はてなキーワード: 三国時代とは
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王朝 | 期間 | 対策 | 結果 |
---|---|---|---|
周 | 257 | 王が諸侯に領地を与え、諸侯は世襲でその領地を治める | 諸侯の力が強くなって群雄割拠となる |
秦 | 19 | 領地は皇帝の直轄とし、皇帝が任命した官吏がその領地を治める | 中央集権に対して地方から反発が起こる(陳勝・呉広の乱) |
前漢 | 225 | 中央は直轄とし、地方は皇族の世襲としつつ、徐々に皇族の力を削る | 皇族の力が弱くなったことで外戚が専横(新朝建国) |
後漢 | 161 | 外戚の専横を抑えるため、宦官を重用する(皇太后竇氏の垂簾政治) | 外戚に代わって宦官が専横 |
後漢 | 36 | 宦官の悪政に対する反乱(黄巾の乱)を鎮圧するため、地方豪族たちを登用する | 地方豪族が強大化して群雄割拠となる(三国時代) |
魏 | 19 | 地方豪族の力を弱めるため、官吏が地方の人材を推挙するよう改める | 官吏が人事権を握るようになり、上級官職を独占して貴族化する |
魏 | 26 | 後継者争いを防ぐため、皇族の力を制限する | 皇族の力が弱まったことで、国を有力貴族に乗っ取られる(高平陵の変) |
晋 | 39 | 皇族の力を強めるため、皇族を優遇する | 皇族同士の内乱が起こる(八王の乱) |
晋 | 12 | 皇族同士の内乱に勝つため、異民族の助けを借りる | 異民族に滅ぼされて群雄割拠となる(永嘉の乱) |
南北朝 | 84 | 異民族が国を建て、統治のために漢民族と同化する | 異民族の気風を残す辺境の軍閥が反乱を起こして国が分裂する(六鎮の乱) |
南北朝 | 66 | 軍閥の代わりに徴兵制に改めて、辺境防衛を任せる | 領土が拡大すると遠く離れた辺境に兵士を送るのが難しくなる |
隋 | 29 | 貴族を解体するため、試験によって官吏を登用するように改める(科挙) | 教養のみを重視して実務を軽視するような文弱化を招く |
唐 | 289 | 徴兵制では辺境防衛が難しいため、募兵制に改めて辺境に軍隊を置く | 軍閥化して反乱が起き、群雄割拠となる(五代十国時代) |
宋 | 167 | 軍閥が力を持たないよう、中央の官吏の力を強める | 文弱化して異民族に敗れる |
元 | 89 | 漢化して弱体化しないよう、異民族の気風を保つ | 差別された漢民族の不満が溜まって反乱が起き、群雄割拠となる(紅巾の乱) |
明 | 276 | 外戚を排除して皇帝の独裁体制を構築する | 暗君が続いて弱体化し、異民族に敗れる |
清 | 268 | 漢民族を統治するために漢化する | 漢化して弱体化した国軍では反乱(太平天国の乱)を鎮圧できず、代わって活躍した義勇軍が軍閥化して専横 |
秦 | 春秋戦国時代の戦乱を治めて統一王朝を作る | 農民反乱(陳勝・呉広の乱)を切っ掛けに滅亡 |
前漢 | 秦滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る | 王莽の簒奪(禅譲)により滅亡 |
新 | 古(千年前)の周の政治を理想として無理矢理適用する | 農民反乱(赤眉の乱)を切っ掛けに滅亡 |
後漢 | 新滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る | 農民反乱(黄巾の乱)を切っ掛けに滅亡 |
魏 | 三国時代の戦乱をほぼ治めてほぼ統一王朝を作る | 司馬炎の簒奪(禅譲)により滅亡 |
晋 | 三国時代の戦乱を治めて統一王朝を作る | 劉裕の簒奪(禅譲)により滅亡 |
隋 | 南北朝時代の戦乱を治めて統一王朝を作る | 大規模公共事業と大規模軍事遠征の負担が原因で各地で反乱が起き滅亡 |
唐 | 隋滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る | 農民反乱(黄巣の乱)を切っ掛けに滅亡 |
元 | モンケ死後の戦乱を治めて統一王朝を作る | 農民反乱(紅巾の乱)を切っ掛けに滅亡 |
明 | 元滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る | 農民反乱(李自成の乱)を切っ掛けに滅亡 |
清 | 明滅亡後の戦乱を治めて統一王朝を作る | 農民反乱(太平天国の乱)を切っ掛けに衰退・滅亡 |
前漢の武将。衛青に従って匈奴征伐に出陣したが遅参してしまい「慣れない搦手の部隊に回されたせいで道に迷ったじゃねぇか!」と逆ギレして憤死。
『三国志演義』に登場する呉の武将。諸葛亮にことごとく策を読まれた上に「どうせ俺に勝てないんだから曹操に隙を突かれる前にやめたら?」と言われて憤死。
三国時代の魏の武将。有力な将軍であったが関羽に敗れて降伏した。のちに魏に送り返されたあと、関羽に命乞いしている場面の絵を見せられて憤死。
『三国志演義』に登場する魏の政治家。戦いの前に諸葛亮に論戦を挑むも「逆賊曹操に取り入って私腹を肥やしたくせにまだ手柄が欲しくて戦場に出てくるのかこのジジイ」と罵られて憤死。
『三国志演義』に登場する魏の武将。陣中で病にかかり重体となり、それを察した諸葛亮がここぞとばかりに送った挑発的な内容の手紙を読んで憤死。
三国時代の呉の武将。老害と化して後継者問題を引き起こした孫権が周囲の讒言を信じて何度も問責してきたため憤死。
梁の武帝。当初は名君だったが仏教に傾倒して国を衰退させ、宇宙大将軍が率いるたった1000人の反乱軍に敗れて首都を包囲され降伏、幽閉中に蜜を求めたが与えられず憤死。
東ローマ帝国の武将。東ローマ帝国の最大領土を築き上げたが、皇帝から必要なときに呼び出されてこき使われるだけの不遇な人生を送り、最後には無実の罪で逮捕されて憤死。
兄・桓武天皇から藤原種継暗殺事件に関係した疑いをかけられて流罪に処され、無実を訴えて絶食し憤死。
歴史関係で三国志が話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。
何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁、周瑜が頑張った荊州南郡、呂蒙が頑張った樊城、陸遜が頑張った夷陵、孫権が大敗した合肥と
数えるほどしかなくて、その中でも孫権自身が直接赴いた戦争が合肥くらいで、
その上、張遼に始まって満寵や曹休(石亭でのやり返しは陸遜・周魴による)、王凌などにボコられて負けたくらいのエピソードしか持たない
戦争に行けば必ず負ける郭図のような人物だったらしい。
そのため、甘露寺での劉備との同盟といった正に英雄と呼べる場面もあるのに
張昭の家を放火したり陸遜を根拠なく憤死させたり二宮の変での優柔不断さが原因で呉の滅亡を早めたりと
対する曹操が徐州大虐殺、劉備が長坂で妻子を捨てて逃げた事なんかよりもずっとクズだし、
何よりも孫権は上二人の英雄に比べて戦争に強いイメージがなければ、政治家として優れてたかすら疑問だ。
何せ、これまで暗愚扱いされてきた劉禅は宦官政治で朝廷が腐敗したとしても少なくとも40年は国を維持してきたとして
良君として再評価されつつあるのに対して、
孫権は二宮の変や晩年の後継者選び等の老害ぶりを発揮したおかげで若い時の事績が霞む程の暗君ぶりや兄孫策の偉業を評価せず
皇帝即位後、父は皇号だったのに兄には王号しか与えなかった事からも孫権自身の人間性を物語るのに十分だ。
そのため、彼に関して三国時代の三人の名君の一人に挙げられるとこれまで評価されてきたが、筆者はそれには否としたい。
偶然三国時代に入ったため、たまたま呉国の君主だった孫権が英雄扱いされてしまっただけだろう。
斉の宰相妟子(妟嬰。春秋史上最高の名宰相妟管子の片方)に「コイツの理屈は王侯貴族にしか通じない」と称される程、
それなのに弟子の顔回があまりにも有名でその師匠曰くという所に魯の孔子が出て来るだけで、
加えてこの孔子と言う人物は中国曰く聖人君子の代表格とされるが、
呉の季札同様さして何かを成し遂げたでもないのにやたら持ち上げられる。
伝え聞いた所では……という塩梅で多少誇張された表現がこの孔子の周囲には多い。
更に孔子は当時仕官を断った妟子に対して、後に大した事がない奴だと扱き下ろしてる。
このように自分で何かを成し遂げていない上に傲慢な人間にも拘らずやたら名声だけが付いて回っている人物が
三国時代に目を向けると、劉備玄徳や関羽雲長、諸葛亮孔明が「三国志演義」の影響から史実以上に聖人君子の扱いを受けており
これまた中国では尊ばれている。
逆に孫子の兵法書を編纂し、中国大陸の三分の二を掌握して漢王朝を永らえさせた曹操孟徳に対しては近年こそ
再評価されつつあるが、それまでは悪逆非道の代名詞とまで貶されていたのだ。
そう考えると中国では創作や民話伝承の類が信じられやすい、言い換えれば単純な人間が多いために、このような誤解が
筆者が大好きな猛将魏延などの忠臣は演義のせいで墓まで荒らされて現在は鉄道が作られている始末である。
このように、中国は史実に全く目を向けず自分たちにとって都合の良い虚構にばかり信奉しているのだ。
そう思えてならない。
まず、それは留意して欲しい所。
そいつらのやり口の酷さは、自分の意見を少し述べた程度であるが、その根拠を2ちゃんねるに責任転嫁している事、
また、いわれのない嘘八百の記事であるにもかかわらず、この事件の犯人は〇〇に違いない。2ちゃんねるがそのソースだ、と言っているのだ。
加えてそれによって利益を得たり、ツイッター等で有名人に批評されたり等名声を得たりしているわけだから始末が悪い。
昔、三国志の著者である陳寿は、自身の借金の融資を断ったからという理由だけでその人物の伝ではきわめて酷く批判しており、その根拠が三国時代の生き証人であり名実共に
最高の歴史家を自負していた陳寿自身が書くのだから、これは真実なのだとやりたい放題やっていた事がある。
今の2ちゃんねるまとめサイトの連中は正にこういう人間なのだ。
自分の非を棚に上げて相手を非難するそのやり口ははっきり言って頂けない。
更に、責任の所在を2ちゃんねるという逃げ道を作っておくその卑怯さは正直賞賛されるものとは思えないし言語道断である。
所詮2ちゃんねるといった匿名で不特定多数の人間が面白おかしく書き立てる三文記事あるいは校舎裏の落書きでしかない暇つぶしを真に受けるなど馬鹿げてるとは思わないか。
その意味で、元2ちゃんねる管理人の西村博之いわく「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」は実に的を得た批判だと思う。
この、クソみたいな話題をまとめて偉ぶってるまとめサイトことアフィブログの連中もそうだが、それに踊らされる周囲も本当に愚の骨頂と言える。