとしたレジスタンスは、赤字に喘いでいたSunの中にいた。
たとえ Sun が身売りをすることになろうとも、Java を邪悪な独裁者の手に渡さないように。
Sun が倒れてしまう前に Java はオープン化された。Javaの仕様策定は Java Community Process (JCP) にて行われる。
Javaの仕様策定は Oracle の独断で進めることはできない。 OpenJDK の開発も Oracle の独断ですることができない。
GNU General Public License でオープンソース化された Java は、派生物のライセンスもGPLが強制されソースコードを公開しなければならない。
そんな OpenJDK をリリースした、当時の Sun の中の人達こそがレジスタンスだったんだ。