はてなキーワード: 上げ潮派とは
id:torrysGalleyですが、増田でid書いたことが伝わるかどうかわからないものの、
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/jura03/20120831/p1
でお答えいただいたようですので、こちらからもリプライさせていただきます。
勝手に他人の代弁をするのも何ですが、id:jura03氏やhamachan氏らが批判しているのは、リフレ政策そのものではなく、「リフレ派」の党派性であるように見受けられます。他ならぬ自分もそうです。貴殿のご意見としては、そのような党派性はないということかと察しますが、端無くも、今般の貴殿のコメントにもそうした党派性が現れているように、自分には見えます。
貴殿のご指摘によれば、高橋氏は「構造改革」路線への傾倒具合を差別化するため自ら「上げ潮派」と名乗り「リフレ派」であることを否定しており、それ故に「リフレ派」ではないとのこと。しかし、これは従来からよく言われる、「リフレ派」とはリフレ政策の実現を良しとすることのみを共有する人々の呼称であり、リフレ政策以外の事象に関する価値観は問わないのだ、との定義に矛盾します。「構造改革」をどう評価しようが、名乗りがどうであろうが、リフレ政策を支持していれば「リフレ派」ではなかったのですか? 言い換えますと、「構造改革」への親近感の有無で「リフレ派」と「上げ潮派」が分かれるなら、「リフレ派」かどうかはリフレ政策への評価以外の物差しによっても判断されるということに他なりません。
なぜこのような便宜主義的な使い分けが生じてしまうのか、これはまさしく党派性の帰結でしょう。「リフレ派」は党派的だと批判されれば、リフレ政策以外についてはコンセンサスがないんだから党派的であるわけがない、と反論なさる。どう見ても党派的な行動をしている高橋氏を例に、そうはいっても党派的じゃないかと言われれば、彼は「リフレ派」ではないと切断操作をする。そこに一貫しているのは、唯一、「リフレ派」というラベルを守りたいとの意思のみであり、すなわち党派性です。ちなみに切断の道具が名乗りとは、では自分が記憶する限り一度足りとも「リフレ派」と自称されたことがない岩田(規)氏は「リフレ派」ではないのですか?
少々脱線すれば、皮肉なことに、「リフレ派」とは自称されていない岩田(規)氏こそが、リフレ政策の賛否のみで「リフレ派」かどうかが分かたれる、という定義にもっとも忠実に行動されています。その最たるものが幸福の科学との関係で、岩田(規)氏はリフレ政策を説くために幸福の科学と関係を持たれていますが、彼以外の「リフレ派」諸氏は、そうはいってもカルトだからなぁ、と関係を持たないわけです。そこにはやはり、リフレ政策への評価以外の価値観が入り込んでいると言わざるを得ません。
話を戻しますと、結局、「リフレ派」に対する党派性批判は、「リフレ派」自身が創りだした党派性に源があるわけです。よりシンプルなのは、hamachan氏の問題意識で、より根が深いのがid:jura03氏の問題意識だと勝手に考えております。
hamachan氏とコミュニケートしたわけではないので保証の限りではありませんが、「りふれは」という呼称をどうにかしたいなら、労研機構についての議論などに一方的にリフレ政策を持ち込んだ田中氏をどうにかすれば足りるように思われます。労研機構維持→官僚の既得権維持→親デフレ・反リフレなんて議論をするから「りふれは」と揶揄されるわけで、労研機構の是非だけに議論がとどまっていたなら、hamachan氏は「りふれは」なんて呼称を導入はしなかったでしょう(リフレ政策には賛成だ、とはhamachan氏は明言されてますし)。twitterでブロックされたって、いくらでも批判の手段はあります。いずれにしても、大カトーよろしく無関係な話題にまで「反リフレ」のレッテルを張られなくなれば、hamachan氏も自ずと「りふれは」というレッテル返しをすることはなくなると思われます。いわば能動的な党派性の問題。
id:jura03氏に関しては、高橋氏や田中氏らの言動そのものを問題視することに加え、それを黙認している周辺にも批判は及んでいます。つまり、受動的な党派性の問題。id:jura03氏が一貫してご指摘なのは、彼らと同一視されたくないなら、同一視している人間におかしいというのではなく、同一でないことを身を持って示せ、ということと理解しています。昨今のいじめ問題においても、直接いじめに手を染めた者だけでなく、それを傍観していた者もまた、ある意味いじめに加わっていたのだと言われます。かばう、いじめるなと言う、誰か大人に相談する、etc...といった行動に出なくては、「自分はあいつらとは違う」と言っても通用しないのではないでしょうか。
はてサブロガーは口が裂けてもそんなことは言わないだろうけど、人権重視排外主義反対とか彼らの主張に共感してる人は右翼議員主導のデフレ脱却議連より自民の上げ潮派のほうがましと思えるはず。
上げ潮派のリーダー格の中川秀直はアムネスティー議員連盟会長や外国人材交流推進議員連盟会長をやるような政治家。どう見ても人権派で排外主義とは対極にある議員といえる。
デフレ脱却議連って民主党議員ばかりなのに政界のリフレ派はそこにしかいないと思い込んでる人が多そう。
ついでに言うと参院選公約でも自民党は高所得者の負担増が書いてある。民主党とかの他の政党は税額控除とか低所得者向けの給付増はあっても高所得者負担増を明記してるところはほとんどない。せいぜい共産党ぐらい。
http://twitter.com/hokusyu82/status/21463201782
共産主義だって労働者の生活向上のための手段であって北朝鮮のような生活水準政治体制になってでも共産化しろなんてのはいまどき共産党員の中にすらいないんじゃなかろうか。
様々な価値観・利害の人と共闘するのが通常の民主主義である以上、目標の優先順位を論じるのはあまり意味ないように思う。特定の政策が各自の目標を実現するのにふさわしい手段かどうかってのを問う方がいいはず。某右翼リフレ議員についてはリフレ政策を実現することで修正主義者の影響力が高まるかどうかと景気回復で排外主義に傾きにくくなるかどうかというのを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。公務員改革についてもみんなの党・上げ潮派の影響力が強まるかどうかとインフレ景気回復で財政健全化・民間企業社員の待遇改善が進んで公務員人件費削減圧力が減るかどうかあたりを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。個人的には左翼勢力がリフレ政策を主導して景気回復を国家主義新自由主義の手柄にしないのがいいと思うが。
緊縮財政と景気後退。
景気の維持が財政出動に依存している状態であれば、財政の緊縮は景気の後退となる。しかし、景気の維持が財政出動に依存しているという状態が異常なのである。
異常な状態であっても、それが他国の事であれば喜ばしい事である。したがって、自国がそうなるのはまずいが、他国の競争力を削り落とす為に、あえて賛称するというのが、情報戦となる。問題は、それが情報戦の為のガセネタであることを理解できない人が沢山いて、しかも、民主主義政権だったりすると、間違えている政策に自ら飛び込んでいってしまうという愚行が発生してしまう点にある。
自立的に成長するように、技術の開発や競争環境の維持が行われている状態であれば、加熱を冷やすのに行政指導という、マイナスの効果しか発揮しない道具が使えるが、冷え切っている市場を暖めるのに、行政指導は通用しない。現金をぶち込むしかないが、それとても、自立的な発展状態にないのだから、財政出動に依存してしまうという状態になってしまう。
緊縮財政に対して景気後退の危険性を説く人は、前提条件が間違っているという事を自覚していないという事なのだが、それを指摘しても、納得させる事は難しい。規制を強化して民間企業を縛り上げ、景気は財政出動でコントロールする事が正しい経済政策であると、思い込んでしまっている人に、それが間違いだと指摘しても、信じてもらえないし、財政出動の対象を選ぶ権力の行使によって、政治献金を出してくれる所や支持者の所や天下り先にお金をばら撒くという重要な理由が存在していると、間違っていると知っていても、知らないことにして目をつぶってばら撒きを続けた方が良いとなる。
自分の頭で考える人が少ない集団だと、情報戦は、副作用の方が大きい。
緊縮財政と景気の維持とを、同時にやる事は不可能ではないが、企業の競争を激化させる政策が必要となる。財政再建派と財政出動派は、対立意見であるが、上げ潮派は、そのどちらとも、共存できる。共存できるのであるが、それ故に、対立相手が既得権益層全てになってしまう。やらなければならない改革なのだが、実現できないというのは、この辺に原因があるのであろう。政権交代しても、結局は効果が無かった以上、政治権力が代議制である限り、無理なのではなかろうか。
道路を作ります、橋を掛けます、農家に補助金をばら撒きますと、約束して回るのがドブ板選挙の本質である。地域に予算を持って来るという約束をして回るには、その財源を確保しなければならない。歳入を上回る歳出が行われるようになったのは、この、ばら撒きをやりすぎた為と言える。税収を超える歳出を繰り返す政治体制は、維持できない。自民党は、政権党として長い間それをやってきたからこそ、変わらなければならなかった。
この危機意識が、自民党全体の共通認識であれば良かったのだが、実際には、この危機意識は上げ潮派(構造改革派)の、それも一部だけという状態にあった。財政再建派は足りない銭は増税で賄えばよいという考え方であるし、積極財政派は、財源が足りないのは景気が悪いからで景気が悪いのは財政出動が足りないからだという主張であり、ばら撒く事が政治だという考え方である。
国家財政の危機に対し、一番危機感が無いのが積極財政派、危機感はあるが、増税で穴埋めしてばら撒き自体は続けるというのが財政再建派、ばら撒きを止め、財政出動をしなくても景気が良くなる方向に社会制度を変更していくというのが、構造改革派であった。
ドブ板選挙をやれば、与党で居続けられるが、ドブ板選挙で与党の地位を得ても、肝心の国家が財政破綻してしまうという認識ができたのが、小泉改革の唯一の功績とも言える。少なくとも、自民党の議員は、ばら撒きの約束をしなくなっていった。そこにつけ込んで行ったのが、民主党の小沢氏である。
田中角栄の劣化コピーである小沢氏は、ばら撒きを公約し、地方の票を根こそぎにしていったのであった。埋蔵金を掘り起こし、無駄を省けばばら撒けると主張し、民主党なら増税も構造改革もせずに昔のばら撒きで潤った時代に戻せると主張し、選挙民はそのドブ板に乗っかったのであった。
今は、そのドブ板が、ひび割れだらけの上にあちこち朽ちていて、いつ割れてもおかしくないボロ板であることが、徐々にばれてきた所と言える。
問題は、民主党がダメである事が共通認識になった時に、では、どうするかという点である。民主党の中で首相のポストをたらいまわしにしても、基本的に無能の烙印を押されて自民党から追い出された人と、自民党の地方議員にすらなれなかった人の集まりであり、首相や閣僚の首を挿げ替えても、まともになるという可能性は皆無である。
ばら撒きを繰り返す体制は、もはや維持できない。民主党はばら撒きを復活させると公約して政権を取ったが、財源が無くて何もできないと白旗を揚げるしかない状態になっている。自民党が、ばら撒きを前提とした選挙運動から脱皮し、財政出動に依存しない政党になれるかどうかというと、現在の党首が財政再建派であることからむずかしい。次の参議院選挙までに、自民党全体が構造改革派に衣替えする可能性は、第三の政党が出てくる可能性と同じくらいに少ないのであった。
谷垣氏は増税によって財政を再建するという主張の、財政再建派である。揮発油税の新設によって道路利権を確立した田中角栄氏の直系とも言える。合理化や構造改革は一切行わず、銭が足りないならば増税すれば良いという主張であり、増税によって財源を確保し、族議員として君臨するという行動様式が刷り込まれている。
穴のあいたバケツに水が溜まらないならば、さらに水を注ぎ込めば良いということで、穴から漏れ出る水にたかっている天下りや公共事業は、今以上に勢い良くあふれ出る水で潤うという事である。道路族と相性が良く、谷垣派は古賀派と合同した。
与党であった頃ならば、公共事業を期待する地方の票を集められたのだが、今の自民党は野党である。あの選挙で自民党が勝っていたら、古賀派が第一派閥として自民党を牛耳り、谷垣氏が傀儡として総理大臣になっていたであろう。
ただし、今の自民党は野党であり、利権の分配にはありつけない。自民党の地方組織は、公共事業や補助金を分捕る為に集まった烏合の衆であり、野党に転落した以上、それらは民主党に乗り換えるだけである。金の切れ目が縁の切れ目である。
麻生氏は積極財政派で、ばら撒きで景気を回復させて税収を増やし、財政を再建するという主張であったが、幾らばら撒いても、波及効果は無く、税収は全然増えず、財政赤字だけが増えていくという小渕内閣の失敗を繰り返した。
増税による財政再建派もダメだし、ばら撒くだけの積極財政派もダメという事で、構造改革を主張する上げ潮派が政権についたのだが、後継に人を得ず、結果的に、財源を抱えていて復元力の強い財政再建派が盛り返してしまった。
麻生氏が引く事で積極財政派の目は無く、上げ潮派は元々後継者不足であり、出馬できるとは思えない。消去法では財政再建派の谷垣氏ということもありえるのだが、金権体質の象徴とも言える古賀派が自民党の総裁派閥になったら、ますます、自民党再生の目は無くなるであろう。
古賀派が総裁選に負けた場合には、それを理由に離党して民主に野合という展開もありえる。道路族の利権は与党にいてこそであり、野党では意味が無い。古賀派が離党となれば、自民党が空中分解したという印象を与え、これも、自民党再生の目を無くすという結果に繋がりかねないのであった。
それにしても、特別国会というのが残念である。特別国会では短い会期しか設定できないので、通常国会前日まで会期を設定できる臨時国会にし、いきなり審議を始めると予想していたのだが、大臣が状況を把握する為の時間が必要らしい。民主党はシャドーキャビネットを組んでいた筈なのだが、大臣人事の段階でこれだけ時間がかかっているということは、ごっこ遊びに過ぎなかったのであろう。
カニ光線にかぶれたとかそういう人間ではないつもりだけど
小選挙区では今で言う自民の「上げ潮派」的な人、比例では共産党に分けて入れてきた。
資本論も文庫版の一巻目で寝てしまう自分なので、彼らのイデオロギーがキライな方と論争する能力も持ち合わせていないし
今までの悪行をソウカツしろなんて増田もあったけど、正直この先数十年はできそうにないと思う。
で、そんな連中を支持する理由って何さ、といわれると、子どもの頃周囲に信濃町系の人が多くてヘキエキしたから。
今信濃町が与党の側にいるってこと自体虫唾が走る。ので、代々木にもう少し頑張って欲しいかな、と。
せめて千駄ヶ谷あたりで落ち着く、バランス・オブ・パワーを維持できるくらいになってほしい。
外苑東通りまで進軍しちゃっても、明治以来の日本のシステムだと宗教よりアカの方が潰しやすいでしょ、いいじゃん、という感じ。
カニ光線ビームのおかげで入党者増えても、長きに渡って取り込む懐の深さはないのが心配。
そんで取り込めないと団塊と一緒に消えてしまいそう。でも消えると真剣に信濃町が怖い。
カール・ローブとか呼べそうにないし、今の共産党に出来る範囲で面白いことをやってもらうほかない。
1.志井ちゃんをキャラクター化する
ムダに文化的素養のあるあの世代、連中が見下してるサブカルの海に放り込んでみると意外に良い反応を起こしそう。
志井ちゃんはエロの趣味濃そうだし、SPA!(グループ的にないけどさ)あたりに出てきて弄り倒すと人気出るはず。
あとは深夜番組か。
2.もっとデザインにこだわる
共産党にクセにロシアン・アヴァンギャルドのブームに完全に乗り遅れたのも痛い。
ポスターもそうだし、代々木の本部も予備校のビルか何かに見える。
3.スタイリストをつける
赤旗のポスターに出てる女が、いかにも性格とか面倒くさそうな女で正直引く。
4.
5.
途中で飽きた
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=23
この社説に異論があるのは、「財政再建に秘策はない」ではなく「財政再建に秘策がある」からだ。具体的には、2011年度で名目成長率4%を達成する経済成長にある。問題は、この経済成長が社説が言う「歳出削減と増税という当たり前の選択肢」から抜け落ちていることである。そこで、重要なのが物価上昇率であるが、先進国では一般的な物価上昇率である2%前後を想定することは充分に可能ではないか。それと成熟した日本経済の成長力2%前後を加算しての4%名目成長率目標となる。ただ、その前提に長期金利の封じ込めが必要となる。そこで日銀の金融政策の役割が問われてくる。2011年度に名目成長率4%が達成できれば、「構造改革と経済財政の中期展望」による3・1%より1%近く高くなり、税収は消費税4%前後違ってくることになる。ならば、国民負担は大幅に軽減されることになる。このような歳出削減と経済成長の両立による消費税引き上げ幅の縮小による財政再建こそ、民意が選択した小さな政府路線に拠る秘策と言えるのではないか。党財政改革研究会の議論ではこうした視点を踏まえて議論すべきであり、また総裁選においても成長率をどうみるかは、大きな争点になるべきと考える。
どう見ても日銀が金利を下げて物価上昇率(ここではGDPデフレーターな)を2%前後に上げ、財政再建しましょうと言っているように見えるが?
リフレ派のブログでもあそう支持って昔みかけた。インフレ嫌いのよさのとくんだから支持しなくなったんだと思う。上げ潮派を支持しやすいのは上げ潮派の親玉である中川氏が有力政治家の中で最も金融政策わかってそうだから。
今、自民党総裁選をめぐって経済政策の上で興味深い対立構図がある。
・上げ潮派=小泉改革の継承を謳い構造改革で日本経済の強化を図ることで経済成長を高める。小泉チルドレンなど改革派のグループ。
・財政バラマキ派=従来型の公共事業などケインズ型財政出動(マクロ政策)で景気回復を図ろうとする。麻生氏のグループがその代表。
・財政再建派=与謝野氏や谷垣氏らのグループで社会保障制度の維持のためには消費税増税などの国民負担の増大は避けられないとする。
さて上に上げた中で上げ潮派は小さな政府、他の二つの立場は大きな政府とおおざっぱに分けられるであろう。考え方としてはわかりやすい構図である。
ところがネット上の一部でおかしなグループが騒いでいることにお気づきだろうか。リフレ派と呼ばれる一群である。
彼らの主張をわかりやすく言うと、要するにお金を刷りまくってインフレを人為的に起こして景気を回復させようといったはなはだ危険なものであり、常識では到底考えられないものだ。ところが驚くことになんと彼らが支持しているのが改革派=上げ潮派だということなのだ!これは世界の新七不思議とでも言える不思議な現象ではないだろうか。
もちろん上げ潮派=改革派の人たちはそんな戯言に付き合っている暇はなく、当然スルーしているのだが、まるでネットストーカーであるリフレ派は迷惑も顧みず必死で持論を流布しようと躍起である。そもそもリフレ派が依拠しているのは「マクロ経済政策」の中の金融政策だそうだが、それだけ見ても改革派とは水と油の存在であることは明白なのに、だ。
リフレ派ははやくこのような迷惑行為はやめておとなしく「思想の近い」麻生氏のグループに仲間入りした方がよいのではないか。ところがなぜか彼らは麻生のグループとは違うと強弁する。彼らの中では違って見えるらしい。しかしどっこい世間やメディアの目から見れば明らかに無理があり、どう考えても政府や日銀のマクロ政策に頼ろうとする意味で上げ潮派=改革派とはまるで別種の生物であることは明らかである。
政府もとうとう景気の悪化を認めた中で、景気回復のために何すりゃいいの?ということで、大まかに次のグループがある。
政府がどんどん公共事業をやり、(その乗数効果で)消費を刺激して景気を良くしようという立場。麻生幹事長や中川昭一がこの一派。
国の借金を減らすことが最優先で、消費税増税もやむなしという立場。与謝野経済財政大臣や谷垣禎一がこの一派。
構造改革で企業の競争力を強くして、高い経済成長を実現しようという立場。中川秀直や竹中平蔵がこの一派。
このあたりがニュースなどで良く出てくる構図だが、実はもう一つ無視できないグループがある。”大きな誤り”の始まりの増田のような主張をする一派である。これを「リフレ派」という。
リフレ派の主張は、”大きな誤り”の始まりに書いてあるとおりだが、わかりにくいのでポイントだけ簡単に書くと、
というものだ。「あえてインフレを作り出す」のを目指すことから、「インフレターゲット(目標)政策」とも呼ばれている。
結論から書くと、“理論的には”正しい、ということになるだろう。まず、確かにデフレは物価が安くなって(゜Д゜)ウマーという面もあるが、物を作っている企業にしてみればコストを下げるために人件費を切り詰めないといけない。そうすると、人々の給料が減って、物は売れなくなり、経済活動は落ち込んでいく。だから、インフレを起こせばいいというのは自然な発想だ。
次に、インフレを作り出すために日銀がお金の量を増やすという点だが、普通なら日銀は金利を下げればインフレにもっていくことができる。しかし、今は超低金利でこれ以上下げようがないので、お金の量を増やすという手しか残っていない。
じゃあなぜ日銀はこの政策をとらないの?ということになるが、実はこのようなリフレ派の主張には、「本当にインフレを起こせるのか?」という問題がある。「インフレを作り出せば景気が回復する」という主張は、「日本にシリコンバレーを作れば産業が活性化する」という主張と変わらないからだ。「で、どうやって作るの?」というツッコミが入るのである。
上に書いたように、リフレ派は日銀がお金の量を増やすことでインフレを作るというが、すでに日銀は自ら直接増やせるお金(ベースマネー)の量を増やしているのに、市場全体で流れるお金(マネーサプライ)の量はあまり増えていない。「日銀がインフレにすると言えばみんなが期待するから結果としてそうなるんだ」という楽観論もあるが、これも「メダル獲ります」と宣言したからといってメダルが獲れるわけではないのと同じだ。
そんな中で、ひょっとしたらインフレが作り出せるかもしれない方法は、ばらまき派と手を組むことだ。大規模なばらまきをやるために大量に国債を発行して、その国債を日銀が引き受ければ、インフレになるかもしれない。
ところが奇妙なことに、リフレ派はばらまき派との関係になると口を閉ざす。それどころか、「ばらまき派の言うことは間違いで、リフレ派こそ正しい」というちぐはぐな主張すらしたりする。
リフレ派の人々(×リフレ政策)のおかしいところは、その孤高性にある。特に、構造改革派の主張に対する嫌悪感は、”大きな誤り”の始まりによく表れている。実際には、構造改革派の中川(女)や竹中、そのブレーンの高橋洋一などはリフレ政策に理解を示しているが、なぜかネット上のリフレ派は構造改革に異常なほどの敵意をむき出しにしている。
おまけに、リフレ派は自らの主張の正しさをわかりやすくアピールする努力をしていないように思える。むしろ、あえてそうしないのかもしれない。構造改革派を中心とする他の一派をdisることで、「難しい金融政策がわかってるリフレ派の俺たちって、ちょっと高い所にいるよね」と限られた仲間内で結束を確認しあっているように見える。この態度が、リフレ派が全く世間に浸透しない原因の一つになっているのではないか。