はてなキーワード: 牛歩とは
加藤智大に足りなかったもの。それは容姿でもなければ学歴でもないし、コミュ力でもなければお金でもなく、
ましてや自信でもなかった。
加藤智大に足りなかったのは何か。それは、新しい一歩を踏み出すための、ほんの少しの勇気だった。
ほんの少しの勇気を振り絞って何かのアクションを少しずつでも起こしてさえいければ、牛歩でさえ進んでさえいければ
彼はあんな事件なんて起こさなかっただろう。
友達が欲しいなら、現実世界で作るのがどうしても怖くて無理なら、ネットの中でもいいから、友達になれそうな人に
話しかけて、失敗もするだろうけれど、ネットの中でいいから友達を一人でも作るべきだったのだ。
彼女がどうしても欲しいなら、彼女を作る努力を少しでもすればよかったのだ。容姿が原因で彼女ができないなら、
少しでも良くなれるようにと、髪型や身なりが良くなるようにと少しでもいいから行動を起こすべきだったんだ。
学歴が喉から手がでるほど欲しいなら、無理の効く範囲で受験をしてみるなりするべきだったんだ。
と書いてもそれは月並みな意見だし、そもそもそんな勇気があれば彼があんな状況に陥ることなどなかっただろうから
無駄なたらればだとは思う。
だとしてもここにこんな月並みな意見の月並みな日記を書くのは、(いくら大量殺人を起こしたとはいえ)加藤智大に
同情してしまう自分が居たからだ。いや、同情というよりかは、もう少し巡り合わせれば加藤智大と同じように
あんな事件を起こしてしまっただろうから、加藤智大が他人事だとは思えなかったからかもしれない。
だとしても彼が起こした重罪は死刑にふさわしいものであり、彼の所業自体には何の同情もないのだが…。
加藤智大にあって僕になかったもの。それはほんの少しの勇気だった。でも、少しでもそれがあるかないかなんて
http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/
誰も興味がないだろうけれども。
エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから。
日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国の信者が驚くくらい。
互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。
組織は誰が何月に何時間伝道していたかという記録を過去何年分も遡って記録している。
伝道時間とは、エホバの証人じゃない人間にエホバの証人の教義を伝えるためにかけた時間を指す。
正規の伝道者になったら最低一ヶ月1時間は伝道活動を報告しないと「不活発」ということで、頭数から除外される。
どんなに熱心に聖書を読んでいようか、仲間の信者を助けるために奔走していようが、伝道してないとダメ。
「奉仕活動」と呼ばれているんだけど、地域ボランティアや被災地支援、介護なんかは含まれない。
そんなわけで現役エホバの証人として神に、そして仲間に受け入れられたかったら伝道は欠かせない。
この伝道時間というのは実質信者の格付けランキングになっていて、時間が多い人ほど重んじられる傾向にある。
伝道時間により伝道者、補助開拓者、開拓者、特別開拓者、宣教者というクラス分けがあるんだけど
海老名市にあるものみの塔聖書冊子教会日本支部、通称海老名ベテルの精鋭に選ばれた場合
何歳から何年間開拓奉仕をして来たかで、休みの日も違えば割り当てられる部屋も違う。
まず家を訪ねる場合、伝道開始した最初の家を訪ねた時間から、最後の家を訪ねた時間までを計算する。
途中道ばたで喋っていたり、移動したりする時間をどの程度記録に入れるかは個人の裁量に任される。
また手紙やメール、電話の場合は手紙を書き始めてから書き終えるまでを数える。
さて、補助開拓者から宣教者までは伝道時間のノルマがあるから1時間でも多く伝道したい。
特に月末・年度末は切羽詰まって、勢い質より量になる。
そのため伝道時間の「経費」とみなされる活動に自ずと力が入る。これを「時間を入れる」という。
遠くの家と遠くの家をピンポイントで訪ねてみたり、同僚に唐突に聖書の話をしてみたり
エホバの証人でない親族や友人知人にご機嫌伺いの手紙を書いて、最後にちょろっと聖書の言葉を書いたり
すごい人になると、一回家に帰って小一時間くつろいで、それも「休憩時間」とみなしてしまう。
そんなわけでエホバの証人は聖書の話を聞いてくれる・断らない相手にしがみつく。
聖書研究を始めた途端にいろんなエホバの証人が何かと話しかけてきたり、手紙を寄越したりするのもそのせい。
同じ相手に話しかけると「再訪問」という別枠のカウントも入り、これも熱心さの目安とされる。
もちろん出版物を提供したり、聖書研究を司会したらそれも件数でカウントされる。
こういう数字がいいメンバーは集会や大会で「模範的な伝道者」として賞賛される。
どれだけ長年熱心に仲間を支援していても、信者でない人を隣人として愛してきても
布教の成果が出て相手がエホバの証人になると、そこから数字はカウントされなくなる。
もちろん「時間が入らなくなる」ので、難癖つけて献身を渋るような本末転倒な事態も起きる。
(そして献身した後は「奉仕が忙しいから」とアフターケアをしなくなる。)
ブルックリン本部の出版部から来た人が「聖書通読をしましょう」という講演で
「日本は数字を出すのが好き。もしも聖書通読の数字を報告することになったら、年間1000時間とかすごい人が出るだろう」
と言っていたが、その通りだと思う。
日本のエホバの証人は他国と比べてとりわけ熱心に伝道活動をしているわけではない。
ただ数字を上げることへの熱中度は群を抜いている。
ちなみにどれだけ寄付したかは発表されないので、寄付への熱意はかなり低い。
施設維持費として最低いくらかかるかは明確にされており、簡単に計算できるけど、しょっちゅう赤字。
■追記■
http://anond.hatelabo.jp/20130807120927
以前こちらのエントリーを書かせていただいた者です.
たくさんコメントをいただき,とても参考そして励みになりました.
色々なことが一段落しましたので,今一度整理を兼ねてエントリーを書かせていただきます.
まず,大学院入試なのですが,現在在籍している大学の大学院ならびに他に希望していた大学の大学院
両方とも合格させていただきました.
正直,両方合格するとは思っていませんでした.
今所属している研究室主宰者の先生に相談することになると思いますが,
この点に関しては,自分が進みたい方をしっかり選択したいと考えています.
一方,相変わらず卒業研究はうまく進んでいません.
進んでいないというより,自分自身の問題が大きいのですが.
今日も進捗報告会がありましたが,相変わらずの叩かれようでした.
加えて最近は体調を崩して,研究室に通うことすらままならない状態です.
絞り粕のようなの根性でなんとか昼ごろには研究室に到着するのですが,
未だ,「やらないといけないのに,何もできない」状態が継続してしまっています.
一応進んでいるといえば進んでいる,と思います.
どうにかして卒業しなければいけないのですが,全くビジョンが見えてこないのが現状です.
やはり,根底に「自分は向いていない」という自信の無さが存在しているのだと思います.
大学院入試の口頭試問で,「自分という人間が研究に向いていると思う部分と,向いてないと思う部分」を聞かれました.
向いてない部分は次々と頭のなかに湧いてきたのですが,とうとう向いている部分は答えられませんでした.
本心を言えば,大学院を変更して,新しい環境でやり直したい.なにか変わるかもしれないと思っています.
そのためには卒業しないといけない.でも,自分が卒業しているビジョンが見えてこない.下手くそすぎるから.
だから,また同じことを繰り返すんじゃないか.それが怖くて仕方ない.
我ながら情けないと思います.
「克服」の体験がなにかあれば,もう少し変わってくるかもしれないですが,
現状そんなポテンシャルは持ち合わせていません.
少しだけ変化したこと,気づいたこともあります.
まず,先輩には気軽に相談できるようになったこと,実験のやり方を教えてもらえるようになったことです.
一番距離が近い助教の先生はどうしても敬遠してしまっているのが現状ですが.
また,先輩曰く,「気の弱そうな子が毎年一人,意地悪っぽくされるターゲットになる」と教えていただきました.
どうやら先輩方の視点において4回生の中では私がそれに該当するようです.(自分でもそうだろうなとは思っていました)
「もうすこしハキハキ喋れば大丈夫」とのことですが,
これはどうなんでしょう.やはり人間である以上,相性というものがあるので我慢するしか無いのでしょうか.
もうひとつは,「想像力」が圧倒的に欠如しているということです.
「これはこのように計測すればいいんじゃないか」とか
「この論文はこうしているからアレンジしてこうすれば自分の実験にハマりそう」などの
予想が全く立てられないことに気づきました.
「何故ポジティブな結果が出なかったか」などの想像・考察もできないということなので.
経験もあるかと思いますが,もうそろそろ半年も経つのに,何をやっているんでしょう自分は.
このあたりを改善しないと,他大学院に行っても,同じことを繰り返すのだと思います.
あとは,コメントでアドバイスを頂いたこともあり,認知行動療法にかかることにしてみました.
結局根底に存在するのは私自身の思考パターンの問題がありますので.
少しでも考え方が変化すれば,見えてくるものも変わる.
そうなることを期待して.
大学院に入学した年に,休学するということを少しだけ考えています.
自分を見つめなおす時間が,どうしても欲しいのです.贅沢だとは思いますが.
(金銭的な面もありますが.割とジリ貧なので,その間にお金を貯めたりとか)
でもそれに対して,自分は研究というアプローチが最も適切なのか,
ということを考えてみたいのです.
今はもう,自分がどうしたいのか,さっぱり解らないので.
文章にすると,やはり少しだけ冷静になれます.
ここまで読んでいただいた方,ありがとうございました.
http://d.hatena.ne.jp/isayama/20080720/1216562529
にキレイにまとめららていて、また当方の耳に痛いことも進言してくださいました。ありがとうございます。
事実とか思いとか、「日立製作所」の問題か「官公庁のIT調達」の問題か、といった部分がないまぜになって単なる愚痴っぽい文章に終わっていますね。読み返すと。読者のみなさん、申し訳ありませんでした。
さて、内の組織や日立製作所を始めた大きな組織が急に体質を変えて、適正なIT調達と技術の適用がすばやく進むとは思えません。日本的なボトム・アップ式のゆるやかな改革の連続が、いつか壁を突き破ることにつながることになるだろうと思います。
私が担当ベースで粘り強く取り組むことは以下のとおりかと思います。
(1)日立のメインフレームの見積もりで高い、または前回購入時よりほとんど下がっていない点については徹底的に説明を受け、当方の組織に納得できるよう資料を提示してもらう。
・以前、ガートナージャパンの亦賀ヴァイス・プレジデントが「国産メインフレームの最大の問題は価格の不透明さ、そして、今後の技術のロードマップが不透明なところである」と言っていました。
この点を担当者として、勉強もしながら疑問点を洗い出して、ベンダーにぶつけ、友好的な交渉の後、適正な価格・構成で契約すべきでしょう。
疑問点の洗い出し(「なぜ」を何回も繰り返す)
・1プロセッサーあたりの処理能力は向上しているのに、IBMのように筐体統合(論理分割=LPAR)を推奨案とせず、メインフレームの台数が多い構成を薦めるのだろうか(秦野市のハード工場の維持のため台数出荷は押さえておきたいポイントなのか)
・1プロセッサー(50MIPS程度)で提供価額1億円を超えており、明細がないが説明をしてもらう。
プロセッサー単体=1億ではなくある程度パッケージ化された固まりなので1億円の大台になってしまうのだと思う。交代用プロセッサー、SVPと言われるプロセスを監視する機構、あとメモリ(4G)等いろんな部位があってこういった値段になっている。福袋のようにまとめて、1億とか言われると思考停止するので、ここは明細を出してもらい、サービスマニュアルでどんな働き、冗長性を持っているかを理解して価格交渉するべきですね(デカルト「困難は分解せよ」)。
・詳細な見積もり書の提出を日立が拒む可能性は大きい。これまでも数度にわたり交渉したが、先方は牛歩作戦でうやむやにしてきました。ここは企業対企業なので、いろいろ駆け引きもあるようですが、地道に交渉します。気の利く営業マンだと「今の時点では正式な紙としてお出しできませんが、口頭ベース未確定でメモをお取りいただいたということで・・・」と言って企業名の入っていない内訳メモを出して、こちらの気を揉ませることのないよう配慮するのでしょうが。
・CPU周辺部品の明細徴求
メインフレームは入出力用のチャネルと言われる部品も一個250万円ほどしてそれが、何十個と搭載する必要となるとすごい金額になります。昔メタルチャネルで、その次は光ファイバチャネル、そして最近光ファイバ多重チャネルと何種類かの接続機器が混在し見積もり金額が高くなるのです。周辺機器も順次、上位の接続規格にグレードアップしていけば、統合・集約ができるのですが、どうしてもレガシーな接続方法が残ってしまうのですね。パソコンに喩えるとUSBみたいなものですが、高いうえに融通が利かないのです。また、ここは日立独自の技術というよりIBMから技術供与を受けているみたいですね。日立物流のトラックから当該部品が入ったダンボール箱の荷下ろしを目撃したのですが「IBM ESCON」と堂々と箱に書いてありました。光多重チャネルは24多重まで可能であるので、数は減らせるはず、減らせないなら納得のいく説明をもらう。また、下位のレガシーチャネルは周辺機器の入れ替えの関係もあり1年も使わず廃棄といった勿体無いことがおこりそうです。
日立もグリーンITを推進しているので、自社検証センターや共同システムセンタでさほどクリティカルでない場所でセカンド・ユースして下取りすることは可能か聞いてみます。
最近CPU専用のプロトコル(日立ではXNFという)をTCP/IPに変換するホスト側のミドルウェアが実装され、サーバへのデータ転送はFTP転送で可能になりました。メインフレームには内蔵LANアダプターというギガビット・イーサーを搭載でき、またこれが2ポートついているのですが、1個200万円するんです。もっと高かったかな。それでサーバーと接続するのですが、普通、複数のサーバとやり取りするならば、中間にスイッチを置いてメインフレーム側のLANアダプターの数は抑制しますよね。
日立の技術者はめっきりネットワークに弱く、サーバと1対1通信をするため、相手のサーバの数だけ内蔵LANアダプターを買わせようとしているのです。メインフレーム側の仕様かなと思い日立のメインフレームXNF/TCPマニュアルを精読すると1つのLANアダプターに64個までのLANの設定定義が可能となっていました。でも「ネットワークは自分の専門でないから・・・」等々言って動きたがらないのです。しかし、ここはしっかりお願いをして、場合によってはネットワークに強いベンダーさんを読んで帯域制御なり、VLANなりの十分汎用化した技術を使って最適な構成をやってもらおうと思います。
他の日立のユーザさん、どうですか。ネットワーク接続で目茶苦茶原始的な接続設計で高いハードをたくさん買わされていませんか。こういうハードはロット生産なので本社から在庫があるので、少々言葉は悪いけど無知なユーザにはハードを売り捌けという指令が飛んでいるのかもしれません。
日立はこれを「AP保守料(サービス料)」と読んでユーザに契約させ、1ヶ月毎払いで年間数億円請求しています。当官庁のサイトには常駐のSEさん、ハード保守の人に100人とまではいかないけど、詰めてもらってその方たちには、その保守料とは別に人月ベースで人件費を払っています。このAP保守料は何か「本社への上納金」のような気がして仕方がないのです。すべてのユーザがお支払いしているのかも不明なので、いったいどういうものか質問してみます。ユーザサイド常駐SEがいて、それとは別に事業維持のため上納金が欲しい。けれど月々の活動明細は提出しない。資金使途は教えられないというのでは「みかじめ料」みたいですね。日本IBMさんではこの制度はないようです。
■他社への参考見積もり
日本IBM社に同等規模のシステムを構築するといくらくらいになりますか、ということで見積もりを取りました。
ハードの置き換えでなく、使用しているソフト料等のランニング費用を出してイニシャル×ランニングでトータルで参考値を提出してもらいました。
1ヶ月くらいかけて問診シートをもとに結構精緻な資料をつくってもらい日本IBM社には感謝しています。メインフレームは独自ハード、独自OS、独自ミドルといったところで、全面コンバージョンは非常に難しいところがあるのですが、IBMさんは「参考になれば」ということで、しっかりとした資料をまとめてくれました。
一番、移行に対してハードルが高いのは20年来使っているDBのミドルウェアとのインターフェースが互換性がないということでした。形式が違うため、DBのつくり、アプリケーションから参照するデータ・テーブルを全面改造するとなると、すべてのシステムをゼロから書き直すといったことが必要になり、今のこちらの体力では難しいという結果となりました。
しかし、IBM側もこちらのシステムのつくりを把握することができたので「ここの機能はオープン・パッケージにマイグレーションするといい」と言った提案は今後してくれるとのことでした。
印象的だったのは日立のように秘密主義、なにも説明してくれない主義とは違って、自分たちの技術に自信、誇りを持って的確な資料を短期間に纏め上げてきたことです。感嘆しました。また、非売品だそうですが、「IBM Zシリーズハンドブック」という、あまり専門的な知識がなくてもZシリーズのイロハが分かる日本語の参考書をくれました。これは分かりやすくて、熟読して「日立」には「これはどうなの」と言った質問をしています。顧客に見せるナレッジ・マネジメントという意味ではIBMの方が数段上のようですね。
メインフレームのプログラムは150種類くらいあって、個別に月々レンタルというかたちで使用料を払っているのです。ものすごく高いです。全部で70千万円くらいかな。価格体系も複雑で、またプログラム種類も多岐にわたり、理解が難しい。これなんかは提供側とユーザの情報の非対称性を「悪用」した「不安商法」といえるかもしれません。でも、税金が無駄に使われているかもしれませんので、頑張ってチェックしていかなければ。
■結論■
あまり、味方がいないので、体を壊さないようスケジュールを作ってこつこつ日立製作所との不公正な取引があれば理詰めで解消していきたいと思います。また、他の官庁、自治体で同様な無駄、過剰な契約をしていることがあれば、本当に必要なのか吟味して、全体として適正な方向に向かえばいいと思います。あまり革命は望んでいません。
>列に並ぶのが好き+列の途中での友達作り
そんなもの牛歩なんぞでわざわざ列を作ってくれなくても
牛歩が創作活動に貢献していないというのはそれこそ「思い込み」でしょ。
列で待ってる間に同じ作品のファン同士が仲良くなるってのは「コミケで友達が出来た」理由のナンバー2ぐらい、よくあるありふれたものだと思う。
列に並ぶのが好きっていう人のマイノリティさえ潰す君の傲慢さはどこから来るの?
3「売れないサークルが大手に見せかけるためにしてるんだ!」
4「そもそも牛歩戦術をしようと思ったら大手になれるぐらい売れなきゃ出来ないよ」
お前「大手なら牛歩戦術していいのか!」
意味がわからん
世間の基準や俺やお前の基準の話などしてない。
牛歩はコミケの理念と目的から外れるからダメだといってるんだ。
http://d.hatena.ne.jp/ir9/20061002/1159742289
>プロジンや既製の物にはない新しい形での表現を求めていく創作活動、
>研究したり楽しんだりするファン活動を行う人たちの為に、
>出会いの場を提供し、それを通じて刺激を与えていく活性剤の役割をコミケットは持ちます。
参加者が我慢して並んでくれているから全部OKなどという理屈には
まったく根拠が無い。
元から人気があるなら牛歩なんぞせずに正々堂々と儲ければいいじゃないか。
牛歩なんか擁護する必要ないだろ。
ふぅん、大手は「我が道を行く」ではないのですね。
実際のところ、貴方は「何か行列が出来てるから並んで買ってみる」なんてするんですか?
そもそも人気が無ければ行列は出来ない。同人誌に魅力が無ければ並ばないし、行列を見てその後ろにつこうとは思わない。
「何か知らないけど行列が出来てるから並んでみた」というヤツはいるはいるが、それはいわゆる「壁めぐり」というやつで、放っておいても4000部は軽く越す壁サークルなんだから、牛歩とか関係なし。
人気が無ければ壁にはなれない。
つまり、人気が無いサークルが牛歩戦術をやろうとしても、いろいろ出来ない現実の壁がある。
ちょっと考えればわかりそうなもんだけどね。
残念ながら、同人の噂なんぞ「嘘ばかり」というのが本当だ。昔っからそうだもの。
嘘の噂を流して、本人達は「んなワケあるかい」なんて笑い飛ばす、それも昔っからの同人の常識。大手ほどそうだよ。
さて、実を言うと自分の所も「わざと牛歩戦術している」なんて噂を立てられた事があるよ。
立てたのは、同ジャンルの他サークルで、グッズサークルであるという事や、いろんなところが被ってる。ウチのほうが安くて品質も上でデザインも人気で、まぁ負ける要素は無い。
で、ウチが遅い理由は「人が大量に来る」のと「グッズ屋だから」。コミケは「腰より高い位置に荷物を置いてはいけない」という縛りがあるので、10種類以上のモノがあるサークルは自然と荷物の出し入れに時間がかかるようになる。種類を減らせないかというと、どの種類も「欲しい!」と掲示板に書き込んでくれる人が毎回イベントでたくさんいるし、実際に買っていってくれるので、欲しいという人がいるのだから減らせない。
だから売り方を工夫するようにしたよ。ダンボール内に更に仕切りを作ったりして、販売スピードを上げたけど、すぐにはそんな工夫はできなくて、1年ぐらい試行錯誤した。
その1年の間、相手サークルはずっと「あのサークルは牛歩先述するような汚いサークルなんだ」と言い続けてきたよ。いくらこちらが全身汗びっしょりでフル稼働しててもね。
>居なきゃ噂にはならないだろ。
>「どこかに居るらしい」ではなく具体的にどこが牛歩サークルだとかいう話も流れてるよ。
>販売速度は見てれば誰でも分かるんだから。
その具体的にどこで語られてるかを教えて欲しいっす。
でもねー、そんな事やるメリットがあまり見えてこないのよねー正直。
単純に客の捌きが悪くて、その対応に怒った客がキレて、そんな妄想を抱いたのかもしれんと思ってさ。
ほんとに妄想の産物なら
ですむ。喜ぶべきだ。
「牛歩」テクニックも擁護してたから。
ちょっとそこだけ反論したかっただけなんだ。
ごめんね
説明がたりなかった。
上でも書いたけど「牛歩」ってのは
わざとノロノロと列をのばして
大手人気サークルに【見せかける】事だよ。
良いものをを作った結果として
列ができるのはむしろ皆でサポートすべきと思うし
スタッフもそのためにいるはずだと思う。
増田みたいなサークルに正しくスタッフや資源が配分されるためにも
「牛歩」みたいな小手先テクニックは撲滅されるべきだと思うんだ。
説明が足りなかった。
牛歩ってのは
「わざとノロノロと列を伸ばして
大人気の売れ筋にみせかけようとする」事。
だよ
要は「牛歩」は買い手を騙してるって言いたかっただけなんだ。
そのサークルの実力や宣伝で列がのびるのはいいんだよ。
結果的にその本は買った人に満足を与えるだろうし。
(一応言っとくけど俺は大手になるのを推奨してるわけじゃない。
わが道を行くのも自由。むしろそのほうが本筋だと思ってる)
うちは一人サークル。開場時間中はほとんど一人で売り子してる。
今のところ列はできないものの(多くて3〜5人くらい)開場から2時頃までひっきりなしに人が来てトイレにもいけない。
一人では捌ききれなくなるのも時間の問題。
かといって手伝いを頼める同人友達なんていない。(友達はいるけど同日にサークル参加してる。落選しても別のサークルの売り子として入る人たちだ。)
人付き合いが苦手なのが災いして、売り子のツテもアテもない。
この夏コミではキャパオーバーになって列が溢れるかもしれない。こわい。
もう同人やめるしかないのか…。
牛歩サークルの意味がイマイチ分からない、晴海サークル参加経験のある増田だが。
サークルが売りたいと思うのは勝手、売る努力をするのも勝手。儲け主義でサークルやるのも自由だ。
ただ、もともとは各自がアマチュアっていう場でやりたいことをするために始まった場所なわけで、
売れるのも売れないのも、サークルの自由だよ。
コミケ参加者はサークルも一般も平等といわれていながら、会場の費用を負担するのはサークル側なわけでさ。
サークルの自由はある程度認められるべきだ。
で、おそらく混雑するサークルが牛歩なんだろうとは思うが(列ができるのをステイタスだと思ってるタイプ?)
それは運営側が何とかすべき問題だよ。
運営も1参加者ではあるけど、それなら牛歩サークルは落とせばいいだけ。
別にイベントはコミケだけじゃない、書店もあればネット通販もある、
そんな今の時代でアマチュアが運営するイベントでそういうリスクを取る意味が分からん。
サークルの当落は無作為といわれていながらも、大手は落ちないだのいろんな暗黙の了解があるよな。
(まあ定期刊行してるわけだから、極小サークルより受かりやすいのは分かるが)
http://ralf-halfmoon.jugem.jp/?eid=191
そう、
アコギな限定版商売をする企業ですらもコミケの一部であり「参加者」だ。
その点は正しい。
ただし「牛歩」は駄目だ
故、米やんは新しい表現を生み出すためには
自由(カオス)の苗床を用意するのが一番と信じ、それを実現するために
コミケと言う名の「場」を作り育ててきたのだ。
コミックマーケット「理念と目的」>http://d.hatena.ne.jp/ir9/20061002/1159742289
「儲け主義」「粗製濫造」「手抜き」「無節操」、、創作とはおよそ反対と思われる
要素も含まれているってことだ。
悪貨を排除し上質な作品だけを歩留まり良く作ろうとしたジャンルは必ず衰退する。
「30分のコマーシャル」と揶揄され「悪書追放運動」等と弾圧されつつ
時に粗製濫造された有象無象の中から沢山の名作が生まれてきたことを
私達は知っている。
だからこそ、儲け主義もオリジナル創作も上手も下手もエロも評論もすべて飲み込んだ
しかし「牛歩」はだめだ。何も生み出さないじゃないか。
「その本がアリか無しか、決めるのは買い手なんです」なんて言ってるが
並んでる奴は好きで並んでるわけじゃねーぞ。
混雑という直接の迷惑。だけでなく
広いスペースを用意しなければならないための抽選倍率の悪化、(三日目の東館は両端が1列少ない。)
「牛歩」はこれら全てのコストをただいたずらに自分の儲けのために
吸い取っているだけじゃないか。
儲けたければ売れ線の絵を研究しろ。ジャンルをリサーチしろ。宣伝しろ。
正々堂々と買い手に媚びを売れ。一人でも多くの奴を満足させてみろ。
お前のいうとおり決めるのは書い手だ。
ときどき自分はものすごく馬鹿で非常識なんじゃないかと思うことがある。
たとえば
半日くらい真剣に、会社の問題点を考えて、それを資料にまとめる。
かなり網羅的に検討してるし、問題点を分かりやすくまとめて、それに対して前向きな解決案を書けたと、自分では思う。
自信を持って提案するものの、玉砕。理由は・・・
特にないんだ。
単に反応がない。
網羅的な検討とか、本質的な問題解決なんて、実は誰も求めてない。
キャッチーなバズワードが欲しいんだと思う。それが「心に響く提案」ってもんだ。
大多数にとって、正論を振り回すなんてことは「鬱陶しいこと」に過ぎない。
僕らよりずっと偉くて有名でいい収入を得てる彼らが、何か一つでも正論を言って前向きな解決に合意形成できるか?
単にワーワーと自分や党や既得権益の立場からの意見を一方的に言って、相手の意見なんて聞きやしない。
ここでは「議論していること」が大事なんだよ。議論が前進して何かを解決することじゃない。ポーズだ。
何か社会的に重要なアジテーションを、みんなが納得するように意見形成できてるマスコミが一つでもあるか?
彼らにも哲学なんて無いんだ。すべては「報道してる」「社会派」みたいなポーズが必要なんだ。
理由は「日本人は忘れっぽいから」。
マスコミは「視聴率がとれなくなるから」近日中にニュースにするのをやめるだろう。
政治家は「国民の支持を得るために」もっと議論のかっこがつく、新しい意見が言える問題に移っていくだろう。
僕らが悪いんだよね。忘れるから。
そして、正論を鬱陶しがるから。
めんどくさいことが嫌いなんだ。それに同じことを聞かされるのは飽きる。問題意識はあっても解決する責任は無い。
当事者意識の無い烏合の衆がしたり顔で批判ばかりしてるから、何も進まないし、それを知ってる人たちは時間稼ぎの牛歩戦略をとることになる。
おれはね、でもね、許さないよそういうのは。
鬱陶しいと思われても、正論をぶつけてやるし、しつこくしつこく問題を追及してやる。
おれはマッチョじゃないし、マッチョにはなれないけど、だからこそ自分が所属する組織、会社も社会も、良くなるように声を上げ続ける。
そうじゃないと、このままじゃ潰されるからね。やるしかないし、そういう危機感を共有していきたい。
JASRACがたかだかこれから十数年の間の覇権のために起こした訴訟で、これから数十年間問題になるだろう日本のIT産業進歩の芽が摘まれてしまうわけだ。JASRACなんて極めて日本ローカルな産業基盤しかもっていない企業で、日本が終わったら即座に終わる企業なのにね。ようするに、日本生きてJASRAC死す、は論理的にありえても、JASRAC生きて日本死す、という状況はありえない。なのに後先考えずに日本を潰すような振舞いばかりするJASRAC。あえて言おう、カスであると!(このネタを書くことも著作権にひっかかるんすかね)
困ったときにお上を呼び出すのは日本人の悪い癖だ、と言われるかもしれないが、はっきりいってもう、JASRACをぶっ潰すのに市場の自浄作用に任せていては遅すぎる。草の根レベルでヘイトされだしてからもはや十年近くたとうというのにほぼ改善した様子がないというのは牛歩にも程がある。国策としてJASRACを即時解散させて欲しい。即時解散がもたらす混乱すら、現状に較べればはるかにマシなように思えるぞ。
「あやまちのないお泊り」ですが、今おもえばこのころは友達以上恋人未満、みたいな時期でした。
振られて(と、私はおもっていた)春から秋にかけては、美術館に彼のほうから頻繁に誘ってきて、よくわからないまま「どうにも彼女になるのが難しいなら、一番仲のいい女友達の座をねらうしか…?」とか諦めていたのです。でもある時、いっしょにいて「抱きつきたいなぁ」という衝動が抑えられず、一度だけふざけた振りをして彼にとびついたら、彼は少し考えたあと、「…。べつに○○さんがどうとかじゃなくて、他人にいきなり触られるのは慣れてなくてビックリするから、そういうときは一度声をかけてからさわってもらえる?」とかなんとか断られて…がーんがーーーーんががががーん…。恋人じゃないから手はつながない!って、自分でもその辺はけじめをつけようと考えていたけれど、一声かけて、はさすがにショックでした。
秋になり、やっぱり親しく友達でいるのもつらくなってきたころでした。「いっそ完全に振ってもらったほうが楽じゃわぃーー(T^T)」と、気がついたら喫茶店で
どっちか選んでくれ!と迫っていました。捨て身の作戦で迷惑千万ですが、なんとか「方向的にはYESの方角へ牛歩で」とのことでした。その返事をもらい、だいぶ心に余裕ができました。
そんななかでの「お泊り」です。
お友達として泊まるという感覚が理解できない。
…それってどういう意味? ひかえめとはいえYESの方角ということは、や、やはりあんな展開を想定して臨まなければいけないのか、といろいろ考え込みました(お泊りの予定をたててから、お泊りの夜まで数日あった)。ひとりで悶々としててもしょうがないし、お互いの思惑がすれ違うのが一番キツイとおもった末、「(恋人がいちゃこらするお泊りじゃなくて、SEXはしない前提の)友達のお泊り、っていうことでいいね?」とふたりで「しない」約束をしたのでした。おかげで当日は、取り越し苦労などしなくてすんで、ちょっとドキドキしながら静かな夜がすごせました。こういうのも悪くはないなー、心の余裕って素敵だね☆とおもいました。
…ま、そんなわけで厳密に「友達のお泊り」だったわけじゃないんですよね。でも二人の間では「まだ」友達のお泊り。私も彼氏も、人生で恋人いない期間がすんごく長かったので、そんな甘酸っぱい中学生みたいな空気を、すーはーしたよ。すーはーはー。
そういえば最近になって、「さわる前に一声かけて、っていわれてショックだった」と告白したら、「いやー、○○がそういう好意をもって触れてきたのはわかてたから、かえって自分がビクッ!とかしちゃうと、○○がショック受けるかな、とおもって(ビクッとしないために)"一声かけて"っていったんだ」と説明されたのだった。そっちかー、そういう理由かよー!なんだよ、もう。ショック受けて損した orz
まったりと待ちつつも、いろいろあった一年。友達として長く付き合った分、付き合い始めてから「こんなはずじゃ」っていうことは少なかったかな? とはいえ、付き合う前には知らなかった相手の一面を、いまでもいろいろ発見することがあります。もう待つのもなれたので、あと3年ぐらいは平気で待てそうな気がしますわ。もうすぐ三十路だけどな。
彼は、私のことを「鉄砲玉のように、どっかに飛んでいって忘れた頃に戻ってくる感じじゃないかと、ハラハラする」とかいいます。つか、無鉄砲? 風船みたい? 風まかせ?猪突猛進なのは、友達づきあいの一年で充分にわかってくれてるよね! ゆるせ。