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「東京五輪2020の作曲家が障害者の同級生に対する昔のいじめを謝罪("Tokyo 2020 composer apologises for historical bullying of disabled classmates")」2021/7/17(Sat)
2020年東京オリンピックの開会式で音楽が演奏される予定の日本人作曲家が、知的障害者を含む学校の同級生をいじめていたという報道を受け、謝罪しました。
2020年東京オリンピックの開会式で演奏される作曲家の一人である小山田圭吾氏は、自分がオリンピックとパラリンピックに関わることで「多くの人に不快な思いをさせてしまった」ことを大変申し訳なく思っていると述べました。小山田氏は自身のウェブサイトで「心よりお詫び申し上げます」と述べています。
組織委員会の前会長である森喜朗氏は、2月に女性のスポーツ管理者に対する性差別的な発言で辞任に追い込まれた後、このような恥ずかしい出来事が起こりました。
その翌月には、開会式と閉会式のクリエイティブ・ディレクターである佐々木宏氏が、人気女性タレントの渡辺直美さんを豚に例えて辞任しました。
コーネリアスとして知られる小山田氏は、1990年代に受けた雑誌のインタビューで、少なくとも一人の障害者の同級生をいじめていたことを明らかに反省していないように話していたことが報道され、ソーシャルメディア上で炎上しました。
小山田氏(52歳)は、ある少年にウンチを食べさせたり、他の生徒の前でオナニーをさせたりしたとのことです。
小山田氏は、当時の自分は「非常に未熟だった」と述べ、自分の行動やその後のコメントを「深く反省している」と語り、式典への参加に否定的な反応を示す人がいるのは「当然のこと」だと付け加えました。
東京2020組織委員会は、不適切な発言があったことを知らなかったとしながらも、小山田氏が「インタビュー時の発言を後悔しており、考え直している」と述べました。 また、小山田氏は開会式に「多大な」貢献をしたとし、「高い倫理観を持った人物」として、開会式の最終準備に専念することを期待していると述べました。
東京2020の最高責任者である武藤敏郎は、小山田が謝罪したことに触れ、開会式まであと6日となった時点で、彼がクリエイティブチームの一員として残ることを示唆しました。
武藤は、「小山田は過去の行為を反省し、より高い倫理観を持って行動したいと言っている」と述べました。
「組織委員会が小山田の行為を知らなかったのは事実ですが、彼の謝罪を聞いて、これからも東京大会に貢献してくれることを期待しています」と述べました。
・ともに佳作
・他の受賞者なし
・その年でこの賞は廃止
三浦瑠麗は、東大農学部にいた時は旧姓の濱村瑠璃と名乗っていた。
1980年生まれの湘南高校出身で、東大在学中にベインキャピタル(ミット・ロムニー元共和党大統領候補が所属していたファンド)に現在務める、福岡出身の三浦清史(親族がどうもアメリカ人生物学者である)と結婚している。
湘南高校エリートといえば、石原慎太郎、岡本行夫、浜田宏一を戦後は輩出した進学校であり、戦前は海軍兵学校の予備校的な存在だった。
湘南高校出身者のネットワークとして、「湘友会」があり各地方や海外、クラブ別、企業別の支部も存在するという。
三浦女史の兄弟は金融庁勤務を経て今はシカゴに留学中の妹がおり、弟は東大で国際関係論を学んでいるようだ。
要するに、現在の日本の「東大パワーエリート」とはこういうものだ、という見本のようなファミリーである。
私が三浦女史がアメリカと日本のそのカウンターパートの受け皿としてかなり計画的に、かつ組織的に育てられた人材であることを直感したのは、
彼女と夫が東洋経済が主催した「高橋亀吉賞」という経済学論文賞を同じ年に夫婦で同時受賞していることだ。
しかもともに「佳作」。
他に受賞者がいないというのも驚きである。
この論文の審査体制に疑問が生じるが、やはりというべきか、2014年を持ってこの論文賞は廃止されている。
このように経済、安保、農政と様々な人脈があって、東大国際政治学者・三浦瑠麗は準備されていた、ということだ。
そしてイスラム国事件を論じる「ニューリベラルの論客」としてデビュー。
https://blogs.yahoo.co.jp/kinakoworks/13112404.html
三浦 瑠麗氏 法学博士、東京大学大学院法学政治学研究科 ポスト・ドクトラル・フェロー
「長期的視野に立った成長戦略 ― ワーキングマザー倍増計画」
http://www.toyokeizai.net/corp/award/takahashi/2010/
安倍マリオ「森喜朗会長が総理に提案」 五輪組織委の武藤敏郎氏が語る
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/22/abe-mario-and-mori_n_11657360.html
平成29年11月29日規制改革推進会議 大田弘子氏と安倍総理
https://www.kantei.go.jp/jp/content/29kiseikaikaku01.jpg
金融緩和に積極的なリフレ派として知られる早稲田大学の若田部昌澄教授
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-12-13/P0VQ9Q6TTDS001
111 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/10/22(木) 13:57:48 ID:zMI2zd+y0
今回の郵政社長人事を批判してる奴は天下りの何が悪いのかわかってないよな
例えば昨年の日銀総裁人事で民主党に拒否された武藤敏郎、田波耕治の2人は
武藤は日銀の副総裁を5年務めた事もあって経験・調整力・判断力を市場からも高く評価されていた
田波は大蔵省時代から組織運営能力の高さに定評があり国内外の金融機関に膨大な人脈を誇る
いずれも官僚時代の経験・知識・人脈に裏打ちされたポストにつくという典型的な天下りの構図だ
当然許される事ではない
それに対して今回の斎藤さんは同じく元大蔵事務次官ではあっても
民間の金融機関にも運輸宅配系の会社に携わったこともないいわば素人
今回抜擢されたのも政権交代の論功行賞と小沢さんと親密という人間関係によるものであって
したがって天下り批判には当たらないしダブスタとか言ってる奴は頭がおかしい
160 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/10/22(木) 15:55:34 ID:zMI2zd+y0
>>153
事務次官時代は細川連立内閣最大の実力者であった小沢さん、市川さんだけに根回しをし
他の政治家はおろか大蔵省内の意見すら無視するという独創的な手法で剛腕と呼ばれた人
国民福祉税こそ失敗したけど
国際貢献税として景気がどんどん悪化する中での法人税増税には成功しているし
ノーパンしゃぶしゃぶ、住専処理などの不祥事が発覚すると電撃辞任して後任の篠沢次官に責任をなすりつけるのに成功
おかげで篠沢次官が退職金を全額辞退したのに対して斎藤さんは全額受け取ることに成功した
こういう経緯のため財務官僚はおろか小沢さん以外の政治家にも人脈はほとんどないし
この人が退官するときには退職金を払うなって国会で揉めたぐらいなので記憶力のある国民は大抵この人を嫌ってるけど
これ以上ない素晴らしい人事だよ
朝日新聞GLOBE「金融危機と中央銀行」のうち、http://globe.asahi.com/ 上に掲載されていない部分を以下に載せます。
(G-2面の囲み記事)
入行の2年後輩の稲葉延雄(現・リコー特別顧問)が、副総裁、そして総裁候補の「本命」だった。稲葉は、若いころから金融政策を担当し、1998年に施行された日銀法の改正作業でも、日銀内で中心的な役割を担った。
他にも、やはり日銀法改正にかかわり人脈の広い三谷隆博、国際派の平野英治ら、理事を経験した有力候補がいた。
最近になって白川の存在感が増してきたのは、日銀幹部に、海外の中央銀行幹部と対等に話ができる経済学の専門知識が求められるようになったためだ。ただ、福田政権が今年春、白川を副総裁に指名したのは、意中の総裁候補が武藤敏郎(当時、日銀副総裁)だったことも大きい。
財務事務次官を経験した武藤は各界の太いパイプがあり、調整能力にたけている。理論派の白川は、武藤と組み合わせるとちょうどよいと目された。この時点では、あくまで白川は「知恵袋」として、総裁を補佐することが期待されていた。
ところが、運命は、本人も予想しない方向に転がっていく。
参議院で多数を握る民主党は、「財政と金融の分離」を唱えて財務省OBの起用への反対を崩さず、武藤総裁案を葬り、やはり財務(大蔵)事務次官を経験した田波耕治案も一蹴した。
主要7ヵ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が近づくなか、総裁空席が長引くダメージは大きい。となると、民主党が同意できる、残る総裁カードは、白川しかなかった。
当時、白川は58歳。50代の若さの総裁の退場は52年ぶり。金融政策などを決める政策委員会の5人の審議委員のうち、4人は白川よりも年上だ。
いきなり約5000人の職員を擁する組織のトップに就いた白川の指導力、調整力には不安もある。首相の麻生太郎は、白川自身の意向も聞き、山口広秀を副総裁に任命した。
山口は日銀出身だが、政府との実務交渉の経験が長い。今後、内部管理的な業務や政府との意思疎通などで、山口が担う部分も増えていくとみられる。■
前総裁である福井俊彦は、社交的で人づきあいがよく、経済界にも豊富な人脈があることで知られた。財界人とも頻繁にゴルフをした。
白川は少人数の食事会での議論は好きだが、パーティなどの華やかな場所は苦手。若いころはテニスを楽しんだが最近はやらず、ゴルフも年に数回程度。週末の楽しみといえば、「双眼鏡を持って、妻とバードウォッチング」といったところだ。
もっとも、この秋からは金融危機の対応に追いまくられ、バードウォッチングどころではない。
白川は1949年、福岡県の小倉で生まれた。姉と弟の3人兄弟。父は、地元の東洋陶器(現・TOTO)に勤めるサラリーマンで、後に社長となる。地元の公立小中学校から県立小倉高校に進んだ。
高校時代の同級生で、以来親しくつきあう読売新聞大阪本社執行役員の松尾徹は「誠実で、はったりがない。困った顔をすることはあるが、怒った姿をみたことがない。線が細そうにみえるが、案外、楽観的で腹がすわっている」と白川を評する。
東大の文科一類に入学したが、経済学部に進む。法律より経済学に面白みを感じたのが理由だ。
21歳の夏休み、帰省先の小倉から上京するブルートレイン(寝台列車)の中で、津田塾大の学生だった美恵子と知り合い、日銀に入ってまもなく結婚した。日銀に就職したのは「ビジネスは大切だが、自分は民間企業に向かないと思ったから」。
入行4年目で米シカゴ大学に留学して経済学修士号を取得。博士号を取るためにもう1年の延長を願い出たが上司に断わられ、日銀を辞めてシカゴに残るかどうか悩んだ。
その当時、白川の1年先輩で、相談を受けた大塚啓二郎(現・政策研究大学院大学教授)は、「日銀を辞めて学者になったら」とアドバイスした。「組織の中で出世するタイプには見えなかったしね」と大塚は笑う。
服装にはさほど構わないが、ネクタイにはこだわりがある。海外出張の時に免税店で自分で買う。今年10月の「クールビズ」明けの記者会見では、小倉高校の同級生たちから贈られた小倉織のネクタイを締めた。
週刊誌に「いつもの寝グセを何とかしたほうがいい」と書かれると、友人が「寝ぐせ直し」用の整髪料をプレゼントしてくれた。以来、毎朝それを愛用している。■