はてなキーワード: 切断操作とは
http://anond.hatelabo.jp/20130112143201を書いた者ですが。
hokusyu
Apeman
原則として増田は相手にしないんだけど、「はてサ」って言いたがるやつが実のところはてサの主張なんて全然フォローしてないことを如実に示す資料として。内田樹を「深イイ話」? バカか? 2013/01/13
他にも「内田樹は左翼じゃない」「むしろ右翼」みたいな反応が多くて正直驚きましたね。
護憲、労働者保護、反グローバリズム、脱原発、教育基本法改正反対、米軍基地反対、死刑制度反対、反自民・維新、生活保護強化、等々、彼の主張ってほぼすべて左翼的じゃないですか。
これってすごくないですか?
何かニュアンスの違いや言い回しの違いで「あんなの左翼じゃないから」とか「うちらとは違う」とか。
それで本気で社会を変える気があるの?
駅前で宇都宮候補の運動員がビラを配っていた。曰く「子供を守れ!脱原発!」
もらったビラに目を通すと「瓦礫広域処理凍結」と書いてあった。思わず目を疑った。どこぞの泡沫候補でなく、リベラル派の統一候補が、まさかこのようなトンデモ公約を掲げるとは!
はっきり言って、この一言だけで「地獄に堕ちろ」と言われて仕方がないものである。こんな公約は撤回するしかない。でなければ「アスベスト吸って死ね」と躊躇なく言うだろう。
瓦礫広域処理の危険性がデマであることは論ずるまでもない。福島県の一部地域を除けば東京都の一部地域の方が被災地よりよほどCs134, Cs137の沈着量は高く、たとえば福島第一原発からほど近い広野町・楢葉町・南相馬市あたりの一部地域と、葛飾区あたり一部地域のCs137沈着量はほぼ同程度だ。つまり、都内のゴミを処理できるのなら、少なくとも福島県の一部地域を除く地域の瓦礫を処理するのに反対する理由はどこにもない。でなければ、都内のゴミ処理にも反対しなければ筋が通らない。
他方、瓦礫処理というのは人道問題でさえある。アスベストその他の汚染物質が処理されぬままに瓦礫の中には残存している。「子供を守れ」というのであれば何よりもまずこちらを処理しなければならないはずだ。大阪の印刷工場の胆管ガンの事件で誰もがわかったと思うが、「放射能」より恐ろしい危険物質はいくらでもあるし、アスベストなどはその筆頭だろう。
というか、阪神大震災のときに被災地に住んでいた「子供」だった私は、当時誰からも「子供を守れ」という声が上がらなかったことを覚えているので、今回の首都圏の人間の「子供を守れ」にはただただ軽蔑しか感じない次第である。
阪神大震災と言えば、なぜか瓦礫を広域処理しなかったというデマが流れている。だがこれは嘘だ。
「阪神淡路大震災でも広域処理が行われました。あのときは神戸が一番大きな被害を受けたのですが、あそこは港湾エリアだったため、そもそも土地がたくさんありました。それに加えて大阪湾には、大阪湾周辺の自治体が廃棄物を処分する大阪湾フェニックスセンターという大きな処分場がありました。まず、そういったところに港湾地域の廃棄物を移動させ、そこで分けたがれきをフェニックスセンターで処分した。阪神淡路大震災のがれき全体でいうと14パーセントは被害を受けた市町村以外の県外で処分をされたという実績があります」(同氏)
つまり、どういうわけかわからないが阪神はよくて東北はダメ、なのだ。何が気にくわないのか理解できないが、とにかく被災地差別であることは間違いない。
思えば、東京の人間は2011年3月には買いだめに走ったりと「被災者ごっこ」に走っていた。あれはいわゆるsurvivers' guiltだったのだと思うが、その反動で今は被災地と自分たちの切断操作に走っているのだと思われる。
ちなみに、運動員に瓦礫反対の理由を問いただしたところ、「瓦礫は産廃扱いなのに産廃以外の施設でやろうとしているから」だそうだ。だが、それならば産廃処理の施設でやればいいだけの話であるし、そんな技術論を都知事選の争点にすることもあるまい。これも真っ赤な嘘であるといえよう。
以上のことから容易にわかるように、宇都宮候補の公約は人権派弁護士が聞いて呆れる、人権無視の非人道的なものである。
知性と誠実さとナチスであることのうち少なくとも1つは成り立たない、という名言があるが、瓦礫反対についても同じことがいえる。そして「人権派」を売り物にする公人の立場でありながらこのような悪質なヘイトスピーチをがなりたてる宇都宮候補が一番欠いているのは「良心」であることは間違いない。
遠からず東京は大地震に襲われることになる。そのとき、東北は確実に東京の瓦礫処理を拒むだろう。結果、東京はいつまでも瓦礫が横たわり、有害な粉塵が飛び交う無惨な街となることだろう。宇都宮候補やその支持者は、そのときこそ己の罪業を思い知ることになるに違いない。
id:torrysGalleyですが、増田でid書いたことが伝わるかどうかわからないものの、
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/jura03/20120831/p1
でお答えいただいたようですので、こちらからもリプライさせていただきます。
勝手に他人の代弁をするのも何ですが、id:jura03氏やhamachan氏らが批判しているのは、リフレ政策そのものではなく、「リフレ派」の党派性であるように見受けられます。他ならぬ自分もそうです。貴殿のご意見としては、そのような党派性はないということかと察しますが、端無くも、今般の貴殿のコメントにもそうした党派性が現れているように、自分には見えます。
貴殿のご指摘によれば、高橋氏は「構造改革」路線への傾倒具合を差別化するため自ら「上げ潮派」と名乗り「リフレ派」であることを否定しており、それ故に「リフレ派」ではないとのこと。しかし、これは従来からよく言われる、「リフレ派」とはリフレ政策の実現を良しとすることのみを共有する人々の呼称であり、リフレ政策以外の事象に関する価値観は問わないのだ、との定義に矛盾します。「構造改革」をどう評価しようが、名乗りがどうであろうが、リフレ政策を支持していれば「リフレ派」ではなかったのですか? 言い換えますと、「構造改革」への親近感の有無で「リフレ派」と「上げ潮派」が分かれるなら、「リフレ派」かどうかはリフレ政策への評価以外の物差しによっても判断されるということに他なりません。
なぜこのような便宜主義的な使い分けが生じてしまうのか、これはまさしく党派性の帰結でしょう。「リフレ派」は党派的だと批判されれば、リフレ政策以外についてはコンセンサスがないんだから党派的であるわけがない、と反論なさる。どう見ても党派的な行動をしている高橋氏を例に、そうはいっても党派的じゃないかと言われれば、彼は「リフレ派」ではないと切断操作をする。そこに一貫しているのは、唯一、「リフレ派」というラベルを守りたいとの意思のみであり、すなわち党派性です。ちなみに切断の道具が名乗りとは、では自分が記憶する限り一度足りとも「リフレ派」と自称されたことがない岩田(規)氏は「リフレ派」ではないのですか?
少々脱線すれば、皮肉なことに、「リフレ派」とは自称されていない岩田(規)氏こそが、リフレ政策の賛否のみで「リフレ派」かどうかが分かたれる、という定義にもっとも忠実に行動されています。その最たるものが幸福の科学との関係で、岩田(規)氏はリフレ政策を説くために幸福の科学と関係を持たれていますが、彼以外の「リフレ派」諸氏は、そうはいってもカルトだからなぁ、と関係を持たないわけです。そこにはやはり、リフレ政策への評価以外の価値観が入り込んでいると言わざるを得ません。
話を戻しますと、結局、「リフレ派」に対する党派性批判は、「リフレ派」自身が創りだした党派性に源があるわけです。よりシンプルなのは、hamachan氏の問題意識で、より根が深いのがid:jura03氏の問題意識だと勝手に考えております。
hamachan氏とコミュニケートしたわけではないので保証の限りではありませんが、「りふれは」という呼称をどうにかしたいなら、労研機構についての議論などに一方的にリフレ政策を持ち込んだ田中氏をどうにかすれば足りるように思われます。労研機構維持→官僚の既得権維持→親デフレ・反リフレなんて議論をするから「りふれは」と揶揄されるわけで、労研機構の是非だけに議論がとどまっていたなら、hamachan氏は「りふれは」なんて呼称を導入はしなかったでしょう(リフレ政策には賛成だ、とはhamachan氏は明言されてますし)。twitterでブロックされたって、いくらでも批判の手段はあります。いずれにしても、大カトーよろしく無関係な話題にまで「反リフレ」のレッテルを張られなくなれば、hamachan氏も自ずと「りふれは」というレッテル返しをすることはなくなると思われます。いわば能動的な党派性の問題。
id:jura03氏に関しては、高橋氏や田中氏らの言動そのものを問題視することに加え、それを黙認している周辺にも批判は及んでいます。つまり、受動的な党派性の問題。id:jura03氏が一貫してご指摘なのは、彼らと同一視されたくないなら、同一視している人間におかしいというのではなく、同一でないことを身を持って示せ、ということと理解しています。昨今のいじめ問題においても、直接いじめに手を染めた者だけでなく、それを傍観していた者もまた、ある意味いじめに加わっていたのだと言われます。かばう、いじめるなと言う、誰か大人に相談する、etc...といった行動に出なくては、「自分はあいつらとは違う」と言っても通用しないのではないでしょうか。
本当こういう感情的な決めつけがマスダとかはてなサヨクのいかんところだと思うわ。人間のクズなのはおまえだろうに。
まず、現行法の話をすれば、親子兄弟には扶養義務はある。で、まず扶養義務がある者が被扶養者を扶養するのが原則。
これについてはいろいろ言いたいことはあるだろうけれど、とりあえずそうなっている。
今回の河本の一件で出た、「福祉局と話し合って決めているんだから違法性はない」という理屈ね。これ大間違い。扶養能力があってなおかつ扶養義務を果たしていない場合、厳密に適用すれば詐欺罪ですよ。やろうと思えば、今日からも立件できる。福祉局が「話し合った」のは、負担者と受益者が違うからですよ。扶養者と被扶養者の間で話がまとまるのを待っていたら、被扶養者が餓死してしまうからで、それで福祉局は扶養者が自発的に出す額と相殺して不足分を支給していたわけ。
・それでとりあえず河本が自発的に出せる額を増額してくれるよう「交渉」した。
これは生活保護の被支給者の生命を担保にした「誘拐交渉」なわけ。誘拐犯との交渉で、「警察には連絡しませんから子供を返してください」と言ったとして、それで法的に交渉成立、違法性はないということはないでしょう?
福祉局はこういうぎりぎりの交渉を強いられていて、なおかつそこで生活保護を支給するかどうかを判断している。あのね、この判断を間違いと言うなら、そして、河本側には福祉局が譲歩したことによって違法性はないというなら、福祉局は今後、杓子定規な強硬策をとらざるを得なくなるよ?
餓死者を増やしかねないことをしているのは河本を擁護している連中なんだよ?
まず河本の行為の違法性を認める。話は全てそこからじゃないか。それもせずに、片山がどうしたとあさってのことを言っているから純法理的に処理されれば、あんたらには一分の勝ち目もないよ。
まあ、俺は生活保護なんて関係ないから別にいいけどねー。つか、普通の人が普通に生活していて、一族親戚200人の中に生活保護受給者なんてふつういないって。
生活保護受給者なのは母親は年金を払っていない、娘は母子家庭、息子はプータローみたいな家ばっかりで、そういうところに生活保護が集中してんだよ。「普通の人」から見たら嫌悪の対象以外の何物でもないじゃない。
これを分断だ、切断操作だ、B層あたまわりぃってわめいても、最初から切り離されてるんだから共感なんて最初からないんだよ。現実も観ないでただわめいているだけのお坊ちゃんだからはてなサヨクは役立たずなんだよ。
最初から一貫してそれを言ってるのに今更そんなこと確認されるのにびっくりした
それが切断操作だって言ってるのに、びっくりした。
つまり、自分自身が「JAL社員を批判するはてなー」と「生活保護を批判してる連中は2 ちゃんねらーやネトウヨ」を同一カテゴリとして批判している事実はまず認めるんですね。
最初から一貫してそれを言ってるのに今更そんなこと確認されるのにびっくりした
自分は増田を利用してることからもわかるようにはてなーだし、2ちゃんもまとめサイトも利用する
生活保護やJAL社員たたきは自分と全然別のタイプの人間がやってるとは思ってない
自分も一歩間違えればやってると思ってる
生活保護を批判してる連中は2ちゃんねらーやネトウヨのような「異形なるもの」でJAL社員を批判するはてなーとは別ってのはまさに切断操作なんじゃないかね
つまり、自分自身が「JAL社員を批判するはてなー」と「生活保護を批判してる連中は2ちゃんねらーやネトウヨ」を同一カテゴリとして批判している事実はまず認めるんですね。
そこからスタートしないと、話にならないよね。
生活保護を批判してる連中は2ちゃんねらーやネトウヨのような「異形なるもの」でJAL社員を批判するはてなーとは別ってのはまさに切断操作なんじゃないかね
特定のカテゴリーに押し込めれば、問題が自分たちの共同体の「外側」にあることになり、自分たちの共同体は問題から隔離される。
批判している連中は、生活保護を批判してる連中と同一である、とかそういうのが「切断操作」ですが?
コイツは精神障害だとか、被差別民族出身だとか。「異形なるもの」を作り出し問題をそこに閉じ込めるのが、切断操作です。
Aと言う問題とBと言う問題を切り離すのが切断操作ではないですよ?
何かの問題を、「おかしな連中がやっているんだ」という論調で解決を図ろうとするのが、「切断操作」です。
これを言い出したら生活に必要な最小限しか要求するなということになる
今より上を要求するのは当然だし、下がってでも結婚しろとか転職しろとか他人がとやかく言うことではない
会社の整理対象まっしぐらな、路頭に迷う直前の40代おっさんが、年収1000万の実業家を嫁に希望とかいってるのを批判したら、
僻み中心の批判になんのか?ならんだろ。
僻みとか、その夢が実現した後にイエヨ。
いや確実になるだろ
40台のおっさんが楽して暮らせるのが気にいらねえという僻み以外の何者でもない
実現したかどうかの問題でもない
残業代を要求しただけで「他の奴はもらってねえのにおまえだけもらうな」と叩くようなもの
派遣村の奴が生活保護申請したら「働いてねえくせに俺よりもらうな」と叩くようなもの
どう見ても僻みで足の引っ張り合いしてるだけ
「切断操作」って、何から、なにを切断すんだよ。w
もちろん「生活保護や公務員はもらいすぎ」「サーービス残業ぐらい我慢しろ」といつも言ってるなら筋は通ってるので元増田の批判は気にしなくていい
ただ「社畜や福祉や公務員への批判を弱者同士の足の引っ張り合いで金持ちの思う壺」みたいな事をいつもは言っておきながら、JAL婚活社員をたたいてる奴はブーメランだなあという話
今更書くんだが。
全然的外れだ。
1000万で働いていたとする。
そりゃ、危険手当もついただろう、豪勢な生活が出来ていた。
んで、これからそれが出来なくなりそうだとなったとき。
年収1000万の男を要求している。
つまり、相手に合わせて生活水準を下げる気が、毛頭ないということ。
この仕事をそのまま続けるつもりなら、自分にも収入があるのだから、相手に年収1000万なんて必要ない。
でも、そうではなく男に1000万の年収を要求している。
自分より生活水準が上でさらに上がる事を希望しているものを叩いて足の引っ張り合いをしてる
という点は同じだし、その根拠も僻み中心という点も変わりないだろう
意味がわかんねぇ。
会社の整理対象まっしぐらな、路頭に迷う直前の40代おっさんが、年収1000万の実業家を嫁に希望とかいってるのを批判したら、
僻み中心の批判になんのか?ならんだろ。
僻みとか、その夢が実現した後にイエヨ。
「切断操作」って、何から、なにを切断すんだよ。w
自分が年収1000万以上の仕事を見つけるというなら、別にいいじゃないの。
退職して、新しい環境での生活を再設計するといううのなら、それもいいんじゃないの?
でも、相手の収入に1000万を期待するのは、ちと違うでしょう。
少なくとも、それを「もう条件は問いません」とか言っちゃいけない。
ここにきて「10万人の殺人予備軍」という言葉がホットになっている
http://h.hatena.ne.jp/y_arim/9234096833783701106
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100731/1280595764
http://d.hatena.ne.jp/enjokosai/20100801/p1
まぁ、この言葉自体「一人歩きした言説」ってことで流れが出来つつありそうで。
だが、だからといって、30代後半とか40代の「あの日ヲタクだった人間」が味わった苦しみが幻になるわけではない。
ずいぶんあの日々が遠くなったせいか、「あの日々の苦痛とはなんだったのか」が風化しているし、下の世代に「あの苦しみは何だったのか」
が伝わっていないような気がしてならない。
ということで、思い浮かぶことを書き連ねてみる。
あくまで書きなぐった印象論ということで、正確性について勘弁のほどを。
(1)「あの部屋は犯罪者の部屋だ」
ビデオテープと雑誌で壁の四方を囲まれた、圧迫感のある狭い部屋が「犯罪者の部屋」だった。
かつてはネットも無ければDVDもない。ビデオテープと書籍の蓄積がすなわちヲタクとしての記憶の蓄積だった。
友人との口コミ越しに、あるいはイベントでの会話越しにこう聞こえてきた
「あの部屋は俺の部屋とそっくりだ。ああいう部屋にいる人間は犯罪者だとマスコミは言う」
実はあの事件が起こるまで、オタクという言葉は「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」という意味での
後ろ指をさす言葉ではなかったはずだ。
おたくという言葉の由来は結構あれこれ議論の的になったりするが、あくまで自嘲句とか隣接ジャンルの人間からの当て擦りの言葉でしか
なかった。
だが、あの事件の後からいつの間にかテレビでオタクという言葉が当たり前のよう流布するようになった。そしてそれが、
「彼」をアーキタイプとした「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」を後ろ指差すための差別語として
当たり前のように使われだしたのだ。
そして、当時のテレビニュース・バラエティ番組は無批判にその構図に乗っかった。
(3) 「彼は本当のマニアではない」
あの日々にテレビに出ていた文科系コメンテーターがよく発していた台詞だ。
(この言葉を吐いてあの時代を乗り切った一人が頭に浮かぶが、ほかの人も似たような発言をしていたので名前あえて出さない)
曰く、「本当のホラーマニアならそんな考え方はしない」とか、「映像を撮るのに凝っているならあんなカメラの使い方をしない」とか。
苦し紛れに、あるいは同類扱いを嫌って吐いたその言説は、つかの間の安心感を得られたとしても、結局は仲間同士をばらばらにする寒い言説だった。
これは今のテレビ番組につながるものである、というかあそこが原点といってもいいのではないだろうか。
連日連夜ニュース番組「報道番組」の美名の下ステレオタイプの映像イメージを垂れ流し、ワイドショーもバラエティ番組も「報道番組化」して
さらにステレオタイプを垂れ流す。
「犯罪者の部屋」「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」をイメージ化して勝手に犯罪者像をでっち上げ、
したり顔のコメンテータが上っ面の現代の病巣とやらを解説する。
もはや手垢のついた手法が、あの当時は極めて有効だったのだ。
今までオタクなんて言葉を知らなかったおじ様・おば様方までが、「ああ、気持ちの悪い犯罪予備軍のことでしょ」なんてイメージで語ることが
可能となったのだ。
まぁ、何が言いたかったかというと、「10万人の殺人予備軍」という言葉が出てくるだけの時代背景があの時代にはあったということだ。
今の世の中を見ると信じられないが、かつては確かに「あの苦しみ」は存在していたのだ。
俺には女性と通じ合える部分と通じ合えない部分がある。
性や家族について真面目に考えようとしてブログで女性に質問した時、かなりの数の女性が俺をクズと決め付け叩き潰そうとした。俺はそれで性や家族について真面目に考えることを放棄した(させられた、という気分が強い)。
今でも性や家族を持つことに絶望的な気分になっている。彼女は俺をクズと決め付け、問題解決を妨害する。いずれ俺は問題を起こし、その問題は彼女を苦しめるだろう。そう考えると不毛さに暗澹たる気分にさせられる。
性や家族について真面目に考えようとしたらクズ認定されて叩き潰される。じゃあどうすればいい?
二つ。女性と対立しようが、性や家族について真面目に考えて、何らかの答えを出す。その過程で対立した女性は全て切断操作する。得られたデータには満足しています。次は失敗しません。ご期待下さい。
あるいは、女性に従い、性や家族について何の知見も持たず、問題が起きた時にギャワーと言いながら対処する。それを避けたいのだが、そんな夢みたいなことを言っても困る。問題は起きる。俺も彼女も被害は受ける。それを避ける対策を最初から禁じられているのなら、従うしかないじゃないか。
後者は取りたくない。吐き気がする。何で対策を取っちゃいけないんだ。そんな女に誰が従うか。
そうなると理想は、女性に叩かれながらも性と家族について知見を得て、何の対立関係にもない彼女と共に安全な性と家族を築きあげるということになる。
今しばらくは、俺が知見を得るために、女性との対立を余儀なくされるだろう。覚悟しておかなければならない。
でもやだな。何で彼女たちは性や家族について考えようとすると叩き潰そうとするんだ? 意味が分からない。相手が真面目か不真面目かくらい文体から分からないのか? それとも性や家族について訊いてくる奴は全て不真面目だとでも思っているのか?
誰か女性で「それは違うんじゃないの」と思った人は、何か俺の勘違いを是正してください。どういういきさつが働いているのですか?